第140話 ビルの谷間の巨竜
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アグリッパ・スパイラルのリビング・フロア。
訓練を終えたクラスメイト達が、ソファやラグに思い思いに座り込み、夕食後の団らんを楽しんでいた。
天井の照明は柔らかな橙色に灯り、窓の外にはスレヴェルドの夜景がきらめいている。
鬼塚玲司は、その喧噪から一歩退いた場所に腰を下ろしていた。
木製の椅子にどっかと身を預け、手にしたグラスの水をゆっくりと喉へ流し込む。
汗で濡れたシャツが背中に張り付き、まだ身体の芯が熱を帯びていた。
「そう言えばさ!」
弾む声に顔を上げると、石田ミオがソファの背もたれに身を預けながら、スマホをいじるみたいに指先をひらひらさせていた。
「今日もまた助けられちゃった〜!」
「えっ、また? 例の“守り神”……?」
高崎ミサキが目を丸くし、カチューシャを押さえながら身を乗り出す。
(……守り神? 何の話してやがる、あいつら。)
鬼塚は眉をひそめつつ、グラスをテーブルに置き、耳を傾けた。
「そうそう! あたし、モンスターから逃げ遅れて転んだんだけどさ、気づいたら立ってたの! ほんっと一瞬で!」
「うちなんかさ〜、ベルゼリアから支給された魔導具、絶対無くしたと思ったのに……帰ったら、テーブルの上に置いてあったんだよね〜」
「ね〜!? ありえなくない? あれ絶対、守り神様のおかげだって!」
キャピキャピと笑い合うギャルズ。
その声に、近くのテーブルでカードを広げていたオタク四天王も反応した。
「いや……でも分かる。魔物との戦闘中、誰かが横からカバーしてくれた感覚あったんだよな」
「そうそう! 誰もいなかったはずなのに、急に攻撃が逸れて……!」
「マジで!? お前らもか!」
乾流星が椅子の背に足を掛けて笑い、榊タケルと五十嵐マサキも肩を並べる。
「俺もだわ! バランス崩したと思ったら、誰かに支えられた気がしたんだよな」
「分かる分かる! 絶対いるって、俺らの守り神!」
フロアの空気が一気に盛り上がる。
笑い声と「マジ?」「本当?」という声が飛び交い、皆が一様に“目に見えない味方”の存在を語っていた。
鬼塚は、無意識にグラスを握る手に力を込めていた。
(……は? そんな事、あるわけねぇだろ……)
鼻で笑い飛ばす。だが──。
仲間達の表情は真剣で、嘘を言っている様子もない。
話が重なるごとに、鬼塚の胸にざわつきが広がっていく。
(マジか……? 本当に、あるのか……?)
心臓が不意に強く鳴った。
だが次の瞬間、鬼塚はかぶりを振る。
(“守り神”、か……)
(このクソッタレな世界に、そんな御伽噺みたいなもんがいるかよ……)
彼は椅子の背に深くもたれ、グラスの水を飲み干した。
窓の外には、渓谷の闇に囲まれながら煌めくスレヴェルドの夜景。
その光を無言で眺め、鬼塚は深い吐息を洩らした。
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崩壊したハイエスト・ウェイの瓦礫が、夜空へと舞い上がっていく。
その中を、鬼塚玲司の身体が吸い込まれるように落ちていた。
ビル群の明かりが、彼の瞳に縦横無尽に流れ込む。
吹きすさぶ風が顔を叩き、耳を裂く轟音が思考を奪っていく。
──だが。
「……っ?」
鬼塚は気づいた。
さっきまで、自分の手を確かに“誰か”が掴んでいた。
見えもしない、声もない──だが温もりは、確かにあったのだ。
その感覚が、不意に途切れている。
残されたのは、掌の奥に染みついた温かさ。
(……本当に、いたんだな。“守り神”の野郎……)
(俺を引き上げるほどの力は無かったみてぇだが……)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
それは恐怖でも絶望でもない、ただ一つの確信。
鬼塚は空へ向かって吠えた。
「……だが、お陰で──頭冷えたぜッ!!」
腰のバックル、獏羅天盤。
指先が無意識にその歯車へ伸びる。
ギュイィィィンッ!!と甲高い金属音が夜を裂いた。
「変身ッ!!」
瞬間、紫電の奔流が鬼塚の身体を包む。
鬼とヤンキーを融合させたような紫の鎧が肉体を覆い、鋭いスパイクが肩から突き出す。
仮面の両眼が血のように赤く光り、蒸気が噴き上がった。
"魔装戦士"──パーフェクトフォーム。
空中で体勢を取り直した鬼塚は、さらに獏羅天盤を連続で回す。
ギュイン!ギュイン!ギュイン!ギュイン!
