第10話 自己紹介と、恩返しの理由
「……ねぇ、君の名前、聞いてもいい?」
ふいに、風が止んだ気がした。
木漏れ日の中で、地面に腰を下ろした美少女ちゃんが、俺の顔をじっと見上げながら、そっと首を傾げる。
その動作がやけに自然で、あたたかくて、まるで旧知の友達に名前を尋ねるかのようだった。
だけどその目の奥には、はっきりと“何かを確かめたい”っていう静かな決意が見えて——
……なぜだろう、ちょっとだけ、心臓が跳ねた。
「俺? ……アルド。アルド・ラクシズ。旅の…テイマーだよ。」
名前や素性を偽るのは少しだけ胸が痛んだけど、正体がバレたらややこしい事になるのは目に見えてるので、ここは一応フェイクで押し通すことにした。
「アルドくん、だね!」
ぱぁっと、花が咲いたみたいな笑顔。
嬉しそうに繰り返されただけなのに、なぜか顔が熱くなる。
あれ、こんなに気温高かったっけ?
「私は、ブリジット・ノエリア! 王都の貴族の家系なんだけど……今はね、このフォルティア荒野の開拓を任されてるの。えへへ、ちょっとすごくない?」
胸を張って、でもどこか照れくさそうに笑う彼女は、泥と汗にまみれてても眩しかった。
その笑顔が、あまりにまっすぐで純粋で、目を逸らしたくなるくらいに真剣で——
まるで、夢を語る子どものようで。
「貴族……ってことは、“ブリジット様”って呼んだ方がいい? ご令嬢とか?」
「ううん!」
食い気味に否定された。
彼女は力強く首を振り、ふわりと金のポニーテールが揺れた。
「“ブリジット”って呼んで! あたしね、その方が……なんか、嬉しいから!」
え。
今なんか、すごい破壊力のあること言われた気がする。
その一言があまりにも自然すぎて、うっかり心臓がどっかいった。
(……この子、ナチュラルに殺しにかかってくる……!?ドラゴンスレイヤーの称号を差し上げます!)
動揺を隠すために咳払いしつつ、なんとか話を続けようと口を開いたその瞬間——
「でね、さっきのこと……ほんとに、ありがとう」
彼女の笑顔が、すっと真剣な色に変わった。
目を細めて、でもまっすぐに俺を見つめる。
そこには、嘘も飾りもなかった。
「君が……あたしを助けてくれたんだよね?」
「──いや、違うよ?」
自然と、笑いがこぼれた。
「助けてくれたのは、君の方だよ。俺、あのとき突っ立ってただけだったし。むしろ、庇ってくれたの、君じゃん」
「……でも」
ブリジットは、ぽつりとつぶやいた。
そして、自分の胸元にそっと手を当てて。
「君に……何かあったら、きっとあたし……すっごく後悔してたと思うんだ」
目を伏せる彼女のまつげが、震えていた。
「怖かった。……ほんとに、怖かった。ここで死ぬかもしれないって思った。でも、体が勝手に動いちゃって……」
「“この土地の領主になるんだから、ここにいる人を守らなきゃ”って……変な意地だったかもしれないけど」
その声は、弱々しくも、どこまでも真剣だった。
口先だけじゃない。彼女の奥底から出てきた、誇りと責任の言葉だった。
「だって、君が……最初に“優しく笑ってくれた”から」
俺は、言葉を失った。
たった一度の、他愛もない笑顔。
それが、この子の背中を押した。
たったそれだけで、命を懸けさせてしまった。
そのことに、怖さすら感じたけど——
でも同時に。
胸の奥が、じんわりあたたかくなった。
「……そっか」
静かに、けれど確かに、言葉がこぼれる。
「じゃあ……今は、お互い“命の恩人”ってことで、引き分けにしよっか」
そう言って、手を差し出すと——
「うんっ!」
ブリジットは嬉しそうに笑って、その手をぱしっと握り返してくれた。
その手は、小さくて、あたたかかった。
けれど、その奥に宿る決意の強さは、俺の想像よりずっとずっと、大きくて——
この子は、ほんとに“すごい”って。
心の底から、そう思った。
◇◆◇
「……で、えっと……その……ひとつ、聞きたいんだけどさ」
ふいに、あたりの風が止まった気がした。
柔らかな表情を浮かべていたブリジットが、ふと視線を下げる。
そして、少し迷うように唇を噛んだあと、静かに問いかける。
「さっき、あたし……絶対死んじゃったと思ったのに。なんで……あたし、生きてるの?」
「っ……」
う、うぐっ。
来た。
キタ……ッ!!
