第104話 フレキ vs. イガマサ、開戦 ──加速度操作の脅威──
乾いた銃声が空を裂いた。
「っ……く!」
フレキは地面を蹴る。弾丸がマイネの頭部を正確に狙いながら空中を唸り飛ぶ、その軌道に、自らの身体を割って入れるように滑り込むと——
「——"王狼連爪撃"!!」
シュバァッ!!
小さな肉球のついた前足がシャカシャカと虚空を斬り払うと、爪から放たれた金色の斬撃線が空間に煌めき、射出された弾丸たちを正確に弾き飛ばした。
だが、その間にも宙を舞うサーフボードが、陽光を反射してくるくると宙返りを決める。
その上に立つのは、弾けるような笑みを浮かべた少年——五十嵐マサキ。
「チッ、ガードか。まあまあ反応いいじゃん?」
彼は腰を落とし、ボードを波乗りのように傾けながら旋回すると、軽やかに空中でホバリング。
「マイネさん! 10時の方向の建物に逃げ込んでくださいっ!」
フレキの声が飛ぶ。
マイネが視線を向けると、そこにはまるでブロックで組んだような奇妙な建物があった。
四角く、カクカクした灰色の外壁に、明るいオレンジと緑の看板。見慣れぬが、どこか近代的な“気配”を放っている。
「すまぬ……!」
マイネは裾を翻し、コンビニ風のその建物に飛び込んだ。ドアがウィンと自動で開閉し、直後に閉ざされる。
「へぇ……建物なんかに逃げ込んでも、意味ねーよ!」
イガマサの声が、空から軽やかに響く。
拳銃を構えた彼が、空中からマイネの避難先——マイクラ風コンビニへと、4発の弾丸をドドドドン!と連続で撃ち込んだ。
だが——
弾丸は空中で、一瞬、止まったように見えた。
フレキが眉をひそめる。
「……止まった?」
その疑問をなぞるように、イガマサが呟く。
「——"加速度充填"。……溜めて〜……っと。」
そして、
「発射!!」
次の瞬間だった。
音が、遅れてきた。
キィンッ!!
空を裂き、超高初速の弾丸が——拳銃とは思えない速さで、マイクラ建築の外壁を撃ち抜く!
コンビニの四角い壁が、一気に抉れるように爆ぜた。
ドガァン! ドドドン! ——チュドドドド!!!
「なっ……!?」
フレキが目を見開く。
「何故……あんな小さな銃で……っ!? 弾速が普通じゃない……!」
粉塵の中、ビリビリと波紋のように空気が震えていた。
着弾地点である建物を中心に、派手に砂埃が舞い上がり、視界を塞ぐ。
建物の中で身をかばっていたマイネは、唇を噛んだ。
一方、空の上。
イガマサは、余裕の笑みを浮かべ、構えた拳銃の銃口をフッと吹いた。
「……西条と久賀の、対物ライフルには負けるけどさ。俺は“一人で”それに近いことは出来んだよね」
くいっと首を傾け、得意気に続ける。
「何せ俺は、クラスに4人しかいなかった——“S級スキル持ち”のひとり、だからなっ!」
その声に、フレキは思わず唇を噛んだ。
S級スキル。
乾流星、榊タケル、五十嵐マサキ、一条雷人——
最前線で最も戦闘向きとされたスキル保持者の中でも、際立った遠距離戦能力と機動力を兼ね備えた“五十嵐マサキ”の異能。
(得体の知れないスキル……強敵ですっ……!)
不安が一瞬、心を揺らす。
だが——
フレキは踏みとどまった。
彼の背後には、命を預けてくれた“魔王”がいる。
彼の心には、かつて一度は袂を分った“父”から託された意思がある。
ならば、自分はこの場に立つ牙であると——そう、決めたのだ。
「……それでも、ボクは、退きません!」
「ボクは……ブリジットさんと共に、このフォルティア荒野を治める──」
「──フェンリル族の、王だからっ!」
咆哮とともに、小さな体が再び跳ね上がる。
爪に宿した一条の黄金の光が、風を切り裂き、獣の矜持を空に刻みつけた。
◇◆◇
爆煙がゆるやかに晴れていく。
砂混じりの風が吹き抜ける中、イガマサは宙に浮かぶサーフボードの上から目を細めた。
「……は?」
彼の目に映ったのは、まるで何事もなかったかのように無傷のまま建っているマイクラ風コンビニ——アルドが建設した、“現代風の商店”だった。
「うえっ!? 無傷!?」
イガマサが素っ頓狂な声を上げる。
「大型の魔獣も一撃で仕留める、俺の"加速度充填ショット"だぞ!? え、どゆこと……!?」
その顔には本気の驚きが滲んでいたが、すぐに気を取り直すと、軽く頭をかくような仕草で首を傾げる。
「……あっれー。スキルレベル、結構上がったはずなんだけどなぁ。まだ火力足りないのかな?」
その呟きに、建物の前に立っていたフレキの眉がぴくりと動く。
(……あの建物を作ったのは、アルドさん……。建材に込められた魔力密度が段違いですからね……! あそこにいる限り、マイネさんは無事ですっ!)
