プロローグ・3
紅い袴には細部にまで装飾が施され、羽織には染井家の紋である一口刀が金色で刺繍されている。
ヨシノは東照の宮国へ着く早々、紋付羽織袴へと着替えなおし、首都・大和に座する大和城門下へと足を運ぶ。余程急いできたらしく、服装には乱れがあった。
「染井殿!? 貴方様はダマリに滞在されていたはず! 何故此処に!?」
門を潜り終えると、城の警備を任されている皇帝の側近、彦・片鳴に呼び止められる。
「何故もあるか! 国の一大事に国を守る盾の頭がいないでどうする!」
「何処でその話を!?」
「それはどうでもいい! して、その様子ならば話しは本当なのだな!」
ヨシノが射抜く目で見れば、片鳴は身体を強張らせ、躊躇いながら言う。
「……その通りで御座います」
「わかった」
ヨシノは桜子から聞いた話が本当である、と確かめ、更に急がねば、と城へと入ろうとする。
「お待ち下さい。城内での帯刀は許されませぬ!」
「むっ……」
片鳴に再度止められ、ヨシノは失念していた、と腰に差す刀を片鳴へと渡す。
「それと、面を持ってくだされ」
片鳴は翁の能面を差し出すが、ヨシノは「既に持っている」と懐から怪士の能面を取り出し、見せる。この能面には魔術を使うことを抑える機能がある。
帯刀も許されぬ城内では、勿論魔術を使うことも御法度であった。
「心配せずとも俺の術はレンズがなければ行使できん。それに別に暴れようという気はないのだ」
と片鳴の肩を軽く叩く。
「しかし、その様な般若面で歩かれては、中の女中も驚いてしまいます」
「なに、肝の太い者も多い。仕事、頑張れよ」
そう言い捨てて、ヨシノは入城した。
片鳴と話たお陰で、少しは大人しくなったかにみえたヨシノであるが、その足はだんだんと速くなり、遂には走りと変わらぬ早足で廊下を歩き、階段を登る。
目指すは皇帝、大和・蔵八木が居るであろう最上階である。
どんどん、と床を踏み抜かん勢いで歩くヨシノにすれ違う者は怯え、腰を抜かす者も居たが、
「こらぁ! 廊下は走るなぁ!」
と女中の年季の入った声が聞こえた。
――ほらみろ。
ヨシノはその女中に「すまん」とだけ答え、城を登る。
そして大和城最上階。茶室として造られた場所へと続く階段には行く手を阻むように二人の防人が立っていた。
「どけ」
一言、ヨシノが言うと、二人の内、一人の防人が答えを返す。
「いくら、ヨシノ様であろうとも許しがない限り、お通しすることは出来ませぬ」
「徹底してるな」
「そう躾けたのは貴方様であります」
「……だよな」
この二人の防人は東照宮守備隊の者だ。つまりヨシノの部下である。
東照宮守備隊は名の通り、東照宮を守護する軍隊であるが、皇族の守りも任されている。
――さて、どうするか。
ヨシノは強行突破も止む無しという腹積もりで、二人の防人の隙を窺う。そして、ゆっくりと手を上げ攻勢に移ろうとするが、
「ちょっと待て」
と渋みのある声が響く。声の元は上からだ。聞き覚えのある声。ヨシノはぴたり、と手を止め、その場で座する。二人の防人も同様だ。
「蔵八木様の御許で騒ぎ立てたこと申し訳ありませぬ」
ヨシノが言えば、「よいよい」と返事がきた。しかし、声の主――大和・蔵八木は顔を出してはいない。
「吉野の参上は俺が許可する。通せ」
との言葉が降れば、二人の防人は「はっ」とヨシノに道を譲った。
「すまない」
ヨシノは二人の防人に詫びを入れ、階段を登る。そして最上階の茶室へと出る。
茶室の障子戸は開けられ、そこからは城下を見渡すことが出来た。鉄筋コンクリートで造られたビルもあれば、瓦屋根を覗かせる家もある。そして碁盤の目のように儲けられた道には人が歩き、エーテル機関の車が走っている。また今は夏を迎える季節により、城下町に植えられた木々は緑の葉をつけていた。
「久々の光景だろう?」
ヨシノが振り向けば、そこには着流し姿の男が一人。齢五十の姿とは思えぬ程、背筋はぴん、としており、顔の皺は彫りが深く威厳に満ちている。そして彼の黒髪は白髪も混じっているが、逆にそのことがより一層一人の大人として見えた。また茶を立てていたらしく、抹茶の入った椀を手に持っていた。
「はい」とヨシノは、頷きその男と向き合うように正座をし、頭を下げる。「お久しゅう御座います。蔵八木様」
「うむ。二年と少しか……長い間頑張ってくれたな。まぁ、顔を上げろ。そう硬くならんでもよい」
