第103話 歪められた正義——三対三、交差する火花──
カクカクシティ中央広場。
建設途中の足場と未整備の地面が混在し、所々に立方体のブロック状の資材の山が無造作に積まれている。
だがその中心に、緊張とは異質な“陽気な笑い”が響く。
「……よく考えたらさ、俺らこの世界の人間じゃねぇし? 法律とか関係なくね?」
乾流星がそう言って肩を竦めた。
火属性の魔力が無意識に掌に灯る。
少年の目は、理性をなぞったような曖昧な光を湛えていた。
「だよなー。それ、フラムさんも言ってたし。こっちの法とかマジでどーでもいいって」
榊タケルが続ける。
鎖鉄球を腰から外しながら、ふざけたような調子で笑うその顔に、どこか不気味な影が宿っていた。
「それにさ、さっきの流星の一撃で——気づいたろ? アイツらも。……ほら、あの三人」
五十嵐マサキが空を仰ぎ、どこか遠くを見つめながら呟く。
“あの三人”——だが、その視線の先には何もない。ただ、意味深なその言葉に、誰もが無意識に空気を呑み込んだ。
「アイツらが来る前に、魔王倒して手柄ゲットしよーぜ? 俺たちの帰還ルート、確保するチャンスじゃん」
何がそんなに楽しいのか、三人の表情には緊張も迷いもなかった。ただ、薄く笑っていた。
その様子を、与田メグミは少し離れた位置から黙って見ていた。
目元に影が落ち、表情は読み取れない。だが、その瞳だけは三人の背中に鋭く注がれている。
——まるで、見届ける者のように。
「……さっきまで、話が通じてたのに……っ」
小さく呟いたのはフレキだった。
前足をすっと滑らせるようにして前に出る。黄金の被毛が逆立ち、尾がピンと張り詰める。
耳は伏せられ、警戒と戸惑いがないまぜの視線で、三人を睨みつけた。
「どうして、急に雰囲気が……っ!?」
ブリジットもまた、マイネの前に一歩進み出る。
両腕を半身に構え、まるで何かを庇うような体勢。
真祖竜の血を宿す身体から、ほんのわずかに銀光が滲み出していた。
無意識の魔力反応だ。敵意に反応して、身体が戦闘態勢に入っている。
「……スレヴェルドでの戦いでも、そうでした」
静かに口を開いたのは、ベルザリオン。
普段よりもやや低く、慎重な口調。彼はそっと、腰に差した長剣の柄に手をかけた。
「こいつらは……話が通じるかと思えば、突然掌を返すように攻撃してきまし
た。まるで、何かに——操られているような」
その言葉に、マイネの眉がぴくりと動く。
(確かに……この様子、ただの気まぐれではない……)
魔王である彼女の目にさえ、三人の態度は不可解に映っていた。
つい数分前までは、自らの過ちを悔い、目を伏せていた少年たちが、今は、軽いノリで殺意すら含んだ目を向けている。しかも、それが揃いも揃って。
(こやつらの行動……合点がいかぬ部分が多すぎる。……もしや、これは——)
そう考えかけた瞬間、背後で資材の山が小さく崩れる音が響いた。
風が吹いた。
不穏な空気が、街の中心を静かに満たしていく。
◇◆◇
乾いた風が広場を吹き抜けた。
不意に変わった空気の流れを背に感じながら、マイネは声を張り上げた。
「気をつけよ、お主たち! 今のやり取りを見るに……こやつら、ベルゼリアに“首輪”を付けられておるやも知れぬ!」
その声は警告というより、もはや確信に近かった。
どこか苦々しげな顔で、マイネは歯噛みする。
「で、あれば——話し合いによる解決は、望み薄じゃ!」
凛とした魔王の声に、ブリジットが思わず振り返る。
「マイネさん!? それって……どういう——」
——その瞬間だった。
ガキィィン!!
