第12話 黒ギャルドラゴン、リュナ
草のざわめきが風に乗り、淡い陽光がゆっくりと降り注ぐ。
その穏やかな午後の風景の中で、俺の心だけがまるで台風の目みたいに荒れ狂っていた。
「ねぇねぇ、ドラゴンちゃん、その可愛いお洋服って、本当に竜の鱗なの?」
「そっすよ〜、ここら辺の模様は、割と種族差あるんすよね〜。あーしのは、こういうラメっぽい質感なんす」
「わ〜!すっごい綺麗……!」
「あ、あと、ドラゴンちゃんじゃなく、リュナって呼んでくれたら嬉しいっす!」
「うん、分かったよ!リュナちゃん!えへへ」
ふたりの少女達の笑い声が、森の中にふんわりと響いていく。
いや、正確には——黒ギャル姿の災厄の魔竜と、王道美少女のじゃれ合いだ。
……いやいやいや、何この光景?どんな異世界ファンタジーだよ!最高か?
ブリジットは、天使みたいな純粋さでリュナの鱗っぽいスーツに触れながら、素直に感嘆の声を上げている。
リュナはというと、ぽかぽか陽気の下で完全にテンション高めモード。
ちょっと前まで6本足の“魔竜”だったとは思えないほどフランクで、
なんならブリジットの頭を優しく撫でながら、笑っている。
その笑顔が——
その笑顔がだな。
ふとした瞬間、口元からちらりと覗いたんだよ。
ギザ歯。
「……っ!!」
電撃が走った。
そのとき俺の中で、なにか……なにかが爆発した。
「ジト目ギザ歯年上後輩キャラ黒ギャルドラゴンッッ……!!」
バチンッ!と弾けるように言葉が口から飛び出し、次の瞬間、俺はその場にバタンッと倒れ込んでいた。
あまりにも多属性攻撃が過ぎる。全く刺さらない男など、いるのだろうか?いや、いない。(反語)
「に、兄さん!?えっ!?どしたんすか、兄さん!?」
「えっ!?えっ!?アルドくん!?うそ、なんで倒れたの!?」
遠のく意識の中、二人の声が響いていた。
これは、何かの耐性が足りなかったんだと思う。
前世でも今世でも、合わせて百年近く生きてきたけど、黒ギャルと会話したことなんて一度もなかった。
世界の調律を保つ神に近しい存在・真祖竜と話した事はいくらでもあるが、黒ギャルと会話した事は一度もない。それが俺である。
そんなピュアハートの持ち主である俺が、突然“ギザ歯黒ギャル年上後輩竜娘”なんていうキャラが首都高並に渋滞起こしてるハイブリッド爆弾を投げられたら、そりゃ脳がショートするに決まっているでしょ!いい加減にして!
……それでも、薄れゆく意識の中で俺は思っていた。
(まあ……決して、悪くはないよね……!!)
◇◆◇
「兄さん、生きてますかー?」
意識が戻ると、目の前には——リュナの顔が、めちゃくちゃ近かった。
「ぅわあっ!?」
反射的に上体を起こしてしまい、頭をごっちんとぶつけた。
「いてっ!? ご、ごめ……っ、ち、ちょっと近かった……!」
「すみませんっす。でもよかった、倒れた時はマジで心配したんすからね?」
目の前のリュナは、褐色の肌にゴールドの髪をなびかせ、太陽みたいな笑顔を浮かべていた。
ほんのり頬を染めたその顔が、なんというか……こう、破壊力がエグい。
「だ、大丈夫、大丈夫だから……っ!」
必死で言い訳しつつ、視線が泳ぐ。まともに顔が見られない。
ブリジットとはまた違った方向で、リュナの存在は俺の理性を毎秒ごとにかっさらっていく。
「でも、どうしたんすか?さっき、あーしの顔見て叫んで、ぶっ倒れてましたけど……」
「え、いや、その……ちょっと、予想と違ってたっていうか……」
「……この姿、気に入らないっすか?」
リュナが、すっ……と顔を伏せて、目を逸らした。
さっきまでの明るさが、ふっと陰る。
ギザ歯を少しだけ噛むようにして、眉尻が下がるその表情が、やたらとリアルな“女の子”に見えて——
やばい、これはまずい。全力で弁解しなきゃ。
「ちがうちがうちがう!!全然そんなことない!!むしろすごく良いと思います!そのままのキミでいて!!」
「……ほんとっすか?」
リュナが、ぱぁっと顔を上げた。
「うん!!その姿、すごく……可愛いと思う、うん……」
「よかった〜!あーし、昔からこのフォーム気に入ってるんすよ!変身するときはいつもこれっす!」
そう言ってニコッと笑ったリュナの口元に、またあのギザ歯が覗いた。
可愛さと小悪魔っぽさと、ちょっと年上の余裕みたいなものがごっちゃになった、眩しい笑顔。
それにしても——
(“あーし”!?人間形態だと一人称"あーし"なの!? もう、まごう事なきギャルじゃん!!)
