第137話 救出作戦、開始!
アグリッパ・スパイラルの高層階。
病棟の静けさを抜け、鬼塚玲司は誰にも気取られぬよう足音を殺して歩いていた。
金属とガラスで組み上げられた廊下は、夜風に軋むように微かに鳴る。
遠くからは機械の低い唸りと、都市の鼓動のようなざわめきが聞こえてくる。
だが、鬼塚の耳には──自分の心臓の音が、何よりも大きく響いていた。
(……やるしかねぇ……やるしかねぇんだ……!)
自分に言い聞かせるように、拳を固く握る。
乾に託した言葉。眠る佐川の姿。必死に寄り添う天野の顔。
すべてを背中に押し込めて、ただ一人でこの塔を出る。
胸の奥に渦巻くのは、罪悪感にも似た重さ。
だがそれを噛み殺し、鬼塚は進んだ。
やがて辿り着いたのは、飛行魔物用の着陸場。
かつては数多の翼ある獣が降り立ったであろう広場も、今は使われず、静まり返っている。
夜風が吹き抜け、鉄骨が冷たく震えた。
薄闇に沈んだそこで、鬼塚は静かに魔力を集中させ、愛機を顕現させる。
──"特攻疾風"。
鋼鉄の車体は漆黒に輝き、まるで猛禽のように身を低く構えている。
鬼塚はそのハンドルに触れ、低く息を吐いた。
「……行くぞ。俺達のケンカは、まだ終わっちゃいねぇ」
低く囁くと同時に、エンジンが唸りを上げる。
深夜の静けさを破り、重厚な振動が着陸場全体に響き渡った。
鬼塚は跨がり、アクセルを捻る。
ゴォォォ……ッ!!
一瞬で視界が流れ、夜空へと飛び出す。
眼下に広がるのは、闇に沈んだ巨大都市──魔都スレヴェルド。
渓谷の底に築かれた街は、切り立った崖に囲まれ、無数の光が星のように瞬いていた。
だが、その上空を網の目のように走るのは、地上よりも高く張り巡らされた道路群。
浮遊する大地の上を走るそれは、夜の空を切り裂く銀色の糸のようにも見える。
鬼塚はバイクを駆り、その空路へと合流した。
疾風が頬を叩き、瞳が熱を帯びる。
「……日本の夜景も、こんなふうに見えてたかもな……」
ふと、胸に去来する故郷の記憶。
ビルの谷間を走り抜けた夜。オレンジ色の街灯、群青の空、遠くで聞こえる電車の音。
だが、あの場所には──もう戻れないかもしれない。
(……もしかしたら、俺達はもう、日本に帰れねぇのかもな……)
胸がひりつく。
孤独と恐怖が、わずかにアクセルを緩めさせた。
だが──すぐに首を振る。
「……バカか、鬼塚玲司ッ!!」
怒鳴るように自分に言い聞かせる。
ハンドルを握る手に力が籠もり、モヴゼファーが再び轟音を上げた。
(帰るんだ……! 必ず……皆で日本にッ!!)
風が涙をさらい、視界が鮮やかに開ける。
その叫びと共に、鬼塚は夜の上空道路を駆け抜けた。
◇◆◇
──その姿を、遠くから見下ろす影があった。
アグリッパ・スパイラル最上階。さらにその上に聳える尖塔の頂。
夜空を背に、三つの人影が立っている。
紅龍、黄龍、蒼龍──三龍仙。
「……ほぅ。獲物が一匹、夜空を駆けておるわ」
紅龍が顎に手を添え、愉快そうに目を細める。
「泳がすのもまた一興よ。いずれは……どのみち、喰らうのだから」
黄龍は腕を組んだまま、冷ややかに呟く。
「夜風に舞う蝶ってやつかしらぁ〜。羽ばたきが愛おしいほどに、儚いわねぇ」
蒼龍が艶やかに笑みを零す。
三人の視線の先、夜空の道路を疾駆する鬼塚。
彼はまだ知らない──自らの走りが、獰猛な捕食者たちの眼差しに晒されていることを。
────────────────────
(アルド視点)
俺は窓の外に流れる光を眺めながら、どうにも場違いな感覚に襲われていた。
ここはフォルティア荒野の地下遺構。
金属製の壁に魔導具の灯りが並ぶ、謎に近未来的で、神秘的で広大な地下通路だ。
俺が一条くん達とドンパチを繰り広げた場所だね。
そこを走っているのは──
よりにもよって「修学旅行用の大型バス」。
通路に響くエンジン音、車体の振動、天井の蛍光灯。
座席にはふかふかのシートカバー、後部にはドリンクホルダーとお菓子の袋。
どっからどう見ても、日本で見慣れた修学旅行バスそのままだ。
「いや……なんで俺ら、こんなのに乗ってんの?」
乗り始めて結構経つけど、つい疑問を口に出す。
運転席にはヴァレンがいて、運転手帽子なんか被って上機嫌にハンドルを握っている。
「そりゃ俺の《ときめきグリモワル》が召喚したからに決まってるだろ!」
ミラー越しに振り返り、キラキラした目で俺を見てくる。
「……いやいや。召喚って、よりにもよって“修学旅行バス”を?」
「そうだとも!」
ヴァレンは誇らしげに胸を張る。
「俺の魔導書は“ときめき”を感じるものしか呼び出せない。で、このバスは──俺のイメージする青春そのものなんだよ!」
「青春そのもの……?」
修学旅行用バスが?
