第108話 炎の暴君と、活人の執事
焦げた鉄と石の匂いが漂う建設途中の広場。
空は茜色に染まり、吹き抜ける風が、焼けた大地に熱を孕んで唸っていた。
向かい合う二つの影。
一方は、紅蓮の炎を纏う大剣を肩に担いだ軍服の少年——乾流星。
もう一方は、黒の執事服に身を包み、鞘からわずかに銀刃を覗かせた長身の男——ベルザリオン。
「……俺の"火球乱舞"はさ、火炎を好き勝手に操れるスキルなんだよね」
流星はニヤリと笑い、炎のような瞳を細めた。
その手に握られた"気炎万丈"は、刀身そのものが燃え上がる魔炎の剣。
まるで炎を収束させて「剣」としての形に無理矢理保っているようだった。
「──主人公っぽくね?」
その瞬間、地面が抉れるほどの勢いで、流星の大剣がベルザリオン目掛けて横一文字に唸りを上げた。
ゴオオオッ──!
空気が焼け、立方体の建設資材が炎の余波で黒く焦げる。
だが。
ガキィィィィン──ッ!!
乾いた金属音が響いた。
ベルザリオンの手が、わずかに鞘から抜いた"真竜剣アポクリフィス"の刃が、その猛炎を真正面から受け止めていた。
「な──っ」
流星の目が見開かれる。
受けた剣ごと一撃で焼き切るはずだったその炎剣を、目の前の“執事”は微動だにせず受け止めた。
刃と刃がせめぎ合い、火花が弾ける中、ベルザリオンの冷ややかな双眸が、流星の剣筋を静かに観察していた。
(……剣の構え、間合いの取り方、振るい方……いずれも素人に毛が生えた程度──)
だが。
(──この剣速と威力……尋常ではない。身体能力自体が、規格外……!)
その原因は明白だった。
スキル"火球乱舞"の副次効果。
常に全身に熱と爆発的なエネルギーを流し続け、身体能力を強化し続ける。
ゆえに、流星の攻撃は荒々しくも、尋常ではない速度と破壊力を伴っていた。
「いやいやいや、マジで? 今の斬撃を、受けんの? 何なの、その剣……」
鍔迫り合いの体勢のまま、流星が信じられないといった顔で笑う。
「……ハンパねぇな、アンタ。剣技も、その剣も……まるで“物語のラスボス”って感じじゃん」
流星は一歩踏み込み、目を輝かせながら呟いた。
「じゃあ、これならどうだ? "焔大蛇"──!」
グッと大剣に力を込めた瞬間、炎の刀身が唸りを上げ、枝分かれするかのように左右に蛇のような形状へと変化した。
二匹の炎蛇が、赤黒い光を撒き散らしながらベルザリオンへと襲い掛かる!
炎が地を這い、軌道を予測させないくねりを描いて迫る。
しかしベルザリオンはわずかに目を細めると、執事服の裾を翻し、斬りかかってきた大剣を払って横へ跳んだ。
流れるような足取りで、広場の資材を踏み台に走る。
その身はまるで、迫り来る災厄の只中を舞う蝶のようだった。
「逃がさねぇよっ!!」
流星が飛ぶ。
回転を加えながら、空中からの剣撃がベルザリオンを襲う。
左右からは炎蛇。
上空からは炎剣。
三方同時に叩き潰すような圧殺のコンボ。
ベルザリオンの手が、鞘の柄に触れる。
「──"銀閃刃"。」
瞬間、銀閃が二条、空間を切り裂いた。
左へ一閃、右へ一閃。
炎の蛇が輪切りにされ、断末魔の如くに燃え尽きて、空気中に霧散する。
「はっ!? 炎を──斬った!?」
空中の流星が、驚愕の声を上げた。
剣を振り下ろしながら、目を見開いて叫ぶ。
「マジかよっ、何だよその剣、火を斬るとかアリかよッ!!」
ベルザリオンは表情を変えず、舞い上がった流星の大剣"気炎万丈"の振り下ろしを、正面から受け止める。
──ガキィンッッッ!!!
