第124話 佐川颯太 ──少年は勇者に憧れる──
「……また、二番かぁ」
放課後の校庭の隅、ベンチに座った佐川颯太は、がっくりと肩を落としていた。
握ったままの記録表には、徒競走のタイム。クラスで二番。
それは、ほとんどの子が羨む順位だ。
──でも、颯太には物足りなかった。
体育でも、図工でも、勉強でも、いつも“あと一歩”届かない。
一番にはなれない。それがずっと続いている。
何をしても「惜しいね」「すごいよ」「頑張ったね」──
けど、「一番だね」とは言われたことがない。
小さな心に、それはじわじわと積もっていく。
「──で、今日のテストは何番だったの?」
その夜。団地の一室。
父親が昔使ってたレトロなテレビゲームのコントローラーを握ったまま、隣の女の子が振り返る。
天野唯。
佐川と同じ団地の、幼馴染で同い年の女の子。
よく笑って、よく喋る、元気な子。
「んー……また二番」
「ふーん……でもすごいじゃん、二番なんて!」
明るく返してくれるのが嬉しくて、でもその言葉がちょっと苦しくて、
佐川はテレビに映る、少し古臭いドット絵のフィールドを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……おれってさー、何も一番になれないんだよな〜……」
沈んだ声だった。
頬杖をついた唯が、それにふと反応して、テレビ画面を指差した。
「えっ? でも颯太くん、あれみたいじゃない?」
「……ん?」
「ほら。これ。勇者。」
指差されたのは、画面の中央でピコピコ動く、ドット絵の主人公。
「魔法も中途半端で、攻撃力も戦士より弱いけどさ──でも、町の人のお願い聞いたり、仲間の面倒みたり、最後は魔王を倒すじゃん。めっちゃカッコよくない?」
「……」
「颯太くんも、そういう感じ! 何でも出来て、みんなのこと考えて動けて、そのうえ、ちゃんと努力してるし。……“勇者”にそっくりだよ!」
とびきりの笑顔だった。
それを見た佐川は、ぽかんとしたあと、ゆっくりと口元を緩める。
胸が、ぽかっと暖かくなるような感覚。
「勇者」──たしかに、そうだ。
勇者って、一番強いわけじゃない。でも、最後まで立って、皆を守る存在だ。
「……そっか。オレ、“勇者”か……」
呟いたその言葉は、自己肯定の始まりだった。
──あの日の言葉が、ずっと残っている。
それからしばらく経ったある日。
佐川の家の前に、母と知らない少年が立っていた。
「この子ね、玲司くん。今日からうちで何日か預かることになったの。仲良くしてあげてね?」
天野家の母と佐川家の母が一緒に連れてきたその少年は、目付きが鋭くて、どこか壁を作った表情をしていた。
「……鬼塚、玲司」
少しも笑わず、手をポケットに突っ込んだまま、うつむく。
唯が一歩近づいて、「よろしくね!」と明るく手を振ると、玲司は少しだけ目を見開いたが、何も言わなかった。
佐川は内心、戸惑っていた。
(……なんか、怖そうなやつだな……)
でも、唯が笑っているのを見て、決めた。
(“勇者”は、仲間を増やすもんだろ!)
にっこり笑って、手を差し出した。
「よろしくな!玲司!」
──時間は少しずつ流れていった。
最初はまったく心を開かなかった玲司。
何を話しかけても「別に」とか「うっせぇ」とか、そんな言葉ばかり。
でも、ある日のこと。
「ねえ、明日の朝、早起きできる?」
唯が突然、佐川と玲司に声をかけた。
「……早朝に、星見に行こ? 今、北斗七星が綺麗なんだって!」
そして次の日、まだ太陽も昇っていない時間。
3人は近所の公園の芝生に寝転び、佐川の持ってきた望遠鏡を順番に覗いていた。
「……おお……」
初めて星を見た玲司は、明らかに言葉を失っていた。
その目は、普段の不機嫌そうな色を脱ぎ捨てて──
本当にキラキラしていた。
佐川はその横顔を見て、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
(……こいつ、こんな表情もできるんだ)
帰り道。
朝焼けに包まれた道を歩きながら、玲司はそっぽを向いたまま言った。
「……誘ってくれて……ありがとな」
声は小さくて、けれどたしかに届いた。
颯太はにっと笑って言った。
「また三人で行こうぜ!」
唯は、そんな二人を見て、どこか嬉しそうに笑っていた。
──その瞬間から、佐川にとって鬼塚玲司はただの“かわいそうな子”じゃなくて、
かけがえのない本物の友達になった。
そして彼の中にある“勇者”という言葉が、
また少しだけ──強く、確かな意味を持つようになったのだった。
◇◆◇
あの日々が、ずっと続くと思っていた。
星を見て、笑って、少し喧嘩して。
三人で過ごす時間は、当たり前で、大切で、かけがえのないものだった。
でも──
鬼塚玲司が、来なくなった。
最初は「風邪かな」と思った。
次は「家の用事かも」と。
けれど一週間、二週間が過ぎても、その姿は団地にも、公園にも、現れなかった。
──おかしい。
そう思った佐川は、ある日、母親と隣の天野さんの立ち話を廊下の影からこっそり聞いた。
