第107話 アルドくんは、ずっとずっと──!
───遡る事、数日前。
夜風は穏やかで、どこか優しかった。
その夜のカクカクハウスの庭先には、静けさが満ちていた。
ブリジット・ノエリアは、ひとり月を見上げながら、瞑想の呼吸を整えていた。
その額からは、銀色のツノがふたつ──“真祖竜の加護”を宿した証が、そっと生えている。
ツノは短く、けれどどこか誇らしげに空を向いていた。
草の上に胡座をかき、両の手を膝に置いたまま、彼女はそっと目を閉じる。
心を静めるための時間。
けれどその瞳の奥には、静まらないものが確かにあった。
やがて──軋むような木のドアの音と、ゆるい足音が響く。
「遅くまで、お疲れ様」
静かな声がした。
ブリジットが目を開けて振り返ると、そこには──マグカップを両手で持ったアルドの姿があった。
月明かりが、彼の銀の髪をやわらかく照らす。
「アルドくん……!」
ブリジットは小さく驚き、それから照れくさそうに笑った。
「ありがと。……ちょっとだけ、ね。加護の感覚を掴んでおきたくて」
アルドはにこりと微笑むと、彼女の隣にそっと腰を下ろす。
二人の間に、ほんのわずか、風が通った。
「“真祖竜の加護”のコントロール修行、頑張ってるね」
「でもさ……どうしてまた急に、そんな一生懸命になり始めたの?」
アルドの問いかけは、優しくて。
だけど、確かに核心に触れていた。
ブリジットは、マグカップから立ち上る湯気を見つめたまま、少しだけ目線を落とした。
「……私ね、フォルティア荒野の領主になるから。責任、たくさんあるでしょ?」
ぽつりと、ブリジットは言った。
「だから、この“加護”も、ちゃんと使いこなせなきゃって思って……強くなりたくて……」
そこまで言って、ふっと苦笑を浮かべる。
「でも──いざとなったら、あたし……本当にこの力で、誰かを傷つけられるのかなって思っちゃって」
風が、草を揺らす。
「大切な人を守るためなら、って思っても……本当に“やる”瞬間になったら、きっと迷っちゃう気がして……」
そんな不安を口にした彼女に、アルドは、変わらず穏やかな顔で、笑って言った。
「いいじゃん。誰も傷つけられなくても」
「その方が、ブリジットちゃんらしいよ」
ブリジットは、ふと目を丸くする。
まさか、そう返されるとは思っていなかったのだろう。
「で、でも……領主なんだから、皆を守るために戦わなきゃいけない時だって、きっと来るよ?」
問い返すように言ったブリジットに、アルドは少し首を傾げて、考えるように「うーん」と唸った。
「……うん、それはそうかもね。確かに、戦わなきゃいけない時もあると思う」
そして、ぱっと顔を上げた。
「だったらさ──“相手を傷つけないように戦えば”いいんじゃない?」
あまりにも軽やかに言われたので、ブリジットは思わず吹き出しそうになる。
「えぇー!? 難しそう! そんなこと、あたしにできるかなぁ……?」
心からの疑問と笑いが混ざった声に、アルドは何かを思い出したように、ぽんっと手を叩いた。
「……そうだ!!」
急に立ち上がり、腰のマジックバッグをごそごそと漁り始める。
「そうそう、俺ね。前に同じこと考えたことがあって──“相手を傷つけずに制圧できる武器”を、錬金術で作ってみたんだよ!」
「えっ!? アルドくん、テイマーなのに錬金術まで使えるの!?」
ブリジットの純粋な驚きに、アルドの肩がビクンと跳ねた。
「えっ……いや、そ、そ、それはね!」
しどろもどろになりながら、必死に言い訳をひねり出す。
「ほ、ほら! 俺って小さい頃、"南部錬金幼稚園”に通ってたからさ! そこで、習ったの! 錬金術!」
「……あはっ」
嘘なのは明らかだったけど、ブリジットは追求せず、ただ笑った。
どこか、微笑ましさを感じるように。
「……あ、あった!」
アルドがバッグの底から取り出したのは──
赤と黄色の、大きなピコピコハンマーだった。
「わあっ、可愛いっ!」
思わず目を輝かせるブリジット。
「これって……武器、なの?」
アルドは照れくさそうに頷いた。
「本当は、俺が自分で使おうと思って作ったんだけど……なんか、思ったよりファンシーな見た目に仕上がっちゃってさ。似合わないかなーと思って使うの躊躇っちゃって!」