"真竜剣アポクリフィス"と"気炎万丈"が交差し、衝撃が地面を割った。
銀の閃光と紅蓮の爆炎が、鍔元でバチバチと火花を散らし続ける。
銀と紅、冷静と情熱──。
相反する力がぶつかり合い、二人の影がその場でせめぎ合っていた。
◇◆◇
炎と銀の鍔迫り合いが終わるや、流星は軽やかに跳ねて距離を取った。
「アンタ、やるねえ……!」
呼吸も荒らさず、笑みを浮かべたまま。戦場に立っているとは思えないほど、乾いた口調だった。
「アンタと同じ、“四天王”のひとり……さっきの戦法で、仕留めたんだけどなぁ。」
炎の刃を肩に担ぎ、得意げに片目を細める。
「なんか、ハトみたいなやつ。ピ……なんとか?」
その名を口にした瞬間、ベルザリオンのまなざしが僅かに鋭さを帯びた。
「……ピッジョーネ先輩を倒したのは、貴方でしたか」
かすかに目を細め、敵意ではなく“理解”の視線を流星に向ける。
流星は肩をすくめて、クスッと笑った。
「まあね〜。ちぃっとだけ、タケルとイガマサにも手伝ってもらったけどさ? あいつら、ああ見ててツエーんだぜ?」
気楽に語るその表情は、無邪気とも言える。だが、その手の大剣は着実に振るわれていた。
ブォンッッ──!
回転を加えながら、流星の剣撃がベルザリオンを襲う。
振るい方は荒削りだが、爆発的なスピードと制動を兼ね備えた一撃。
ベルザリオンはそれを全て、鋭く、精密に捌く。
剣先は無駄なく軌道を描き、銀の閃光が火花と共に散る。
刃と刃が交錯する中、ベルザリオンはわずかに視線をずらし、後方へと跳んだ。
そしてそのまま、背後の建設中のビルに向けて走り出す。
鉄骨の足場。未完成の階段。コンクリート状の柱。
まるで長年この街の構造を知り尽くしていたかのように、彼は迷いなく足場を選び、壁面を垂直に駆け上がった。
「おっとぉ……?」
流星がその背を見て、口角を上げる。
ベルザリオンは建物の中腹に到達した瞬間、壁を蹴って空中に跳躍。
宙を舞うように背中を翻し、まるで月の軌道を描くようなカーブを描いて──
「……っ!?」
流星の背後に飛び出す。
ギィィィィン──!!
銀の斬撃が火花となって背後から流星を襲う。
「っぶね!!」
流星は身体を半回転させるようにひねり、大剣で斬撃を受け流した。
その動作は、まるで即興のダンスのように柔らかく、しかも無駄がなかった。
ベルザリオンは僅かに目を見開き、そして低く呟いた。
「……今のを受けるとは。非凡なるセンス……としか、言いようがありませんね」
「──ふふっ、昔からね。何のスポーツやっても、すぐマスターしちゃうんだよ、俺って……」
流星は眼前のベルザリオンに、大剣をぶつけるように押し込んだ。
「──ねっ!!」
瞬間、力のこもった一撃がベルザリオンを宙へと吹き飛ばす。
だがその姿は、投げられた羽のように軽く、
彼はふわりと空中を舞うと、背中から落ちることなく着地した。
着地の瞬間、ベルザリオンはアポクリフィスを鞘へ戻し、執事服の前を軽く手で払った。
ポン、ポン、と。
まるで戦いの続きを促すように、余裕のある仕草。
その様子を見た流星が、不意に、じっとその顔を見つめる。
「……ん?」
眉をひそめ、疑問を抱えた目で彼を見つめ直す。
「……なんか、アンタの顔……見覚えあるんだよな〜……」
片手で自分のこめかみを軽く掻く。
明らかに“記憶の底”を探っている表情だった。
「前に……どっかで会ったっけ?」
ベルザリオンは一瞬、言葉を止める。そして淡々と返す。
「何を今更。ならば、先のスレヴェルドでの戦いで顔を合わせたのでしょう」
だが、流星は首をひねったまま、なおも違和感を拭えない様子だった。
「いや、違う……それよりちょい前に……もっとこう……直接じゃなく、"写真"で見た様な……どこだっけかなあ〜……」
ベルザリオンの眉がわずかに動いた。
(……何を言っている……?)
