サンライズ・5
ヨシノは振り下ろされた刀を自分の持つ刀で受け止め、刀を振り下ろした男のがら空きになった水月へと掌底を叩き込む。
どすり、と衝撃が相手の身体を貫通するのを手で感じ取ると、そのまま橋の外へと放り投げる。
着水音が聴こえるが、それよりもヨシノの耳は撫子の声を聞いた。
「吉野!?」
ヨシノは身体を捻り、その遠心力を活かしながら刀を横に振るう。
がす、と撫子に斬りかかろうとした男の首を刀の峰が捉える。首を打たれ、気絶した男は橋の縁へと寄り、その後、下の川へと落ちる。
―――これで五人。
ヨシノは溜息を吐く間もなく、刀を構え、城へと橋を囲む羽織袴の男たちを牽制する。
男たちの数は残り十五。橋の入り口を塞いでいる。男たちの内、十人が城下町方面に、五人が城方面の入り口に刀を抜いて構えている。
「姫様、私から離れないで下さい……」
ヨシノは背後で庇う撫子へ声を掛ける。
「わ、わかったのじゃ……」
撫子は返事をするが、ヨシノは男たちへ目と注意を向けたままである。
―――城の門は閉じられた。逃げるには城下町の方であるが……。
ヨシノはぎりり、と歯を食い縛る。
これはクーデターだった。
東照の宮国の仕官たちが、大和・撫子の暗殺を目論み、警備が手薄になるのを待っていたのだ。
そして、その仕官たちを率いている者が居る。城下町方面の橋の入り口に居る壮年の男だ。他の者たちとは違い、その男の羽織は蒼い。今、ヨシノは着流しであり羽織を纏っていないが、ヨシノの羽織は紅色である。その男とは対照的な色となる。
男は群青・弼康と名乗った。
ヨシノの注意の大半はこの群青に向けられている。群青が城下町への道を塞いでいることでヨシノは更に下唇を噛んだ。
群青・弼康はヨシノにとって辛い相手である。それは群青が刀の強者であるからだ。その程は、東照の宮国の中で誰が刀の扱いが上手いか、と問えばヨシノと共に群青の名が挙がる。
ヨシノと群青は近い役職にある。二人の所属は同じ防人部隊。そしてヨシノは東照の宮国の政を行う東照宮を守る東照宮守備隊の筆頭、群青は東照の宮国の治安を守る宮国抜刀隊の筆頭。軍と警察機構のトップを二人で二分しているといってよい。
「ヨシノ! 何故お前がそちら側へ付く!?」
群青が一人前へ歩き出し、ヨシノとの距離が十歩の所で止まると、ヨシノに問い掛けた。
対してヨシノは撫子を庇っている為、その場から動かず、刀を向けて言う。
「それは俺が問うところ! 如何にしてこの愚挙へと辿り着いたか!?」
「宮国の為である!!」
群青が即座に答えた。その言葉にヨシノは眉を顰め、こう言った。
「笑止! 宮国の為とあらば、国王であらせられる蔵八木様のご息女、撫子様を襲うのは至極矛盾!!」
「然り! 故に我らは大罪を覚悟で此処に参った! 我らは宮国以外の血が混じった大和・撫子内親王の皇帝座を与えることに命を以って異議を唱える!!」
群青の言葉に撫子がびくり、と身体を震わせた。ヨシノは半歩下がり、背中を撫子の頭に当て、少しでも安心感を与えようとする。
「純血しか求めぬか!?」
「資格はない!!」
「頭でっかちめ……!」
ヨシノは珍しく悪態を吐いた。しかしその頬には冷や汗が流れる。
「のぅ、ヨシノ」今度は群青が問い掛けた。その口調は先程よりも砕けた口調だ。「手前ほどの頭でっかちは知らんと思うたが、混血の皇帝を認めるほど耄碌したか?」
「俺の目が信じられないか?」
ヨシノが群青を睨みつける目を更に強くすると、群青は「確かに、耄碌はしておらぬ眼力」と頷く。
「ならば女の魔性に取り付かれたか?」
