第112話 勇者の剣、魔王の傘
七つの星が、天を穿つ。
光の尾を引きながら、星々が放つレーザーが絶え間なく空間を切り裂いた。
地鳴りのような音とともに、軌道は常に変化し、複雑な角度から一斉に一点を狙って収束していく。
狙われているのは、マイネ・アグリッパ。
「くっ……!」
血に濡れた執事服が揺れる。
身を挺して庇うのは、ベルザリオン。
その手の剣が、正面から迫る光線を次々と斬り払うたび、金属のような硬質な火花が閃いた。
「速い……!防御が……追いつかない……っ!」
ベルザリオンは叫ぶ。
全身の筋肉を酷使していることが見て取れる。
足場はとうに焼け焦げ、踏み込むたびに砕け、姿勢は次第に乱れていった。
だが、さらに彼の背後。レーザーの網を掻い潜って飛んでくる”漏れ弾”を、灰色の雲が飲み込む。
「……っ、こ……これは……!?」
マナガルムが奥歯を噛み締め、雲の奔流を必死に操作していた。
雷の魔力を含んだ灰色の雲が、盾のように広がり、連続するレーザーを飲み込んでは砕けていく。
「先程の……あのイガマサという男の攻撃とは、レベルが違う……!何者だ、こやつ……っ!」
額から伝う汗が、白い牙を濡らした。
その隣では、輝く毛並みのフレキが、肉球を胸元に握りしめ、必死に叫ぶ。
「父上! ボクが、ボクが神獣化してマイネさんを守りますっ! あの光も、全部──!」
「やめろフレキ!!」
咆哮が飛んだ。普段は冷静なマナガルムが、荒げた声で叫んでいた。
「今のお前が変身すれば、ただの的だ! むやみに巨大化してみろ……真っ先に狙い撃ちされるぞッ!」
「で、でも……!」
「護りたいのなら、冷静になれ……っ!!」
フレキは、震えながらも踏みとどまる。
その時、また別の戦場。マイネの元へ駆けようとする影があった。ブリジット・ノエリアだ。
だが、その行く手に、2人の人影が立ちはだかる。
鬼塚玲司と、天野唯。
鬼塚は両手をポケットに突っ込んだまま、斜に構えていた。
天野は冷たく、だが毅然とした眼差しでブリジットを睨みつけている。
「どいて……!」
ブリジットが叫ぶ。
「マイネさんは……魔王だけど、今は逃げもせず攻撃もしてない。こんなふうに一方的に殺そうとするなんて、絶対間違ってるよ!!」
一瞬、風が止まったような気がした。
鬼塚が、眉をひそめたのが分かった。
そのまま、隣にいる天野に視線を向ける。
「……ああ言ってるぜ。話、聞いてやらなくて、いいのかよ?」
穏やかに、だがどこか皮肉を含む声音だった。
しかし天野は、その言葉に眉ひとつ動かさず、きっぱりと返す。
「何言ってるの、鬼塚くん? 相手は……乾くんたちを倒した”敵”だよ? 話を聞く必要なんて、ある訳ないじゃない」
「……」
鬼塚の瞳が、わずかに揺れた。
その瞳に浮かぶのは、怒りか、悲しみか、それとも。
彼は、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
「……お前の口から、そんな言葉……聞きたくなかったぜ。委員長……」
かつての優しさを知る彼だからこそ、その変化は許し難かった。だが鬼塚は、それでも目を背けない。
“帰る”ために。
鬼塚は再びブリジットに視線を戻す。そして、ポケットからゆっくりと手を出すことすらせず、ただ言った。
「……この場で"一番強ぇ"のは、アンタみてぇだな」
低く、落ち着いた声だった。
「足止めさせてもらうぜ。佐川の野郎が、仕事を終えるまでな」
彼の覚悟がにじむその言葉に、ブリジットは……悲しそうな目をした。
そして、その背に大きな影が浮かび上がる。
彼女の右手には、巨大なピコピコハンマー──“ピコ次郎”が握られていた。
小さな少女が持つにはあまりにも場違いな、大きくて、おかしみすらある武器。
それでも、彼女の決意に、迷いはなかった。
「……いくよ」
小さな呟きのあと、ブリジットの足が踏み込む。
その先に立つのは、自分とさして歳も変わらぬ様な少年たち。
