第119話 "咆哮"の真価。
フォルティア荒野の、森の奥深く。
夜の闇に包まれたその場所で、二つの気配が対峙していた。
ひとつは、変身を遂げた鬼塚玲司。
全身の肉体をスキル"魔装戦士"の魔装で覆い、獣のように研ぎ澄まされた感覚を備えた異形の姿。
そして、もうひとつは、リュナ。
黒いマスクで口元を覆った少女の周囲には、まるで呼吸のように淡く脈打つ魔力があった。
だがその量は、時が進むごとに確実に増していく。
まるで──森そのものが、彼女に魔力を供給しているかのように。
「……チッ」
鬼塚が舌打ちし、歯を食いしばった。
(まだ力を隠してやがったか……! さっきまでとは桁が違ぇ……!)
全身から汗が噴き出していた。それは熱ではない。焦燥の汗だ。
(“獏羅天盤”の変身は消費魔力がでけぇ……さっさと決めないとマズい……!)
鬼塚は一気に距離を詰めた。
足元を蹴り、風を割って接近する。その勢いを殺さず、踏み込んだ拳を繰り出す──
だが。
リュナは、背中から伸びた2本の漆黒の竜腕でそれを受け止めた。
振り抜かれた拳が、鋼の鱗に阻まれる。
「っ……重っ……!」
直後、リュナの本体の右手が、低く抉るようなフックを返してくる。
鬼塚はすぐさま左腕でガード。
だが、次の瞬間、背後の竜腕がしなるように回り込み、横から肩口に一撃を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
歯を食いしばり、鬼塚はカウンターを打ち返す。再び激しい肉弾戦が展開された。
拳と拳、腕と脚。竜腕と魔装。
お互いに、一撃が致命打になり得る強烈な応酬が数秒のうちに何十も繰り広げられる。
速度と重量が混じり合い、空気を裂く音と衝撃波が夜の森を揺らした。
──そして、鬼塚は気づいた。
本体のリュナの両腕の肌色が、徐々に黒く染まっていっていることに。
(……あいつの“本体”の腕まで……? まるで、竜の鱗が這い出してくるみてぇに……)
同時に、周囲の空気にも異変があった。
夜の森のざわめきが、やけに騒がしい。
木の葉が鳴り、枝が揺れ、何かが息づいているような──そんな気配。
(なんだ……?)
その一瞬、鬼塚の意識が逸れた。
──ガクンッ。
地面に突き出た木の根に、右足が引っかかった。
「……!」
体勢が崩れた、その一瞬を、リュナが見逃すはずがなかった。
「──遅いっすよ?」
真横から放たれた蹴り。リュナの細い脚が、鞭のようにしなる。
「ッ……ぐはっ!!」
腹部にめり込む衝撃。
肋骨が悲鳴を上げ、体内の空気が一気に押し出される。
鬼塚の身体は宙を舞い、そのままズシャアアアッと地を滑り、数メートルも吹き飛ばされた。
「はぁっ、はぁっ……っ!」
倒れ伏しながら、鬼塚は信じられないものを見る目で足元を見下ろした。
(……何だ!? 足場はちゃんと確認してたはず……! なんで俺が……木の根なんかに……!)
追い討ちをかけるように、リュナの声が降ってきた。
「……おやおや〜? 足元はちゃんと確認しておかないと、危ないっすよ〜?」
その言葉の軽さと裏腹に、瞳は暗く、深く、ぞっとするほど冷えていた。
「うるせぇ!!」
鬼塚は叫び、跳ね起きざまに蹴りを放つ。だが──
「……っ、しま──」
今度は、軸足に蔦が絡みついた。
足元を取られ、再びバランスを崩す。
「くそがッ!」
その隙を、またも竜腕が襲う。天井が迫るような拳の落下。
──ドグァァァンッ!!
「──ッがは……ッッ!」
鳩尾を殴られ、地面に沈む。
腹部を押さえて転がり、なんとか致命傷だけは避けたが、体内の魔力が大きく揺らいでいた。
「はぁっ……くそ……はっ、ぐ……!」
荒い息を吐きながら、鬼塚は周囲を見渡す。
(……間違いねぇ。これは……偶然じゃねぇ……!)
(……まるで、この森そのものが、俺を攻撃してきてやがる……!)