彼の胸の内に安堵が広がった、その瞬間——
「な、何事だー!? 敵襲かー!?」
「フレキ様!? これは一体……!?」
高い足音と共に、ボルゾイ型の細身フェンリルと、小柄なチワワ型フェンリルの2体が広場に駆け込んでくる。
その姿を目にしたイガマサの顔がパッと明るくなった。
「あっ、いいじゃん。ちょうど手頃なモンスター発見!」
言うが早いか、彼は浮かんだまま拳銃を構え——
「"加速度充填——ショット!!」
弾丸が銃口を離れ、空気を裂いて放たれる。
「っ……!!」
フレキが叫ぶより速く、空に向かって吠えた。
「ワンッ!!」
それはただの鳴き声ではなかった。
魔力を帯びた音波が渦を巻き、空間を震わせ、迫り来る高速弾を軌道ごと弾き飛ばす。
弾丸はキィンという金属音と共に、無害な方向へ逸れて地面に突き刺さった。
「おぉ〜、また外れかよ」
イガマサが苦笑混じりに呟く。
「フレキくん、そんなこともできんの? ミニチュアダックス顔なのに……侮れねーなぁ」
「……なぜ……なぜ彼らを狙ったんですかっ……!?」
フレキの声には、これまでにない怒気が滲んでいた。
イガマサはその怒りに気づく様子もなく、あっけらかんとした表情で肩をすくめた。
「え、いやだってさ。俺らのスキルってさ、魔物倒して経験値稼ぐとどんどんレベル上がるって仕様っぽくて」
「……経験、値……?」
「そ。俺の"加速度操作"は今、レベル7。もうちょっとで8に届きそうだからさ〜……。もっと火力上げたいじゃん?」
その言葉に、フレキは絶句した。
その目に宿るのは純粋な怒りではない。
あまりに無邪気で、あまりに無神経なその“言葉の軽さ”に、恐怖にも似た絶望が重なる。
「そんな……そんな理由で……彼らを……!」
怒りで震える声。
「そんな理由で、ボクの仲間を撃ったんですかっ……!?」
イガマサの表情は無垢そのものだった。虚ろな瞳の奥に、感情の色はほとんど見えない。
「……だってそうすれば、俺はもっと強くなれるんだぜ?」
それは、フラム・クレイドルの“洗脳”によってゆがめられた思考の果て。
正義でも、悪意でもない——ただ、壊れていく論理。
フレキは、ぐっと拳を握りしめた。
目の前の少年は、本質的には、敵ではないのかも知れない。
だが、守るべきものを撃った。ならば、自分がやらねばならない。
「……五十嵐マサキさん」
フレキは、静かに告げる。
「あなたを止めます。どんな理由があろうとも——これ以上、誰も傷つけさせはしません……っ!」
◇◆◇
イガマサの狙撃を受けても、ボルゾイとチワワのフェンリルは、一歩も引かなかった。
「我ら“わんわん開拓団”に牙を剥くとは、愚かなりっ!!」
「あれが敵かっ!! 行くぞっ!」
二匹は息を合わせて、魔力を集中させる。
大地が震え、石が浮かび上がる。
ボルゾイ型の魔法——岩石弾が大気を裂いて飛び出した。
同時に、チワワ型は口元に氷結の魔力を纏わせ——氷槍が空を貫いた。
──シュドドドドドッッ!!
だが。
「"加速度反転"」
イガマサが呟いた瞬間、岩石弾と氷槍の軌跡が崩れた。
放たれたはずのそれらが、空中で速度を失い、まるで鉛直に投げ上げられた球のように空にとどまり……次の瞬間、高速で逆戻りする。
──シュドドドドドッッ!!