耳を裂くような金属音が響き渡った。
反射的に視線を戻す。
ブリジットの目に映ったのは、紅蓮の焔を纏った巨大な刃。それが、振りかぶられた直後だったと、彼女は気づく。
自分と、すぐ隣のマイネへ——炎の大剣が振り下ろされていた。
それを受け止めたのは、銀の光を帯びた剣。
ベルザリオンが、二人の前に立ちはだかっていた。
「……女性に対して一方的に剣を向けるのは……」
額に汗を浮かべ、剣と剣の鍔を強く押し返しながら、ベルザリオンは声を絞り出す。
「いただけませんね……っ!」
「うわー、惜しいなー。あとちょっとだったのに」
炎の大剣の持ち主、乾流星が軽く舌打ちして笑った。
瞳はどこか焦点が定まらず、それでいて、底の見えない悪意が垣間見える。
「いやー、俺だって可愛い子は斬りたくねぇよ? でもさ、しょうがねぇじゃん。フラムさんに“やれ”って言われてるし?」
ニヤリと、口元が歪む。
「唸れ……“気炎万丈”」
そう呟いた次の瞬間——
流星の大剣が、赤黒い火焔を纏って渦巻き始めた。
剣と剣が拮抗した鍔迫り合いの形のまま、灼熱の風圧が広場中を吹き抜け、地面がみしみしと軋む。
「っ……ベルザリオンさん!下がって!」
フレキがそう叫んだと同時に、ベルザリオンとともに身を翻す。
二人は跳躍するようにして後方へ飛び退いた。背後では、爆ぜるような火花が迸り、炎の渦がその場を包み込む。
「マイネさん、ごめん!」
次の瞬間、ブリジットが叫ぶ。
両手でマイネの身体を強く引き寄せ、そのまま、お姫様抱っこの姿勢で宙へ跳んだ。
地を蹴り、石畳を砕きながら大きく後方へ飛び退く。
激しい爆風がその足元を焼いたが、少女の跳躍は炎をかすめるようにして逃れた。
「お、お主、思った以上にパワフルじゃな……っ!」
揺れる視界の中で、マイネは驚いたようにブリジットの顔を見る。
そのとき——
額から、光が漏れていた。
「……!」
銀の角が、ふたつ。
音もなく、静かに——だが確かに、ブリジットの額から生えていた。
輝きは、清らかで、まるで月光のようだった。
その異変に気づいたマイネは、唇を噛みながらも、目を見開いたまま呟く。
(……なんじゃ、この力は………!? 我ら大罪魔王にも匹敵する、深淵なる魔力……!?)
だがその表情には、怯えでも畏れでもなく——確かな信頼の色があった。
眼下の地面が炎で灼ける。
かすかに煙が立ち上るなか、銀角の少女は、なおもマイネを抱えたまま、踏みとどまっていた。
戦いは、もはや避けられない。
けれど、彼女たちの眼差しには、確かな覚悟が宿っていた。
◇◆◇
建設中の中央広場に、緊張と熱気が立ちこめていた。
乾流星が、まるでゲームイベントにでも参加しているかのように、楽しげな声で叫んだ。
「タケル!! イガマサ!! やるぜ!!」
その顔には焦りも迷いもなかった。
ハイテンションな笑みを浮かべたまま、炎の大剣を片手に振りかざしている。
「与田ちゃんは安全なとこまで下がって……って、もういねぇ!? え、早ッ!?」
振り返った流星の視界には、与田メグミの姿はなかった。
すでにどこかへ身を隠したらしい。
戦場の緊張とは裏腹に、その行動の速さには一瞬だけシュールな空気が漂った。
「……ま、いっか。どっちにしろ、俺らがやるしかねぇし!」
「オッケーィ……!」
榊タケルが、気の抜けたような口調で呼応した。
手には、バレーボール大の鉄球。
鎖を通じて繋がったその武器を、彼はすでに肩の上でぶん回し始めていた。
まるで無邪気な子供のように。
「可愛い女の子と戦うのはしのびねぇが……ブリちゃん、ゴメンな! 俺たちが帰るためには仕方ねぇんだわ!」
ブリジットはわずかに目を見開いた。
だがその背後で、さらに空気が変わる。
