第106話 ブリジットの秘密兵器
整地されかけた地面には、四角く削り取られた地層の断面が剥き出しになっている。
人工的なブロックの隙間からは、まだ崩しきれない自然の岩が顔を覗かせている。
未完成の公園には、滑り台らしき構造物が一つ。登る部分も滑る部分も階段状で、結局どこからも滑れないという、意味不明なモノリスと化している。
空は茜色に染まり、木々の影を長く伸ばしている。
カクカクシティ中央広場から少し離れたその空間に、二つの人影が向かい合っていた。
榊タケルは、頭上でバレーボールほどの鎖付き鉄球をぐるんぐるんと振り回していた。
肩幅に足を開き、ゆるく体を揺らしながら。
黒いロン毛が風にふわりと靡くたび、その目に浮かぶ笑みはどこか、ヒトのそれとは違っていた。
目つきが……おかしい。笑っているはずなのに、目の奥が、全く笑っていなかった。
「ブリちゃんさー、邪魔しないでくんない?」
軽い口調。だが、鉄球の回転は本気だ。風切り音がビュンビュンと空気を裂いている。
「俺らのターゲットは、あの魔王のマイネちゃんだけなんだからさー。キミのことは傷つけたくないんだよねー、オレ!」
その“オレ”という響きも、どこか空っぽだった。
向かい合う少女──ブリジット・ノエリアは、手を腰に置いたまま、真っ直ぐにタケルを睨んでいた。
ふわりとした三つ編みの金髪に、陽光を反射する紅い石と銀の髪飾り。上品さと気の強さを併せ持つ彼女の瞳が、微かに揺れる。
「……ごめんねっ。でも、あたしはマイネさんのこと、守ってあげるって約束したから!」
まっすぐな声。少し震えてはいたが、その芯は揺らいでいなかった。
タケルは「そっかー」と軽く肩を竦め、にやりと口元を吊り上げた。
「……それじゃー、残念だけど」
振り回す鉄球の軌道が、突然グネッと不自然に歪んだ。
そのまま、巨大な鎖鉄球が唸りを上げて振り下ろされる。
「ブリちゃんには──ちょっと寝ててもらおっか……なっ!!」
重々しい一撃。空気ごと叩き潰すような殺意が、ブリジットを飲み込もうとしていた。
だが彼女は、その瞬間、深く息を吸い込み──静かに吐いた。
スキル、"真祖竜の加護" 発動。
彼女の額から、二本の銀のツノがちょびっとだけ生える。ツヤツヤとしていて、どこか愛らしさすら感じるそのツノには、けれど確かな“力”が宿っていた。
「──っ!」
ブリジットは地を蹴り、鋭く横へ跳ぶ。
直後──
ズドォォォンッ!!!
鉄球が地面に着弾し、爆音とともに大きなクレーターを刻む。
「”衝撃増幅”!!」
タケルの声が炸裂し、そのスキル名とともに、地面の破壊がさらに拡大する。
飛び散る土、跳ね上がる岩塊。ブリジットは巻き上がる砂塵の中で、小さく目を見開いた。
「な、何なの、この威力っ!?」
タケルはふわりとジャンプした。
黒髪のロン毛がふわりと浮かび、影が陽光に映る。
そして──
「驚くのはまだ早いぜ〜?」
地面に刺さっていた鉄球が、不自然なバウンドを見せる。
まるでゴムの塊のように、明らかに物理法則を逸脱した挙動で、タケルの真上へと跳ね上がった。
「”衝撃跳弾“ッ!!」
タケルが腕を振り抜く。
まるでバレーボールのアタックのようなフォームで、跳ね返ってきた鉄球を──スパイク。
──バシィッッ!!
再び、ブリジットの方角へ一直線に飛んでいく。
(跳ね返った鉄球が、正確に手元に戻って……!?)
ブリジットは驚愕するも、咄嗟に地を蹴った。
「……でも、見えてるよっ!!」
彼女はくるりと身を沈め──
「えいやぁーーっ!!」
ドゴォォッ!!
跳び込むように右手を地面につき、回転レシーブのような体勢で鉄球をはたき上げた!
