第143話 ヴァレン vs. 紅龍 ──ハイエスト・ウェイの戦い──
──魔都スレヴェルド上空。
摩天楼の間を縫うように走る高架道路 "ハイエスト・ウェイ"は、夜景の光を背に二人の巨影を映し出していた。
フェンシングの騎士を思わせる端正な立ち姿。
左手には黒皮の魔本"ときめきグリモワル"、右手には十一本の薔薇が巻き付いた魔剣"最愛の花束"を構えたヴァレン・グランツ。
彼の背に吹き抜ける風は軽やかで、どこか舞台上の貴公子を思わせる。
対するは、"ベルゼリアの紅き応龍"の異名を持つ将軍。
紅蓮の衣を纏い、両手に握るのは緋色の双剣"緋蛟剪"。
その構えは武術の舞踏そのもの──中国拳法の剣舞を思わせる流麗さと、炎を宿す猛獣の凶暴さを兼ね備えていた。
「呀ッッ!!」
紅龍が踏み込む。
炎を纏った双剣が夜を裂き、ヴァレンへと殺到した。
その一撃は、ビルの壁面にまで衝撃波を刻み込む暴威。
──キィンッ!
だが、ヴァレンは軽やかに剣を振るい、その斬撃を受け流す。
細剣と細剣が火花を散らし、残光の軌跡が夜空に弧を描いた。
その瞬間、ヴァレンの眼が淡く光る。
魂視。
紅龍の魂が視界に透けて見えた。
紅き竜魂に癒着するように──無数の光の塊。
呻き声を上げるように波打ち、かすかな助けを求める声が響く。
(……なるほど。これが“喰われた魂”か)
(完全に消化されたわけじゃあない。紅龍の魂にべったりと張り付いて……支配されている)
次の一撃。紅龍が下段からすくい上げるように斬り上げた。
ヴァレンは剣を滑らせて軌道を逸らしながら、さらに奥を覗き込む。
そこには、高校生たちの魂が揺らめいていた。
目を閉じ、苦しげに呻き声を漏らす魂たち。
彼らは紅龍に飲み込まれ、意識を奪われ、いまも竜の中で蠢いている。
(……癒着部分を、綺麗に切除できれば……或いは、救えるかもしれないな)
紅龍が吠える。
「儂との闘争の最中に考え事とは、随分と余裕だのう! ヴァレン・グランツ!」
ヴァレンは口角を上げ、剣を軽く跳ね返す。
「ククク……戦場こそが、考えを整理するにはうってつけだろう? 紅龍殿」
紅龍はにやりと牙を剥いた。
「……減らず口よ。ならば、これでどうだ──!」
双剣の柄の部分を、カシャンと音を立てて組み合わせる。
繋ぎ目の鎖が柄の内部に収納され、双剣は一本の双刃刀へと変貌した。
ギュイィィィィン……!
紅き炎が双刃を包み込み、紅龍の手の中で轟音と共に回転を始める。
回転に合わせて炎が伸び、炎の輪となって宙に浮かぶ。
その光は夜空を切り裂き、ビル群を赤々と照らす。
「疾れ……宝貝ッ!」
「"炎龍圏"ッッ!!」
紅龍の腕が振り抜かれる。
炎を纏った輪が高速で飛翔し、轟音を撒き散らしながらヴァレンを襲った。
──ゴオオオオオオオッ!!!
炎龍圏は軌道上の建物を焼き切りながら飛んだ。
高架道路の欄干が一瞬で熔解し、外壁が燃え上がる。
電線が次々と爆ぜ、街灯が破裂し、スレヴェルドの夜景に黒煙が立ちのぼった。
ヴァレンは眉をわずかに寄せる。
(平気で街を巻き込むか……相変わらずイケてないねぇ……!)
対峙するヴァレンは、炎輪を正面から迎え撃ちながらグリモワルを開いた。
「"心花顕現"──」
だが次の瞬間、瞳が細く鋭くなった。
(……ッ!? 反応しない……!)
グリモワルの魔法陣は発動せず、頁の光はすぐに潰えた。
紅龍が不敵に笑う。
「クク……小娘から喰らった"封印呪法"よ。貴様の“魔神器”など、呼吸ひとつで封じられる!」
ヴァレンは舌打ちをしつつ、細剣を構え直した。
「やれやれ……野蛮な炎輪に、若者からぶんどったスキルとは。実に趣味の悪い二本立てだ」
紅龍の炎輪が迫る中、ヴァレンは右手に掲げた魔剣"最愛の花束"を強く握る。
十一輪の薔薇を象った鍔が赤熱に照らされ、花弁の影が揺らめいた。
──ガァァァァンッッ!!
