第116話 覚悟の疾風、解き放たれる"神器"
戦場に、沈黙が満ちる。
向かい合うのは二組の対峙。
一方には、"魔王"ヴァレン・グランツと"勇者"佐川颯太。
そしてもう一方には、咆哮竜リュナと、赤髪の不良・鬼塚玲司。
鬼塚は無言のままリュナを睨みつけていた。
その目は、すでに“覚悟”を宿している。
──このままでは、まずい。
もし、ヴァレンとリュナが再び別の“合体技”を放てば、恐らく勝機は潰える。
ならば、自分が一人で目の前の女……ザグリュナを引き剥がすしかない。
その間に、佐川が天野の援護を受けて魔王を仕留める。
それが、この場の唯一の“勝ち筋”。
視線を横に流す。
佐川と天野──二人はまだ踏み出せずにいた。
心の中で「任せた」と呟き、鬼塚は唇を引き結ぶ。
「……"魔装戦士"。」
低く呟いたスキル名に反応して、地面の魔力が唸りを上げた。
「"特攻疾風"……!」
紫の魔力が渦を巻く。
その中心に、禍々しい形の"バイク"が徐々に実体化していく。
光を飲み込むような艶の黒。
むき出しのパイプフレーム。
狼のようにうねるフォルム──旧世代の暴走族マシンを思わせるシルエット。
エンジンが唸りを上げる。
その様子を、リュナが目を細めて見つめていた。
「へぇ〜……魔力を物質化する系っすね〜。あのアホ(ヴァレン)に似てる感じっすかね?」
皮肉なのか、単なる観察なのか。
その目は、好奇心と警戒心をほんのわずかに滲ませていた。
鬼塚は無言のまま、片手を掲げる。
すると、紫に光る鉄パイプのような形状の魔装が、その手に形を成す。
ギャリッ──!
その鉄パイプを地面に擦りながら、バイクに跨がった。
「咆哮竜ザグリュナ……」
ギュルルルル……ギュワアァアアア……!!
紫電のようなエンジン音を響かせながら、鬼塚は低く呟いた。
「てめぇは、俺がタイマン張ってやるよ……!」
そして、爆音と共にバイクが発進。
ギャリギャリと鉄パイプを地面に引きずりながら、黒紫の稲妻のようにリュナへと突っ込んでいく。
「鬼塚くんっ!!」
後方で、天野唯が思わず叫んだ。
だが──
「俺に構うなッ!!」
鬼塚の怒鳴り声が、全戦場に響き渡る。
「委員長は、佐川の野郎を援護して、そのチャラ男を片付けろ!!」
その声に、天野が息を呑む。
佐川がハッと顔を上げる。
自分に託された“背中”を、彼はしっかりと見届けた。
バイクが咆哮を上げる。
紫の火花が後輪から散り、空気を切り裂くように突進。
その上から振り下ろされるは、全速力の鉄パイプ風魔装──!
「……ちょっと、本気じゃん」
リュナはぽつりと呟き、右肩をすくめた。
バシュンッ!!
背中のボディコンスーツから、黒銀の竜の腕がニュルリと生え出す。
キィィンッ!!
鋼のような質量を持った竜の腕が、正面から鉄パイプを受け止め、火花を散らした。
その瞬間──
「リュナちゃんっ!!」
遠くからブリジットが叫ぶ。
その隣で、フレキも目を見開いていた。
しかし。
ギィンッと鉄を擦る音と共に、リュナが片目を細め──
ブリジットに向かって、
右目の目元で、キラリと“ギャルピース”。
その合図は、言葉よりもはっきりと語っていた。
「心配、いらないっすよ☆」
ブリジットは息を呑み、フレキも肩を落とす。
けれど、その目に浮かぶのは不安ではなかった。
「……信じよう。リュナちゃんを」
「はいっ……!」
そのまま、バイクの爆音がリュナの身体を押し流す。
黒銀の腕でガードしながらも、後方へと押されていくリュナ。
──ズギャアアアアッ!!
地面を引き裂く轟音。
二人の姿は、広場の奥へと、轟音と砂煙の中に消えていった。
戦場の中央には、鬼塚の残した爆音と、リュナの余裕のギャルピースだけが、確かに刻まれていた。
◇◆◇
鬼塚玲司の乗る紫の魔力バイクが、咆哮竜リュナとともに広場の奥へと消えていった。
残された戦場に、エンジンの残響と土煙がわずかに揺れていた。
その背を、天野唯は見送っていた。
手は胸元に添えられたまま、動かない。
唇は、何かを言おうとして、結局何も言えなかった。
鬼塚のあの言葉が、耳に残っている。
「俺に構うな!! 委員長は、佐川の野郎を援護して──」
視線が、隣へ向いた。
そこに立つのは、剣を構えたまま、やや俯き加減の佐川颯太。
彼の表情は、どこか複雑だった。
天野が心配しているのは分かっている。
鬼塚が命を懸けて時間を稼いでいるのも、分かっている。
──だが、それでも。
その視線は、信頼、心配、そして僅かな嫉妬を含んでいた。
その一瞬の“間”を──
ヴァレン・グランツは見逃さなかった。
「……おやおや?」
サングラス越しの目が、ニヤリと細められる。
視線の交錯。
少年少女の未熟で、不器用な感情の往来。
ヴァレンの胸の奥に、ぞわりとくすぐったい好奇心が湧き上がる。
(……ほうほう? これは……いいねぇ)
(友情と信頼と、未満の恋心。匂う、匂うぞ──ラブコメの香り!)