「……そうなのよ。鬼塚くんのお父さん、遂にいなくなっちゃったって」
「まあ……」
「でね、それから玲司くん、学校にも来なくなっちゃって。お母さんも、もう限界みたいで……施設の話も出てるって……」
小さな颯太の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
(……そっか……)
それだけだった。
ただ、どうしようもない気持ちが、胸の奥に溜まっていった。
鬼塚の姿が見えない日々の中で──
天野唯は、いつもよりも少し元気がなかった。
「……また、来なかったね、玲司くん」
「……ああ」
唯が鬼塚のことを気にかけるたびに、佐川の胸にモヤモヤとしたものが渦巻いた。
(……なんだ、これ)
自分でも分からない。
鬼塚のことは、大切な友達だと思ってる。
それは間違いじゃない。
でも、それ以上に、唯が誰かを気にかけている姿を見るのが──
自分ではない“誰か”を想う視線が、胸を刺す。
(……俺、何考えてんだ……)
(あいつが……こんなに辛い時に)
その瞬間、佐川は心の底から自分が嫌いになった。
季節は流れ、春の風が団地に吹いたある日。
天野唯が泣いた。
病院の待合室。
緊張に沈んだ空気の中で、先生から伝えられた言葉は──
「難病です。完全な治療法は、まだ……」
唯は小さな身体を震わせて、佐川の前で崩れ落ちた。
顔を手で覆いながら、声も出せず、ただ嗚咽を漏らす。
佐川は、ただ黙ってそばにいた。
何を言えばいいのか分からなかった。
やがて唯は、彼の肩にもたれかかった。
「……やだよ……お母さん……まだ……一緒にいたいのに……っ……!」
佐川はその細い背中に、そっと手を回した。
悲しみを、受け止めるために。
寄り添うために。
──でも。
(……頼ってくれてる……)
そんな考えが、ほんの一瞬、頭をよぎってしまった。
次の瞬間、胸を殴られたような後悔が襲ってくる。
(……最低だ、俺……)
(唯がこんなに辛い時に……)
(……俺は、“勇者”でも何でもねぇ……)
その夜。
佐川は、偶然見てしまった。
夜の病院の裏口から、小さな人影が出てくる。
コンビニの袋を抱え、目深にフードを被って。
でも、その歩き方を、佐川は知っていた。
──鬼塚玲司。
そっと物陰から様子を見ていると、彼はまっすぐ、病室へ向かった。
そして……。
掃除。
洗濯物の片付け。
配膳の準備。
そして、ベッド脇にしゃがみこんで、天野母の髪を丁寧に整えていた。
声は聞こえないけれど、優しい手つきだった。
その姿を見て、佐川は立ち尽くした。
(……なんだよ……)
拳を握る。
喉の奥が熱い。
胸の内側が、ギリギリと軋んでいた。
(こいつの方が……)
(俺なんかより、よっぽど“勇者”じゃねぇか……)
背を向けて、病院を離れた佐川の顔には、悔しさでも、怒りでもない──
ただ、痛みだけが浮かんでいた。
◇◆◇
──そして、その日が来た。
世界が一瞬、白に染まる。
まばゆい光に包まれて、教室の机も、天井も、すべてが消えていく。
異世界召喚。
誰かが叫び、誰かが泣き叫び、
そして──
佐川颯太は、自分の“スキル”を知った。
"破邪勇者"
勇者の名を冠する、SS級スキル。
胸が、高鳴る。
(……やっぱり……)
(俺は、“勇者”だったんだ……!)
視線を巡らせると、不安そうに震えている唯の姿が目に入る。
彼女の手を取って、佐川は小さく呟いた。
(……俺が、委員長を……唯を、守る)
(きっと、そのために……俺はこの力を得たんだ)
その背中に、微かに見えない“何か”が囁いていることに、
この時の佐川は──まだ、気づいていなかった。
──洗脳の“種”が、心に根を張っていた事に。
───────────────────
──光が、揺らいでいた。
舞台は現代に戻る。
電飾を纏った冥王獣たちが音楽に合わせて跳ねる中、夜空に降り注ぐ流星と花火の饗宴。
その幻想に塗り潰されるように、少年は膝を折りかけていた。
佐川颯太。
その肩は下がり、視線は床に。
震える手が剣を握ることさえ忘れ、ただ息を荒げていた。
(……無理だ……)
(こんな……相手に、俺なんかが、勝てるわけ……)
そのとき。
耳の奥に、優しく、けれど脳髄を抉るような“声”が響いた。
『……ここで、膝を折っていいの?』
それは甘く、静かで、そして──
どこまでも冷たい声だった。
『もし貴方が折れれば、あの魔王は──天野さんを殺すわよ?』
「……!」
颯太の目が揺れる。
『……立ちなさい。貴方は、“勇者”でしょう……?』
「──ッ!!」
佐川は頭を抱え、地面に膝をついたまま、声を絞り出す。
「ああああああああああっ!!」
激しい叫びが夜空を裂いた。
その瞬間、彼の身体から、眩い光が迸る。
まるで、魂そのものが燃焼して魔力へと変わっていくかのように。
ヴァレン・グランツは、そんな佐川を見下ろしながら、苦々しい顔をしていた。
(……ここまで洗脳の根が深いとはね……)
(ベルゼリアめ……)
(前途ある若者に、なんて事しやがる……)
彼の歯がギリ、と音を立てたそのとき──
──ヴォォォォォン……!!
