第100話 置き去りハトと、半透明男子
フォルティア荒野の地下。
人工的に作られた巨大なトンネルの壁に、ライン状に走る光がほの白く揺れている。
岩と鉄の臭いが漂う中、俺たちは、目の前の“何か”を見下ろしていた。
その“何か”──つまり、顔が完全に鳩なのに、身体はパリッとしたタキシードをまとった、
明らかに“人型”の存在が、地面に大の字で気絶していた。
しかも、そのタキシード。
グェルくんの必殺技、“王狼崩拳撃”を真正面から食らったせいで、もはやボロ雑巾。
左袖は吹っ飛び、胸元にはグェルの拳の痕跡がくっきりとへこんでいる。
こんなもん、普通の人間なら即死案件だね。
なのに、こいつはピクリとも動かず、かといって死んでる気配もない。
「……いや、どーすんの、この鳥人……。置いてかれてるじゃん。」
俺はため息まじりに呟いた。
気絶した手持ちモンスターは、きちんとセンターに連れてって回復してあげて欲しいよね。トレーナーとして!
「う、うーん……」
俺の左にいるグェルくんが、しわしわの思案顔。
5メートル級の巨体を縮こまらせるようにして、気絶中のハト人間を見つめている。
敵とはいえ、本気で拳を交えた相手だ。何か思うところもあるのかも知れない。
「……持って帰って、カレーの具にしちゃう!ってのはどうですか~?」
右側から、ポメちゃんの明るすぎる声が飛んできた。
このテンションで何という恐ろしい発想。
「ウチ、アルドさんのチキンカレー、大好きです~!」
「いや、首から下、人間じゃん、これ。」
俺は冷静にツッコむ。
「鳩肉カレー」ならギリいけるかもしれないが、これだと“鳩人カレー”だ。
それはもう倫理というか、作品のジャンルが違う。
「あと、喋れる魔物はカレーの具にはしないことにしてるの!俺は!」
「えーっ、そこ基準なんですね~!」
「そりゃそうでしょ! 喋る相手にスパイスぶち込むの、罪悪感えぐいから!」
グェルくんはというと、ハトを見つめながらふたたび呟いた。
「……こいつ、自分のことを“魔王軍四天王”って言ってました……」
「四天王?」
俺が顔をしかめると、グェルくんは頷き、さらに続けた。
「それに、こいつも、さっきの人間の女の子のスキルで……操られてるみたいでした……!」
その言葉で、脳内の引き出しがカチャ、と開いた。
(あー、そういえば前に来たよね、カクカクハウスに。あの、老け顔で黒ずくめで、泣いてカレー食って若返って、また泣いて帰ってった彼……)
彼の名前は、ベルザリオンくんだ。
で、あの元オジサン風イケメンの彼も、確か“魔王軍四天王”だったらしい。
俺は気絶中のハトと、記憶の中のベルザリオンくんを並べてみる。
そして、静かにゾッとする。
(……えっ、ひょっとして、このハト、ベルザリオンくんの“同僚”なの?)