「悪ぃな、フレキくん。」
と、イガマサ──五十嵐マサキが軽く手を挙げて笑いかける。
背中に背負っていたサーフボードを地面に降ろすと、ヒョイとその上に乗った。
「やっぱ俺ら、戦わなきゃならねーっぽいわ。……“加速度操作”」
声と同時に、サーフボードがふわりと浮いた。
「そ、そんなっ……!」
フレキの瞳が揺れた。先ほどまで、確かに話ができていた。理性的なやり取りが出来ていたはずなのに……。
何かが、彼らを変えてしまった。
それは目に見えない、けれど確かに感じ取れる”歪み”だった。
「……恐らく、こやつらはベルゼリアの連中から、何らかの魔術的な”縛り”を受けておる……」
マイネが呟くように言った。
「……いや、“呪い”と言う方が近いかも知れん。要するに、ベルゼリアに”首輪”を付けられて、従順な”飼い犬”に仕立て上げられておるのじゃろう。本人に、その自覚は無いかも知れぬがな」
「首輪……」
フレキが、足元の地面を見つめたまま呟いた。
「そんなっ……! 首輪を付けられて、飼い犬同然の扱いを受けているだなんてっ……! なんて酷いことをっ……!」
その瞳に、怒りの光が宿る。
ギュッと握られた前足の肉球。チリン、と。首輪のチャームが怒りに呼応して小さく鳴った。
「…………,」
ベルザリオンが、ちらりと彼に視線を向けた。
その目は何かを言いたげだったが、しかし言葉にはしなかった。
喉元まで出かけたツッコミを、執事はそっと飲み込んだ。
今は、そういう空気ではないと察して。
「来るよっ……!」
ブリジットが息を呑む。
迫り来るのは、ベルゼリアからの刺客の若者三人組。そこにあるのは明らかな”敵意”だった。
そして、それが誰かの”意志”に操られているものであると、誰もが薄々気づき始めていた。
◇◆◇
戦場に風が吹いた。
砂埃が、建設途中の広場にうっすらと舞い上がる。
「んじゃ、剣士同士ってことで──俺の相手は、四天王くんかな?」
乾流星が、肩に担いだ炎の大剣をスッと下ろし、ベルザリオンへと向ける。
軽口のように聞こえるその言葉とは裏腹に、彼の目には確かな緊張感が宿っていた。
──敵だ。
そう理解している。
だが、それでも挑むのだ。
それが”剣士”としての誇りなのだろう。
向かい合うベルザリオンは、無言だった。
ゆっくりと左手で柄に手をかけ、右足を半歩引く。
重心が地を噛み、風がぴたりと止まる。
居合い──抜く構え。
その体勢だけで、ただの執事ではないと誰の目にもわかる。
「……っ、ベルザリオンさん、気をつけてくださいっ!」
フレキが叫んだが、二人の間には、すでに誰も入れない”間合い”が形成されていた。
「んじゃ、俺が魔王ちゃんを仕留めちゃうぜ〜?」
その緊張を打ち砕くように、タケルの能天気な声が響く。
鎖を握りしめたまま、バレーボール大の鉄球をヒョイと真上に放り投げる。
それはまるで、試合開始のトスのようだった。
「“衝撃増幅”ッ!!」
叫ぶと同時に、彼は跳び上がった。
そして——
落下してくる鉄球に、完璧なバレーボールのスパイクフォームで、アタックを叩き込んだ!
──バギィンッ!!!!
衝撃音が空気を裂き、鉄球は鋼の塊とは思えない速度で、一直線にマイネへと飛翔する!
「マイネ様っ!!」
「させないよっ!!」
叫んだのはブリジットだった。
とっさにマイネの前に飛び出し、両腕を前へ突き出す。
まるでドッジボールのキャッチのように、飛来する鉄球を真正面から受け止めた。
ゴガァンッ!!!!
空気が震え、地面が悲鳴を上げる。
だが──止まらない。
「……っ!? なに、これ……!?」
鉄球を掴んだまま、ブリジットの脚が地を滑る。
(……衝撃が……止まらない……!?)