彼の瞳が、まるで劇場の幕が開く前の観客のように、興奮でわずかに震えた。
だが、次の瞬間──
「……俺のスキル、“破邪勇者“はさ」
佐川が、気持ちを切り替えたように前を向いた。
剣を構え、地を踏みしめる。
「魔族や魔物への“特効”付きなんだけどさ……」
白銀の刃が、わずかに虹色に揺れる。
「──あんた、魔王なんだろ?」
口の端を吊り上げて、挑戦的な笑みを浮かべる。
「じゃあ……結構、効くんじゃねぇのか?」
その言葉に、ヴァレンは肩をすくめた。
「ククク……そうだな」
手を広げて、芝居がかったように言う。
「いくら俺でも、それに当たれば無傷ってわけにはいかないだろうね」
その余裕に、佐川の眉がピクリと動いた。
「……余裕ぶってられるのも、今のうちだぜ……!」
佐川は深く息を吸い込むと、手にした剣をゆっくりと持ち上げ──
その刃を、水平に──横へ、静かに構えた。
「……"破邪七星剣"、開放……!!」
その瞬間、剣と彼の身体が、虹の光に包まれた。
ギィン……ッ!
七色の魔力が、風のうねりを伴って解き放たれていく。
その中心に立つ少年の輪郭が、光の層に縁取られる。
それは、まるで“星座”のような輝きだった。
ヴァレンが目を細める。
(……間違いない。この少年、この若さで“神器”の開放まで至っている)
“神器”──それは、スキルが極まった先に現れる、第二の力。
女神が人間に与えたスキルを、鍛え続け、限界を超えて“到達”した者だけが手にできる“武装の化身”。
それは、スキルを外部からさらに強化する、拡張装置のような存在。
誰かから譲られた武器が“神器”となることもあれば、己の執念や信念が具現化して、形を成すこともある。
佐川のそれは──まさに後者。
戦いの中で鍛え上げた剣技と、誰にも折れなかった“勇者としての意志”が、一つの形を与えられた結晶。
焦げつく空気の中で、佐川颯太は静かに剣を構え直した。
七色の光を帯びるその剣は、彼の手の中で微かに震えていた。
だが、それは怯えではない。むしろ興奮──いや、“確信”の震えだった。
「……ここからが、“勇者”の本領発揮だぜっ!」
そう言い放つと同時に、佐川は後ろ足をぐっと踏み込み、剣を大きく振りかぶる。
それを見ていたヴァレン・グランツは、眉をわずかにひそめた。
(……何のつもりだ?)
距離は軽く十メートルほど。
斬撃が届くはずもない。魔法の詠唱も感じられない。
(……いや、違う。さっきからこの少年……“間”が、おかしい)
次の瞬間──
──キィンッ!
耳をつんざくような金属音と共に、空間が歪むような衝撃が走った。
風が跳ね、空気が弾ける。
そしてヴァレンのすぐ斜め後方、誰もいなかったはずの空間に、佐川の姿が“現れた”。
「……っ!」
ヴァレンが反応したのは、ほんの刹那だった。
だが、その刹那こそが彼を“魔王”たらしめる。
肉体を捻る。上体を滑らせるように翻し、ギリギリで剣閃を回避する。
それでも──
「……ッ!?」
腕に、鋭い痛みと共に熱が走った。
ヴァレンの左腕が浅く裂かれ、紅い血がしぶいた。真紅の雫が地に落ち、静かに小さな円を描く。
「……やったか?」
剣を振り抜いた佐川が、その場で体勢を整えつつ低くつぶやく。
移動の反動でわずかに息が上がるが、その顔には笑みがあった。挑戦者としての、興奮と歓喜に満ちた表情。
「今のを……避けるなんてな。やっぱすげぇな……流石は、“魔王”ってとこかよ……!」
ヴァレンはゆっくりと振り返る。
左腕の裂傷を一瞥し、肩をすくめるようにして苦笑いを浮かべた。
「ククク……。俺に、手傷を負わせるとは……やるねぇ。」
血を流しながらも、サングラスの奥の瞳はむしろ楽しげに細められていた。
「まさかあの距離から、一瞬で懐に入ってくるとはね……。君はなかなか厄介だ、“勇者”くん」
その言葉は、皮肉ではなかった。
歴戦の魔王が、相手が自分の"敵"たり得ると認めた時にだけ見せる──“称賛”の声音だった。
ヴァレンは、ほんの少し目を伏せる。そして、思考をめぐらせるように内心で呟く。
(……この佐川という少年の神器──これは相当強力だ。単なる物理強化や魔力攻撃ではない……超高速移動か、あるいは………?)
