サンライズ・4
「綺麗じゃー」
大和・撫子は露店で買ったビー玉を掲げ、太陽光を透かして見た。
からん、ころん、と細い足に穿かれた下駄が鳴る。
お忍び用にと用意した桃色の着流しに紺色の袴を纏った撫子は年頃の少女のように笑っていた。
しかし、上ばかり見ている撫子がいつか転ぶのではないか、とヨシノはらはらしていた。
「姫様、もっと足元に注意を払って下さい」
ヨシノも撫子と同様、目立たぬようにと紺色の着流しだけを纏っているが、警護のため刀を腰に差している。
―――はて、こうも騒いでいてはお忍びもないと思うが……。
二人が歩くのは首都・大和の城下町。その商店街である。東照の宮国では建物をコンクリートで造ることはなく、殆どが木造となっている。例外は大企業などのビルだけで、民家や店舗は町家(屋)造りになっていた。
ヨシノはこの街並みを気に入ってはいるが、流石に撫子を連れてではそうそう肩の力を抜けない。
今、二人がこうして此処に居るのは、撫子の我儘から始まっていた。
『城下の様子を知りたい』
撫子は市井の暮らしに興味を持ったのだ。
王と成る者が臣民の暮らしを知ることは重要だ、とヨシノは自分の警護つきでという条件で了承したが、撫子は――
「わかっておる。しかし、ははっ、綺麗じゃのー」
ただ楽しんでしかいなかった。
「はぁ……」
ヨシノは半ば諦め気味の様子で溜息を吐き、自身の額を押さえる。ただ、撫子が転んでもいいように、と手の届く場所まで近付いた。
すると、撫子がヨシノに振り向き、物悲しそうな顔をした。
「小腹が空いたのじゃ」
今は丁度、三時を過ぎた頃。間食としては頃合ではある。
ヨシノは手に持った包みを持ち上げるが、首を横に振った。
「いけません。これは城に帰ってからであります」
「吉野はけちんぼじゃ!」
「王家の者が買い食いなど、みっともないのもほどがあります。この『ばばいあ』の団子は後で食べられますのでご辛抱下さい」
「むー」
撫子は頬を膨らませる。
ヨシノは撫子の表情に少しの驚きと哀しみを感じる。
―――お忍びに出た姫様は若干であるが、言葉の端はしに幼さを見せる。――いや、これが十四という少女の有りの侭ということなのだろうか。だとすると、城の中で圧迫を感じていたということか。
そう思ってしまうと、今の撫子の行動を許容してしまう自分が居ることを自覚してしまう。
ヨシノは撫子から目を離すことなくただ後ろを歩くが、撫子はまたビー玉を掲げて眺めている。
「姫様はそのようなものがお好きなので?」
そうヨシノが問うと撫子は「そうじゃ」と頷く。
「このように小さくまん丸っこいのがいい! 宝石のような角ばったものやらはあまり好かんのじゃ」
「そう言ってしまっては宝石職人が泣いてしまいますぞ」
「それでは私はビー玉の方が価値がある!」
「左様で御座いますか」
からん、ころんと下駄が鳴る。
「そういえば吉野」
と、暫く歩いてから撫子が問い掛けてきた。
「なんでしょうか?」
ヨシノが聞くと、撫子は遠くに見える高架橋を指した。
「大和の街ではアレがよく目立つのう」
「そうですね。特に鉄道が多いです。鉄道は高架化されているか地上にしかありませんから」
「何故地下にはないのじゃ?」
「それは大和の地を深く掘ることが不可能であるからですよ」
ヨシノが言うと、撫子は「そうか」と何かを思いつき手を叩く。
「大和の地下には陣が描かれているのであったな」
撫子の言葉にヨシノは肯定の意味で頷く。
「大和家の破邪の力を増幅する魔方陣があります。実際にはエーテルを流す回路ですが、それを地下に設けているため、そう深くは掘ることができません。そのため、地下水道などもなく、川から水を引いている状態ですね。それが、この城下町では他の街と比べて一昔前の風景になっている原因でもあるのです。あと、あのような高架橋も少し城下町から外れた場所にあるので更にそう思ってしまうでしょう」
「しかし不便ではないのか? 私が前に住んでいたイスイの町では鉄道をよく利用していたが……」
「確かに不便ではあるでしょうが、住めば都、とでもいいましょうか意外と慣れるものです。それにこの地が一番破邪の力の恩恵を受けることができます。鬼を恐れる心配を考えると、此処は桃源郷にも思えるのでしょう」
「鬼か……、確かに鬼の恐怖は異常じゃ。私も此処に来るまでは普通の町に暮らしておった。鬼がどのようなものかは身を以って知っているつもりじゃ」
撫子は深刻そうに頷いた。
そろそろ大和城が近くなってきた。
大和城の周りには川が敷かれ、橋を渡ることで入城が可能となる、その橋まであと数分歩くと到着できそうになると、ヨシノは「さて」と言葉を置いた。