「その言葉、姫様への侮辱と判断させて貰う!」
ヨシノは今すぐにでも暴言を吐いた群青を斬り伏せたかったが、撫子を守ることが重視される今、おいそれと動くわけにはいかなかった。そして、そのことを群青は知っている。
「守るものは人を強くさせるが、ものを守る、という状況ではただの足枷にしかならぬ」
「………」
「そしてやはり頭でっかちだ。城前での流血を避けるか」
群青の言葉はヨシノが刃を裏返して構えている刀を指している。
「当たり前だ。更に姫様の御前、血で汚してなるものか!」
「そしてものを壊すのも好まないか? 手前ほどの腕があればここらに居る輩は簡単に吹き飛ばせるだろうよ。周りの被害も考えたか」
「この東照の宮国にあるものは全て守る」
「……優しいの、死ぬぞ?」
群青が動いた。正眼に構え、そのまま前に、ヨシノの脳天を割らんと刀を降り下げる。
ヨシノは咄嗟に刀を横に構え受けようとするが、
「!?」
刹那、撫子を抱え、横に跳んだ。
「きゃっ!」
撫子が声を上げるが、ヨシノは心の中で謝り、群青を睨む。
「群青、いい攻撃だ」
「ヨシノ、いい判断だ」
突如、撫子が立っていた場所に斬り傷が入る。その光景に撫子が目を見開いた。
「吉野!?」
「……群青の剣技で御座います。奴め、剣気を飛ばしました。――切っ先の直線状には立たない方は良いでしょう」
「良いでしょう、て私には見えんぞ!?」
群青とヨシノの腕は同格。撫子の目には、群青の動きが捉えられなかった。それは周りにいた男たちもそうだったであろう。
「私が守ります!」
再びヨシノが撫子を抱え、群青が振り下ろす刀から逃げる。しかし、
「斬り返しである!」
群青の言葉通り、その刀は刃を返しまたもや襲い掛かった。
「ちぃ!」
ヨシノは自身の刀で受け止めた。だが、びしゅり、と刀を持っていた右肩が裂かれ、血が噴出す。
「吉野ぉ!?」
撫子が叫ぶが、ヨシノは答える暇はなく、鍔迫り合いになった刀に集中する。
「枷を持ったままわしに勝てると思うたか!」
「うぅ……」
ヨシノは傷ついた片腕でしか刀を持っていない。逆に群青は諸手である。じりじりと、群青の刃がヨシノの首元へとにじり寄る。
「えいやっ!」
撫子が群青へと足を出す。蹴りのつもりだったのだろう。だが、そのお陰で一瞬だけ群青の気が逸れ、ヨシノは群青を蹴り離した。
「姫様! 危険です!」
「吉野が危険じゃ!」
「ですが、相手は達人。どの様な返しがあるかわからな――ぐっ!?」
ヨシノが撫子に注意をしている間に持ち直した群青が再び斬り掛かり、ヨシノはまた刀で受け鍔迫り合いにとなる。そして今度はヨシノの右脇腹が剣気で斬られた。
「威勢がよくて驚いたぞ!」
「……私もですよ!」
ヨシノの劣勢は変わらない。むしろ傷を追加で負ったことにより悪化した。
―――まだか……。
力む度に噴出す血がヨシノの押し返す力を失わせる。
群青が言う。
「ならばこちらも手助けを頼もうかの!」
「なにっ!?」
ヨシノは背後に気配を感じた。後ろには刀を振り上げた二人の男。
―――気づかなかった!? 群青に気を取られすぎたか!
在り得なくはない状況だった。もともと集団で来たのだ。群青だけが出張る意味はない。ましてや、彼らは皇族に刃を向けたのだ。死罪を覚悟で此処に来ている。必死に撫子を狙うのは道理。
ヨシノは即座に考え、行動に移す。
斬り掛かる二人の男。その剣先は撫子だろう。群青と鍔迫り合いをしている体勢では回避は不可能。
優先順位は撫子の安全。自分の命は二の次。
―――ならば、取る行動は!