(……そりゃ、同僚がこんなのばっかの職場にいたら、ストレスで老けるわ……)
オフィスの隣の席で、キーボードを叩くハト面の同僚。
想像しただけで、SAN値がゴリゴリ削られていく。
ベルザリオンくん、苦労してたんだね。
「……とりあえず、ここに置いてくわけにもいかないし、一旦カクカクハウスに持って帰ろうか。」
俺が言うと、ポルメレフがキラキラした目で頷く。
「さすがアルドさん! ハトさんもきっと助かります~!」
ポメちゃん、"ハトさん"って呼ぶんだね。
ついさっき、カレーの具にしようとしてた相手を。
まあ、それはともかくとして。
「魔王四天王だって言うなら、ヴァレンが何か知ってるかもしれないしね。」
名前を出した途端、グェルくんがハッハッハッと嬉しそうに頷く。
「確かに!ヴァレン様なら、何か知ってるかもしれませんねッ!物知りですし!」
「でしょ。今や俺らフォルティア開拓団の知恵袋みたいなポジションになってるもんね、あいつ。」
ヴァレンって、色々知ってるし、意外と面倒見も良いし、なんだかんだで頼れる男なのだ。
さすがは五百年の時を生きる魔王。
もっと長い時を生きてるはずのリュナちゃんは、自由人過ぎて、あんま当てにならないのだ。
──ともあれ、話はまとまった。
「じゃあ、グェルくん。悪いけど、そいつ背負ってくれる?」
「はいッ!」
グェルは素直に頷くと、気絶ハト──ピッジョーネを背負う。
まあ、倒したのもキミだしね。戦利品という事で。
しかし、5メートル級のパグが、ボロボロの鳩人間を背中に担ぐ姿は、もはやブラックコメディの一枚絵だ。絵面の破壊力がすごい。
少しだけ遠い目をしながら、俺は前を向いた。
◇◆◇
「それにしても……」
ふと、静まり返ったトンネルに俺の声が響いた。
「……結局、あの子たちの正体も、目的も、詳しく聞けなかったね」
先ほどまで戦っていた高校生(仮)たちは、魔導具の光とともに消え去った。
まるで最初から、ここにいなかったかのように。
「……何者だったんでしょうか……」
隣で、グェルくんが重々しく呟いた。
獣人化が解けた後の彼は、やや恥ずかしそうに耳を垂らし、けれど戦いの余韻をまだ身にまとっていた。
「なんか、ウチらに対してすっごく敵対的でしたね〜」
と、ポメちゃんが口を尖らせる。
そのふわふわの耳が、モフっと揺れた。
「それにスキルも、めちゃくちゃ強力でした〜。
アルドさんがいてよかったです〜!ウチらだけだったら、危ないとこでした〜!」
「いやいや、グェルくんもポメちゃんも、すごかったよ。」
軽く返しながら、俺はふとトンネルの奥を見た。
この東西に伸びるトンネル。
こっちは東の方。高校生(仮)たちが何かを探していた“先”だ。
「……あの子たち、言ってたよ。
このトンネルの先に“何か”がある、って」
「えっ、何かって何ですか!?」とポメちゃん。
「分かんない。けど……たぶん、俺たちで確認しておいた方がいい。」
そう告げながら、俺はひとつ深呼吸して振り返る。
軍帽をかぶったリーダーの彼……一条くんは、この先に『自分たちが元の世界に帰る為のモノ』がある、って言ってた。
ならば、俺はその存在か何なのか、確かめておく必要がある。
と、その時だった。
(……ん?)
視界の端、消えたはずの高校生たちがいた辺り。
そこに─────
なんか、いる。
ほんの、ほんの薄っすら。
まるで光がそこだけ滲んだように、ゆらゆらと、形のようなものが揺れていた。
(え……何、あれ……?)
目を凝らしてみると、それは……人型だ。
日本の学生服らしき服装を着た、男子高校生くらいの体格。
(………)
あたりの様子をうかがうように、そいつは周囲をキョロキョロと見回し、
やがて「ガクッ……」と項垂れ、肩を落とした。
(いやいやいやいや……)
目をこすって、もう一度見る。
(…………えっ、幽霊?)
めっちゃしょんぼりしてる。
え、何? これ、マジで何?
っていうか、薄っすらしか見えない。けど、薄らは見えてる。
「アルドさん?どうかしましたか〜?」
ポルメレフの声で、我に返る。
「……い、いや……なんでもないよ。なんでも……ない……」
たぶん見間違いだ。きっと。そう信じたい。
うん。俺、霊感とかないタイプだし? 気のせいだよね? うん……。
(……でも、なんか、妙な既視感があるな……)
心の中にわずかな引っかかりを覚えながらも、俺はそれ以上、あの“何か”を直視するのをやめた。
◇◆◇
俺は、もう一度だけチラリと“それ”を見た。
そこに、いる。やっぱり、いる。
半透明な、男子高校生が。
「……ねぇ、グェルくん?」
「はい?」
「……なんかさ。あの辺りに、こう……ほら、半透明な……男の子……みたいなやつ……うっすら、見えない?」
俺が指差したのは、さっきまで高校生たちがいた空間。
今はもう、気配も魔力も何も感じないはずの、空間。
グェルは目をぱちくりとさせてから、首を傾げた。
「えっ? 何ですかそれ……?」
──マジで、見えてない?
