第102話 陽キャ高校生、小型犬にマジ説教される。
まだ建設の途中にある広場。木材と資材が積まれたその中心で、二つの陣営が向かい合っていた。
片や、戦場帰りのような疲労と怒気を纏う少女、ブリジット・ノエリア。
その傍らには、赤紫のハーネスを身につけた色欲の魔王マイネ・アグリッパと、黒髪の執事ベルザリオン。
そして、前足をぴしりと揃えたミニチュアダックスフンド……もとい、フェンリル族の若き王フレキがいた。
対するは、茶髪オールバックの陽キャ代表・乾流星。
黒髪ロン毛&ノースリーブ軍服、腰には鎖付きの鉄球という謎スタイルの榊タケル。
背に“とんでもなく分厚い盾”……に見せかけたサーフボードを担ぐ五十嵐マサキ。
そして、その三人から一歩引いて沈黙を保つ、地味系美少女与田メグミ。
怒りに頬を染めたブリジットが、声を張り上げる。
「……ちょっと、あなた達っ!」
広場の空気がピリ、と張り詰めた。
「街中で、いきなりあんな危ないスキルを使うなんて……ダメなんだから!」
ピシィッと指を突きつけるブリジット。
真っ直ぐな目が、まるで教師のように四人を射抜いていた。
だが、それを真に受けるような面子ではない。
「おっ?」
流星が面白そうに口角を上げる。
「やっぱ人間じゃん、あの美少女ちゃん。ほらな、タケル! 俺の勘、当たってたって!」
ひょいと片手を上げ、ひらひらと手を振る。
「どうも〜! おれ、乾流星! ヨロシクぅ〜!」
「ちょ、流星! お前だけ自己紹介してズリィだろ!」
隣で声を上げたタケルが、前に出ながら胸に手を当てる。
「俺、榊タケル〜! よろしくね〜! ついでに言うと、こう見えて結構モテます!」
「俺も俺も!」
さらにマサキが手を挙げる。やけに明るい声が響いた。
「五十嵐マサキでーす! イガマサって呼ばれてまーす! 趣味はサーフィン! これはボードっす!」
背中の巨大な板をバンバン叩いてアピールする。明らかに合コンの自己紹介合戦の様相を呈してきた。
そんな彼らの勢いに呑まれ……いや、むしろノリで返したくなったのか、ブリジットはむっとした表情のまま名乗り返す。
「……あたしは、ブリジット・ノエリア! 以後よろしくっ!」
ぺこりと頭を下げたかと思えば、すぐにぴしっと顔を上げて、再び怒りの視線を向けた。
「……じゃなくて! あなた達、なんでマイネさんにいきなり攻撃したりしたのっ!? 危ないでしょっ!」
声のボリュームが上がる。広場の空気が再びビリつく。
流星は鼻で息を吐くと、右手の人差し指をふいにマイネへと向けた。
「あのねぇ、ブリちゃん。キミは知らないかも知れないけどさぁ……」
「……その女の正体は、実は魔王なんだぜ!?」
ビシィッと決めポーズまでつけた。
それを聞いたブリジットの目がすこし見開かれたが、その驚きはほんの数秒だけだった。
そして、ハッキリとした口調で──。
「知ってるよ、そんなこと!!」
「え、えぇーーーーーっ!?」
三人の男たちが、綺麗に揃って叫んだ。声が響いて、工事中の木材が少しガタつく。
……その横で、与田メグミだけがシラーッとした目で彼らを見ていた。
まるで「バカな男子たちがまた騒いでる」くらいの視線。口は閉じたまま、わずかに息を吐いた気配すらある。
一方、矢面に立っていたマイネは、ブリジットの言葉に一瞬ぽかんとした顔を浮かべたが、すぐにふっと微笑む。
その笑顔は、誤解を解かれた安堵と、受け入れられた喜びがほんのり滲む、少しだけ……人間らしいものだった。
そして、彼女の隣でマイネを守るように立つ漆黒の騎士、ベルザリオンは、静かに剣の柄に手を添えたまま、構えに似た姿勢を崩さず。
その口元に──確かに、うっすらと笑みが浮かんでいた。
◇◆◇
陽光が差し込む建設途中の広場は、緊張の空気に包まれていた。
異なる世界から集った八人の視線が交錯するなか、先に沈黙を破ったのは、背中に巨大な楯のようなサーフボードを背負った、五十嵐マサキだった。