ヨシノは撫子を放り投げる。剣筋から逃がした。それでこの瞬間だけ撫子は助かる。但し撫子と離れることが危険であるが、それ以外の行動がヨシノには思いつかなかった。
撫子は橋の手摺にぶつかる。
―――出来れば川に放り込みたかったが……。
川を逃げた場合の策も群青は考えている、ヨシノと予想しているが、撫子が長い時間安全で居られるのは川に逃げるしかないと判断した。しかし、それは失敗する。
そして、二人の男が刀を振り下ろす。だがその場所には、もう撫子は居ない。代わりに撫子を放り投げたヨシノの左腕があった。
「ぐぬっ!!」
ヨシノの左腕が飛んだ。降られた刀は二口。左腕は上腕部と下腕部で断たれていた。
ぷしっ、とヨシノの左肩――動脈の行き場を失った血液が噴き出る。ヨシノは意識が遠くなり、膝ががくり、と下がるのを意地だけで堪える。
「よしのぉぉ!!?」
ヨシノは撫子が叫んだ声を聴いた気がした。
―――いや、幻じゃない。
ヨシノは転がった。それにより群青との鍔迫り合いからも逃げ、撫子の下へ。残された右腕だけで刀を構え、牽制する。
「どこか打ち身になりませんでしたか……」
「私のことより吉野じゃ! 腕がっ! ヨシノの腕がっ!」
撫子の顔は吉野の血で汚れていた。
―――もしかして、泣いておられるのか……。
ヨシノは撫子の震える声に、自分の不甲斐なさを悔いる。
「私は……、大丈夫で御座います。ひ、姫様は、その川に飛び降りて下さい……。そして息の続く限り――……」
ヨシノは自分の呂律が回っていないことを自覚する。
「お主を放って置けるものか!」
「………」
「それに何故、刀の刃を返す! それだけで吉野なら―――」
「姫様……、それは無理で御座います」
「それは此処が血で汚れるからか! しかしこの場所はお主の血で既に汚れておる!」
「違います……、姫様」
「でいやぁぁぁぁ!!」
男たちの一人が踊り掛かる。ヨシノは攻撃を捌き、刀の峰打ちで相手を昏倒させた。――相手は死んでいない。
ヨシノは語った。
「先も言いましたが……、臣民の命を奪うのは出来ません。例え、それが……逆賊だろうとも……」
そのヨシノの言葉に「甘いな」とヨシノの前に立った群青が言った。
「逆賊は討つべし。防人部隊の筆頭にしては甘い考えだ」
「そうかも、知れない。しかし、それを決めるのは王だ……。今、次の王になる、なで……しこ様に、ただ討ち果たす結果を見せてどうする……」
「やはり頭が固いの。――今、わしたちを斬って討ち取ったら、撫子内親王には人を殺すだけの解決を教えてしまう……、か?」
群青の言葉にヨシノは力なく頷く。
「私は、教育係……、姫様の未来を限定させる……わけにはいか、ない」
ヨシノの視界がぼやけてきた。流石にこれ以上の出血は身体が保たない。
「しかし!」
すると撫子が叫んだ。
「姫様……」
その叫びでヨシノは僅かだが、意識が現実に引き寄せられる。
「それで死んでは何の意味がなかろう」
「………」
「ヨシノが死んでは! そのことに何の意味が――」
「どのような王になりたい!」
ヨシノが撫子の声を消した。そして、ヨシノは「御免!」と刀を捨て、残った右腕で撫子を橋から突き落とす。
「!?」
撫子は虚を突かれ、橋に掴まるまもなく、川へと着水する。
「やりおったな!!」
群青が叫んだ。そして撫子の後を追おうとするが、ヨシノが体当たりでそれを止める。男たちの一人が動いたヨシノに反応して刀を振るう。
ヨシノの右腕が飛んだ。
「間に合った……」
両の腕を失くしたヨシノが切れ切れの言葉を吐く。その目は城の門へと向いていた。
城の門が開こうとしている。
「捕らえろ!」
門の隙間から年老えながらも張りのある声が聴こえた。彦・片鳴の声だ。
「時間稼ぎか……。まったく……、頑張ったな、ヨシノ」
群青が己の刀を手放し、顎に手を当てると、倒れ付したヨシノへと声を掛けた。
「………」
しかしヨシノは答える気力はない。
ヨシノは薄れ逝く意識の中、ただ一つのことを思っていた。
―――俺は正しかったか? 姫様の未来を縛らなかっただろうか? あぁ……、姫様はよき王になられるだろうか……。
書いてる自分でも、前がどんな展開か忘れていた……、とさ。