「どこですか〜?」と、ポメちゃんも小走りに寄ってくる。
そして鼻をフンフンと鳴らして、トンネルの空気を嗅ぎ回った。
「何もいませんけど〜? 匂いもありませんし〜?」
「………………」
(見えてない。グェルくんも、ポメちゃんも……。)
俺は視線を戻した。
そこには、相変わらずぼんやりと、立ち尽くす男子の姿。
(……やっぱり、見えてるのは俺だけ……!?)
しかも――
(……俺の魔力探知にも、何も引っかからない……!?)
気配ゼロ。魔力量ゼロ。存在反応ゼロ。
なのに“視覚”にだけ、うっすら存在している。
(な、なんだコレ……!?)
頭の中がゾワゾワする。
これ、あれじゃない?マジで……あれじゃない!?
「……ちょ、ちょっと! 本当に見えないの!? 二人とも!!」
俺は慌てて、再び男子の方を指差す。
「ほら!! あそこ!! 何かいるじゃん!! いるって!! マジで!!」
グェルくんがびくりと肩を跳ねさせた。
「……怖い怖い怖い怖い! アルド坊ちゃん、な、何言ってるんですか……!? やめてくださいよッ……!」
ポルメレフも目を丸くして俺を見つめる。
「え、えっと……あ、アルドさん……疲れてるんじゃないですか〜……? さっきの戦闘も激しかったですし〜……?」
「いやいやいやいや怖い怖い怖い怖い!!俺の方が怖いんだけど!? えっ!? なんで!? ほんとに見えないの!? 半透明の男の子、そこにいるじゃんホラ!!」
叫ぶように訴えながら、視線を向ける。
──そして、
それと、目が合った。
半透明の男子が、ぐるりとゆっくり首を回し、こちらを見ていた。
黒目がちな目で、じぃっと。
(あぁああああああああああああああああああああッ!?)
全身から冷や汗が吹き出した。
脚が震える。尻尾があったら、たぶん今、ピーンってなってる。
(まってまってまって!? 完全にこっち見てるじゃん!? 何なら目が合ったじゃん!?)
(……俺って、霊感、強いのかな……)
(……いや、ひょっとして……真祖竜って、霊感の強さも標準装備なの……!?)
そんな冷静な考察を挟みつつも、心の中はパニックだった。
(幽霊って、自分のことが“見えてる人”についてくるって言うじゃん!? やばいってこれ! 絶対ヤバいって!!)
見えてないフリしよう。今すぐ。
俺はただの竜。幽霊には一切興味ない竜。
……と、思った矢先。
そいつが、一歩、こちらに近づいた。
(来た来た来た来てる来てる来てるゥ!!!)
おぼつかない足取りで、フラフラとした動きで、それでも確実に距離を詰めてきている。
「と、とりあえず!! この奥にある“何か”ってやつ、確認しに行こ!!」
俺は声を裏返らせながら叫んだ。
「さ! 早く行こ!! 今すぐ!! いますぐね!!!」
「え? あっ、はい!?」
「えっ!? ど、どしたんですか〜!?」
グェルとポメちゃんを引っ張るように、俺はトンネルの東方向へと足早に進み始めた。
(追いかけて来てる……気がする!!
来る!!きっと来る!!)