「では、失礼して」
とヨシノは顔を上げ、蔵八木の顔を懐かしむような目で見た。
「定定が格納庫に突っ込んできた、と聞いてお前が来るのを待ちかねたぞ」
蔵八木はヨシノへと用意していた茶を出すと、ヨシノはそれを頂く。
「でしたら、私が来た用件もおわかりのはず」
「『私』……ねぇ……『俺』、でいいぞ。下に二人居るが、今はプライベートだ。気楽でよい」
「しかし、貴方様は皇帝であります」
「うーん。昔のように俺をお前呼ばわりでも構わんのにな。それに、お前が『私』なんて言ってたら背中が痒くて堪らん」
「………」
「………」
「………」
「……わかりました。俺、でいいのですね」
「そうそう」
ヨシノが先に折れた。
「まったく、貴方という人は……」
「おっと、小言も勘弁してくれ。今日も元老院の連中とやり合って疲れているんだ」
「では、その元老院についてでも話をしてもらえませんか?」
本題への切り口を蔵八木が言ったのを、ヨシノは見逃さなかった。
蔵八木は「やってしまった」と顔を崩す。
「あー、まぁ……なんだ。何処まで知っている?」
「町の者が知っているほどには」
「因みに誰に聞いた……って、桜子しかいねぇか」
「知っておいででしたか」
「まぁ、あいつに外出の許可を出したのも俺だしな。それにそろそろお前を呼び戻してもいいだろう、と思っていたところだ」
「つまり、俺と桜子は貴方の掌で踊っていた、と」
「まぁ、その通りだ」
蔵八木はかっかっ、と笑った。
ヨシノは不満そうな顔をしたが、心の中ではほっ、としていた。何故ならば、腹を切る覚悟でこの東照の宮国へと戻ってきたからだ。ヨシノは勅命でダマリへと向かっていた。そしてその任期は三年。しかし、二年しか居らず帰ってきたのだから、皇帝の命に背いたこととなる。だが、その心配はなさそうだった。
「しかしどうも解せません。蔵八木様を窺えば、全て承知の様子。今回の件。『新たな皇帝の即位』について」
「まぁな。元老院は妙に策を弄じようとしていたが、俺にとってはあまり関係はないことだった。むしろ助かったといってもよい」
「それは俺を国から追い出す、という意味で、ですか?」
「それもある」
蔵八木は隠しもせずに肯定した。
確かに、とヨシノも蔵八木が自分を他所に置こうとした意を悟らないわけでもない。元来、ヨシノが東照の宮国に身を捧げたのも、この大和・蔵八木という存在が皇帝の座に居るからといっても過言ではない。もし、彼がその座から降りる、となれば何かもの申すことは目に見えていた。そして、元老院の手によって降ろされるのであれば、それこそ刀を手にとっていただろう。
また、
「今度の皇帝は純粋なる東照の宮国の人間ではない、と聞き及んでおります」
そこが引っ掛かっていた。
ヨシノは蔵八木が元老院をも手玉にとっているのではないか、と踏んでいたが、この東照の宮国の人間ではないことだけはどうにも納得がいかなかった。
「まぁ、その通りだ。イスイの人間とのハーフになるかな」
イスイとは東照の宮国とは逆に大陸の西側にある国だ。また、髪の色がイスイ側は金髪であるなど、顔立ちと共にまた逆の国でもある。両国の間にはダマリ・カオスノフキを挟んでいる為、国交はあまりない。
「東照宮の上座に座るのは、大和の血を継ぐ者だけ、とはご存知ですよね?」
「当たり前だ。あの娘もれっきとした大和家の者だ」
「しかし俺の知るところ、女性でイスイの血を持つ人間はいなかったはず」
と、懸念の顔を示すヨシノに蔵八木はにかり、と笑顔を見せた。
「むかーしのやんちゃがここで芽吹いたわけだ」
「あんたの子かよ!?」
ヨシノは堪らず突っ込んだ。
「いやいや、めでたいことだ。今まで俺の子は蔵人だけだと思っていたのに、めでたいめでたい」
「確かにめでたいことではありますが、逆にそこが不自然と言いたい! 跡継ぎとしては、その蔵人様が居るではありませぬか!?」
と言葉を大にするヨシノを蔵八木は軽く受け流す。
「まぁ聞けや」
「何ですか。まだ何かお隠しで?」
「いや、まぁ隠し種はもうないさ。――んん? 種付け故に種か! 上手いこと言った!」
「このオヤジは……」
ヨシノは昔の蔵八木を思い出して、こんな人になってしまった、と泣きたくなった。
「まぁまぁ、落ち着け。取り敢えずその投擲準備がされた椀を置いてくれ」
蔵八木は居住まいを正し、正座になる。すると、ヨシノも真面目な話をするのだと気づき、椀を置いて背を伸ばした。