ぐん、と空高く跳ね上がる鉄球。
「うおおっ!? ブリちゃん、パワーと反応、ハンパ無いね!」
タケルは驚愕しつつも、にやりと唇を歪めた。
「ウチの部のリベロに欲しいわ〜!」
ひゅん、と鎖を引く。
鉄球は再びタケルの手元へと戻っていった。
金属のきしむ音が、乾いた風に交じって、響いていた。
◇◆◇
鉄球が、唸る。
鎖を引き戻しながら、タケルは軽く肩を回すと、ぶん、と鉄球を再び頭上で回転させた。
その姿はまるで──鉄球付きハリケーン。
「俺のスキル、"衝撃増幅"はさぁ〜」
タケルは楽しげに言った。
「衝撃の大きさも、向きも、ぜーんぶコントロールできちゃうんだよね〜。つまり!」
カッと目を見開き、鉄球を再び地面に叩きつける。
「どんな方向からでも、攻撃が自由に跳ね返ってくるってワケっ!」
ドンッ! ガオンッ! グシャッ!
地面が、何度も何度もえぐられる。
跳ね返る鉄球。飛び散る瓦礫。舞い上がる砂塵。
マイクラ風の四角い土ブロックが、現実的な爆風とともに吹き飛んでいく。
地面に跳ねた鉄球が,不自然な軌道でブリジットへ目掛けて襲いくる。
その破壊の中心に、華奢な体躯の少女がいた。
──けれど、倒れない。
──怯まない。
ブリジットは、身を沈め、地を蹴り、舞い、回避し、あるいは鉄球の直撃を──真正面から受け止めていた。
ドゴォンッ!!
「うわっ……!」
不規則に跳ねた鉄球が、少女の背中に当たる。だが、彼女は膝もつかず、ただ僅かに眉をしかめるだけ。
「……っつ……」
軽く息をつき、土煙を払いながら立ち上がる。
(……やっぱり。今のでも──“痛い”だけで済んでる……)
ブリジットは己の体に宿る、銀の加護の力を実感する。
(ゴムボールをぶつけられるような……鈍い衝撃。けど、ダメージってほどじゃない)
タケルの方は──
(……ん?)
首を傾げていた。
(え? 今の、当たってたよね?)
次の瞬間、彼の目に映ったのは──
クレーターの真ん中に、ほこりまみれで仁王立ちしているブリジットの姿。
無傷。
(……ブリちゃん、なんか……全然効いてなくね……?)
笑顔の裏で、じわじわと汗が滲んでくる。
「……さ、さーて、まだまだいくよ〜!」
タケルは強がるように叫ぶと、再び鉄球を回し、振り下ろし、そしてスパイク。
何発もの鉄球が、空間を切り裂く。
だが──
(……これなら、掻い潜れる!)
ブリジットは見切った。
高く跳ね、鋭く伏せ、そして回り込む。
流れるような動きで、飛び回る鉄球の軌道を読み切り──
一気に駆けた。
──榊タケルの懐へ。
「えいやっ!!」
拳を突き出す。
速度はタケルの反応速度を超えていた。
「うおっ!? 速っ!? マジかよ!?」
タケルが慌てて後ずさろうとした、その刹那──
ブリジットの脳裏に、過去の光景がフラッシュバックする。
──"色欲の魔王"ヴァレン・グランツとの修行。
照れ隠しに、つい引っ叩いてしまったあの時。
──打ち込まれた釘のように地面にめり込み、ほこりまみれで震えていた魔王の言葉。
『──俺とリュナと相棒以外にやったら……たぶんその人、死ぬから……気をつけて、マジで……』
(……ダメッ!!)
ブリジットは、寸前で拳を止めた。
ほんの数センチ。鼻先すれすれで止まる拳。
風圧だけがタケルの顔を撫でた。
「……へぇ?」
タケルはその拳を、まじまじと見つめた。
そして──
「優しいねぇ〜、ブリちゃん」
にやりと笑う。
「でもさ〜。戦いの中で、その優しさは──マズいんじゃねーの?」
その瞬間だった。
──ガンッ!!