背後の気配を、全力で感じないようにしながら。
俺は、汗だくで、人生最大のスピードで、走らず歩いていた。
◇◆◇
……暗いトンネルをしばらく進んでいった俺たちは、ついにその“奥”に辿り着いた。
トンネルの行き止まりには、何か──いや、“何か”なんて曖昧な表現では到底足りない、異質なモノがあった。
「………………な、何だこりゃ……」
ぽかんと呟いたのは、俺自身だった。
そこにあったのは、明らかに異世界ファンタジーな文明じゃなかった。
灰銀の光を放つ合金のような外殻。そびえ立つ塔のような円柱構造。
太いケーブルが巻き付き、まるで心臓に血管が集中しているかのように中央へと収束している。
塔の直径は数十メートルはある。
高さに至っては──地上にまで突き抜けてるんじゃないかってレベル。
「なんか……SF映画に出てくる、マスドライバー……って感じ……?」
思わずそんなことを口にしていた。
いや、ほんとにそうとしか思えない。
何かを、ものすごい力でぶっ放すための"塔"。見た目がそんな雰囲気だった。
「こ、これは……!? こんなモノが、フォルティア荒野の地下に……ッ!?」
グェルくんが狼狽えていた。
5m級のパグ顔で口をぽかんと開けてる。
「はえ〜〜〜……なんかすっごいです〜……」
ポメちゃんも口を開けて見上げてる。
──と、俺は塔の根元にある、明らかに操作パネルらしき部分を見つけた。
「ちょっと、触ってみるよ」
そう言って、俺はそっとそのパネルに触れた。すると、
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──赤い文字が浮かび、パネルは即座に沈黙した。
「……動力切れ、ってことかな」
よくわかんないけど、要するに“今は動かない”ってことは分かった。
……一条少年は、この装置を『自分達が元の世界に帰る為に必要な物』と言ってた。
これに、リュナちゃんの……ザグリュナの魂を捧げる必要がある、とも……
──何があるんだ……?この"塔"に……
俺がさらに他の部分を調べようとした、そのときだった。
ゾクリ。
背筋に、冷たい風が走った。
「……っ」
無意識に振り返る。……誰かに、見られている。
そこに──いた。
“あの”半透明の男子が。
「……どぶるァっ!?!? 」
距離は数メートルもなかった。
いつの間に、こんな近くまで?
……しかも、──明らかにこっちに向かって、来てる。
《……あなた……》
……え?
《……ひょっとして………僕のこと……》
──耳元に届く、かすかな声。グェルにも、ポメちゃんにも聞こえてない様子。
……この流れはまずい。めちゃくちゃ、まずい。
《───見えてますよねッッッッッ!!?》
「ギャアアアアアアアアアアア!!!!???」
次の瞬間、俺は叫んでいた。
全身に鳥肌が逆立つ! 心臓がバクバクしてる!!
「うわぁあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
反射的に、両肩にグェルくんとポメちゃんを担ぎ上げる。5mあるけど! 気にしない!
「いっけえええええええええええええええええええええ!!!!!!!」
全力疾走。一目散に駆け出す。
「アルド坊ちゃん!? えっ!? 何!? 何ですか!?」
「う、うわわわ!? アルドさん!? えっ!? どうしたんです〜!?」
二匹とも肩でバウンドしながらパニック。
その背後から──確かに、声が聞こえる。
《ま……待って……おいて……いかないで………ッッッ!!》
こ……こえええええええええええええええええええ!!!!!!
なにあれ!? なにあれ!? この世界、幽霊も出んの!? 超こえええええ!!!
どんだけ強い生物に転生しようとも、幽霊が怖いという気持ちだけは永遠だよね!!やっぱり!!
全力で叫びながら、俺はトンネルを駆け抜ける。
あの半透明の男子──なんか生々しい感情を持ってた。
あれは、ただの霊じゃない。……けど。
それが、逆にめっちゃ怖い。
息を切らしながら、俺は無我夢中で走り続けた。
背後から追ってくる声が、やけに必死で。
やけに、切実で。
……でも。
それが逆に──怖かったんだ。
とにかくもう、すんごい、怖かったんだ。