(なるほど。“勇者”の称号は、伊達じゃあないね)
ヴァレンの口元に、ふっと笑みが宿る。
愉快そうに、楽しそうに──心底嬉しそうに。
(それにしても……)
(あの3人──乾流星、榊タケル、五十嵐マサキ──も、"あと一歩"だった)
(そして、今リュナとぶつかってる赤髪の少年──鬼塚クン。恐らく彼もまた“神器”に至る者)
心の中で、静かに告げる。
(──油断するなよ、リュナ)
佐川の目に宿る光は、確かに“ただの高校生”のものではなかった。
この戦場に立つ者たちは、既に“神話の住人”になろうとしていた。
◇◆◇
──場所は、広場から少し離れた森の中。
枝葉のざわめきと、湿った土の匂いが満ちる鬱蒼とした木立の中で、金属音が短く響いた。
「っらああッ!!」
唸るような雄叫びとともに、鬼塚玲司が鉄パイプ風の魔装を握って振り抜いた。
その軌道は鋭く、重く、ためらいがない。
人間離れした膂力が込められた一撃は、巨岩をも砕く迫力がある。
だが。
「っとっと、危ないっすね〜」
ガキィィン!
乾いた音を立てて、それを受け止めたのは――リュナの背から生えた、黒銀の“竜の腕”だった。
左右から伸びるその二本の竜腕は、禍々しい光沢を放ちながら、鬼塚の打撃を易々と受け止める。
「クッソが……っ!」
鬼塚は間髪入れずに連撃を叩き込む。打つ、振る、突く――全ての動きが殺意に満ちていた。
だが、リュナはそれを一歩も動かずに防ぎ続ける。竜腕の先端がくるくると受け流すように舞い、どれも直撃には至らない。
「……っし、じゃあこっちも一枚、追加っすよ」
リュナが口元を緩め、くるりと身体を半回転させた瞬間──
バサァッ!
背中から、二枚の漆黒の翼が展開した。光を吸い込むような黒銀の竜翼。
その羽ばたき一発で、森の枝が軋み、地面の落ち葉が巻き上がる。鋭く突風が生まれ、正面の鬼塚に吹きつける。
「くっ……!」
鬼塚は咄嗟に片腕で顔を覆い、風を耐えながら唾を吐き捨てるように呟いた。
「……それが、てめぇの“変身した姿”って訳かよ……!」
リュナは竜翼をふわりと揺らしながら、気怠げに片手をヒラヒラと振る。
「う〜ん……そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるっすね〜。変身、っていうよりは……“戻した”って方が近いっすね」
まるで散歩中の会話のような調子。
鬼塚は不機嫌そうに顔をしかめたまま、ゆっくりと長ラン風の軍服の前ボタンを外していく。
「……チッ。なら、こっちも付き合ってやるよ」
はだけた前襟の奥から覗くのは、腰に巻き付けられたベルト。
黒鉄色のベルトには、まるで歯車のような、禍々しい意匠のバックルが輝いていた。
中央には、奇妙な車輪状のパーツ。その周囲には、魔紋のような模様が浮かんでいる。
まるで“回転”するために作られた装置のように見えた。
リュナの目が、ほんの少しだけ細まる。
(へぇ……あのベルト、“神器”っすか)
(……こりゃ、100年ぶりくらいに、“あーしの敵になり得る奴”かもっすね、このガキんちょ)
飄々とした表情の裏に、確かな警戒が宿る。
ちなみに、アルドは逆の意味で"敵になり得ない"ので、除外している。
鬼塚はベルトに手を添えながら、ぼそりと呟いた。
「……ここなら、誰にも見られてねぇから、遠慮なく“本気”出せるぜ……」
リュナが小さく片眉を上げた。
鬼塚は続ける。
「これ使うと、クラスのオタクどもがうるせぇんだよ……。“もう一回見せてくれ!”ってな……ッ」
吐き捨てるようなその声は、どこか照れ臭さと苛立ちが混じっていた。
手がバックルに触れ、魔力が脈動する。
「──"獏羅天盤"……開放!!」
その言葉を合図に、バックル中央の車輪パーツが音を立てて激しく回転し始める。
ギィイイイイィィンッ……!
紫電めいた魔力が螺旋状に立ち上り、樹々の影を濃く染め上げる。
空気が一変する。まるで空間そのものが、軋むような圧を発した。
リュナの翼が揺らぎ、竜腕が微かに振動する。
(……なんすか、この……妙な魔力の揺らぎ方)
思わず、リュナがほんの一歩、踏み込み直す。
鬼塚は、静かに──低く、しかし確固たる響きで呟いた。
「──変身……ッ!!」
その瞬間。
紫の奔流が鬼塚の身体を包み、禍々しい変貌の幕が上がった。