鉄球は掴まれているというのに、どんどん加速しているかのようだった。
押し寄せる力が増幅されていく。
受け止めた瞬間が頂点ではなく、今が始まりという異常な感覚。
「ぐっ……!」
足場が砕け、ブリジットの身体が後方へズザザザザッと滑っていく。
彼女はなんとか姿勢を崩さず、マイネの方向から逸らす様に鉄球を握りしめたまま、後方の植え込みへと突っ込んでいく。
そこまでが、ほんの数秒だった。
「うおっ!? ブリちゃん、見た目によらずすげー力!?」
タケルが驚いたように叫びながら、鉄球に繋がっている鎖を必死で掴む。
だが当然、鎖はピンと張り、タケルもろとも勢いに引きずられていく。
「悪りぃ、二人とも!」
吹き飛ばされながら、タケルは叫んだ。
「ブリちゃんの相手は、俺がいただく事になるっぽいわ!」
全身で地面を擦られながら、草むらの奥へズサァーーーッと滑っていく彼の背中に、イガマサが思わず苦笑いを浮かべた。
「……いや、アレ大丈夫か……?」
その場に残されたのは、マイネ、フレキ、そして緊迫する流星とベルザリオン。
戦場の空気が、静かに変わっていく。
「ちぇーっ、なんだよー、俺もブリジットさんの相手が良かったなぁ〜!」
空中から響く呑気な声。
その主、五十嵐マサキ──イガマサは、足元に浮かぶサーフボードの上で、手をひらひら振っていた。
重力加速度を完全に無視したようなその姿勢は、まるで午後の波乗り気分。
だが、その目だけは笑っていなかった。
「……ま、そういう事ならさ。
──俺が“おいしいとこ”いただいちゃいますか」
イガマサは空中でくるりとサーフボードを反転させながら、片手で銃を抜いた。
小口径の黒鉄色の拳銃。
それはまるで玩具のように見えるが、彼の指先が軽くトリガーに触れた瞬間、空気がピリッと張り詰める。
「“弾丸加速”」
彼が小さく呟いたと同時に、銃口が火を吹いた。
──パパパンッ!
乾いた音と共に、数発の弾丸が炸裂する。
目で追えない。空気が裂けるような鋭さと速度で、飛翔する弾丸たちは一直線に──
マイネ・アグリッパを貫かんと迫る。
「マイネ様!!」
ベルザリオンが叫ぶ。
だが彼は、今まさに乾流星の大剣と対峙している最中で、動けない。
マイネは、ほんの一瞬、虚を突かれたような表情で目を見開き、すぐに奥歯を噛みしめて目を閉じた。
(しまった……!)
彼女の時間が止まる──かに思えた、瞬間。
「“王狼連爪撃”!!」
甲高い声が、真上から降ってきた。
マイネの頭上を、小さな影が飛び越える。
それは──
「フレキ殿……!?」
空中に跳び上がった小さなミニチュアダックス型のフェンリル王──フレキが、宙に浮かびながら、前足をシャカシャカと素早く動かす。
前足が振るわれるたびに、空中に黄金の斬撃線が浮かび上がっていく。
空に描かれた細く鋭い幾何学的な線──まるで魔法陣のようなそれらが、イガマサの放った高速弾に次々と直撃し、弾を軌道ごと切り裂いていく。
──バギィン! バギィンッ!
空中で小さく破裂音が連なり、すべての弾丸が塵と消えた。
フレキはくるりと宙返りしながら、優雅にマイネの前へと着地する。
そして一言。
「……残念です。話し合いで解決したかったのですが」
──姿は、完全にミニチュアダックスのままで。
「……え?」
その場にいた全員が、少しだけ反応に困った空気に包まれる。
イガマサは、サーフボードの上で肩をすくめて笑った。
「……ひょっとして、俺の相手はミニチュアダックスくん、的な感じ?」
声は軽い。しかし、その表情は引きつっていた。
──小型犬に、スキルで加速した銃弾をすべて撃ち落とされるという、現実離れした状況を前に、さすがの五十嵐マサキも笑うしかない。
だが。
ここにて、完全に“構図”が決まった。
砂煙の向こう、ブリジットと榊タケルはすでに遠方で睨み合っている。
ベルザリオンは、流星の大剣に動きを封じられたまま、無言で静かにその刃を握る。
そして──
マイネを背に庇うフレキと、空中からその様子を見下ろすイガマサ。
三対三。
それぞれの因縁が交錯し、戦場に熱が満ちていく。
もう、止まらない。
この戦いは──避けられない。