「どうぞ」
とヨシノが促せば、蔵八木も「うむ」と頷く。
「吉野。俺は自分を出来損ないの皇帝だと思ってい――」
「それはありません」
蔵八木が言い終わる前にヨシノが言い切った。
「おいおい、話を折るなよ。これはかなりマジな話だ」
「ですから俺も真面目に返します。――それはありません」
「頑固だな」
「俺が貴方に付いて彼是十余年。その人となりに惚れこみ、そしてずっと見てきました。――そしてその総評を言うのなら、貴方は名君であると断言できます。民の者も皆思っております。慕われているのですよ、貴方は」
「うーん、民に慕われれば名君、ね……。お前はそう思うわけだ」
「そうです」
「違うな。それは違うぞ、吉野」
蔵八木は頭を振った。
「何が違うというのですか! 今、この東照の宮国の者達は笑って過ごせているというのに違うと言うのですか!」
「そりゃ慕われるってことは信頼されている、てことだ。政も円滑に進むだろうよ。それで活気が溢れれば国としては申し分はない」
「でしたら――」
「問題は此処が東照の宮国であることだ」
蔵八木は何か深い意味を込めるように言い放った。その蔵八木の言葉に押されてヨシノは息を飲んでしまう。
蔵八木の話は続く。
「いいか、吉野? この国じゃ慕われるだけじゃいかんのだ。それだけじゃ東照の意味を失ってしまう。――お前も知っているだろう? この国が絶対不可侵である理由を」
「それは……確かに」
「ならわかるだろう。――『東から照らす光にて鬼を払う』と言うように、この国は鬼を払わなければならない。そしてその鬼を払う力の根源はこの大和家だ。今では魔術と呼ばれる奇跡。それは万人に与えられるもの。そして人に個性があるように魔術にも性質がある。お前のように風を生むのが得意なものもあれば、桜子のようにエーテルの流れを操るものもある。大和家も然り。そして大和家が持つ魔術の個性は『破邪』」
「破邪により鬼を払う」
鬼。
それはヨシノにとって知らぬ、では過ごせぬ相手である。幾度となく刀を振るい、そしてバンプ・ナイトを駆り、駆逐した相手だからだ。
黒い身体。黒い血。死んで尚も黒き煙として這い出るもの。
そして、その根源は人間の負の代償。
蔵八木は語る。
「今より二百年以上前。まだ緑深紀と呼ばれる前の頃。エーテル機関が生まれた頃。鬼は現れた。もとよりエーテル機関も魔術によって動力を生み出しているだけだ。つまり魔術がより簡単に扱えるようになり、エーテルの消費が激しくなる。命の力と呼ばれるエーテルはよく人の心に染みる。逆に人の心を染みこむ。そして塵捨て場に溜まる水のように、負の心に汚染される。――人というのは傲慢だな。楽になれば、より楽になろうとする。欲が満たされれば、新たな欲が出る。自分にゆとりが出来れば、相手を妬む余裕も生まれ、嫉妬をする」
「……そんな負の心がエーテル染み込み、鬼が出来た。鬼は人を襲い、ものを壊し。地を荒野へと変える」
「楽あれば苦あり。しかし苦の体現としてはかなり物理的ではあるな。――まぁ、そんな鬼が昔はどんどんと増えたわけだ。最後にはこの大陸全土が荒野になりかけた」
「それを救ったのが、大和家」
「そうなる。これが緑深紀の始まりだな。――大和家が持つ破邪の魔術は鬼の嫌うものだ。その特性を利用して、あのダマリ・カオスノフキへと追いやった。そして破邪のもう一つの効果として、鬼の出現を抑えることもできる。しかし、それには魔術の力が強くなければならない。――術者の力。そしてその力を増強する為の魔方陣。ヨシノがレンズを代償とするように、術者も代償を支払う。だから破邪の魔術を使える俺は代償を支払わなくちゃならんし、魔方陣があるこの首都・大和を離れることが出来ない、とな」
「………」
「おいおい、黙るなよ。そんなに難しい話はしてないぜ」
「別に思考停止しているわけじゃない。もともと誰でも知ってる話だし」
「まぁな。ちょいと長く話してしまったな。――しかしだな、吉野。俺じゃ、この大役は重すぎる。別に逃げたいわけじゃないが、俺の場合、力が弱すぎる。だから最近では鬼の出現も多くなり、緑も減ってきている」
「それで自分を出来損ない、と?」
「そういうこった。この東照の宮国では慕われることと、破邪の力が強いことを満たされなきゃ意味はないんだ」
「なら、その今度新しく皇帝になる者はそれは満たせる、と」
