執事さんの執事さんの…
あたしは今、首が痛くなるほど空を見上げている。
緩くカーブを描くその美しい建物は下からライトアップされており、その柔らかな光と建物の窓からもれるいくつかの灯りとが相俟って幻想的なまでに美しかった。
どれだけ磨きこまれたんだろう。目の前のガラスは一点の曇りも無く大口開けたあほ面で空を見上げているあたしをしっかりと写していた。
窓からもれる灯りは、上へ行けば行くほどに小さく淡くなり、夜闇にぽつんぽつんと彩を与えていた。
呆けていたあたしは、小さな頃夏になると川辺に行って家族で見た蛍の明かりを思い出していた。
この灯りは飛び回らないけどねーー。って!!違うから!つか、ここどこ!?なんであたしここに居るんだ!?
思い出せー!よーく思い出せあたし!
えーと、セルジュさんが東京に戻るって聞いて、仕事ではまゆさんの妊娠とお店の撤退を聞かされて同時に無職になって。
で、落ち込んで帰ったら引越し屋さんがあたしの荷物をトラックに積み込んでて…。
そうだ。それでその後あわあわしてたら、懐かしのおベンツセルジュ号の助手席に押し込められたんだ。
乗ってすぐはパニックだった。
「なんであたしまで引っ越すの!?」
「ですから、お嬢様のお部屋は悠馬くんが使う事になったのですよ」
「だからって東京!?」
「私にも仕事がありますので」
「そーかもしれないけど!あたしにだって…」
「お店は絵画教室に変わるのでしょう?」
なぜそれをーーー!!!あたしですら今日知ったのに!あたし当事者なんだけど!
「でもいきなり即日引越しってー!」
「私と離れるのは寂しいと今朝おっしゃって…」
「わーーー!ソレ!それ恥ずかしいから止めて!で!でもホラ!えっと、お姉ちゃん戻ってきたんだから、急に東京行っても家がないよ!それにいくら仕事が無くなったって言っても、東京に行ったからって解決するかな!?どうかな?どうなんだろう?」
そうそう。いちいちなんだかもっともな答えを返されたんだけど、それでも「え?だからって何で?」の繰り返しで、なんで?なんで?って騒いでたんだった!
結局、素敵な乗り心地のセルジュ号で座席に深く座りなおしたらそのまま寝てしまったみたいなんだけどね………。
そこはこの1日がとにかく精神的に起伏の激しい日だったんだから、仕方がないと思う!
そして着いたのがここです。
お姉ちゃんの家があった場所じゃないのは確か。ていうか、ハジメマシテの景色です!
かなりの深夜だったんだけど知らない場所なのはわかる。高台にあるこの一角は道幅も広くヨーロピアンデザインの街灯はうちの田舎と違って1つのもれもなく全てが煌々と灯されていた。
お洒落な建物が立ち並ぶその通りは、高級車が立ち並ぶ見るからに高級そうなレストランやカフェ、きっと大きな室内プールがついてるんじゃないかな?な、大きなジム、そして億ションが並んでいた。
すると、おベンツセルジュ号は通りの奥にある一際大きな門の前で止まった。
すると、すぐに門が内側にゆっくりと開いてゆく。
大きな門はその左右を蔦の絡まる高い塀に囲まれていて、実際門の中に入るまで敷地の中は一切見えなかった。
だから、中に入った瞬間自分の目を疑っちゃったよ!
何ここ!ほんとに東京なの?土地代が一坪ウン千万とかウン億とかする東京?
駐車場完備してないお店が殆どで、建物も隙間無くびっしり建っててマンションなんかも部屋が狭くて、なのにお家賃が田舎の倍は取られちゃうあの東京??
だってさ。目の前に広がるのは、きっと青々としてるんだろうなって芝生に噴水まであって、カーブが美しい高層タワーの脇には木々まで見える。
おベンツセルジュ号は、そんな敷地の中央に敷き詰められた道を進んで行く。独特の振動で、きっと石畳なんだろうなって思った。
それはどでんと鎮座する大きな噴水に続いている。どうやら噴水は門からのエントランスの目隠しとロータリーの役目があるみたい。
車が音も無く静かに止まると、いつの間にか現れたかっちりした制服姿の男性が現れた。あれ??看板とか無かったけど、ここってホテル?その人はドアマンのような制服を着ていた。
開けられたドアからふらふらと降りると、セルジュさんには「おかえりなさいませ」と声をかけ、その制服の男の人が代わりに車に乗り込んでさっさと出発してしまった。
そして、今この建物を見上げているのだ。
「お嬢様?」
「セルジュさん…この建物、てっぺんが見えませんけど…」
「もっと離れて見たらちゃんと見えますよ。それは明日にでも致しましょう。今日はもう遅いですから、入りましょう」
「ここ、ホテルですか?」
「いえ?新居ですよ」
「えええええ!?」
今日何度目かの衝撃があたしを襲い、眩暈がした。
力の入らない腕を、セルジュさんにさっさと取られ、建物に入るとお上品な中年の女性に迎えられた。
「おかえりなさいませ、お嬢様、セルジュ様」
かっちりとしたスーツに身を包んだその女性は、深夜だというのに服も髪もお化粧も乱れは無い。
「お嬢様、こちらは柏木みどりさんといいまして、このマンションのコンシェルジュをしております」
「こ、こんしぇるじゅのかしわぎさん…?」
「どうぞよろしくお願い致します。私の事は柏木、とお呼びください」
もう一度深々とお辞儀をすると、柏木さんは「ご案内致します」と言い、エレベーターに向かった。
なんだここ…エレベーターどこにあるの!?って位広いんですが!