俺の脳内でまた何かが爆発しそうになっていた。
でも、不思議と嫌じゃなかった。むしろ心が踊っていた。
この世界に転生してウン十年。
俺は今、たぶん、前世も含めた人生において、一番刺激的な“午後のひととき”を過ごしている気がした。
◇◆◇
「わたし、リュナちゃんの髪の色、すごく好き!」
ブリジットちゃんが無邪気な笑顔でそう言いながら、リュナのロングヘアにそっと指先を触れた。
金色にも近い茶の髪は、陽の光を受けて柔らかく輝き、風に揺れてはまるで小川の水面のようにキラキラと表情を変える。
「えへへ〜、姉さんにそう言ってもらえると照れるっす。あーし、竜のときは鱗が黒銀系だったんで、それに合わせてる感じなんすよ〜」
リュナは頬をくすぐったそうに掻きながら、嬉しそうに笑った。
ギザ歯がまたちらりと覗いて、あどけなさと小悪魔っぽさの絶妙なバランスが、そこにあった。
ブリジットちゃんはきらきらした瞳で見上げながら、少し体を揺らしながら言う。
「ねぇ、リュナちゃん、笑うとすっごく可愛い!目がきゅってしてて、キラキラしてて……うーん、なんて言うのかな、こう……」
「キラキラっすか?」
「うん、キラキラ!でもそれがすごく似合ってて、かっこいいし、優しいし……うーん、ドラゴンってすごいね!」
「マジっすか〜!? いや〜、照れるっすね〜〜〜」
両手で頬を挟みながら、体をくねっとさせて喜ぶリュナ。
その様子を見て、ブリジットちゃんも「ふふっ」と笑う。
まるで姉妹のような、どこかほんわかした雰囲気があたりを包んでいた。
「ねえ、リュナちゃん。わたし、リュナちゃんのこと、もっともっと知りたいな!おしゃべりもしたいし、一緒に遊びたいし、あ、今度髪も編ませて欲しいな!」
「おお〜、いいっすねそれ!最近の人間の流行りの編み方、あーしまだ知らないんすよ〜。教えてくれると助かるっす、姉さん!」
「うんっ、任せて!」
にこっ、と笑い合うふたり。
その姿は、どんな争いや種族の違いすら吹き飛ばすような、純粋で優しい光を放っていた。
その光景を見ているだけで、なぜか胸が少し熱くなって——
俺は、ゆっくりと視線をそらした。
偶然の落下事故だったけど、この二人の争いを止められて良かった。
◇◆◇
「………………あ」
ふいに、脳裏で先程、自分がザグリュナちゃん、いやさ、リュナちゃんに向けた動きやセリフがスローモーションで再生される。
────────────────────
『ほ〜ら、かわいいですねぇ〜!いい子ですねぇ〜!よーしよしよし〜、いい子いい子〜!』
胸元ワシャワシャ〜。
────────────────────
お願い、頼むから今だけ、今だけは!
分かるよね?キミも子供じゃないんだから!
血走った瞳に訴えかけるような圧を込めて。
(……分かるよね……?「気持ちいいよ」って顔して……?お願いだから空気読んで……?)
※第9話参照
────────────────────
(……今のリュナちゃんの姿で再生すると、え、え……??)