「俺はそう思っている。そして、俺の息子である蔵人もまた弱い」
話はこれで終わりだ、と蔵八木は立ち上がった。
「公務に戻られるのですか?」
「まぁ、俺もずっと此処で茶を飲みたいがな。まだ、元老院の牽制が終わっていない。あいつら、あいつを傀儡にしようとしてやがる。それだけは阻止したいからな」
「では、俺も御供仕ります」
ヨシノが立ち上がろうとすると、その額をとん、と蔵八木に突かれ尻餅を着く。
「お前はゆっくりしてろ。久しぶりに此処に帰ってきたんだ。この城の中なんて見て回ってもよいのではないか? 例えば庭とかさ」
「庭、ですか?」
「そうそう。最近は華が増えていい感じだぞ。お前も気に入るだろう」
「ですが、それよりも今は蔵八木様のことです。俺も一緒に東照宮へと参ります」
ヨシノは頑なに蔵八木についていこうとするが、何故か蔵八木も頑なに拒んだ。
「それよりも、とは何だ。他国からやってきた綺麗な華なんだぞ。――あぁもう。それなら勅命をくれてやる! おい! 誰か紙と筆持って来い!」
そう言い出したのなら、ヨシノも引き下がるしかない。結局、蔵八木はヨシノを置いて、公務の場である大和城の近くに建つ東照宮へと行ってしまった。
独り残されたヨシノは残りのお茶を飲み干すと、茶室から去る。
「……俺はどうすればいいのだ?」
ヨシノは途方に暮れた。人に会おうと思ったが、今は日中とあってか誰もが職務に追われている。
「そう言えば、桜子を駐屯地に置き去りにしたままだな。今度、謝らなければ」
そして、おろおろと城内を歩いていれば、蔵八木に言われた庭でも見ようか、と思う。
果たして、どのような華があるのか、と少し期待をし、その華を愛でながら酒でも飲むかと、廊下を歩く女中を捕まえて酒を用意させる。
「さて、準備は整った」
と浮き足立ちながら庭へと向かう。
大和城の中庭として儲けられた庭は、そこだけ和の概念から外れたデザインになっている。昔、大和城を造る際、設計の企画書に『クラブ 漢の園』の設計図案が混じったらしい。しかし、クラブの何処に庭が必要なのかはわからない。しかし、そのお陰で砂利に埋め尽くされる和風庭園ではなく、色とりどりの庭となった。
ヨシノは和風庭園がないことに少しがっかりともしたが、季節毎に花が開く庭もまたよいものか、と開き直っている。因みに現在では夏とあってか向日葵が目立つ。
さて、ヨシノが庭へと近付くと人の気配を感じた。庭師だろうか、と思い気にせずに蔵八木が言っていた華を探していると、その人の気配が近づいてきた。ヨシノは丁度よい、と華の在り処を尋ねることにする。
「もし。申し訳ないが、最近入った華は何処にあるのか?」
その人の気配へと振り向けば、「おや?」と首を傾げる。
何故か人の姿がなかったからだ。目の前には花開いた向日葵があるだけだ。
「んん?」
ヨシノが首を傾げると、下から声がする。
「もしや私をお捜しかや?」
ヨシノが下を見ると、目を見開く。
「……これは珍しい」
そこには小さな女の子が居た。まずこの大和城に女子が居ることも珍しいことであったが、それよりも彼女の髪が金色であることが目を惹く。
――綺麗だ。
そう素直に思えた。
金髪もそうであるが、目鼻がきりりとした顔がまたヨシノのそう思わせているのだ。また、女物の紅い着物を着ているからか、よく映えていた。
「こら、答えぬか!」
金髪の少女が怒る。
「これは申し訳ない。こんなところに小さな子が居るとは思わなかったもので……」
すると、金髪の少女は「小さい、と」と口端を吊り上げた。
「失礼な! 私は十四なるぞ!」
「……まさか」
十四の年とは思えぬ程小さい。東照の宮国の基準で見ても十歳にも満たない女の子にしか見えなかった。
「まさかとはなんじゃ! 失礼な奴じゃ!」
「またまた申し訳ない。確かに俺は君に声を掛けたのだ。此処に綺麗な華があると……」
とヨシノはそこで言葉を詰まらせる。
――まさか、な……。
「失礼ながら、君――いや、貴方様のお名前を訊かせてもらってもかまわないだろうか?」
「ん、私の名か?」
「はい」
ヨシノが頷けば、金髪の少女は「よいじゃろう」と腕を組むと、言い放つ。
「私の名は大和・撫子じゃ。現東照の宮国皇帝、大和・蔵八木の娘であるぞ!」
こうして二人は出会う。
滅びの女皇帝と皇帝殺しの防人が出会った記念すべき刻であった。
プロローグ 終わり。