旋回しながら突進してきた"炎龍圏"を、剣先で正面から受け止める。
炎が噴き出し、灼熱が皮膚を焦がすように迫る。
ヴァレンの足は石畳を削り、後方へと二歩、三歩と押し戻された。
が、次の瞬間、薔薇の蔓を模した刃が炎を絡め取り、炎輪を強引に弾き上げる。
その一瞬の隙を──紅龍は逃さない。
地を蹴り、紅の体躯が弾丸のように迫る。
「オオオオッッ!!」
跳躍と共に叩き込まれる飛び蹴り。
炎龍圏の轟熱に続く追撃は、夜の都市そのものを蹴り砕くかのような一撃だった。
しかし──。
「……お前の呼吸、止まってるな」
ヴァレンは低く呟き、半回転しながら紅龍の蹴り足に自らの足を合わせた。
──ガギィィィィィンッ!!
凄絶な音が夜空に弾けた。
二人の足がぶつかり合った瞬間、紅龍の赤黒い魔力とヴァレンの薔薇色の魔力が激しく噛み合い、稲妻のような閃光となってスレヴェルドの空を引き裂く。
紅龍は空中で双刃刀をキャッチし、そのまま軽々とバク宙で距離を取った。
ヴァレンもまた優雅に着地し、剣を払って火花を散らす。
──わずかに、グリモワルが光を取り戻していた。
(……今、封印が解けていたな。やはり……)
ヴァレンは思考を巡らせる。
(影山くんの証言通り。“封印呪法”の発動には呼吸を止める必要がある。)
(つまり、格闘の最中、呼吸を乱した瞬間には発動できない。……なるほど、クセが見えてきた)
紅龍は双刃刀を構え直し、不敵に嗤った。
「“魔神器”を封じれば、ただの鵜戸の大木かと思えば……なかなかどうして。やるものだな」
ヴァレンは剣を掲げ、わざと軽薄に肩を竦める。
「ククク……一芸だけでやっていけるほど、大罪魔王の座は甘くないんでね」
その声の裏で、冷ややかな分析を続ける。
(まぁ……マイネの奴は力の殆どを“魔神器”に依存してるからね。"我欲制縄"を奪われれば、ほとんど何もできないポンコツだがね)
闇に浮かぶ二人の影は、互いに刃を向けながらも、次なる一手を探る静かな間合いへと移っていった。
◇◆◇
──スレヴェルドの夜空に、不意の影が差した。
ヴァレンと紅龍が剣を交えていたハイエスト・ウェイの上空を、小型の魔導飛空挺が轟音を響かせながら横切る。
漆黒の機体に帝国の紋章。艶やかな夜景の中で異様に目立つそれを見て、ヴァレンは片眉を上げた。
「……ベルゼリアの飛空挺、だと?」
魔剣"最愛の花束"を軽く下げ、紅龍の出方を窺いながら視線を送る。
その横顔は普段と変わらぬ余裕に彩られているが、瞳の奥では油断なく“警戒”の光が揺れていた。
だが──紅龍は別の色を見せた。
炎を纏う応龍の瞳が、一瞬だけ苦々しげに細められる。
(……何だ? こいつ、仲間の飛空挺を見て嫌そうな顔を……?)
ヴァレンの胸に疑念がよぎる。
直後、飛空挺の外装に仕込まれた拡声器が鳴り響いた。
鋭い女性の声が、夜空を震わせる。
『どういうおつもりですか!? 紅龍将軍!!』
ヴァレンの耳に、聞き覚えのある名が届く。
──フラム・クレイドル。
召喚に関わった帝国側の高位魔導官、その声色は普段の冷静さを欠いていた。
『本国からの指示を待てと再三申し上げたはず……! それなのに召喚者達を喰い散らかし、あまつさえスレヴェルド内で戦闘を始めるなど……!』
強い叱責。だが、その声音には怒りよりも明らかな“焦り”が滲んでいる。
ヴァレンは心中で唸った。
(……なるほど。やはりこれは紅龍の独断。帝国の命令じゃない……?)
その思考の隙間に、紅龍が呵々と笑う。
怒りを隠すように口角を吊り上げ、芝居がかった声を放った。
「ふっふっふ……すまんな、フラムよ。儂はもう、貴様らに従うのは飽いたのだ」
冗談めかしたその言葉に、飛空挺からの声は一瞬途切れる。
『なっ……!?』
絶句の後、フラムは震える声で続けた。
『貴方は……帝国に、ベルゼリアに恩義があるはずです……!!』
紅龍の瞳が、闇夜にギラリと閃いた。
「……恩義?」
その声色は冷たく、先ほどまでの嘲笑すら消え失せていた。
紅龍は大気を震わせるほどの咆哮に近い声で言葉を叩きつける。
「そうか……そういう“設定”だったな!」
ヴァレンは目を細め、わずかに体を固くした。
(……設定? 今、あいつ……何と言った?)