呼吸が止まった。
背中にひやりと汗が伝う。
いや、汗っていうか滝。滝行。
まるで悟りを開く僧侶のように、頭から感情が冷水で流されていく。
(こ、これは……コンプラ的にアウトな案件なのでは……)
胸元ワシャワシャ。
ついでに口を全身で封じるという暴挙。
——つまり。
(完全に、セクハラ……!?)
「リュナちゃん、あのさ、ちょっとだけ確認いいかな?」
リュナがくるっと振り向いて、「なんすか?」と首を傾げる。
笑顔がまぶしい。
けど今は、その笑顔が光りすぎてて直視できない。罪悪感で視界が滲む。
「キミって……もともと、女の子、なんだよね?変身魔法で“女の子の姿”になってるとかじゃなくて……」
「ええ。あーし、元々メスっすよ。」
だよね!!そうだと思ったよ!!
っていうか、その顔と声で自分の事“メス”とか言わないで!!なんか……ドキドキしちゃうから!!
「えっと、それじゃあさ……その……」
ここで声を落とす。
できればブリジットには聞かれたくない内容だ。
俺はそっと身を寄せ、リュナの耳元に囁く。
「……ってことは、さっき俺がした、あれやこれやって……」
リュナの顔が、ふわりと赤く染まった。
ギザ歯がちょっと覗いて、唇がきゅっと引き結ばれる。
「……ちょっと、恥ずかしかったっす」
バクンッ
心臓が跳ねた。
死のノートに名前を書かれたのかと思うほど。
その破壊力。
ギザ歯・ジト目・黒ギャル・竜・年上後輩・照れ顔。
完全に、とどめだった。
「ブリジットちゃん、ちょっとだけここで待っててくれる?」
「え?うん、わかった!」
小首を傾げながら微笑むブリジットを残し、俺はリュナの手を取って、近くの大きな岩陰に連れ出した。
——そして。
「……この度は、大変申し訳ありませんでした」
60fpsばりの滑らかさでスムーズに額を地面に擦り付ける。
膝を揃え、背筋を正し、まさに見本のような土下座だった。
「え、ちょ、えええ!?に、兄さん!?」
「本当に、本当にごめん!知らなかったとはいえ、あんな撫で方とか、口を塞ぐとか……っ!気を悪くしたよね!?」
「い、いや、そんなん全然……!ていうか、兄さん、ほんとに謝らなくていいっすよ!」
「よくないよ!?今のキミの姿で考えたら、俺もう変態じゃん!!セクハラ親父じゃん!!」
「だ、大丈夫っすよ!あーしは兄さんのしもべっすから!」
「その顔で"しもべ"とかそういうこと言うのやめて!?俺の心がどうにかなってしまうから!」
俺は泣きそうだった。
美人黒ギャルに「自分はあなたのしもべです」と笑顔で言われる動揺で、精神が崩壊しそうだ。
「……お友達から始めましょう……ほんと、お願いだから……俺の心が壊れる前に……!」
「……ぷっ、ふふっ、……はいっす。じゃあ、まずはお友達からっすね?」
リュナは、ちょっとイタズラっぽく笑いながら、指を一本立てて、目を細めた。
その笑顔が、なんかもう、どうしようもなく眩しくて。
——ああ、なんか……この世界、やっぱ最高だ。
◇◆◇
岩陰から戻ると、ブリジットが少し離れた場所で草花を摘んでいた。
陽の光の中、金色の髪がふわりと揺れ、小さな手の中に集められた花が、まるで光の冠のようだった。
俺たちが戻ると、彼女はふと立ち上がり、こちらを見た。
その表情は、さっきまでとは違っていて——
どこか、決意を秘めた、まっすぐな目だった。
「……あのね、ふたりにお願いがあるの」
俺とリュナがぴたりと足を止めた。
風が、草の海を揺らす。
その中で、彼女の声だけが真っ直ぐ届いてきた。
「会ったばかりの二人に、いきなりこんな事を頼むのは図々しいかも知れないんだけど……」
ブリジットは胸の前で手を組み、俺たちを見つめる。
「わたしと一緒に、ここに“領地”を作るのを手伝ってくれないかな?」