「修学旅行! 男女混合! 好きな子と席が近くなって、初めて二人で話す二時間……! これ以上に尊いときめきがあるか!?」
ハンドルを握ったまま熱弁する姿は、もはや異世界の魔王どころか、ただの恋バナ大好きなオッサンだ。
つかお前修学旅行とか行った事無くない?
大罪魔王だよね?
日本文化に対する造詣が深すぎるのよ、この男。
俺は思わず肩を落とす。
(……前世の俺の修学旅行には、そんなときめきイベント無かったけどな)
後ろの席では、リュナちゃんが菓子袋を抱えてブリジットちゃんにもたれかかり、フレキくんは犬の姿でテーブルに前足をかけてポテチを狙っている。
マジで修学旅行みたいなノリだね。
ペット同伴だけど。
「おっきなトンネルっすね〜。あーし、千年近く住んでたけど全然気付かなかったっすよ」
「ほんと不思議だよね」
ブリジットちゃんもにこやかに答える。
のんきすぎて思わず笑ってしまう。
その横で、影山くんがホワイトボードにペンを走らせていた。
《このバス、すごい再現度ですね……中学の時に乗ったのとそっくりです》
それをミラー越しに読んだヴァレンが、がばっと振り返り、目をカッと見開く。
「……影山くん。まさか君たち……『日本』って国から来たのか!?」
影山くんは一瞬戸惑った後、素直に
《はい》と書いた。
「マジでぇ!?」
ヴァレンの叫びが車内に響いた。
彼は片手でハンドルを押さえたまま、もう片手で髪をかき上げる。
「なんてことだ……"日本"といえば伝説のラブコメ文化の聖地! 俺が憧れ続けた幻の大地じゃないか!」
テンションが爆発している。運転中にそれは危なすぎる。
影山くんも
《ありがとうございます!》
なんて嬉しそうに書いてるし……まんざらでもないみたいだ。
俺はというと、そのやり取りを横目で見ながら(……熱量エグいな)と呆れるしかなかった。
一息ついたヴァレンは、急に真剣な声色になった。
「……そっか。影山くんのお仲間達は、あの幻の大地“日本”からのお客様だったんだな」
「だったら尚更、バッチリ全員助けてやらないとだな」
そう言って、ウィンクを飛ばす。
影山くんは目を潤ませ、
《ありがとうございます!ヴァレンさん!》
と書いた。
その姿を見て、俺は思った。
(ヴァレンのやつ……影山くんの緊張を和らげるためにわざと……?)