「でもね、作り終えたときに思ったんだよ。これ、俺より──ブリジットちゃんの方が、ずっと似合うなって」
それは、照れ隠しだったのかもしれない。
けれど、アルドの言葉はまっすぐで。
ブリジットは、胸の奥がぽっと熱くなるのを感じた。
「……それにね、ブリジットちゃん」
アルドは少し真剣な声で、言葉を続けた。
「俺の地元では、武器の“武”の字には、“戈を止める”って意味があるって、言われててさ。」
「つまり、武器ってのは“戦うため”の道具じゃなくて、“争いを止める”ための道具でもあるんだって」
夜風が止まる。
言葉が、月明かりに溶ける。
「だから、このハンマーも──
誰かを傷つけるためじゃなくて、争いを止めるための武器になればいいなって」
「……俺は、そう思ってるよ」
ブリジットは──何も言えなかった。
いや、言葉が出てこなかったのだ。
目の前の少年の、どこまでも優しくて、どこまでもまっすぐな笑顔に──胸が、いっぱいになって。
──この人に、もらったんだ。
この“力”を、託されたんだ。
そう思ったら、どんな不安も、ほんの少しだけ……消えていく気がした。
「……ありがと、アルドくん!」
月明かりに照らされた笑顔は、柔らかく、あたたかく。
それでいて、どこか──誓いのようでもあった。
アルドは照れくさそうに頭をかきながら、マグカップの縁を指でなぞる。
「でね、この武器に秘められた効果はね──」
説明するアルドの影が、ブリジットの影に寄り添う様に近づいていく──
異世界の大きな月だけが、2人を見守っていた。
───────────────────
沈む夕日の陽光が、未完成のマイクラ公園を照らしていた。
クレーターだらけの地面。歪んだ滑り台。四角いブロックの岩が転がるその中心で──
少女と少年が、再び向かい合っていた。
榊タケルは、いつものように鎖鉄球をぐるぐると振り回している。
その目にはまだ戦意が宿っていたが、先ほどまでの余裕はない。
それでも──彼は、勝利を信じていた。
対するは、ブリジット・ノエリア。
両手に握っていたのは──全長二メートル。赤と黄色で彩られた、巨大なピコピコハンマー。
その武器を、クルクルと軽やかに回転させたあと、彼女は“ドン”と地面に柄を突き立てた。
タケルの眉がピクリと跳ねる。
「……なにそれ?」
半笑いになりながら、彼は問う。
「でっけぇ……ピコピコハンマー?」
回転する鉄球が唸る。
「いやそれ、武器っていうか、オモチャじゃん……!」
口元にニヤつきを戻した彼は、鎖をぎゅっと握りしめた。
「そんなんで──俺の"衝撃増幅"を防ぐとか、無理くね!?」
次の瞬間、鉄球が地を砕く勢いで振り下ろされる。
しかし、ブリジットはほんの少しだけ身を沈め──
笑顔を浮かべながら、ハンマーに声をかけた。
「いくよっ……"ピコ次郎"!」
ブリジットが身を翻す。
そのまま、回転させたピコピコハンマーを、迫り来る鉄球に──真っ向から、叩き込んだ。
タケルは叫ぶ。
「そんなオモチャで、俺の鉄球は止められねぇよっ!!」
「"衝撃増幅"ッ!!」
鉄球に宿る、魔力の震え。
重さが、速度が、破壊力が、極限まで高まる。
地面に激突すれば──あたり一帯は更地になる。
だが、その衝撃が──ハンマーとぶつかった、その瞬間。
「──ピコッ!」
……間抜けな、玩具みたいな音が響いた。
直後。
タケルの鉄球は、力をすっかり抜かれたように、ぽとんと地面に落ちた。
「……えっ?」
タケルは目をぱちくりと瞬かせた。
ブリジットは一歩も動いていない。
ただ、ハンマーを肩に乗せて、涼しい顔で立っている。
「……も、もう一度だ!」
タケルは焦りを押し隠し、鉄球を引き戻すと、再び振るった。
今度はフェイント混じりの連撃。
斜め下から、上空から、回転軌道から。
鉄球が唸りを上げ、四方八方からブリジットを襲う。
だが──
「──ピコッ!」
「ピコッ!!」
「ピコォッッ!!」
そのたびに、ブリジットのハンマーが的確に鉄球をはたき落とす。
力強く。
だけど、柔らかく。
まるで“本当にただのオモチャ”のように、衝撃が抜けていく。
「な、何だよあのピコハン……!?」
タケルは内心で悲鳴を上げる。
(俺の"衝撃増幅"が……ぜんっぜん通じねぇ!? 衝撃が、完全に殺されてやがる!)