ざわり、ざわり、と葉が鳴る。まるで、森が“喜んでいる”ようだった。
そして──
視線の先、リュナの唇が、僅かに開いていた。
そこから、かすかな高音。
ヒュゥ……ヒィィィィ……という風のような、笛のような──
「てめぇ……まさか……っ!?」
鬼塚が声を上げると、リュナは静かにこちらを見た。
その目には、狂気も殺意もなかった。ただ、神秘と、理があった。
「……植物にも、“魂”ってヤツ……あると思うっすか?」
ぽつりと、呟くように言った。
「“魂”ってのは、生物の“生きる力”そのもの……。あーしは、そう思ってる。」
リュナは歩み寄りながら続ける。
「つまり、“魂”は“魔力”の根源……」
鬼塚は唾を飲む。理解したくない何かが、背筋を這い上がってくる。
「──あーしの“咆哮”は、生物の魂そのものに、呼びかける。……植物だって、例外じゃあ無いっすよ?」
その言葉と同時に、森が鳴いた。
風が、枝を震わせ、蔦が這い、地面の根がざわつく。
彼女が森に“呼びかけた”。
そして、森が彼女に“応えた”。
◇◆◇
ヒュウウゥ……と、森が呼吸する。
リュナの咆哮は、確かに“届いて”いた。
その証左が──次の瞬間、訪れた。
「──っ!?」
森の全方位から、一斉に“それ”が襲いかかってきた。
木々が、吠えた。
蔦が地面を滑る音が、無数に。
槍のように尖った木の根が、地面を突き破って飛び出す。
空中では、葉が鋭利な刃へと変貌し、まるで手裏剣のように鬼塚目掛けて降り注いだ。
「うおおおおおおおっ!!?」
叫びと共に、鬼塚は咄嗟に身を低くし、刃葉を避ける。
斜め後方から迫った蔦を肘で弾き、跳び上がって根の槍をかわし、空中で身体を捻って踵で木の葉を吹き飛ばす。
舞う緑の刃、うねる根、絡みつく蔦──そのすべてが、鬼塚一人に殺意を向けている。
「な、んだよこれ……!?」
汗が噴き出し、息が荒くなる。双角の仮面の隙間から、冷たい夜の空気が流れ込む。
(とんでもねぇ……っ!!)
(こいつ、“咆哮”で植物……いや、森そのものを操れんのかよ……!?)
常識の枠を軽く飛び越えた現象に、思考が追いつかない。
そしてその一瞬──たったそれだけの意識の隙間を、リュナは見逃さなかった。
「──はい、スキあり〜」
声がした瞬間には、すでに鬼塚の斜め後ろ。風のように忍び寄り、獣のように牙を剥く。
「っ……!」
振り向く間もなく、竜腕が唸りを上げて横薙ぎに振るわれた。
──ドゴォォォッ!!
「──がっは……ッッ!」
衝撃が、身体を持ち上げた。重さなど無視するほどの一撃。地面から浮き、反重力のように吹き飛ばされる。
そして──
ズガァァァンッ!
背後の大木に、全身を叩きつけられた。身体を包む強化装甲が、バキッと嫌な音を立てて軋む。
「……クソッ……!」
もがこうとする。だが──
「──っ!?」
大木に絡みついていた蔦が、いつの間にかその両腕と両足を巻きつけていた。
まるで、生きているかのような速度と強度で。
引きちぎろうと力を込めるが、四肢を拘束され上手く力が入らない。拘束は次第に締まり、筋肉が軋む。
(やばい……!)
