第121話 ヴァレン・グランツ、舞台に立つ
──夜の帳が、完全に落ちていた。
カクカクシティ。
その建設途中の広場中央は、石畳が半分敷き終えた地面に、仮設のライトが照らすばかりの無骨な場所だった。
ところどころに鉄骨がむき出しになり、未完成のカクカクなビルの影が、月光を切り裂くようにそびえている。
そんな人工の月下に、三つの影が対峙していた。
向かい合うのは、“破邪勇者”佐川颯太と、“至天聖女”天野唯。
その二人と向かい合っているのは──サングラスをかけた洒落者風の男、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツ。
その様子を、少し離れた位置で見守る二つの人影がある。
ブリジット・ノエリアは背筋を伸ばして正座し、横に並ぶフレキは小型犬のようにお座りして、おとなしくその場に控えていた。
彼らの後方では、半身をベルザリオンに預けるマイネ・アグリッパが、わずかに眉をひそめながら魔王の背中を見つめていた。
(……ヴァレンめ……勝算は、あるのじゃろうな……?)
(そやつらは、妾のスレヴェルドを落とした連中の中枢を担っていた強者……!)
(貴様の"悪癖"が出なければよいのじゃが……)
心配そうなその視線を、ヴァレンは感じていたか、いないか。
「……行くぜ、委員長!」
佐川が低く言い、手にした神器"破邪七星剣"が鈍く光を放つ。
剣の周囲に浮かぶ七つの星が、淡い軌道を描きながら旋回し始めた。
その隣で、天野唯が小さく頷く。
「うん……! 佐川くん、私も一緒に戦う!」
少女の手に握られた杖がくるくると回転し、彼女の正面で止まる。
「"神器"解放──"五輪聖杖"!」
シャラーン──。
鈴のような神聖な音が鳴り、杖の先端に光が集束する。
五つの輪が花のように広がり、淡く神々しいオーラが杖全体を包み込んだ。
「おやおや……そちらのお嬢さんも“神器”をお持ちで?」
ヴァレンは口角をゆるく吊り上げ、悪戯めいた笑みを浮かべる。
「こりゃあ……久々に、ちゃんとした“戦い”ってヤツが楽しめそうかな?」
天野は応じるように魔法を唱えた。
「"身体強化"──!」
魔力の風が巻き起こり、佐川と天野の身体を光が包む。
(……補助タイプにしては、妙な自己強化だな)
ヴァレンはその様子を見て、内心に警戒心を走らせた。
佐川は星々を操りながら、構えを低くする。
──七星剣の星は、まるで意志を持っているかのように空中を滑空し、円陣を描いて舞う。
「ククク……“勇者の剣”を相手に、俺だけ手ぶらってのは、少々分が悪いかな」
ヴァレンが軽く首を傾げると、左手の黒革の魔本"ときめきグリモワル"が自動で開き、パラパラとページがめくれた。
「"心花顕現"──」
「"最愛の花束"…。」
ヴァレンの右手に、突如として鮮やかな11本の薔薇が束ねられた花束が現れる。
天野がわずかに眉をひそめた。
「……なに? 花束……?」
佐川が冷笑を含んだ声で言い放つ。
「へっ……花束で俺らに媚び売って助かろうってのなら、甘いぜ、魔王さんよ」
だが、ヴァレンはその言葉に肩をすくめた。
「ククク……それも悪くないけど、今の俺はフォルティア荒野のシティ・デザイナーなんでね」
「街を荒らすお客様には、ご退場願うのも、俺の仕事なのさ。」
そう言って、ヴァレンは丁寧に一礼する。
次の瞬間──
花束の中心から、鋭い金属音と共に、一筋の細剣の刃が突き出した。
薔薇の茎や花びらが巻きつくように装飾されたその刃は、まるで優雅な“舞踏剣”。
花束は、魔剣"最愛の花束"としてその姿を変えた。
左手に魔本、右手に細剣。
ヴァレン・グランツは、軽やかに剣を振るう。
ヒュンッ、ヒュンッと空を切るその軌道は、舞うようでいて殺意を孕んでいた。
細剣をくるりと真上に向け、ピタリと止める。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
「名乗らせていただこう。“色欲の魔王”──ヴァレン・グランツ」
サングラスの奥の目が、冷たい熱を帯びて細まった。
「以後、よろしく。ククク……。」
その異様な気配に、一瞬だけ佐川と天野の動きが止まる。
