第113話 ラスボスと、隠しボス
空気が、一瞬、揺れた。
耳をつんざくような高周波──いや、“気配”の波。
風すらも硬直するような威圧が、瓦礫と火花の飛び交う戦場に吹き込んだ。
その中心に、ふたりの影が降り立つ。
黒マスクに金茶の髪、黒いミニスカのボディコンスーツを身につけた少女と、ロングコートを肩に羽織り、魔本を携えたサングラス姿の男。
──リュナとヴァレン・グランツ。
その姿が視界に飛び込んだ瞬間、紫の魔力の鎖に縛られたブリジットの顔が、ぱっと明るくなる。
「リュナちゃん! ヴァレンさん!」
安堵と喜びの入り混じった声が、張り詰めた空間に小さく響いた。
リュナはブリジットに軽く手を振りつつ、隣のヴァレンをちらりと見た。
ヴァレンは何やら頷きながらも、既に「別のもの」へと視線を逸らしていた。
──そのとき、凍りついた時間が解けた。
「……プハッ!? な、何だ今の……!?」
「一瞬……全然、動けなくなったぞ……!」
榊タケルと五十嵐マサキが、肩で息をしながら身を起こす。
乾流星も目を細めながら周囲を見回していた。
“咆哮”。それはリュナの持つ、魂に訴えかけ、隷属させるスキル。
通常の敵ならば、その瞬間に動きを封じられ、立っていられる者など皆無──だが、今回の3人は、たった20秒で立ち上がっていた。
リュナは黒マスクの下で、口元をにやりと緩める。
「お、もう動いてる。なんかコイツら……“咆哮”の効き、悪ぃっすね」
軽口を叩きつつも、その金の瞳は鋭く彼らを観察していた。
特にその中でも、唯一“まったく一瞬たりとも止まらなかった男”に対して──
鬼塚玲司。
紫の魔力の鎖を操り、今もなおフレキとブリジットを拘束している異能の使い手。
その男だけは、一歩も動じていなかった。
(……コイツだけ、最初から全然効いてなかったっすね)
リュナが内心呟く。
鬼塚が低く、吐き捨てるように言った。
「……なんだ、テメェら。どこから降ってきやがった?」
視線を鋭くしながら、警戒心を隠さず二人に向けて構える。
その隣で、佐川颯太もまた、ヴァレンを鋭く睨みつけ、剣を半ば抜きかけていた。
「……アンタらも、“強欲の魔王”の手下って訳か……?」
佐川の問いに、ヴァレンは返事すらしなかった。
──否、興味がまるでなかった。
彼の視線は別の方向──
震える肩を寄せ合って抱き合う、傷だらけのマイネ・アグリッパと、彼女を庇うように立つ黒髪の青年、ベルザリオンへと、釘付けになっていた。
サングラス越しにも分かるほど、ギンッ!!と目を見開いている。
そして、ゆっくりと、その口角が吊り上がる。
「おいおいおいおい……グラディウスに連絡しに行って少し席を外してたら……」
ヴァレンは左手に持っていた魔本"ときめきグリモワル"を開き、右手の万年筆……いや、"Gペン"をカチリと鳴らした。
「……あのマイネ・アグリッパが……イケてるメンズと情熱的に身を寄せ合ってるなんて……」
震えるような低音で言葉を紡ぎ、次第に興奮を隠せなくなる。
「とんでもない事になってるじゃあないの……!いやぁ……長生きはするもんだなぁ……!」
そして、満面の笑みで言い放った。
「まさか、お前のそんな乙女チックな姿を見られる日が来るとはねぇ……!」
魔本のページを滑らかにめくり、ペン先が走る。
マイネとベルザリオンの姿を、幾何学的に、ロマンティックに、そして芸術的に──いや、偏執的に描き出していく。
「……お主、何して──」
マイネが、その意味を理解した瞬間、顔を真っ赤に染め、怒声を上げた。
「き……貴様ァァ!! ヴァレン・グランツ!!?」
石ころを拾い、投げる、投げる、投げる!