「キャイン!!」
「きゃっふん!!」
二匹は慌てて跳び退る。辛うじて回避するも、地面には大きな衝撃音が残った。
イガマサは、空を波乗りしながら笑う。
「俺に遠距離攻撃は効かないんだよねぇ〜!」
フレキはすかさず叫ぶ。
「二人とも! 一旦引いてっ! この相手は特殊すぎるっ!」
だが、イガマサは楽しげに言い返した。
「いや、逃がすわけにはいかねーんだわ」
再びハンドガンが火を噴く。
"加速度操作"のスキルで加速された弾丸は、まるで光のビームのように収束しながら撃ち出される。今度は連射。
「くっ……!!」
フレキは吠える。
吠え、吠え、吠える。
音波魔法を連続で展開し、弾丸を叩き落とし続ける。
振動の波紋が、空間を揺らす。
(このままじゃ……! 二人を守りながらだと、神獣化を発動する隙も、反撃する余裕もないっ……!!)
焦りの中でも、フレキは声を上げ続けた。
「下がってっ!! 今は……っ、今は耐える時だっ!!」
サーフボードの上で、マサキは一人、笑っていた。
「よーし……経験値、もっと稼がせてもらうぜ……?」
無垢な悪意と、洗脳された欲望のままに。
——戦場の空は、まだ青く、残酷だった。
◇◆◇
──甲高い銃声が、また一つ空を裂いた。
鋭く突き抜けるような音と共に、閃く銀の弾丸が、チワワ型フェンリルのアイフル(※名前)に向かって真っ直ぐに迫る。
「くっ……!」
フレキは、ミニチュアダックスサイズの小さな体で、二匹の仲間の間を縫うように飛び回っていた。
だが、その瞬間だけは、わずかに動きが遅れた。
(しまった……!? 間に合わないっ!)
視界の端で、アイフルの小さな体が固まり、目前に迫る死の軌跡に気づいていない。
(どうする……!? アイフル……っ!!)
焦りが、喉の奥で鋭く膨れ上がる。
足が、叫びのように地を蹴る。
魔力が膨れ上がり、声にならない咆哮が喉奥で唸る。
だが——
「……っ!?」
弾丸が、突如として灰色の“雲”に呑まれた。
まるで厚く濁った霧が、空中に一瞬で湧き出たかのようだった。
銃弾は、その不思議な雲の中で一瞬バウンドするように止まり、やがて霧の奥へと消えた。
「なっ……?」
イガマサが、空中のサーフボードの上で呆気にとられる。
「今の……俺の弾丸が……防がれた……!?」
視線を跳ね上げたフレキの目に映ったのは、──巨大な銀狼。
マイクラ風コンビニの屋根の上、8メートルはあろうかという威風堂々たる狼が、堂々と四肢を広げて立っていた。
全身の毛並みは星明かりのように淡く輝く銀、爛々と光る双眸が空をにらむ。
「……父上っ……!」
思わず漏れた声に、銀狼が顔を向ける。
マナガルム——それはフレキの父であり、かつてフェンリルの王と呼ばれた存在。
(あの……灰色の雲……今の防御……父上に、あんなスキルはなかったはず……!?)
思考が追いつかないまま、マナガルムは吠えるように叫んだ。
「何をしておる、フレキ!」
その声は重く、威厳に満ちていた。
「我の跡を継ぎ、フェンリルの新たな時代を築く王たる者が……その程度の相手に手こずるとは、面目が立たんぞ!!」
フレキは、グッと唇を噛みしめるようにして言葉を呑み込む。
「アイフルとゲキヤセ(※名前)のことは我に任せよ。お主は、その敵を撃ち倒すことに全力を尽くすがよい!」
屋根の上で、マナガルムは唸るように鼻を鳴らし、フレキの背にいる小さな2匹へと眼差しを向ける。
その視線は、まるで確かな防壁であるかのように、安心感を与えるものだった。
空中で滑空を続けるイガマサは、その光景を目にして、小さく目を見開いた。
「……な、何だよ……あの、デカすぎる狼……っ!? サイズおかしくね?」
だが、マナガルムは微動だにせず、むしろ不敵な笑みさえ浮かべていた。
「案ずるな。貴様の相手は……偉大なる我が息子、フレキが務める!」
その宣言に、フレキの目が見開かれ、そしてすぐに決意が宿る。
「……任せてください、父上っ!」
短く一言を返すと、フレキは地を蹴って跳び上がる。
その小さな体から、眩いほどの金色のオーラが、電撃のように四方へ迸った。
金光は四肢を包み、尾の先まで煌々と照らす。小さくとも、そこにあるのは確かに“王の風格”。
フレキは四足の構えを取り、鋭く空を睨む。
その視線の先には、宙を踊るサーファーのような青年——イガマサの姿があった。