流星の言葉に、ただの勘違いではない“何か”を感じ取りかける。
だが――
(……彼は今、正常とは言い難い状態。話を聞くだけ、無駄か……)
そう結論づけると、ベルザリオンはその言葉を心中にしまい込んだ。
目の前の少年は、今は“敵”であり、同時に“操られた者”。
だがその奥底に確かに揺れる、“何かを思い出しかけている瞳”を、彼は見逃さなかった。
◇◆◇
乾いた足音が、崩れた石畳の上を滑る。
流星の足がふと止まり、その表情に笑みが浮かぶ。
「……"火球乱舞"、全開でいくぜ」
そして、さらに呟くように言葉を重ねた。
「"炎盤"──!」
その瞬間、彼の手に握られた"気炎万丈"が低く唸った。
大剣の刀身から、円形の火炎が螺旋を描いて伸びてゆく。
まるでノコギリのような形状をした回転炎弾──それは、うねりながら空気を裂き、轟音とともにベルザリオンへと放たれた。
熱波が大地を焼き、周囲の鉄骨が軋んだ音を立てる。
だが。
ベルザリオンは、表情を微塵も動かさなかった。
炎を受けることに対しての恐れも、驚きも無い。
むしろ、何かを試すかのように──
まっすぐに、迫り来る真紅の円盤へと向かって走り出した。
(……彼らは、マイネ様の地・スレヴェルドを襲った、憎むべき敵……)
思考と同時に、身体は動く。
ベルザリオンは剣をわずかに抜きながら、迫る円盤のうち、中央の一点を一閃に断つ。
そこを軸に、回転していた火炎は中心を失い、四方へと火花のように散る。
だが、それだけでは足りない。
切りきれなかった炎がなおも尾を引き、彼の足元を狙う。
ベルザリオンはすぐさま地を蹴り、回転しながら空中へ。
爆ぜる炎の間隙を縫って跳躍し、半月を描くように着地寸前──そのまま流星へと一気に肉薄した。
「うおっ!? 速すぎだろアンタッ!!」
流星が驚きの声を上げる。
ベルザリオンの刃が目前まで迫っていた。とっさに大剣を立てて受ける。
ガキィィィィッ!!
銀と紅の火花が飛び散り、再び鍔迫り合いの構図となる。
だがその中で、ベルザリオンの双眸は、流星の瞳を深く覗き込んでいた。
(……この眼差し……これは、“洗脳”などという生やさしいものではない……)
瞳の奥底に揺れているのは、明らかに本人の意思とは異なる“何か”。
思考を上書きされたわけでもなく、命令を刷り込まれたわけでもない。
もっと深く、もっと根源的に。
(──これは、“魂”を……)
流星の魂の中核に、何かが潜んでいる。
それはかつて、ベルザリオン自身をも蝕んだ“呪い”に酷似していた。
(……魂に入り込み、静かに包み込み、外からでは気づけないほど自然に染み込ませる……)
かつて彼が絶望の底で味わった、あの感覚と同じだった。
(……これは、“魂の呪縛”だ)
思わず、ベルザリオンの眉がわずかに歪んだ。
──だが。
(……それが何だというのだ)
次の瞬間には、その眉間の皺も、目元の緊張も、冷えた意志に飲まれていた。
(たとえ彼が哀れな操り人形だとしても、敵であることに変わりはない)
(マイネ様を害し、あの穏やかな国を焼いた者……)
(──ここで私が始末することに、何の迷いが必要か?)
瞳が細められた。
次の瞬間、ベルザリオンから濃密な“殺気”が放たれる。
鋭い槍のように流星へと向けられたそれに、空気そのものが震えた。
だが。
その瞬間だった。
どこからともなく、脳裏に蘇る声があった。
『今まで人を傷つけてきたと思ってるなら、これからその倍、人を助けていけばいいんじゃない?』
誰かの声。
いや、“彼”の声だった。
道三郎──否、アルド。
あの夜、角ばった家のキッチンで。
自らの罪を背負いきれず、泣き崩れ、剣を手放しかけていた自分に、彼はそう言った。
(……私は、あのお方に、救われた)
(一度は、殺意を持って剣を向けた、あのお方に。)
だからこそ、今の自分がある。
(そうだ、誓ったのだ。──これからの私は、誰かを“活かす”ために剣を振るうと)
ベルザリオンの目が、ふと和らぐ。
ほんのわずかに、呼吸が静かに変わった。
殺気が、霧のように消えていく。
そして、静かに──ベルザリオンは跳んだ。
バッと宙を舞い、流星と距離を取る。
片手で剣を鞘に収め、もう片方で制服の前を整える。
流星が、苛立ったように目を細めた。
「……今の、攻めるチャンスだったんじゃねえの? 余裕のつもりかよ、オイ」
だが、ベルザリオンの瞳は澄んでいた。
敵意でも、同情でもない。
ただ、“強さ”そのものがそこにあった。
「……私は、マイネ様……そして道三郎殿に救われ、今、ここに在る」
静かに語るその声には、揺るぎない決意が宿っていた。
「その恩義に報いるためにも……今度は、私が貴方を救って差し上げます」
そして、再び剣の柄に手を添える。
全ての迷いを捨てた、ただ一振りのための構え。
「哭け……真竜──」
その言葉とともに、空気がわずかに震えた。
それは、“誰かを倒すための剣”ではない。
“誰かを救うための剣”が、ここに生まれた瞬間だった。