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サンライズ・6

 ヨシノは目を覚ます。

 背中に柔らかい感触がある。身体が脱力しきっているためか、その感触に全てを任せてしまいたくなる。心地よい。

 大きく息を吸う。畳の匂いだ。障子戸から透けて差す陽がその匂いを更に強くしている。

「げほげほっ」

 ヨシノはもっと多くの空気を、匂いを吸おうとするが肺がそれを受け付けず、咳き込んだ。

「病み上がりよ。――いいえ、今もまだ病み中か」

 ヨシノの隣から声が聞こえた。ヨシノは首だけを動かし、声の主を見る。

「桜子か……」

「わたしで残念?」

「いいや。――そうか、俺は生きているのか?」

 ヨシノはそこで自分が布団の上に寝ていることに気付いた。そして周りには計器が並べられ、チューブなどがヨシノの身体に繋がっている。

「死んだと思ってた?」

「寝起きがとても気持ちよかったからな」

 ヨシノは起き上がろうとするが、身体に力が入らず、ただ頭が少し浮き上がるくらいに終わった。

「駄目よ。さっきも言ったけど、傷が治ってないの。腕部切断に出血多量。気付いてた? 腹から腸が飛びでてたのよ? 彦さんに感謝するのね。もうちょっと遅ければ死んでたわよ」