羞恥と怒りで手が止まらない。
「見るな!! 描くな!! 消せ!! というか、死ね!! 今すぐ!!」
だがヴァレンはひらり、ひらりと避けながら――
「おっ!? いいね〜、その表情も、普段の傲慢チキな顔とのギャップがさぁ!!俺の創作意欲を刺激して止まないんだよねぇ!!」
スケッチが加速する。ペンが踊る。
「いや、まじでいい!! 今月イチのときめきだよ、マイネちゃ〜ん!!……最高だ!!」
ベルザリオンは、というと──
傷を負い、血に染まった白手袋を押さえながらも、やや引き気味な表情で、マイネとヴァレンを交互に見ていた。
リュナはそのやり取りをチラッと眺めて、肩を竦めた。
「……お前、そんな事ばっかしてっから、魔王のクセに部下も出来ねぇで、ずっと"ぼっち"だったんすよ……。」
そして、目の前では鬼塚、佐川、その他の“勇者組”が、明確な殺意を向け始めていた。
緊張と緩和。混沌と“ときめき”の入り混じった戦場に、波乱の幕が、音もなく降りていく──。
◇◆◇
──ふざけている。
佐川颯太は、剣を握る手にぐっと力を込めた。
周囲が緊張感に包まれる中、ひとりだけ別世界にいるかのように“恋愛スケッチ”に没頭する男。
あの"強欲の魔王"マイネ・アグリッパすらも顔を赤らめて石を投げつけるほどの図太さ。
何より──敵か味方か、それすら不明な挙動。
「……いやいや、何盛り上がってんの?」
苛立ちを隠さず、佐川は一歩前に出た。
鋭く、真っ直ぐな視線を、背を向けたままのヴァレン・グランツに向ける。
「アンタも、“魔王の配下”なのかな──っ!?」
言葉と同時に、剣を振り上げた。
その瞬間、佐川の足元に、七つの光が浮かび上がる。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
──星々を模した魔法陣が、彼の身体を中心に展開されると、
光の粒が踊り、空間がきらめきを帯びた。
「これが、"破邪勇者"から派生した"神器"──。」
「"破邪七星剣"ッ!!」
それは、“勇者の証”とも称されるスキル。
星の力を模した七本の光線が、収束とともに一直線にヴァレンを狙う。
シュン──という鋭い空気の裂ける音。
レーザーの一撃は、瞬きすら許さぬ速さで──
だが。
「……“心花顕現”。」
その声は、背中越しに届いた。
佐川の攻撃に反応したのは、マイネでもベルザリオンでもない。
──当の標的、本人だった。
ヴァレン・グランツは、佐川の方を振り向きすらしなかった。
黒髪を軽く揺らし、右手でGペンをくるりと回しながら指を鳴らし、肩越しに一言、続ける。
「“極光天幕”。」
次の瞬間、左手に持っていた魔本"ときめきグリモワル"のページが、パララララ──と音を立ててめくれ始めた。
まるで風に踊る桜の花びらのように、光の粒が舞い、空間に紋章が浮かぶ。
そして──
バァン。
眩い光の壁が現れる。
七本のレーザーは、その“オーロラの帳”に次々と吸い込まれ、
まるで水に落ちた光のように拡散し、消えた。
「──!」
佐川が息を呑む。
あの一撃は、並の魔族なら即座にチリも残さず焼き尽くす破邪の斬光だ。
それを、指先ひとつの操作で……まるで“ノイズを消すように”、無効化された。
「“破邪七星剣”が……また防がれた……!?」
声に驚きが滲む。
──そう、“また”だ。
この男の“防御魔法”は、まるで何でもないかのように、彼の最強技を受け流す。
そして、ようやく振り向いたヴァレンは、サングラスを右手の中指で押し上げ、薄く笑った。
「俺が、“魔王の配下”かって……?」
光を背に、影をまとったまま、彼はゆっくりと顔を上げる。
その目は、何もかもを見透かすような色をしていた。
「──違うね。」
間を置かずに続ける。
「俺は、“魔王”だよ。」
佐川の心臓が、ドクリと跳ねた。
「こいつと同じさ」
そう言って、軽く顎をしゃくる先にいたのは、まだ頬を赤くしたままのマイネ・アグリッパ。
その隣で、ベルザリオンが小さくため息をつく。
「……マジかよ」
佐川の口から、自然にこぼれた言葉。
「魔王が……“もう一匹”……? これも、“勇者”の宿命ってやつかよ……」
──だが、その目に浮かんでいたのは、恐怖ではなかった。
それは“使命感”に近い。
友人たちを守ること。帰るために敵を倒すこと。
その“決められたルール”の中で戦う勇者としての覚悟。
ヴァレンはその視線を見透かしたように、口角を上げる。
「キミの“運命”がどうとかは知らないが……」
その声は軽く、どこか茶化すようでありながら──
「俺の目の黒いうちは、何人たりとも“ときめき”の邪魔は、させないぜ?」