「いやいや!おかしいじゃん!」
マサキは眉をひそめ、ブリジットを指差す。
「ブリジットさん、魔王だって知ってて、そいつ庇ってんの!?」
「そーだよ!」
黒髪ロングをなびかせながら、軍服姿の榊タケルが続く。ノースリーブの制服の袖口から覗く腕に、異様なほど力がこもっていた。
「そいつ、可愛い女の子みたいな見た目してっけど、魔物の王なんしょ?やっつけないとダメっしょ! フラムさんもそう言ってたし!」
タケルが真顔で断言すると、ブリジットはぎゅっと拳を握った。
「違う……!マイネさんは……そんな簡単に断じていい存在じゃない!」
その声を、軽やかな口笛が遮る。
「そーそー、俺らは魔王退治を依頼された“勇者”ってわけ!」
陽気な調子で言いながら、茶髪オールバックの乾流星が一歩前に出る。
白い歯をきらりと光らせ、ブリジットに向けてウィンク。
「分かったら、ホラ!危ないから、ちょっとどいててくれない?キミみたいな可愛いコを傷つけたくないからさ!」
その軽薄な言葉に、マイネが一瞬、眉を寄せた。
「……勝手なことを……」
その呟きは誰にも届かず、イガマサがにやにやと笑いながら口を開いた。
「いや、だってさ〜、そいつ、人間じゃねーわけじゃん? “魔族”ってやつでしょ?」
彼は両手を広げるようにして、あっけらかんと続けた。
「ってことは、人権とか無いっしょ? やっつけるのが、むしろ世の中のためなんじゃねーの?」
「そ、そんな乱暴な理屈……!」
ブリジットの顔が青ざめ、震える声が零れる。
彼女の隣で、執事服の男——ベルザリオンが剣の柄にそっと手をかけ、沈黙のまま鋭い視線を向けた。
広場の空気が、確かに張り詰めていく。
——だが、その沈黙を破ったのは、意外な存在だった。
「……ちょっと待ってください!」
ぴしり、と乾いた音が響くように、明瞭な声が空気を割った。
ブリジットたちの背後から、ちょこんと飛び出すミニチュアダックスサイズの小型獣。
というか、ミニチュアダックスフンドそのもの。
輝くの毛並みと、琥珀色の瞳を持つその獣は、くるりと一回転すると、流星たちを前足でピシィッと指差すような格好になった。
「それは、大きな間違いですっ!」
明瞭な発音、誇り高き響き。まるで熟練の弁護士のような調子で言い放たれたその言葉に——
「………………」
数秒の沈黙。
そして。
「ミニチュアダックスフンドが喋った!!??」
流星、タケル、イガマサ、そして与田メグミまでもが、口をぽかんと開けて叫んだ。
全員の視線が、一斉にフレキに集中する。
フレキは堂々と胸を張り、真剣な眼差しで彼らを見返していた。
まるで言っている。
——偏見と無知は、放ってはおけないのだと。
◇◆◇
「……今、あなた方は“魔族には人権がない”と仰いましたね?」
広場に、涼やかで明瞭な声が響いた。
発したのは——地面の上、ちょこんと座った小型犬。ぴかぴかの毛並み、くりくりした琥珀色の瞳、愛くるしい体格。
——ただし、その表情は明らかに憤っていた。
真剣そのものの眼差しを向けながら、彼はゆっくりと前足を上げて、演説家のように振りかざした。
「それは大きな間違いですっ!」
流星、タケル、マサキ、与田——四人の高校生は、なぜか揃ってぴしっと背筋を正した。
「まず確認させてください。“魔族”とは、決して『人類の敵』を意味する言葉ではありません! 本来この言葉は、『高い魔力を有し、一般的な生態系から逸脱した存在全般』を指す分類学的用語に過ぎませんっ!」
——その抑揚は明確だった。強くなりすぎず、だが一言一句に力を込めて、聞く者を飲み込んでいく。
「もちろん、その強大な力をもって、人間に害をなす存在が多かったのも事実でしょう。ですがそれは、“人間”という種の中にも、犯罪者や戦争屋がいるように——魔族全体の本質を表すものではないのですっ!」
ぱたん、と尻尾が地面を叩く。その音が、沈黙の中にぴたりと吸い込まれる。