―――釘を刺しておかなければならないよな。それに話の流れとしても今言っておいた方がいいだろう。
「姫様。少しお話があります」
「ん? なんじゃ?」
撫子がヨシノに振り向く。
あどけない顔だ。
今から話す内容を考えるとヨシノの胸が痛む。
「姫様はどのような皇帝に成りたいですか?」
「それは私が理想とする皇帝でいいのかや?」
「はい。――いえ、違いますね。私が問いたいのはそのようなことではなく、姫様の自覚です」
「皇帝に成る自覚、というものか」
「東照の宮国、その臣民の上に皇族が居ます。無論、それは姫様も……」
「………」
「臣民の上――支えは何であるかわかりますか?」
「それは……税か?」
「そうです。血税です」
「血税……」
「姫様の纏うもの全て、住まう場所全て、踏むもの全てが血税で作られているのです。そして、この団子も、姫様が大事に持っていらっしゃるビー玉も血税で買ったもの」
「……これもか」
撫子はビー玉を見る。その顔は先ほどまでの明るさとは対称に影を落としていた。
そして追い討ちをかけるようにヨシノは言う。
「姫様は自覚しなければなりません。その身に纏うもの、その足で踏んでいるもの、その手に持つもの、その口に食すものが何であるかを自覚しなければなりません。そしてその自覚を持って皇帝に成らなければいけないのです」
「……では、私はそれを持ってどのような皇帝に成ればいいのじゃ?」
撫子は今にも泣きそうな顔をしてヨシノを見上げた。
「それはお答えできません。私が言ってはならないのです」
ヨシノは回答を拒否する。
「どうしてじゃ」
「私が決めてはならないからです。これは姫様が決めること。私はそれに付いていくのみであります」
「それは私の決定が絶対だといいたいのじゃな……」
「その通りです。生殺与奪を含め、東照の宮国全ての決定権が姫様のものとなるのです。その代わりに全ての責任もまた姫様のものに……」
今の撫子には酷な話だとヨシノは思う。彼女は大和家に迎えられる数ヶ月前までは普通の女の子であったのだ。なのに、国一つを担がせようとしている。
だからこそ、ヨシノはこの身を撫子に捧げようと思う。
「吉野は酷い! こんな時にこんな話をするとは……」
「……このお忍びは夢です。王を忘れて、ただの人に還る夢なのです。――夢は醒めなければなりません」
「しかし、それでもこんな話は聞きとうなかったわ! ましてやお前の口からなぞ!」
撫子は激昂する。
ヨシノの言葉は撫子の夢を完全に醒ますと同時に、この場を冷ましていた。
―――怒るのも無理はない。
当分の間は口を聞いてもらえないだろう、とヨシノは頭を下げる。
下げる頭の先。かっかっ、と下駄で走る音がヨシノの耳に聞こえた。
ヨシノははっ、と顔を上げると、撫子が大和城へと走っていた。
「お待ちくだされ!」
ヨシノは後を追う。まだ視認できる距離とはいえ、離れるのは危険であった。
幸いにも、ヨシノの防人としての能力、そして撫子の体格差とがあってヨシノは追いつくことが出来たる。ただ、そこは城門へと続く橋の上だった。
ヨシノが撫子の肩を掴むと、
「離さんかっ!」
撫子は振りほどこうとする。
その時だった。
ばたん。
と城の門が閉じる。
「!?」
ヨシノと撫子は揃って門へと振り向く。
その門の前には刀を携えた数人の男たちが居た。
「なんじゃ? ヨシノが閉めるように言ったのか!」
撫子はヨシノを見るが、ヨシノは「いいえ」と首を振る。しかし、ヨシノの顔は撫子へと向いていなかった。
「……姫様。私から離れないでください」
ヨシノはそっと刀の柄に手を掛ける。ヨシノの目線は門ではなく反対の方向――城下町の方である。
そこには橋を塞ぐように、また数人の男たちが刀を構え立っていた。
男たち全て、羽織に袴を着ている。
―――橋に閉じ込められたな……。しかし、この者たち、国の者で間違いなさそうだが……。ん、あれは――。
ヨシノは男たちの中に見知った顔を見付ける。防人部隊の一人だ。他にもどこかで見たような顔がちらほらと確認できる。
橋を塞いだ男たちの中から一人が前に出てくる。齢四十の男。目の彫りが深く、きつい印象を受ける。これもヨシノが見たことのある顔だ。
「群静……」
ヨシノは呟くと、それに答えるように前に出た男が言った。
「我は東照の宮国抜刀隊、群青・弼康也! 宮国の為、大和・撫子内親王の首、貰い受けに参った!」
「クーデターか……――」
ヨシノはざっと見で二十は越えるであろう男たちを見て、奥歯を噛み締めた。