だが今は、それぞれの「正義」が、正面から激突しようとしていた。
◇◆◇
空から──七つの星が舞い、光線となって降り注ぐ。
軌道は自由奔放でありながら、まるで意志を持ったかのように正確。
焼き裂く光の雨が辺り一帯をなぎ払い、地面を抉り、金属を融かす。
「──ッく!」
「お嬢様!!姿勢を低く…!!」
マイネ・アグリッパは身を伏せた。
すぐ隣では、ベルザリオンがその体を盾にして立ち塞がり、迫る光線を剣撃で受け止めていた。
逆側では、マナガルムが顎を鳴らして空に吠える。
「……貴様、そこまでして妾の命を欲するか……!」
マイネの声は、苛立ちと驚愕と、かすかな恐怖を孕んでいた。
対峙する少年──佐川颯太は、あっけらかんとした口調で答えた。
「だってさ、仕方ないじゃん。あんたと、"咆哮竜ザグリュナ"の2匹を殺さないと……俺ら、家に帰れないんだもん」
言葉は重く、しかしその声音は異様なほど軽かった。
殺す──その一言に、ためらいはまるで無い。
「な、なんだと……!? "咆哮竜ザグリュナ"を……殺す……!?」
マナガルムが吠えるように言った。隣でフレキが震えた声を漏らす。
「そ、そんな……!マイネさんだけじゃなく、リュナさんも……ターゲットなんて……!?」
その瞬間、佐川の目がギラリと光を放った。
「おっと……そっちのミニチュアダックスくんは、ザグリュナの配下の魔物……って感じなのかなっ!?」
その言葉と同時に──
七つの星が軌道を変える。
刹那、佐川の体がブレる。
片手剣を握ったまま、凄まじい速度で地を駆け、フレキ目がけて一直線に斬りかかる。
「──ッ!」
逃げ場もなく、反応もできず、フレキはただ眼を見開いた。
斬られる、と確信した。
だが次の瞬間──
「──やめとけ、佐川」
バァン、と音が鳴った。
剣と何かがぶつかり合う、金属と金属の衝突音。
佐川の剣を、真横から蹴り上げた足──それは、鬼塚玲司の蹴りだった。
「……え?」
敵であるはずの鬼塚に庇われたフレキが、ぽかんと目を見開く。
佐川は片目を細めて笑った。
「おいおい、何すんだよ鬼塚?」
「テメェの仕事は“魔王を仕留める”ことだろうが。関係ねぇもんに手ェ出してんじゃねぇ」
短く吐き捨てる鬼塚。佐川はその顔を、じっと見つめ──
「……わかったわかった。そのかわり、そっちはまとめてお前に任せるぜ?」
そう言って、再び星を操りながらマイネたちに向き直る。
鬼塚は小さく呟いた。
「お前、犬好きじゃなかったのかよ……佐川……」
──そのやり取りを、ブリジットは呆然と見ていた。
「リュナちゃんを……殺す……?」
口から漏れた言葉は、信じたくない気持ちの現れだった。
だけど、目の前の現実はそれを否応なく突きつけてくる。
「……そんなこと……絶対に、させないよっ!!」
声が出た瞬間には、身体が動いていた。
ブリジットは跳び出す。
手には、巨大ハンマー”ピコ次郎”。
「えいやぁーっ!!」
雄叫びとともに、ハンマーを振り下ろす。
狙うは鬼塚──だが、
「……あんた、凄ぇ力は持ってるみてぇだが──」
バッと、鬼塚の左手がブリジットの顔の前に出される。
「──圧倒的に、“喧嘩慣れ”してねぇな!」
視界が一瞬塞がれた。
その刹那──足元が、浮いた。
「きゃっ──!?」
バランスを崩したブリジットはそのまま地面に転がる。
「えっ──?」
同時に──隣にいたフレキも、いつの間にか巻き込まれていた。
紫色の魔力の鎖が、彼女たちの身体をぐるぐると巻きつけていく。
まるで生きているように、勝手に動きながら拘束してくる鎖──
鬼塚のスキル、"魔装戦士"が作り出す魔力兵装だった。
「ぐうぅ……! 動けませんっ!」
フレキがジタバタと足を動かすが、鎖は緩むどころかさらに強く締まる。
(……“真祖竜の加護”の出力を上げれば……
力づくで引きちぎれるかもしれないけど……)
(でも、一緒に縛られてるフレキくんに怪我させちゃう……!)