音が鳴ったのは、ブリジットの後頭部。
回避しきれず、背後でバウンドしていた鉄球が──不規則な軌道で飛び上がり、彼女の頭に直撃した。
「いたあっ!!?」
鈍い音とともに、ブリジットの頭が小さく跳ねる。
そのまま、しゃがみこんで後頭部を両手でさすさす。
「うぅ……びっくりしたぁ……」
しばらく固まるタケル。
そして──額に汗をにじませながら、ぽつりと漏らした。
「……いや、ブリちゃん、頑丈過ぎっしょ……」
二人の間に、なんとも言えない空気が流れた。
荒れ果てた公園の中心で。
クレーターだらけの大地と、マ◯クラ滑り台が虚しく見下ろす中で──
戦いは、まだ続いていた。
◇◆◇
爆風の中で、ブリジットの金髪が舞う。
ひゅん、と鉄球がかすめる。地を砕き、岩を弾き、木っ端微塵にするはずのそれを──彼女は、ひらりとかわした。
別の鉄球が背後から襲いかかる。振り返ることなく、ブリジットは腰を落とし、肩でそれを受け流すようにいなす。
けれど、その目には……迷いがあった。
(……たぶん。あたしの“真祖竜の加護”なら、この人──榊タケルくんを倒すことは、難しくない)
──事実、そうだった。
打たれても痛みだけで済み、致命傷は受けない。戦い続けられる。
力も速度も、今の自分ならタケルより上。
(でも……)
ブリジットの眉が曇る。
(今のあたしのコントロールじゃ……力加減を間違えて、死なせちゃうかもしれない……)
跳弾をかわしながら、彼女はぐっと歯を食いしばった。
(マイネさんが言ってた……この人たちは、“操られてるだけ”かもしれないって)
(……もしそうなら、本当は……話が通じる人たちかもしれない……)
鉄球が迫る。彼女は低く身を沈め、それを地面ギリギリで滑らせて回避する。
(殺すわけには……いかない!)
そう心に決めたとき。
──ふと、胸の奥が、締めつけられた。
(……毒無効のスキルしか授からなかったあたしは、ずっと──)
(“強力なスキル”に、憧れてた)
憧れだった。誰にも負けない力。特別な存在になれる力。きっと、家族にも認めてもらえる力。
真祖竜の加護を授かった今なら、それを手に入れたはずだった。
でも──
(強大なスキルを振るうのに、こんなに……“覚悟”が要るだなんて……)
その重みに、今さら気づかされる。
(……あたしは、誰かを傷つける覚悟が、できてなかった……)
(こんなことで……フォルティア荒野を治める“領主”なんて……)
苦い風が、彼女の頬を撫でていった。
体は動ける。けれど、心は足踏みをしている。
(本当に……務まるのかな……)
その瞬間だった。
──アルドの顔が、ふっと脳裏に浮かんだ。
優しく笑い、どこか不思議そうに自分を見つめる少年。
そうだ。あのときの、あの言葉。
確かに彼は、言ってくれた。
ブリジットが心の中に作っていた“枷”のようなものが──
記憶ひとつで、すうっと消えていく。
目を開く。
迷いは、もう──なかった。
「……ふふっ」
微笑んだブリジットの目が、タケルを見据える。
そして、そっと手を上げた。
耳の上──金髪の中に埋もれるように着けられた髪飾りに、指が触れる。
赤い宝石をあしらった、銀の細工。
それは、アルドからの贈り物。
彼の想いがこもった、たったひとつの“装備”。
ブリジットはそこに、魔力を流し込む。
キィン……と、空気が震えるような音が走った。
「……あなたのスキル、本当に強力だね」
唐突なブリジットの言葉に、鉄球を振っていたタケルが一瞬だけ手を止める。
「正直、あたし……びっくりしちゃったよ」
風に髪をなびかせながら、彼女はやわらかく笑った。
「……だから」
その声には、もう迷いがない。
「あたしも、“武器”を使わせてもらうね!」
ピクッと、タケルの手元が強張る。
「……ふうん? 武器?」
警戒心を隠さず、ぐるんと鉄球を回し直す。
その瞬間。
ブリジットの髪飾りが──眩い赤の光を放った。
光は渦を巻き、空間がひずむ。
ピシッ、ピシピシピシ……と、まるで空気にヒビが入ったかのような音。
次の瞬間。
「──ボウン!」
間抜けな効果音とともに、空中に現れたのは──
ド派手な赤と黄色の巨大ハンマー。
全長、二メートル。
頭頂部には「POW!」と書かれた吹き出し模様。
どこからどう見ても『巨大ピコピコハンマー』だった。
だが、その存在感は圧倒的だった。
空中でくるくると回転し、ブリジットの頭上に向かって落ちてくる。
彼女は、それを自然な動きでパシッとキャッチした。
振り下ろしたその構えに、タケルの目が釘付けになる。
……いや、違う。
武器に、ではなく。
その武器を手にしてもなお、あくまでまっすぐな瞳でこちらを見据える──
ブリジットという“人間”に、だった。
「……じゃあ」
ハンマーを肩に担ぎ、ブリジットは笑った。
「ちょっとだけ──反撃、しちゃうからねっ!」