少し感心した俺だったが──次の瞬間、彼は叫んだ。
「ところでさ! 日本じゃ今、どんなラブコメ漫画が流行ってるんだ!?」
影山くんは《ええと……最近流行ったヤツだと、たとえば、ヒロインが六つ子で……》と真面目に答え始める。
どうやら二人とも、異世界を旅する仲間というよりオタク仲間のノリに突入したらしい。
俺は頭を抱え、そして笑ってしまった。
(……いや、やっぱ単に趣味で話してるだけだな)
修学旅行バスの中、夜の地下遺構を揺らしながら、俺たちはそんな妙に温かい空気に包まれていた。
◇◆◇
後部座席の方から、伸びをするような気の抜けた声が聞こえてきた。
「……それにしてもさぁ〜」
振り返ると、リュナちゃんがブリジットちゃんの肩にもたれながら窓の外を見上げている。
瞳に映っているのは、規則的に並ぶ魔導具の灯りで照らされた広大なトンネル。
地底をくり抜いたはずなのに、まるで天空を思わせる広さと暗さが広がっていた。
「フォルティア荒野の地下に、スレヴェルドまで繋がるこんなでっけぇトンネルが通じてたなんて……」
彼女はお菓子の袋を片手にひらひら振りながら、呑気に続ける。
「あーし、千年近く住んでたっすけど、全く気付かなかったっすねぇ」
その肩でリズムを合わせるようにブリジットちゃんが笑った。
「ほんと不思議だよねぇ。……ねぇ、マイネさん。何か知ってたりする?」
ふっと、視線がマイネさんへ向かう。
彼女は窓際の席に腰掛け、背筋を伸ばしたまま静かに灯りを眺めていた。
一呼吸おいてから、低く、しかしどこか冷ややかに言葉を落とす。
「……さあ。妾も、こんな通路が通じておったとは、知らんかったわ」
その声音には妙な硬さがあった。
さらりと受け流す調子のはずなのに、そこに“わざと”の色を感じる。
俺は一瞬、背筋にひやりとした違和感を覚えた。
隣でヴァレンが小さく口笛を吹き、俺の耳元にだけ聞こえる声で囁いた。
「……なぁーんか、隠してんだよな。マイネのヤツ」
チラリとマイネを横目に見て、俺はすぐにヴァレンへ視線を戻した。
「……まあ、言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるしさ」
俺はわざと軽い口調で応じる。
「今は影山くんの友達を助けることに集中しようよ」
ヴァレンは一拍おいてから、俺にだけわかるようににやりと笑い「そうだな」と頷いた。
……そこでふと気付いた。
影山くんが、マイネさんの隣に座るベルザリオンくんの顔をじっと見つめている。
あまりにも真剣すぎて、声をかけずにはいられなかった。
「……どったの、影山くん?」
小声で問いかけると、影山くんはいつものようにホワイトボードを取り出しかけた。
俺は慌てて手を伸ばす。
「あ、いいよ。俺には聞こえてるし。ただの雑談なら、いちいち書かなくて。疲れるでしょ?」
影山くんは少し迷った顔をしてから、小さく息を吐き──それでもペンを走らせる。
《いえ……あの、ベルザリオンさん……って、“強欲の魔王”軍の四天王でしたよね、確か》
「確かそのはずだけど……それがどうしたの?」
問い返すと、影山くんはさらに目を大きく開き、次の文字を書き込んだ。
《ずっと違和感があって……ベルザリオンさんの顔、スレヴェルドで初めて見たはずなのに……どこかで見たことがある気がしてたんです》
彼はぐっとボードを握りしめ、書き連ねていく。
《今、思い出しました。》
《僕達が召喚された魔導帝国ベルゼリア本国、魔導召喚塔オルディノス──》
《あそこの中央ホールに飾られてる肖像画の一枚が、ベルザリオンさんにそっくりなんです!》
ペン先が震えている。だが彼の瞳は確信に満ちていた。
《年齢や髪型は違うけど……他人とは思えないくらい似ていて……》
俺は言葉を失った。
(ベルザリオンくんの、肖像画……? どういうこと……?)
自然と、ベルザリオンの方へ目がいく。
こちらの視線に気付いたのか、彼は少し驚いたように瞬きをした後、にっこりと笑顔で会釈してきた。
慌てて俺も会釈を返す。
……ただの善良そうなイケメン執事にしか見えない。
というか、なぜか俺への好感度がカンストしてるっぽいんだよね。ベルザリオンくん。
これが乙女ゲーなら、ベルザリオンルート一択だね!誰得だよ!
それでも影山くんの言葉が嘘だとも思えなかった。
(……どうも、まだまだ分からないことが多いね。今回の件……)
俺は溜め息を飲み込み、窓の外に目を戻した。
魔導具の灯りが次々と流れていく。
その光の帯は、どこまでも続く謎の道程を照らし出していた。
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