遠く、森の奥から地響きのようなエンジン音が響いてきた。
直後、轟音と共に闇を割って現れたのは、黒と紫の魔力を纏ったバイク。
"特攻疾風"
宙を舞うようにして現れたそのバイクの上に、ひとりの少年が立っていた。
「──佐川ァ!! 天野!! 無事かァァァ!!?」
鬼塚玲司。
叫びながら宙に躍り出たその姿が、光と闇の間で閃いた。
そして──
「テメェ……俺のダチに、何しやがったァァ!!?」
ヴァレンに視線を突き刺し、
腰のバックル“獏羅天盤”の歯車を親指でギュインと回す。
「──変ッッ身!!」
魔力が咆哮する。
紫色の魔装が次々と装着され、宙でバイクが魔力の光と共に爆散し、
砂塵を巻き上げながら、鬼塚はズザァッと広場の中央に着地する。
──バンッ!
振り返る視線が、燃えていた。
ヴァレンは、空中に残るバイクの残光を見上げながら、心の中で呟く。
(……リュナのやつ、手加減し過ぎて完全には止めきれなかったか)
(あいつも……ずいぶん優しくなったからな……)
(だが……)
視線を、砂塵の中に立つボロボロの鬼塚へ。
(……そっちの彼も、無理をしすぎだ)
(それ以上、魔力を引き出せば──魂に傷が残るかもしれない……)
鬼塚は、変身を終えた姿で、真っ直ぐに佐川に駆け寄った。
「おいっ、佐川!! 大丈夫かよ!?」
だが──
佐川颯太は、うつむいたまま、頭を押さえて呻いていた。
「……うるせぇ……」
顔を上げる。
その目は、真っ赤に充血し、涙とも怒りともつかぬ光を宿していた。
「──唯を守るのは、玲司……お前じゃねぇ!!」
叫びが、空気を裂いた。
「……颯太……」
鬼塚が、言葉を失う。
佐川は、足元から魔力を吹き上げながら、七つの星を召喚する。
星たちは彼の周囲を回転し、唸りを上げながら膨張していく。
「俺は、“勇者”だ!!」
「俺が!! 俺が魔王を倒して、皆を……元の世界へ帰すんだ!!」
震えながら、叫び続けるその姿に、天野唯が駆け寄る。
「ダメ!! 颯太くん!!」
「そんな無茶をしたら、貴方の身体が──!」
けれど、その声も届かない。
星は唸りを上げながら収束し、佐川の身体から放出される魔力は、
もはや常人の限界を超えていた。
ヴァレンが、眉をひそめる。
(……このままでは、生命に関わる)
(……仕方ない。流儀には反するが、手荒な真似をしてでも止めるしか……)
魔剣を半分だけ抜きかけた、そのときだった。
「……ククク……」
フッと、ヴァレンの口元が緩んだ。
「──最高のタイミングだ」
その視線の先、佐川・鬼塚との間──
地面が、突如としてボコォォン!!と膨れ上がる。
「ッ!?」
石畳が真上に吹き飛び、土煙を巻き上げながら、何かが勢いよく飛び出す!
「せいやぁあああああああああああああッ!!」
──シュゴォッ!!
飛び出してきたのは、拳を突き上げ、まるで文字通りの“昇竜拳”ポーズを取った──
銀髪の少年、アルド。
顔も服も土だらけ。頭には蜘蛛の巣、肩には瓦礫。
彼は、空中で着地する直前にヴァレンの姿を確認して、慌てたように叫んだ。
「ご、ごめんっ、ヴァレン!! なんか地下遺跡みたいな所入ったらさ!出口、分かんなくなっちゃって……!」
「幽霊にも追いかけられるしで……もう耐えきれなくて……結局、天井ぶっ壊して出てきちゃった!!」
砂煙がモウモウと舞う中、その姿を見つけた誰かが、叫んだ。
「──アルドくんっ!!」
ブリジットだった。
嬉しそうに叫ぶその姿は、思わず笑ってしまうほど明るかった。
「あれっ!?ブリジットちゃん!?」
空中のアルドが目を丸くする。
「道三郎殿ぉぉ!!」
今度はベルザリオン。
目を潤ませ、羨望のまなざしで天を仰ぐ。
「えっ!?べ、ベルザリオンくんも!?」
ヴァレンは口元を緩めて、ポツリと呟いた。
「──流石は、俺が見込んだ、“主人公”だぜ………相棒……!」
そして、砂塵の中。
真祖竜の化身の少年は、ゆっくりと周囲の様子を伺う。
──混迷の戦場に アルド、参戦!
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