まるで、こちらの心の内を覗き込んでくるような、奇妙な“視線”。
だが佐川は、一歩も退かず、にやりと笑って剣を構え直す。
「……そうかい。じゃあ、よろしくな、魔王さん」
「でもな──“魔王”ってのは、“勇者”に倒されるのがお約束なんだぜ?」
星々が唸りを上げて回転し始める。
広場の空気が、急速に戦の熱を帯び始めていた。
──戦端は、今まさに開かれようとしていた。
◇◆◇
風が鳴ったのは、一瞬。
佐川颯太の身体が、まるで空気を断ち割るように疾駆した。
"破邪七星剣"を片手に、弾丸のような勢いでヴァレン・グランツとの距離を一気に詰める。
「うおおおおおおっ!!」
鋭い剣閃が、真っ直ぐヴァレンの胸元を狙って突き出された。
だが──
「っとと。」
軽く後ろに体重をかけ、ヴァレンは腰をひねってその一撃を受け流す。
その手にはすでに、花束から変形した銀の細剣"最愛の花束"が握られていた。
花のように優雅に、だが棘のように鋭く──佐川の剣を受け止める。
そこへ追撃。
佐川の周囲を飛び回る七つの星が、それぞれの軌道から同時に発光した。
「はああああっ!!」
星々から、あらゆる角度──前方、背後、頭上、地面すれすれから──灼熱のレーザーがヴァレンを目掛けて集中砲火を浴びせた。
「……っとと。おお、こっちからも?」
その攻撃の雨の中、ヴァレンはコートの裾を翻しながら、紙一重で身を捻り、滑らかに、流れるように動く。
踊るような回避。舞うような足運び。
そして、細剣を手元に引き寄せ──
「……はい、せーのっと」
シュン、と軽やかに剣を払って、佐川の斬撃を受け止めた。
激しい剣戟の応酬が続く。
佐川は怒涛の連撃を放ち、ヴァレンはそれを最小限の動きで受け流していく。
やがて、ヴァレンが唇を吊り上げ、笑った。
「いやあ……あまり接近戦は得意じゃあないんだが……。それにしても、キミの剣技は実に素晴らしいね。」
涼しげに、そしてどこか甘く、軽口を叩く魔王。
対する佐川は、その余裕に舌打ちをして、ニヤリと笑う。
「……そんな余裕ぶってられるのは、これを喰らってからにしてもらいたいねっ!!」
次の瞬間、佐川の姿が消えた。
「っ!?」
ヴァレンの視界から、颯太が消え──
代わりに、彼のすぐ斜め後ろに“出現”する。
完全な死角。誰がどう見ても、瞬間移動。
(まただ。この“瞬間移動”……!)
(──これはなかなか、厄介だねぇ……)
ヴァレンは内心で舌を巻きながらも、決して焦らない。
そのまま、振り向くことなく──
ガキィン!
細剣を背面に構え、狙い澄ましたかのように佐川の斬撃を受け止める。
「なっ……!?」
力任せに叩きつけた一撃が、あっさり止められたことに、佐川の目が見開かれる。
「だっから……っ……!! なんっで、今のがガード出来んだよっ……!?」
叫ぶように、悔しげに。
ヴァレンは背後に構えたままの剣越しに、いつもの笑みを浮かべた。
「ククク……“魔王”の名は伊達じゃない、ってことさ」
佐川が奥歯を噛みしめたその時──
「佐川くん! 負けないで!」
天野唯の声が、広場に響いた。
彼女は祈るように両手を組み、輝く魔力を放ち始める。
「"心励の祈光"──!」
金色の光が天野から溢れ、佐川の身体に流れ込む。
筋肉が反応し、神経が研ぎ澄まされ、反射速度が一気に高まる。
「……委員長……ありがとうなっ!」
佐川が振り返り、眩しいほどの笑顔を向ける。
そんな彼に、天野は真剣な目で言う。
「早くこの魔王を倒して……鬼塚くんを助けに行かないと!」
その一言に──佐川の表情が、ピタリと止まった。
わずかに伏せた目元が、寂しげに揺れる。
「……ああ、そうだな……」
だが次の瞬間、彼は気持ちを切り替えたようにヴァレンを睨み返した。
(……また、鬼塚のこと……かよ)
嫉妬とは違う。けれど、それに近い、かすかな棘。
そんなやり取りを見ていたヴァレンは、しばし呆けたように彼らを見つめ──
「……最高だ」
と、恍惚とした声で呟いた。
その顔は、色気と愛しさが混じった、甘い陶酔。
だがその直後。
「隙ありっ!!」
佐川の声が弾けた。
七星剣の黄色い星から、狙い澄ました一撃のビームがヴァレンに向かって発射される。
──バチィィィィッ!!