紅龍の気配が一気に膨れ上がる。
その体躯が夜空を覆うほどに威圧を放ち、瞳の色が血のように赤く染まる。
「儂に植え付けられた『染魂の種』に描かれた記憶は──!!」
瞬間、飛空挺の中から押し殺したような悲鳴が漏れた。
『……ッ!? ま、まさか……!!』
フラム・クレイドル。
その声には、恐怖と動揺がはっきりと滲んでいた。
ヴァレンは息を呑む。
(染魂の……種? 魂に記憶を書き込む……? ……待て、これは……!)
彼の瞳は鋭く細まり、次の一言を聞き逃すまいと紅龍の口元に視線を注いでいた。
◇◆◇
紅龍の黄金の瞳がぎらりと光を放ち、夜空を睨み据える。
スレヴェルドの摩天楼を背に、その双眸はただ一機の飛空挺を射抜いていた。
「ベルゼリアで代々“異世界召喚”の儀式を担う、クレイドル家……」
低く唸るような声。
フラムの名を思い出すように呟き、続ける。
「そこに伝わる、一子相伝の秘術──召喚者がこの世界に来る刹那を狙い、無防備な魂に命令式を書き込む“染魂の種”ッ!」
ヴァレンの眉がひそりと動いた。
剣を下げたまま、内心で舌を巻く。
(……魂に命令式を書き込む? それがベルゼリアが召喚者を従えている仕組み……!?)
紅龍はゆっくりと牙を剥き、声を張り上げた。
「よもや、この儂にまで植え付けておったとはなァ!!」
怒声がビル群を震わせ、窓ガラスがビリビリと揺れる。
飛空挺の拡声器から、短い悲鳴が漏れた。
『ひっ……!?』
フラム・クレイドル。その声には、普段の冷徹さなど微塵もない。
ただ、素顔を暴かれた女の狼狽が色濃くにじむばかりだった。
紅龍はさらに吠える。
「すべて理解したわ!! ベルゼリアが儂らの周囲に人員を配置せず、召喚者と生命なき魔導機兵だけを兵に据えてきた理由……!」
両手の"緋蛟剪"をぐるりと回転させ、赤炎が輪を描く。
「万が一、貴様の洗脳が解けたとき……儂が皆まとめて“喰らう”ことを恐れていたのだろう!? 小癪なり……!!」
ギュルルルル……ッ!
双刃刀の回転が唸りを上げ、轟炎が軌跡を描く。
「──謀った報い、受けよ!!」
咆哮と同時に、紅龍は"緋蛟剪"を炎の輪のまま投げ放った。
夜空を裂く真紅の閃光。
摩天楼を照らしながら唸りを上げ、飛空挺めがけて迫る。
『か、回避!!』
フラムの声が悲鳴に変わる。
しかし、命令よりも速く炎刃は到達した。
──ガシュゥゥッ!!
鋼鉄の外殻が焼き切られ、機動部が一瞬で引き裂かれる。
『きゃあああああああッ!!』
フラムの叫びが、夜に散った。
飛空挺は制御を失い、蛇のように身をくねらせながら墜落していく。
遠方の大通りに激突し、ボゥンと爆炎が噴き上がった。
轟音と炎光が夜景を揺らす。
その光景を背に、回転しながら戻ってきた"緋蛟剪"を紅龍はパシッと片手で受け止めた。
炎の余熱を浴びながらも、その顔には冷笑が浮かんでいる。
「しぶとい女だ……死んではおるまい」
わざと軽く呟き、唇の端を吊り上げる。
「待っておれ……後で儂がきっちり喰いに行ってやるわ」
その言葉に、ヴァレンの視線が鋭く細められる。
魔剣を構え直しながらも、口調だけはあえて崩してみせた。
「おいおい……帝国を裏切っちまっていいのか? “ベルゼリアの紅き応龍”ともあろう者が」
紅龍はふっと鼻で笑う。
その瞳にはもはや迷いの色はない。
「何を白々しい」
紅の瞳が、獲物を睨む猛獣のように爛々と燃え上がる。
「先の会話で、貴様も察したであろう」
ヴァレンは無言のまま、剣をわずかに構える角度を変えた。
紅龍は、大気を震わせるほどの声で高らかに告げる。
「そうだ……儂は、元よりこの世界のモノではない」
「儂もまた──“異世界召喚者”よ!!」
ニヤァ……と、口角が不気味に吊り上がった。
夜景を背に浮かび上がる紅龍の姿は、異形の剣士であると同時に、“異界の戦士”としての異質さを証明していた。
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