流星たちは、口を開くこともできず、じっと犬……いや、フレキの説教に耳を傾けていた。
「さて。王国歴1973年、エルディナ王国において開催された五国間首脳会談にて——『ルセリア条約』が締結されたのは、ご存知かと存じます」
フレキは言い切る。広場の誰よりも高い知性と責任感を帯びて。
「い、いや〜……存じて無いっす……」
流星の小声のツッコミを聞いてか聞かずか、フレキは言葉を続ける。
「その第六項、明確に定められています。『対話可能な知的魔族に対して、一方的な攻撃を仕掛けることは禁ずる』と! これは、国際法における“対等な主権存在”として、魔族が認められた証左なのですっ!」
タケルの唇がひくつく。
「そ……そーなの……?」
「そうなのです。ですので、あなた方の今の行動は——ルセリア条約に抵触する可能性が非常に高いと、ボクは指摘します!」
ピシィッと前足で地面を叩きながら、フレキが鋭く言い放つ。
「無自覚とはいえ、他国領内において無抵抗の魔族へ敵意を持って暴力を振るうということは——国家間紛争の火種となり得る重大な外交問題なのですっ! 一個人の善意(※知らなかったという事)では済まされませんっ!」
ずしん……と、まるで罪悪感が物理的な重みを伴って落ちてきたような気がした。
流星たちは無言で、ピシッとした姿勢のまま聞き続けていた。
「……は、はい……」
「……なるほどぉ……」
「……知らなかった、では許されないって事……ですよね……」
そして——
四人は、じりじりとブリジット達から距離を取り、そっと輪を作る。
こそこそ。
「……このミニチュアダックスくん、おりこう過ぎね?」
「いや、“おりこう”とかいうレベルじゃねーだろ。……俺らより余裕で頭いいんじゃね、これ。」
「てか、普通に喋ってるし……何、こっちの世界じゃ犬が弁護士やんの?」
「……私たち……"国際法に違反してる"って言われましたよね……?」
「……えっ、これ……訴えられる流れなんかな……?」
「ミニチュアダックスフンドに……?」
「……と、とにかく……このダックスくんと、ちゃんとお話した方が良くないですか? ……明らかに、私たちよりこの世界の法律詳しいみたいですし……」
頷く四人。顔にじっとり浮かんだ冷や汗を拭いながら、まるで職員室で怒られた中学生のような面持ちで、ぺこりとフレキに頭を下げた。
「お話を……お聞かせいただきありがとうございます……」
◇◆◇
「だ、だけどさ、ダックスくん。」
乾流星が、気まずそうに眉を下げながら口を開いた。その口調には、戸惑いと、どこか申し訳なさの滲む気配がある。
だが——
「フレキです。」
即座に返ってきたのは、穏やかだが凛とした声音だった。
流星の言葉を最後まで聞く前に、フレキは小さな体をぴしりと立て直し、前足を軽く折って頭を下げる。
「自己紹介が遅くなり、申し訳ありません。」
「……あ、こ、これはご丁寧に……」
毒気を抜かれた流星は、思わずペコリと頭を下げ返した。横から見ていた与田ちゃんが「人間が犬に頭下げた」と呟いたのを、イガマサが肘で止める。
「乾流星さん……でしたね。何でしょうか。伺います。」
改まった口調と、まるで人間のような整った言葉選び。何よりも、キリッと引き締まったその表情。
だがその顔は、紛れもなく……あの可愛らしい、ミニチュアダックスそのものである。
「あ、あー……うん。えっと、俺ら、けっこう遠くから来ててさ。ベルゼリア帝国ってとこなんだけど……そこの偉い人から言われてんだよ。ほら、『魔王は人類の敵だから倒すべし』って。だから……それが“この世界の人類のため”なんじゃないかって……」
どこか頼りない声でそう言った流星に、フレキは一拍置いて——そして、語り出した。
「……確かに、“大罪魔王”と呼ばれる七柱の魔王には、人類にとって危険な存在もいます。」
場の空気が、静かに引き締まる。
「しかし!」
ビシィッ!