「があああ!!」
雷撃のようなビームが直撃し、ヴァレンの身体がビリビリと震えた。
骨が透けて見えるような、漫画的なビジュアルが一瞬だけ映し出され──
髪が爆発したように逆立ち、服が煙を上げ、全身がうっすらと黒く焦げた。
「……ククク……この俺に攻撃を当てるとは……」
ヴァレンはふらりと立ち上がり、コートの裾をパンッと払いながら、サングラスをくいと押し上げる。
「やるじゃないか、勇者クン……」
佐川は額に汗を滲ませながら、やや引き気味に言った。
「い……いや、今なんか、一瞬棒立ちになってこっち見てなかったか?」
ヴァレンは、何事もなかったかのように即答する。
「気のせいだ」
──そして、少し離れたところでその戦いを眺めていたマイネが、ジト目でため息をついた。
「……ヴァレン・グランツめ。あやつ……また“悪癖”が出ておるわ……」
まるで呆れた姉のように。
戦場に咲く、熱と笑いと恋と剣──。
魔王と勇者の戦いは、まだ幕を開けたばかりだった。
◇◆◇
ひゅう、と風が吹き抜ける。
その風は、戦場の中心で躍動する剣撃と魔力の残滓を巻き上げ、仮設の足場に積もった埃をさらっていった。
戦っているのは、“破邪勇者”佐川颯太と“色欲の魔王”ヴァレン・グランツ。
だが、今その二人を見つめる者たちの眼差しは、どこか微妙だった。
「……どういうことですか? お嬢様」
低く、礼儀正しく。黒髪の青年・ベルザリオンが、隣に立つ少女に問うた。
支えられていた地雷系少女──“強欲の魔王”マイネ・アグリッパは、ゆっくりと瞼を閉じて小さく吐息をついた。
「……あの男、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツは……人の恋心を、何よりも尊ぶ」
ベルザリオンが「は……?」と瞬きをする。
「ヤツは……恋をしている人間を、決して傷つけぬ。たとえそれが、敵であっても、じゃ」
「えっ」
ベルザリオンの口から、小さく情けない声が漏れた。
思わず視線を戻す。
広場ではいままさに、佐川が宙を舞い、レーザーと共に斬撃を放っている。だが──
(……あれ?)
ヴァレンはその攻撃をすべて紙一重で避け、あるいは受け流し──
いや、それどころか、反撃の隙が何度もあったにもかかわらず……その剣は、佐川に一度も当たっていない。
止めているのだ。寸前で。
意図的に。
「た……確かに……ヴァレン様は、明らかにワザと攻撃を外しておられる様に見えますね……」
ベルザリオンが静かに言うと、マイネは肩を落とすようにうなだれた。
「ヤツめ……恐らく、あの敵の2人の間に“恋の予感”でも感じ取ったのじゃろう」
「……それだけで、攻撃を躊躇うとは……まったく、彼奴の悪癖じゃ……」
マイネのため息が、風に溶けていく。
「そ、そんな……!」
声がした方向にマイネが振り向くと、いつの間にかブリジットとフレキ(ミニチュアダックスモード)が近くに来ていて、耳をぴくぴくさせながら会話を聞いていた。
ブリジットが心配そうに口元に手を当てる。
「ヴァレンさん、大丈夫なのかな……?」
フレキも瞳を潤ませて訴える。
「さっきから防戦一方ですっ! このままじゃ……!」
マイネは「はあ……」ともう一度ため息をつき、腰に手を当てて言う。
「……あやつは、“恋をしてる相手は、たとえ敵であっても傷つけない”という、クソみたいな縛りを自らに課しながらも──」
「──数百年、“色欲の魔王”の座に君臨し続けてきた。それも、城も部下も持たず、更に言えば友もおらず、正真正銘たった一人で、じゃ」
ブリジット、フレキ、ベルザリオンの三人は、顔を見合わせて──
「「「……えっ?」」」
声を揃えて驚きを露わにする。
マイネはその様子に満足げに頷くと、目を細めて口を開いた。
「……なぜ、そんなことができたか……分かるか?」
3者は揃って首を横に振る。
誰も答えられない。答えなどあるはずもない。
「──それは、ヤツが“強い”からじゃ」
静かに、断言する。
「それも、途轍もなく、な。」
その口調には、かつて何度もそれを“見せつけられた”者の、確かな実感が込められていた。
「見ておれ……ヤツがその気になりさえすれば、あの程度の相手の対処など、造作も無いであろうよ」
そう言って、マイネは静かに戦場を見つめる──
──ちゅどぉん!!
「がああ!」
また叫んでいた。
ヴァレン・グランツ。
今度は、空中から唐突に撃たれたレーザーが背中に直撃し、彼は派手に吹き飛んで地面を転がった。
また骨が透けて見えた。髪が逆立ち、サングラスがズレた。
そして数秒後、煙を払いながら何事も無かったかの様にヒョコっと立ち上がる。
「……当たったと思ったろ?……実は、紙一重で避けてたのさ……ククク……」
「いや、でも……『がああ!』って叫んでなかったか……?」
「叫んでない」
引き気味の佐川に、なんだかよく分からない言い訳をしながら、また戦いの体勢に戻っていく。
その姿を見たフレキが、ぺたんと地面に座ったままつぶやく。
「……ヴァレンさん、何かに……"見惚れてる"みたいな感じで、ちょいちょい直撃喰らってる気がするんですけど……」
たしかに。戦闘中にも関わらず、佐川と天野が言葉を交わすと、ヴァレンの動きが一瞬止まるのだ。
それが“恋の空気”だとでもいうように──
「ほ、本当に大丈夫なのかな……ヴァレンさん……?」
ブリジットが不安そうに口元を押さえ、もう一度ぽつりと呟いた。
マイネは──
「……だ、大丈夫じゃ!」
と答えたが。
「…………たぶん」
その最後の一言は、ほんの少しだけ、自信なさげだった。