来てしまった……ッ!!
この質問、ぜっっったいに来ると分かってたけど、心の準備……まだだった!
「え、えー……と……そ、それは……非常に申し上げにくいのですが……」
声が裏返りそうになるのをなんとか抑えながら、思わず丁寧語が漏れた。
背中にツツーッと嫌な汗が流れていくのが分かる。
対するブリジットはといえば——
小首をかしげて、くりっとした青い瞳で俺を見上げている。
あああ、その目、やめて!無垢で真っ直ぐなその瞳、良心がえぐられます!!
「えーっとね……ドラゴンのブレスを浴びて、君が倒れて、すごく危ない状態でさ。で、俺、旅の途中で“あるもの”を手に入れてて」
「あるもの?」
「うん。“真祖竜の秘薬”ってやつなんだけど……」
言った瞬間、自分でも笑いそうになった。
いや、正確には俺の血なんだけどさ。
なんだよ、“秘薬”って。便利な言い換えしてくれたな、自分。
「そ、それを君に少しだけ飲ませたら、奇跡的に君が適応して……命を取り留めた、って感じ……かな?」
しどろもどろで説明を終えたそのとき——
「……すごい……!」
ぱあっ、とブリジットの顔が明るくなった。
目を丸くして、宝石みたいにキラキラさせてる。
「そんなすごいお薬、あるんだ……! 旅人さんって、やっぱりいろんなものを見てきてるんだね……!」
(あ、信じた。あっさり信じちゃった。……天使かな?)
でも、油断してる場合じゃない。
このままじゃ終わらない。夢見る少女じゃいられない。こっからが本題だ。
「でもね……その代わり、君の体にはちょっとした変化が起きたんだ」
「えっ……へ、変化?」
表情がぱきっと切り替わる。ちょっと警戒気味。
当然だ。自分の体に“何か”が起きたって聞かされたら、普通は不安になる。
「うん。“真祖竜の加護”っていう、スキルが目覚めたんだ」
俺は、静かに説明を続ける。
「そのスキルはね……まず、身体能力や魔力量が、人間の限界を超えるレベルまで上がる。で、“半不老不死”に近い状態になる。寿命が……すごく長くなって、老化もしにくくなるって」
言い終えたとき。
ブリジットの顔色が、さっと変わった。
(あっ……やっぱり、まずかった……!?)
いきなり『お前、今日から人智を超えた力を身につけたからシクヨロ!』とか言われたらショック受けるよね!?
しかし、彼女は青ざめると思いきや——
「…………」
ポロッ、と。
ひと粒の涙が、ほほを伝って零れ落ちた。
「えっ……え!? ちょ、待ってごめん!やっぱりショックだった!?本当にごめん!!俺、そんなつもりじゃなかったんだよ!!」
思わず立ち上がって、両手をぶんぶん振りながら慌てる。
もはや土下座モード寸前。責任を取らねばモード発動直前。
だが——
「……っ……うわあああああん!!」
突如響いた、少女の嗚咽。
そして次の瞬間——
「わわわわっ!?」
俺の胸に、彼女がバフッと顔を埋めてきた。
勢いよく飛び込んできた衝撃で、後ろに倒れそうになるのを必死に踏ん張る。
「だってぇぇ……嬉しくて………!
あ、あたしに、そんなすごいスキルが身についたなんてぇぇ……!」
「……えっ、そっち!?」
てっきり“人生が狂った”とか“人間じゃなくなっちゃった”とか、そういう絶望系の涙かと思ったのに——
「ありがとう……アルドくん……あたし、がんばるからっ……!」
涙をぽろぽろこぼしながら、それでも笑顔で抱きついてくる。
ぎゅう、と小さな手が俺の背中を掴んだ。
彼女の言葉は震えていても、心はまっすぐだった。
(……なんだろう、涙の意味が、想像してたのと全然違う……!!)
力強く、だけどあたたかくて。
目の前の少女が、この状況を“前向きに”受け止めてくれたことに、胸がじんわり熱くなる。
だから、俺も——
「……うん。どういたしまして」
そっと、その頭をポンポンと撫でた。
彼女の金髪が、光を受けてさらりと指を滑り落ちる。
たぶん、これは。
俺が今まで出会った誰よりも、まっすぐで優しい“強さ”だった。
——この旅の始まりに、俺が出会ったこの子は。
やっぱり、すごい子だ。