見た目はファンシー。
けれど中身は──“物理法則を無効化する謎のアイテム”。
「なんだよそのマジックアイテム!? ズリぃじゃん!!」
つい口から出た抗議に、ブリジットはくすっと笑った。
そして、愛おしそうにハンマーをクルクルと回しながら言う。
「これは……あたしの“大事な人”が預けてくれた、大切な“武器”だよっ!」
言葉に、誇りと、優しさと、ほんの少しの照れくささがにじむ。
でも──それが何より、彼女の“強さ”だった。
◇◆◇
ブリジットが巨大なピコハン、"ピコ次郎"を肩に担ぎながらそう言い切ったとき、榊タケルの表情がふと変わった。
まだ余裕の笑みを浮かべているようでいて──その奥には、わずかな焦りが滲んでいた。
「……へぇー、“大切な人”ねぇ」
タケルは鉄球をくるくると回しながら、わざと気の抜けた声で言った。
「それってさ──ひょっとして、ブリちゃんの“彼氏”?」
その言葉を聞いた瞬間。
ブリジットの頬が、ボッと赤くなった。
目が泳ぎ、肩がピクリと跳ねる。
「なっ……!?」
先程までの堂々とした彼女からは想像もできないほどの狼狽。
「あ、あたしとアルドくんは、ま、まだそんなんじゃ……!」
しどろもどろに口を動かす。
「ち、違うよっ!べ、べつにそーいうのじゃ……!」
(……おっ!?)
タケルの脳裏に、ぴかっと電球が灯った。
(マジか、図星!? こりゃ揺さぶれんじゃね……!?)
ニヤッと口元を吊り上げ、タケルはさらに畳み掛ける。
「えぇー!? 無いわー!」
大袈裟に肩をすくめる。
「彼女へのプレゼントにピコピコハンマーとか、センス無さ過ぎじゃね? っていうか、ネタアイテムかよ!」
ブリジットの手が、わずかに止まった。
ハンマーの回転が、ぴたりと止まる。
タケルの目が細まる。
(……動揺してる? チャンス!!)
「ブリちゃんさぁ、そんなダッセぇセンスの彼氏とは──」
鎖がビュンと鳴る。
「付き合い方、考え直した方がいいんじゃ──ないっ!!」
叫ぶと同時に、タケルは最大加速で鉄球を振り上げた。
"衝撃増幅"、発動。
バシィィィッッッッッ!!
衝撃が、空気を圧縮し、地を震わせる。
雷のような破壊力を持った鉄球が、バレーボールのアタックのごとく叩き込まれる。
その瞬間──
ブリジットの表情が、すっと変わった。
頬の赤みが静まり、代わりに、静かな怒りが宿る。
彼女の額に生えていた銀色のツノが、ピキピキッと音を立てながら伸びる。
さっきの倍近い長さ。細身の枝角のように、鋭く空を突いていた。
──ガシィッ!
鉄球が、止まった。
ブリジットの左手一本。
その手で、タケルの最大衝撃を秘めた鉄球を、完全に止めていた。
指が、鉄球にメリメリと食い込んでいる。
鎖を引くタケルの腕に、抵抗の手応えは一切ない。
引っ張っても引っ張っても、鉄球はびくともしない。
「え、えぇ……っ!?」
彼の目が見開かれる。
その視線の先で、ブリジットが──
キッ、と睨んだ。
その眼差しは、火を孕んでいた。
「……アルドくんは」
その声は、はっきりと響いた。
「貴方なんかよりも、ずっとずっと──!」
ブリジットはハンマーを構える。
「素敵な人、なんだからっ!!」
大地を砕くような踏み込み。
風が巻き、ツノが光る。
ブリジットは、振りかぶった。
2mの巨大なピコピコハンマー"ピコ次郎"──
全力の怒りと共に、それが振り下ろされた。
──ゴォォォォォオオッッッ!!
タケルの目に、その一撃が映る。
(あっ……これ、俺……死んだ──)
覚悟すらできぬまま。
「──ピコッッ!!」
間抜けな音が、空を割った。
直後。
タケルの体が、勢いよく地面に叩きつけられた。
── ビタァァーンッ!!!
「グェッ……!!」
まるでアニメのギャグ落ちのように、土煙をあげて。
鉄球は離れ、鎖はちぎれ、タケルは地面に貼り付いたように昏倒した。
顔を半分めり込ませたまま、ぴくりとも動かない。
ギリギリ骨は折れていない。
だが、それは──あのハンマーの“おかげ”だった。
ブリジットは、深く息を吐く。
怒りも、少しだけ冷めていた。
心の中で、そっと想う。
(……この"ピコ次郎"なら──)
(あたしが本気で振るっても、相手を"致命的に傷つけない"ギリギリまで、衝撃を吸収してくれる……)
(──本当に、ありがと。アルドくん)
ゆっくりと、彼女はハンマーを肩に担ぎ直す。
そして──気絶しているタケルを見下ろし、ぴしゃりと言い放った。
「……あたしのことはともかく──」
「アルドくんを悪く言うのは、許さないよっ!!」
そして、最後に──
「反省してねっ!!」
夕日に照らされながら、少女は胸を張って言った。
巨大なピコピコハンマーを抱いて。
まるで、それが──世界で一番、誇らしい武器であるかのように。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。夏が始まり、本業の方が少し忙しくなる時期になり、更新が今までより少し遅くなるかも知れません!皆様の感想や応援が執筆する上でのモチベーションになっております!今後も、応援のほど、よろしくお願い申し上げます!