ブリジットは、歯を食いしばった。
いま無理に動けば、隣の仲間を傷つけることになる──
目の前の鬼塚は、そんな彼女の葛藤を見透かしているようだった。
◇◆◇
鬼塚玲司の足音が、瓦礫の上を重たく響かせる。
その視線の先には、倒れ伏す三人の少年。
乾流星、榊タケル、五十嵐マサキ。
そしてその傍らで、彼らの身体を支えようとする天野唯と与田メグミの姿があった。
「……おい、そいつら生きてるか? 委員長」
鬼塚の低い声に、天野は顔を上げる。緊張の残る瞳が、はっきりと強さを帯びていた。
「大丈夫……! 気を失ってるだけ! すぐ治すわ」
そう言うと、彼女の掌が静かに天へと掲げられる。
「……"至天聖女"!」
声と同時に、天から降り注ぐ光が辺りを包む。淡く、優しく、祝福のような輝き。
その中心で、倒れていた三人の身体がわずかに浮き、白金の光に癒されていく。
榊タケルが最初に目を覚ました。
「……あー……しくった! 負けちゃったかー……!」
悔しさと苦笑が混ざった表情で、彼は頭をかきながら身を起こす。続いて、マサキも顔を上げた。
「……んあ……なんか俺、すげーベトベトなんだけど。……どうやって負けたんだっけ?」
服のあちこちをぺたぺた触りながら、ぼんやりと辺りを見回す。
そして、最後に乾流星が瞳を開く。
彼だけは何も言わなかった。ただ、静かに、周囲を見回していた。
視線の先にあるのは、崩れた建物、焦げた地面、そして、戦っている他のクラスメイトたち。
彼の瞳には、どこか戸惑いと困惑、そして──痛みが浮かんでいた。
ブリジットはその様子を見て、思わず声を漏らす。
「そんなっ……!? 一瞬で、完璧に回復するなんて……!?」
彼女が受けた魔力の感覚でも、完全な蘇生と回復が一度に起こるなど、考えられなかった。
だが、現実に彼らは立ち上がっている。しかも、すぐに動ける状態で。
「形勢逆転、ってヤツ……?」
榊タケルがニヤリと笑い、立ち上がる。彼の隣で、マサキが大きく伸びをする。
「なんか流星ボーっとしてっけど……とりあえず、俺ら2人で、あのデカい狼やっちまおうぜ!」
タケルが言うなり、手にした鎖鉄球を頭上に構えた。
その動きは、まるでバレーボールのアタック。
全身の筋力とスキルを合わせた瞬間、鉄球が雷光と共に大気を震わせて放たれる!
「オラァアアッッ!!!」
唸りを上げて飛んでいく鉄球──
「加速っっ!! 合体技だッ!!」
マサキの手から放たれたスキルの光が、飛翔中の鉄球をさらに後押しする。
雷と火花が弾けた次の瞬間、マナガルムの胸元に直撃した。
「ぐあっッッ!!?」
轟音と共に、狼王の巨体が吹き飛ぶ。
その巨大な身体が地面を削り、岩を砕いて数メートル転がる。
「父上っ!!」
フレキの叫びが響き渡る。
焦りと怒り、そして恐怖を滲ませたその声に、流星の視線がわずかに動いた。
――けれど、彼はまだ言葉を発せなかった。
何かを噛み締めるように、ただ、強く肉球を握りしめていた。
◇◆◇
──静寂が、広場を支配していた。
ただ、血のにおいと、焼け焦げた魔力の残滓だけが、しつこく漂っていた。
その中心に、膝をつく二人の影があった。
マイネ・アグリッパと、その執事、ベルザリオン。どちらも満身創痍。
衣服は破れ、肌は煤け、血が滲んでいる。それでも、彼らの瞳だけは、まだ死んではいなかった。
「……なかなか、しぶといな。俺のスキル、魔族への特効もあるんだけどなぁ。」
そう低く吐き捨てたのは、佐川颯太。召喚された高校生の一人であり、神に選ばれし“勇者”。
彼は片手に持った片刃の剣を、ゆっくりと頭上へ掲げる。
「……“破邪七星剣”」
その呟きと同時に、夜空を翔けていた七つの光が、音もなく舞い降りる。
星々は螺旋を描きながらマイネとベルザリオンの頭上に集まり、やがて凶兆のような光を放ち始めた。