前足が、鋭く指し示した。
「“ルセリア条約第十五項”にはこう記されています!
《冒険者、並びに各国に属する兵士、魔導士による大罪魔王に対しての戦闘行為は、自国領内及び魔王領内のみ可能とする。他国領内における戦闘行為は、魔王からの攻撃に対する反撃を起点とする場合のみ可能とする》……とっ!!」
その場にいた全員が、息を呑んだ。
愛玩用の小動物が、まるで国会答弁のように明確かつ正確な条文を朗読しているという、衝撃的な光景に。
「貴方は先程、自分たちはベルゼリアから来たと仰いました。そしてここは、エルディナ王国直轄の新ノエリア領。つまり、貴方がたにとっては"他国領内"に該当しますっ」
「つまり!先ほどの攻撃行為は、明らかに第十五項に反するんですっ!」
またもビシィと指し示され、流星たちの顔が一斉に引き攣る。
「お、おい……どうする?」
「これ、このワンちゃんの言うことの方が正しいっぽくね……?」
「……フラムさん、大丈夫だって言ってたのに……国際法とか知らなかったのでしょうか……?」
「え、俺らこのままだと、訴えられる……?ダックスくんに?」
小声でコソコソ話す高校生たちの背後で、ぽかんとした表情のブリジットが、じっとフレキを見つめていた。
その視線に気づいたフレキは、ふっと振り返る。
「ボクも……勉強してるんですっ!」
胸を張るように、ぴょんと地面を蹴って前へ。
「フェンリル族の、新たな王として!
この世界に恥ずかしくない存在になりたくて、毎日毎日、必死に勉強したんですっ!」
誇らしげにハッハッと小さく息を弾ませるフレキ。その姿に、ブリジットはふわりと——
「……あはっ!」
思わず、笑った。
そのあたたかい笑顔は、まるで弟の成長を見守る姉のようだった。
マイネはその様子を見て、薄く唇を歪める。
「やはりこの子犬……只者ではなかったのう。」
その横で、ベルザリオンも深く頷く。
「フレキ殿……貴方は、立派な王です。」
その言葉に、フレキの尻尾が控えめにぴこぴこと揺れる。
そして。
「……このミニチュアダックスちゃん……フェンリルの王様……なんだ……」
与田ちゃんが小声で呟いた。
その声には、尊敬と畏怖と、ほんの少しの混乱が、入り混じっていた。
“王”の風格を持つ子犬の演説により、四人の異世界高校生勇者の意識は、覆されつつあった。
◇◆◇
フレキの言葉に、流星たちは言葉を失っていた。
その場しのぎの自己正当化は、条文と論理の前に崩れ去り、四人は互いに顔を見合わせる。
(……あれ? もしかして、俺たち……間違ってる?)
そんな疑念が、胸の奥にぽつりと芽生えかけた、まさにそのとき——
──《騙されてはダメ。それは君達を惑わす、魔物の言葉よ》
頭の奥底から、柔らかくも否応なく沁み込んでくる“声”が、脳髄をくすぐるように響いた。
それは女神の囁きのようで、母のように優しく、そして、恐ろしく冷たい。
──《強欲の魔王を倒し、更に咆哮竜ザグリュナの魂を門に捧げる。それこそが、君達が元の世界へと戻る唯一の手段》
タケルの瞳から色が抜け落ちる。イガマサの指が、無意識に大楯の柄を握りしめる。与田の視線が宙を彷徨い、口元が虚ろに開いた。
──《……さあ、戦いなさい》
流星がぽつりと呟く。
「……そーだよ。敵は、倒さなきゃ……」
それは、意思ではなかった。
ただ“流し込まれた命令”に従うだけの、機械のような声だった。
フレキが、小さな鼻をヒクつかせた。
ブリジットが、息を飲んだ。
──空気が、また変わった。
冷たく、どこか、ぞっとするような違和感と共に。
「……っ、これは……!」
フレキの声に緊張が走る。
誰かが気づくよりも早く、四人の“戦闘準備”は、無意識のまま整えられていく。
その先にあるのは——
戦いか、破滅か。
小さな沈黙が、広場に落ちた。