そこには、確かに“魔王”の気配があった。
◇◆◇
紫の魔力鎖に囚われたブリジットとフレキ。
その姿を見つけた瞬間、リュナは目をぱちくりとさせたあと、ひょいと手を振った。
「おーっす。姉さん、大丈夫っかー?」
呑気な声だった。
緊迫した空気も、隣でヴァレンが魔王宣言をした事実も、どこ吹く風のように軽やかだった。
ブリジットは目を丸くし、数秒の間を置いてから、苦笑まじりに頷いた。
「えへへ……ごめんね、リュナちゃん。やられちゃったよ」
その笑顔には痛みも悔しさもあったが、それ以上に“来てくれた安心”が滲んでいた。
その隣で、フレキがしょんぼりと耳を垂らし、俯いた。
「ごめんなさい、リュナさん……ボク、ブリジットさんを……守りきれなくて……」
その声は震えていた。自責と、悔しさと、何より無力感。
だが、リュナはぴょんと跳ねるように二人のもとに近づき、紫の鎖にしゃがみ込むと、ふたりを交互に見て、にっと笑った。
「なーに言ってんすか、二人とも!」
軽く拳を握り、にかっと笑う。
「謝るなら、来るのが遅くなったあーしの方っすよ!」
ブリジットがきょとんとしてから、ふわりと笑った。
「……ありがと、リュナちゃん。」
「どいたしましてっす」
とリュナが笑ったその時──
少し離れた場所で、スケッチに夢中だったヴァレンがちらりと顔を上げ、口を挟んだ。
「いや、お前は単に家でダラダラしてて遅くなったんだから、マジで真剣に謝った方がいいぞ?」
リュナはピタッと固まり、ぎくりと肩を震わせた。
「──うっせー!!」
バンと立ち上がり、指を突きつけて叫ぶ。
「仕方ないっしょ!? こんな事になってるとか、思わねーじゃん!!」
ヴァレンは肩をすくめて、またスケッチを続ける。
リュナはぶつぶつと小声で文句を言いながら、再び鎖へと目を落とした。
その様子をじっと見ていたのは──鬼塚玲司。
紫の魔力を指先で操り、地面に根を張ったように仁王立ちしている。
顔にはまだ余裕があり、むしろリュナの様子を観察するかのように、唇の端を僅かに吊り上げた。
「……何呑気にくっちゃべってやがる」
低く唸るような声だった。
「言っておくけどよ、その鎖は俺のスキルで作った“特製”だ。女の力で切れるようなモンじゃあねぇ」
リュナはぴくりと片眉を上げる。
次の瞬間──
「よっと」
軽い掛け声と共に、親指と人差し指をで鎖を摘む。その指先からは、黒銀色の"竜の爪"が僅かに覗いていた。
──パチン、という音と共に、
紫の魔力鎖があっさりと真っ二つに断たれた。
バサリと音を立てて地面に崩れ落ちる鎖。
呆気に取られるフレキ。
目を丸くするブリジット。
何より、その様子を目の当たりにした鬼塚の表情が、ぐっと険しく変わる。
「──なんだと……?」
低く、冷たく呟いたその声には、初めて“警戒”が混じっていた。
リュナは振り返り、黒マスクの下でにっと笑いながら──目だけで笑みを作った。
「簡単に切れちゃったっすよ?」
その言葉は、挑発でもなければ、見下しでもなかった。
ただの事実。けれど、それが一番相手を煽る。
鬼塚の表情がぴき、と硬直する。
その目が、獣のように細められる。
「──おもしれぇ」
手をポキリと鳴らしながら、一歩、足を踏み出す。
「……ただの女じゃねぇな、あんた」
リュナはその一言に、逆に目を細めた。
──久々に、ちょっと面白い相手かもしんないっすね。
そんなことを考えながら、両手を組み、モデルの様に凛と立ち、彼女なりの構えを取った。
戦場に、再び火が灯る前の、静かな火花が散る──。
◇◆◇
戦場の空気が、一瞬、緩んでいた。
だが、その“余白”を裂くように、透き通った声が響いた。
「──!! 皆さん!! 気をつけて!!」
木陰から叫んだのは、与田メグミ。
胸元に提げたルーン盤が、激しく揺れている。紫の光を瞬かせるそれは、“予兆”の現れ。
彼女の額にも、うっすらと魔術の紋が浮かんでいた。
「今、占いが……降りてきました!!」
その声に、場の空気がピンと張る。
与田は手を胸に当て、眼を閉じるようにして──そして、断言した。
「……そちらのチャラ男さんの言うことは本当です!!“強欲”とは別の、“大罪魔王”に間違いありません!!」
どよめきが、召喚高校生たちの間に走った。
天野唯がすぐさま振り向く。
「そんな……!? 与田さん、それ、本当なの!?」
与田は、ゆっくりと目を開け、顔色をさらに蒼くしながら、かぶりを振った。
「──いえ、それだけじゃありません!!」
一段と声を張って、震える指でリュナを指さす。
「そちらの……その、エッチなお姉さん!!