「俺らも、ダメ押しいっとくか?」
鎖鉄球を振り回す榊タケルが、気だるげに言う。
「……確実に、仕留めねぇとな」
拳銃を構えた五十嵐マサキが、静かに同意した。
その言葉に、誰よりも先に反応したのはブリジットだった。
「やめて……やめてよっ!!」
少女の叫びは、悲痛だった。胸の奥を搔き毟るような声。だが、それでも止まらない。
「マイネさんっ……!!」
目を潤ませながらブリジットが叫ぶ。
紫の魔力の鎖が、彼女をその場に縫い止めていた。
鬼塚は、目を閉じたまま腕を組み、ただ沈黙を守っている。
流星は、その異様な空気にたじろぎ、小さく声を漏らした。
「お……おい……?」
榊と五十嵐を見る。その目には戸惑いが浮かんでいた。
天野唯は、祈るように手を組み、佐川を見上げていた。
そして与田メグミは、表情一つ動かさず、無感情のままマイネたちを見下ろしている。
佐川の声が、空気を切り裂いた。
「これが、“勇者”の一撃だ。滅べ、魔王!!」
そして、最後の技が告げられる。
「“七虹光臨”……!!」
七つの星が、同時に爆ぜる。まるで夕空にかかる虹のように、七色の光線が螺旋を描きながら、マイネとベルザリオンの頭上に降り注ぐ。
死の光だった。逃れようのない、聖なる裁き。
マイネは、思った。
(これは……助からぬ……)
潔く、目を閉じた。
だが、その瞬間だった。
「……ベル?」
誰よりも近くにいた彼の体温が、突然、強く彼女を包んだ。
ベルザリオンが、マイネを抱き寄せたのだ。大きく、強く。まるで、砕ける運命をこの腕だけで拒もうとするかのように。
マイネの心に、熱が走る。
(……ベルッ!)
だが次の瞬間、二人の頭上に迫っていた七色の死光を──
「『動くな』。」
凛とした、鋼のような女性の声が、広場に響き渡った。
直後、榊タケルの振るっていた鎖鉄球が止まった。
五十嵐マサキの指が、トリガーから離れた。まるで凍りついたかのように、二人の動きが静止する。
続いて、男性のよく通る声が場に響く。
「“心花顕現”……」
「“相合傘”」
パァン、という乾いた音とともに、マイネとベルザリオンの前に一本の細いポールが出現した。
ポールの先から、傘が開く。
淡い光を放つそれは、まるで天上から降りてきたような、美しく、そして不思議な傘だった。
まるで恋人たちが身を寄せる相合傘のように、二人の真上に広がったそれが──
七色の光線を、全て弾いた。
「なにっ!?」
佐川が叫ぶ。
「……なんだ!?」
鬼塚が目を開ける。
視線の先にあったのは、夜空を舞い降りる二つの影。
ひとりは、黒いボディコンスーツに身を包んだ褐色肌の女──リュナ。
金茶の髪をなびかせ、背中の黒い翼をはばたかせながら、広場へとゆっくり舞い降りていく。
もうひとりは、どこか場違いなほど艶やかな男。
黒に赤のメッシュが入ったツーブロックの髪を靡かせ、赤茶のロングコートを肩に掛け、サングラスの奥から鋭い視線を落とす。
ヴァレン・グランツ──“色欲の魔王”。
リュナが、ブリジットに向かって手を振る。
「姉さーん! 無事っすかー!?」
その緩い声が、広場の緊張を破るように響いた。
ヴァレンは肩をすくめながら、片手で傘を消しつつ言った。
「おいおい……ちょっと席を外してた間に、とんでもないことになってるじゃあないの……」
そして、二人が地面に着地した瞬間、戦場の空気が──変わった。
「リュナちゃん!」「ヴァレンさんっ!」
ブリジットとフレキが鎖に巻かれたまま、歓喜の声を上げる。
戦況は再び、覆ろうとしていた。
書き溜めストックが無くなりました!ここからは仕事の合間に執筆していきますので、皆様の応援が非常に力になります!是非、応援のほど、よろしくお願い申し上げます!