横にはフロントのようなカウンターもあり、連れられて前を通るとやはり「おかえりなさいませ」と深々と頭を下げられた。
エレベーターも向かい合って6つの扉があった。
1つ既に扉が開いて乗れる状態なのに、柏木さんはそれを通り過ぎて行く。
すると、一番右奥の扉の前で止まった。扉は他の5基と一緒なのにここだけ付いているボタンが違っていて、ここだけがタッチパネルのようになっていた。
「指紋認証パネルでございます。このエレベーターは最上階のペントハウス専用となっております。お嬢様の指紋は既に登録済みでございます」
ええ!?指紋なんて生まれてこのかた採られた事ありませんが!いつの間に!
恐る恐るタッチパネルに指を触れさせると、細かな細工が美しい銀色の扉がしゅるん。と開いた。
うええー!ほんとに登録されてるよ!いつの間に!!
案内されるままに乗り込んで振り返ると、柏木さんがお辞儀して見送ってくれていた。
「あれ?柏木さんは乗らないんですかね?」
「ええ。彼女も自分の仕事が他にありますから」
「そっか。これだけ大きなマンションだったらお仕事忙しそうですもんね。ところで!最上階って言いました!?さっき見上げても見えなかったんですけど!一体何階なんですか!?」
「30階ですよ?標準よりも天井が高い設計ですからもっと高く見えるのかもしれませんね」
さ、30階!!サラリとそんな事言ってくれちゃってるけど、充分高いよ!むしろあたしには展望台レベルなんだけど!
そうこうしてる間に、独特の浮遊感さえも感じる事なくいつの間にかその最上階に到着していた。早っ!
静かに扉が開くと、今度は中年のスーツ姿もダンディな男性がお辞儀をして迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、お嬢様、セルジュ様」
「お嬢様、こちらはペントハウス専用のコンシェルジュをしております村井和敏さんです」
「ぺんとはうすの専用??」
「村井でございます」
「は、はぁ…」
「お荷物は全て運ばれております。どうぞ、お部屋へ」
「うん、ありがとう。ではお嬢様、こちらです」
「う、うん??」
大きな大きなシックなブラウンの扉にはプレートも何もない。鍵穴も無く、横にはまたもやタッチパネルがあるのみ。
「これはもしや…」
「ええ。どうぞ触れてみてください」
軽く触れると、ドアがかちり。と音を立てて開錠したのが分かった。
「入って、いいの?」
「勿論です。お嬢様のお部屋なのですから」
「お、お邪魔しまーす」
恐る恐る扉を開けると、今度はお上品な白髪の細身の男性がお辞儀をして迎えてくれた。
出た!また出た!!今度は何!
………しかも日本人じゃないしーーー!
顔を上げたその人は、彫りが深い端正な顔立ちで優しげなグリーンの瞳が印象的な初老の男性だった。
その顔立ちからジュエル王国の人である事がわかる。
「おかえりなさいませ。お嬢様、セルジュ様」
「お嬢様、ジェラールです。ここで私達の世話をしてくれます」
「お世話…」
「ええ…国で私付きの執事だったのですよ」
「セルジュさんの、執事さん?」
「左様でございます。私にお申し付けくだされば、私か、村井か、柏木が手配致しますので、なんなりとお申し付けくださいませ」
「え?村井さんに柏木さん、ですか?」
「まぁ…コンシェルジュは執事の資格がありますので、それぞれをペントハウス付き執事、マンション付き執事、と思って頂ければ…。ちなみに、柏木の上司が村井で、村井の上司がジェラールです」
「え?上司?村井さんと柏木さんはともかく、ジェラールさんもここのマンションの管理会社の社員さんなんですか?それになんで皆あたしをお嬢様なんて呼ぶんですか?」
「…先程お車で申し上げたのですが……確かに、管理は委託してますけれど、このマンションはお嬢様の所有ですので、実質お嬢様が柏木と村井とジェラールの主なのです」
「な、な、なんですとーーーーー!!!!!」
何なの、今日は!もう気を失ってもいいですか?起きたらどうか、田舎の小さな一軒家の狭い自室でシングルベッドで目覚めますように!
そう願ったんだけど、残念ながら全て現実だったようで、一晩経ってもあたしはこの街が一望できる高層マンションの最上階に居た。
そして執事さん(セルジュさん)の執事さん(ジェラールさん)の執事さん(村井さん)のそのまた執事さん(柏木さん)まで出来てしまったのだ……。