「……そうか。それで、姫様は?」

「自分の心配をしなさいよ」

「そうはいかん。姫様の無事を確認するまでは」

 口を真一文字にするヨシノに桜子は「あんたらしいわ」と溜息を吐く。

「無事よ。今は東照宮に居るわ」

「東照宮? 大和城ではないのか?」

 ヨシノの問いに、桜子は少し逡巡する。

「どう言えばいいのかしらね……」

「東照宮は政の場だ。姫様にはまだの場所のはず。今回の件で元老院に呼び出されたのか?」

 ヨシノは元老院のことをよく思ってはいない。彼が現皇帝である大和・蔵八木側の人間であることがその理由である。皇帝と元老院はあまり折り合いがよくない。

 ―――姫様が何か言われなければよいのだが……。

「呼び出しとかじゃないわよ。寧ろ逆ね」

「逆?」

「撫子姫が東照宮に乗り込んだのよ」

「なんだと! それは何故だ!?」

「ちょっと、起き上がるな!? 落ち着きなさい。傷が開くわよ」

「……すまない」

 ヨシノは布団へと身体を戻す様子に桜子はまたまた呆れた。

「信じられない。忠誠心だけで起き上がったわ」

「それよりも話の続きを」

「わかってるわ。――そうね。撫子姫が出向いた用件は、まぁ今回のクーデターの後始末よ。群青さんたちについてのね」

「群青の……? そうか、あれだけのことをしたのだからな……、首を刎ねられることは免れないか……」

 ヨシノは苦々しそうに歯を噛み締めた。彼らもヨシノにとって同僚であった者たちである。死んで欲しくはなかった。

 だが、桜子は違う意味で苦々しそうな顔をしていた。

「そのことよ」

「どういうことだ? まさか親族もろとも、とかではないだろうな」

「違うわ。群青さんたちの処分で、刑は科せられてるけど、死刑ではないわ」

「なんだと?」

「誰も死んでないのよ。撫子姫が手を回したの。だから東照宮に行って直での直訴。あの子。恐ろしすぎるわよ。まだ権力握ってないのに、議会を説き伏せるなんて」

 桜子は最後に「大物になりそうだわ」と付け足す。

 ただ、ヨシノは「そうか……」と安堵の息を漏らす。

「なに? やっぱりあんたが何か吹き込んだの?」

「吹き込んだ、とはどういう意味だ?」

「教育係じゃない」

「それはそうだが……」

「兎に角、傷が回復したら、会いに行くといいわ。――驚くわよ」

「既に東照宮へ行ったことが驚きなのだがな」

「それ以上に驚くわよ。別人よ、彼女。本当に恐ろしいわ」

 桜子が真顔で言う言葉にヨシノは「?」と首を傾げた。



 ●



 ―――成る程。

 ヨシノは立てる状態にまで回復したと診断されるやいないや、足を大和城へと運ぶ。撫子が其処に帰ってきていると聞いたからだ。

 その大和城の最上階。城下町を一望できる縁に立つ少女を見て、ヨシノは頬に冷たい汗を流した。

 少女は撫子だった。いつも通りの見慣れた豪華な着物を纏っている。姿形は何も変わっていない。

 しかし、

 ―――確かに変わられた。

 雰囲気が変わった、といえばよいだろうか。今までにあった幼さ、というものが感じられない。

 ヨシノの前に立つ少女は既に少女ではなく、女だった。

「吉野。身体は大丈夫ですか?」

「は、はい。御心配痛み入ります。今ではこのように出歩くことなども出来ています」

 撫子は言葉遣いまでもが変わっている。

「それはよかった。ところで何用ですか? 治ってたとはいえ、まだ執務に戻れるほどでもないでしょう」

「それは……」

「私のことが心配でしたか?」

「……はい」

 ヨシノは撫子との会話に戸惑った。これではまるで別人と話しているようだ、とさえ感じる。

 撫子は「ふ」と笑う。

「吉野」

「はい」

 撫子がヨシノの近くに寄ってきた。そして、その白魚のように白く、細い手をヨシノの頬に当てた。

「無茶を……するな」

 ヨシノは「あっ……」と声を漏らす。一瞬だけ、前の撫子に戻った気がしたからだ。

「すまない」と撫子が言う。「戸惑ったでしょう? 私の変わり様に」

「正直に申し上げるのなら、その通りです」

 その答えに撫子は「そうか」と頷く。

「これが私なりの考えであり応えなのです」

「言葉を変えることがですか?」

「それもあります。しかしそれは応え。考えは、貴方のせいですよ」

「私の?」

「どのような王になるのか」

 撫子の言葉に、ヨシノは「あぁ」とやっと納得がいった声を出した。

 ―――その姿が姫様の理想か。

 撫子は必死に王である自分を装っている。それは東照の宮国の皇帝となる彼女の決心が固まったからだ。そして最初の一歩として、東照宮へと殴り込みを掛けた。

 また、撫子が決心をしたきっかけが何であるのか、ヨシノには容易に想像出来た。

 撫子の目指す王は何か。それは群青たちの死刑を回避させたことから理解出来る。

「大和家はその力を以って東照の宮国だけではなく、大陸の全てを守ります。人を守ります。そして、大和家である私もその義務を負います」

「その通りで御座います」

「ならば、その守る役目を負った私が、守る対象の命を奪うのはただの矛盾。それに、どうであれただ死ぬだけの姿を見るのは、悲しいです」

「だから群青たちを救ったのですか?」

「彼らは私を理解する機会がなかっただけです。もし、彼らと話せていたのならば、あのようなクーデターは起きなかったかもしれない」

「しかし、話合っても理解してもらえなければ、どうなるのです?」

「ならば、更に話ます。聞かなければ聞かせます。――私に実力があるのなら」

「実力がなければ?」

「ならばその力を身につければよいのです」

「……綺麗事であります」

 ヨシノは苦言を呈する。しかし、撫子は「その通りです」と認めた。

「綺麗な理想でしかありませんが、理想を持たなければ進む方向が決まりません。でも、慕われる王というのは、まず理解してもらえなければ始まりません。そしてその理解の方法は話し合うだけでもないのです。言動なのです。だからこそ、私は行動しました」

「しかし、抑止力は必要でもあります。今回の件、群青たちに死罪がないという事実が出来れば、図に乗った者たちが出てくるでしょう。そして、また姫様が狙われます」

「ならば、また吉野に守ってもらいます」

 撫子はヨシノに向かって微笑んだ。信頼されている。だからこそ綺麗な理想あり、命が狙われる道を歩こうとする。自分なりの王に成るための道に。

「御意」

 ならば、ヨシノは撫子の考えを受け入れる。それがヨシノの役目である。

 ―――姫様は俺の考えから、王の道を見つけたのか。

 それは嬉しい事であるのかもしれない。しかしヨシノはぞっとしたものが背筋を走るのを感じた。

 ヨシノの胸にひしひしと何かが満ちる。不安という何かだ。

 ―――これは何の不安だ? 俺の考えが、姫様を変えてしまったことか? いや、違う。彼女なら、彼女なりの考えを構築するだろう。完全に俺の考えには流されないはず。さっきの姫様の考えも、私が教えて居ないことだ。――ならば何だ? このどろどろとした不安は!?

 ヨシノは胸を押さえ、撫子を見る。

 其処には皇帝と成る準備が出来た女が居る。

 ―――そうか。そういうことか。

「吉野。やはり気分が悪いのではないのですか?」

 撫子はヨシノの様子がおかしいと心配を見せる。

「いえ、大丈夫です。病み上がりで身体を動かしたので、少し疲れたのでしょう……」

 ヨシノは再度撫子を見て、己の過ちに気付く。

 ―――成熟が早すぎる。少女という存在が王に成る条件を満たしてしまった。

 突然変異、といってしまえば聞こえが悪いが、まさにそれだろう。早すぎる成長。そして更なる年月を重ねれば、まだまだ成長する。ヨシノは撫子という存在に危機感を覚えた。

 撫子という突然変異に周囲が巻き込まれ、様々な事が起きる。

 良い事も悪い事も。

 桜子は撫子のことを『恐ろしい』と言った。彼女も気付いている。誰もが気付く。つまり、撫子を見た者全てが気付いてしまう。そして、その中で一番危機感を抱くのは誰であろうか。撫子の恐ろしさ――立派な王となることで最も危機感を覚える者は誰か。

 ―――元老院。

 元老院は撫子を皇帝候補として挙げたのは、彼女を傀儡とするためである。撫子がただの少女と思って舐めていた。しかし、その予想が外れた。逆に言えば、蔵八木の予想が当たったといえる。

 だが、それでも。

 ―――姫様はこの歳で元老院を敵に回すことになる。……最早手遅れだ。

 ヨシノは撫子がもう少女として過ごすことが不可能になった事実に膝を着いた。そして、

 ―――これからどのような事態になるか予想が出来ない。

 このまま黙っているわけのない元老院。彼らはかなりの強硬派である。撫子を見つけ出し、それを次期皇帝候補まで伸し上げた実績がある。下手をすると皇帝よりも強い権力を持つ場合もある。撫子はそんなものと戦わなければならない。

 ヨシノの目には、東照の宮国には撫子を中心に荒れる未来が視えた。

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