《インカネーション! ボコボコ──FULL・ボッコ!!》
無機質な機械音声と共に、彼の周囲に歯車の魔方陣が展開し、そこから二つの巨大な拳が召喚された。
まるでロケットパンチの化身。
紫電を纏った拳が夜空に浮かび上がり、彼の意思に呼応して動き出す。
鬼塚は血走った目で下を睨みつけ、唇を歪めた。
「……やりたかねぇが──地面に叩きつけられるよりは、マシだよなぁぁぁーーッ!!」
拳が一斉に唸りを上げる。
次の瞬間、自分の身体を斜め下から殴り飛ばすという無茶苦茶な一撃。
ドゴォォォォォンッ!!
「ぐぉっ……!? クソ……俺の拳も、捨てたもんじゃねぇじゃねぇか……っ!!」
胸をえぐられるような衝撃に呻きながらも、鬼塚は窓ガラスを突き破って近くの高層ビルへ叩き込まれた。
──ガシャァァァン!!
硝子片が飛び散り、夜風が室内へと吹き込む。
鬼塚の身体は床に転がり、鉄骨の軋む音が辺りに響いた。
「……はぁ、はぁ……」
荒い呼吸を整えながら、鬼塚はゆっくりと立ち上がる。
そこは真ん中が吹き抜けになった集合住宅のような造り。
頭上には、まだ遥か高く天井がそびえていた。
「紅龍の野郎……本格的に俺を殺しに来やがった……!」
奥歯を噛み締める。
だがその直後、耳に甦ったのは銀髪の少年の声だった。
──『俺たち、君たちを助けに来たんだ!』
鬼塚は瞼をギュッと閉じ、拳を握りしめた。
「……あぁ……完ッッッ全に、腹ぁ決まったぜ……!」
拳と拳を、ガキィン!!と打ち合わせる。
紫の火花が散り、彼の決意が轟音となって心臓を震わせた。
「俺は、アイツら……フォルティア荒野の連中に付く!!」
「そして……クラスの奴ら皆、救ってやる……!!」
叫びは吹き抜けに反響し、虚空へと木霊した。
その時だった。
──ガシャァァァン!!
頭上の上層階から、何かが吹き飛ばされるような轟音が響き渡った。
鉄骨が軋み、粉塵が舞い散る。
「なッ……!?」
鬼塚は反射的に天井を仰ぎ見た。
吹き抜けの最上層、瓦礫と硝子片の向こうで、影が蠢いている。
何者かがこの建物へ叩き込まれたのだ。
鬼塚は唇を歪め、低く呟く。
「……チッ。何か分かんねぇが──無関係じゃねぇよな!」
両脚に力を込め、壁を蹴る。
──ドンッ!
鬼塚は三角跳びの要領で吹き抜けの壁を駆け上がる。
紫の残光が尾を引き、彼の決意が夜を切り裂いた。
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(アルド視点)
──ドサッ。
俺は『ハイエスト・ウェイ』から飛び降り、瓦礫の間を縫って地上に着地した。
周囲は高層ビル群が林立し、夜の街を埋め尽くす光が不思議なほど眩しい。
「……綺麗な街だな〜」
思わず感嘆が口をついた。
煌びやかなネオンとガラス張りのビルが立ち並ぶ様子は、どこか現実世界の光景を思わせる。
六本木……?いや、丸の内っぽい?
まあ、俺あんま行ったことないんだけどね。
自分で心の中でツッコミを入れて苦笑いする。
こんな状況じゃなければ観光気分で散策してみたかった。……が、のんびりしてる暇なんてない。
「いやいや、そうじゃないだろ! 影山くんを探すんだ!」
自分に言い聞かせて、ビルの谷間を駆ける。
その時。
──ドゴォォンッ!!
近くの高層ビルの上層階から爆発のような衝撃音が響いた。
硝子が砕け散り、煌めく破片が夜気に舞い落ちてくる。
「うおっ!? 戦闘が始まった!?」
俺は慌てて上を仰ぐ。
だがすぐに首を振った。
(いや……影山くんじゃないな。あの子に戦闘力はほとんど無い。多分仲間達か、敵の誰か……)
胸の奥に焦りがよぎるが、それを振り払う。
(みんなを信じろ。俺は俺にしかできないことをやるんだ……! 一刻も早く、影山くんを見つけないと!)