視界の端に、真っ黒な光が閃いた。
「──っ!」
見えたのは、リュナの口元。そこから放たれる、禍々しい黒光。
──ブレスだ。
黒い閃光が、砲撃のように放たれる。
「……ッのやろォ!!」
怒鳴りながら、鬼塚は右手に魔力を集中。
蔦の一本を引きちぎり、その手で他の蔦を強引に断ち切る。
瞬間、ブレスが大木を飲み込んだ。
遅れて、爆音が轟く。
「ぐっ……!」
なんとか脱出には成功した。だが──
左足に走る、鋭い痛み。左肩も、熱を帯びて痺れている。
見ると、装甲が一部焼き溶かされていた。金属と肉の境界が、じりじりと焼け焦げるように赤くただれている。
(……クソ、完全には避けきれなかった……)
だが、立っている。まだ、戦える。
その姿を見て、リュナは──にっ、と笑った。
ギザ歯を剥き出しにし、まるで遊びに夢中になる子供のような、それでいて本能的に“狩る者”の顔で。
「どーすか? これでも“たいした事ない”っすか〜?」
挑発的な言葉とは裏腹に、その声音には妙な“余裕”があった。
まるで、まだ“奥の手”を使っていないことを──暗に語っているかのように。
鬼塚は、拳をぐっと握りしめた。
「……訂正するぜ」
低く、腹の底から、言葉が絞り出される。
「やっぱ、てめぇは“ラスボス”だよ……化け物が……!」
そして、その言葉を受けたリュナは、口元のマスクをわずかに引き上げた。
「──ラスボス?……こんな"可愛い"ラスボスがいるかっての。」
「……"ラスボス"じゃなくて、"裏ヒロイン"っしょ。あーしは。」
森がまた、ざわついた。
戦場そのものが、彼女の味方だというように。
◇◆◇
夜風が、重く渦巻いていた。
ぶつかり合った魔力の余韻が、森の奥に濃密な圧を残している。
倒木の上で荒く息をつく鬼塚玲司の身体から、焦げた装甲の破片がポロポロと剥がれ落ちていった。
「はぁっ……くそっ……!」
鬼塚は鋭く息を吐き、拳を握った。
そこから紫の魔力が噴き出すように拡がり、裂けた左肩と、溶けた左足のアーマーに巻きつく。
金属が呼吸するかのように脈打ち、魔力の繊維が縫うように損壊箇所を覆っていく。
数秒後には、ほぼ完全な形へと復元された。
「……ふざけた真似しやがって……」
鬼塚は立ち上がり、ぐるりと大きく後方へ跳躍。リュナとの距離を一気に広げた。
紫電のような魔力が、再び腰のベルト“獏羅天盤”に収束する。
(……長引くと不利だ。一気に決める……!)
決意と共に、鬼塚の親指がベルトのバックルの側面に伸びる。
金属の歯車型パーツ──それを、ギュイン、ギュイン、ギュイン、ギュイィィィン!と勢いよく4度回す。
カチリ、と最後のロックが嵌った瞬間──
『インカネーション! ボコボコ──FULL・ボッコ!!』
機械音声のような重低音がベルトから放たれた。
その声と同時に、鬼塚の背後の空間に渦が生じ、紫色の魔力が爆ぜるように吹き上がる。
次の瞬間──
ドォン! ドォン!
空中に、二つの巨大な“拳”が構築された。
肩も肘も持たない、ただ殴るためだけに形成された異形のアーマーの拳。
まるで、巨大なロケットパンチの具現化。
魔力の熱で表面が微かに揺らめき、拳の側面には禍々しい刻印が浮かび上がっている。
その光景に、リュナはほんの少しだけ目を見開き──そして、口角を持ち上げた。
「へぇ……拳が4つ同士なんて、ぐーぜんっすねぇ」
そう言いながら、背中から生えた2本の竜腕をくいっと動かす。
既に漆黒の鱗に覆われた腕の動きはしなやかで、鋭さに満ちている。
さらに、彼女はすっと前に一歩出た。
鬼塚が、にやりと口の端を吊り上げる。
「……そっちの女の細腕の方は、役に立たねぇだろ」
リュナはくすっと笑った。笑みはそのままに、少しだけ目を細める。
「そっすねぇ……このままじゃ、ちょっと力出しにくいし〜」
言いながら、ふいに背筋を伸ばした。
「──でも、ここなら兄さんも見てないし。ま、いっか」
何気ない口調だった。まるで、日常会話のように軽い。
だが、その次の瞬間──
ボンッ……!
空気が破裂したような音が響いた。
リュナの本体の両腕が、瞬時にして“膨張”した。
筋肉と骨格が捻じれ、皮膚を突き破って黒銀の鱗が覗く。
女性らしい華奢だった腕が、禍々しい竜の巨腕へと変貌していく。
形状は背中の竜腕と酷似していたが、そこにはさらに生物的な“生々しさ”と“威圧感”があった。
──腕が、4本。
──翼が、2枚。
──少女の姿のまま、“竜の化身”へと至った者。
その姿に、鬼塚の顔から余裕が失われていく。
「な……っ……!!?」
喉の奥から漏れる驚愕と共に、一歩だけ後ずさる。
「コイツ……! まだ……まだ力を隠し持ってやがったのかよ……っ!!」
震える声が吐き出された。
リュナは、そんな鬼塚を見下ろすように、ゆっくりと両手──否、4本の竜腕を構えた。
「んー、隠してたっていうか……」
笑みを消し、口元のマスクを少しずらす。
「……本当の力を、“もう少しだけ”見せてやる……って感じ?」
両翼がバサリと広がり、風が荒れる。
そして、夜の森はまた、彼女に呼応するかのようにざわめき立った。