彼女こそ……私たちの、もうひとつのターゲット……!」
息を飲む一瞬の間。
そして──
「“咆哮竜ザグリュナ”ですっ!!」
場が、静寂に包まれた。
その衝撃の告知に、誰もが言葉を失った。
いや、正確には──
「いや、"エッチなお姉さん"じゃねーし!!」
「否定するなら"咆哮竜ザグリュナ"の方を否定しろ、バカ!!」
当のリュナの抗議の声と、それにツッコむヴァレンの声だけが広場に響いていた。
──ザグリュナ。
かつて“未開地フォルティア”を統べた、災厄級の存在。
フラム・クレイドルから言い渡された、もう一体の倒すべき"ボスキャラ"。
彼女が、まさか目の前の、黒マスクの呑気な少女だというのか?
「……マジかよ……」
佐川が呟き、口元を吊り上げる。
「咆哮竜に、もう一体の魔王。こりゃ……ラスボス&裏ボス戦……って感じじゃんか……!」
榊タケルが肩を回しながら笑う。
「……っつー事は、ここで2匹……いや、3匹とも倒しちまえば、一気にミッションクリアじゃん!」
五十嵐マサキが指先で拳銃を回し、軽く肩をすくめた。
「しかも、今こっちにゃSSランク3人、Sランク3人だぜ?……あと与田ちゃん」
「すみませんね、戦力にならなくて。」
与田が冷静な口調で抗議するも、その姿勢はすでに逃げ腰。
一方、その騒ぎの中心にいたリュナは──
「……ん?」
と首を傾げていた。完全に、理解が追いついていない。
「え、あーしのこと……っすか?」
自分を指差してきょとんとする。
そんな彼女に、ブリジットが焦ったように叫ぶ。
「気をつけて、リュナちゃん! この人たち……マイネさんだけじゃなくて、リュナちゃんのことも狙ってるみたいなの!!」
「えっ、あーしも?なんで?」
リュナは目を丸くして、ブリジットと高校生たちを交互に見つめる。
フレキが真剣な表情で頷いた。
「そう言ってましたっ!! あの、佐川って人が……!」
「──こんな時……アルドさんがいてくれたらっ……!」
その言葉に、リュナの顔がほんの僅かに曇る──が、その前に、隣からゆるい声が差し込む。
「いやいや、逆にいなくて良かったくらいだぜ? フレキくん」
ヴァレンが、肩を竦めて言った。
「“リュナの命が狙われてる”なんて聞いて、万が一……相棒がマジギレでもしようもんなら、俺も……というか、誰も止められないとこだったからな。」
言いながら、彼は遠くを見つめるように呟いた。
──アルドのことだ。充分、考えられる事態である。
リュナはその言葉に頷くように、胸を張って言う。
「そーそー!兄さんはあーしのことも、すげー大事にしてくれてっから!」
そして黒マスクの下で、得意げに笑った。
「それに……ま、このくらいの相手なら、兄さんの手を煩わせる間でもないっしょ」
その言葉に、ブリジットが立ち上がろうとする。
「リュナちゃん……私も、一緒に──」
「姉さんは、そこで見ててくださいっす」
ぴっと手をヒラヒラと振って制止する。
どこまでも、軽やかで、だけど芯の通った声音だった。
フレキもまた立ち上がろうとするが、ヴァレンが彼の頭をぽんと叩いた。
「遅刻してきた分、俺とリュナで片付けるさ。な?」
鬼塚が、指をポキポキと鳴らしながら、表情を強張らせる。
「……随分、舐めてくれるじゃねぇか」
佐川もまた、剣を構え、ニヤリと笑みを浮かべる。
「魔王を倒すのは、勇者の役目……だよな!」
榊タケルは鎖鉄球をぶんぶんと振り回し始める。
「さーて……ドラゴン退治と行きますか」
五十嵐マサキもサーフボードを構え、隣で乾流星が──ひとり、剣を抜かぬまま戸惑った表情を浮かべていた。
(……何だ、この状況……?)
(……俺は、なんで今の今まで、こんな殺し合いの場みてぇな所にいる自分に、何の疑問も抱かなかったんだ……!?)
流星だけが、心の奥に明確な違和感を覚えていた。
天野唯はスタッフを構え、与田メグミは──
「では、私はまた失礼して……」
スタタタタと逃げていった。
戦場に、再び、火蓋が切って落とされる。