決意を新たに走り出す。
街中には、ベルゼリアの魔導機兵が巡回していた。
甲冑を纏ったような鋼の兵士たちが、機械じみた動きで街路を警備している。
「おっと……見つかったか」
視線が交差した瞬間、数体の魔導機兵がこちらへ突進してきた。
俺は深呼吸し、腰を落とす。
(万が一、中に人間が入ってたら困るから……)
本気は出さない。
迫り来る兵士の腕を取り、軽く突き飛ばす。
──ゴシャァンッ!!
魔導機兵はビルの壁に叩きつけられ、そのままガコンと力なく崩れ落ちた。
同じ要領で何体かを壁にぶつけ、道を切り拓いて進む。
「……ふぅ。俺的には、平和的な解決ってことで」
やがて、ビル群の谷間にぽっかりと広がる広場へ出た。
ここだけ空が大きく開け、四方の高層ビルが壁のように囲んでいる。
夜風が流れ込み、街灯の光が広場の床を冷たい水銀のように照らしていた。
──その時だった。
鼻先をふわりとくすぐる匂い。
「ん……? なんだろ、この香り……?」
甘く爽やかな、花の香り。
街の排気や油の匂いにまみれたスレヴェルドの空気の中では、あまりにも場違いで際立っていた。
そして、それと同時に──。
「ん……? なんか……イビキ?」
低くリズミカルな音が、夜気に混じって響いてくる。
ぐぅ〜……すぅぅ〜……時折、笛のような「ピピピピ……」という妙な音も混じる。
俺は広場の中央に一歩踏み出し、耳を澄ませながら警戒を強めた。
──そして、視界に飛び込んできたものに、思わず固まった。
「……は?」
そこにいたのは、ビルの壁に背をもたれかけ、巨大な身体を折り畳んで眠るティラノサウルスだった。
「なっ……」
某恐竜映画で見た姿よりも二回りは大きい。
全長は優に二十メートルを超えているだろう。
夜の街にそぐわない、圧倒的な存在感。
にもかかわらず、そいつは口を半開きにして、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「シュ〜ル……ピピピピピ……」
なにそのコミカルなイビキ。
恐竜の吐息ってもっとこう、ドゥゴォォォッ!!みたいな迫力あるやつじゃないの?
映画の予告編の最後で流れる様なやつ。
そもそも本当に恐竜なのかも分からないけど。
俺は思わず心の中で派手にツッコんでしまった。
しかもよく見ると、その口先や前足の爪に、赤いものがべっとり付着している。
月光に照らされてぎらりと鈍く光る。
(血……? いや……なんか……)
喉の奥でごくりと唾を飲む。
嫌な予感が全身を駆け巡ったが、立ち止まっている暇はない。
「な、なんでこんなビル街のど真ん中にティラノサウルスが……!?恐竜パニック映画かよ……! 魔王領だと、これが普通なのかな……?」
「……とりあえず寝てるっぽいし……。何これもう訳わかんないけど、一旦スルーだスルー……!」
俺はそっと足音を殺し、ティラノを起こさないようにソロリソロリと歩みを忍ばせた。
まるで爆弾の上を歩く気分だ。
冷や汗が背筋を伝い、心臓が鼓膜を突き破りそうなほど鳴り響く。
……まあ、起きちゃったとしても、ぶん殴ればもう一回眠らせられる気もするけど、平和的に回避できるに越した事はないよね。
だが──その瞬間。
「……っ!?」
ティラノの口の奥。
半開きになった顎の隙間から覗いたその光景に、俺の目が釘付けになった。
舌の上に、ぐったりと横たわる半透明の人影。
「か……影山く───ん!?」
思わず声が裏返り、広場に響き渡った。
ティラノが寝返りでも打つんじゃないかと慌てて口を押さえたが、幸い奴は「シュ〜ル……」と気持ちよさそうに寝続けている。
だが、そんなことより問題は──。
影山くんの左脚が、ティラノの鋭い歯の間に絶妙に挟まり、上手い具合に固定されていた。
そのせいで舌の上から転げ落ちずに済んでいるけど……
逆に言えば、少しでも動けば牙に貫かれかねない、もっと言えば胃袋の中へグッバイ!という危うい状況。
(な、なんで!? なんでこの一瞬の間に、とんでもない大ピンチになってんの!?)
俺は頭を抱え、広場のど真ん中で盛大に内心ツッコミを入れたのだった。
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