表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/31

小さな執事さん、大きな執事さん

「そう、ですか」


セルジュさんは少し寂しそうに笑うと、一度強く目を閉じた。

その後開かれた明るいブルーの瞳からは、もう寂しげな色も消え、そこからは

強い意志が見えた。

そんな、そんな強い眼差しだった。


その強い眼差しで、セルジュさんは「では、ここでお別れです」と言った。


その言葉はきっぱりとしていて。


思わず縋るように見上げてしまった。

でも、セルジュさんの表情が揺らぐことは、無かった。


先に手を離したのはあたしの方だ……。義兄に何の義理もないセルジュさんに無理な

お願いをしたのも。

なのに、1人になりたくないなんて…なんてあたしは我侭なんだろう。


矛盾に頭が混乱するばかりで、きっとあたしはぼうっとソファに座り込んでいたんだと

思う。

セルジュさんは自分のライトブルーの携帯を取り出し、あちこちに連絡を入れていた。

でもそれは、大体が日本語じゃなかったから、どんな話を誰としているのかも

分からずに、あたしは意味の分からない言葉をただ聞き流すだけだった。

いつも、あたしに分かるよう日本語で話してくれたじゃない。ぼうっとしながらも

またそんな我侭な思いがよぎる。


一通り連絡が済んだのか、セルジュさんが急かすようにあたしを立たせた。


「代わりの人間を呼びました。もうすぐこちらに参ります。ご自宅まではその人間が

付き添います」


「…え?あたし、1人で帰るの?」


まただ。頭の片隅にいる冷静なあたしは、セルジュさんはあたしのお願いで、

すぐにお姉ちゃんの言うスタジオに向かうんだよ。1人で帰るの当たり前じゃない。って言ってる。

でも、どこか理解できない自分もいるんだ。だからこうしてまた我侭な行動に出てしまう。


「お嬢様は、明日からお仕事でしょう。私が仕事をする事も、ずっと勧めてくださってたじゃ

ないですか。やっと仕事が見つかるかもしれないのに、喜んでくださらないのですか?」


ズルイ。こんな時にそんな風に逃げる。

確かにただの居候みたいだって言った事はある。根っからの庶民なあたしには、

無職ってなんか『保障』が無くって不安で、ただあたしの為に毎日を消化する

セルジュさんにそれとなく就職を勧めてきた。

けど、それはこんな形じゃなくって……じゃあ、どんな形の『就職』なら良いの?

ここであたしは、なんで『離れて働く事』が嫌なのか、益々分からなくなってきた。


「お嬢様?」


「もっと、別の仕事だってあるじゃない。地元で、探したら……!」


「お嬢様」


両肩に手を置かれ、軽く身体を揺すられた。


「少し、落ち着いてください…今からお姉様の手伝いに行って参ります。それには

私は東京に残らなければいけません。…分かりますね?」


カクカクと、まるでロボットのように機械的に頷くあたしに、セルジュさんはやっと

笑顔を見せた。


「採用されないかもしれません。不採用でしたら、すぐに追いかけますよ」


そんなの慰めにしかならない。お義兄さんは、きっとセルジュさんを離さない。

自分の直感なんて今まで信じた事はなかったけれど、これには自信があった。

セルジュさんは、帰って来ない。




------------------------------------------------------




あの日、あたしはどうやって自宅に戻って来たか分からない。


気がついたら家でママお得意の肉じゃがで晩御飯を食べていた。


あたしは大使館の職員だという若い男性に連れられて帰って来たんだそうだ。

ママに頼まれた芋ようかんも、買った覚えは無いんだけれどご近所に配っても

まだ余る位に大量に買い込み、付き添ってくれた男性が両手に紙袋を提げていたのだと

言う。


我に返ったのは、ママの発言だった。


「みはる。サドルの高さ、調節しておきなさいよ」


「へ?」


「へ?じゃないわよー。明日から仕事でしょう?自転車のサドル、調節しておきなさいよ。

明日の朝バタバタする事になるわよ」


「自転車?」


ママが小さくため息をつくと、あたし達が帰って来る前にセルジュさんから電話が

あり、事情を説明された事。すぐにセルジュさんの代理人という人が来て、

セルジュさんのベンツを持っていく代わりに、新しい自転車が届けられた事を説明してくれた。


なんて手回しの良い……それは寂しい位の速さで、あたしの周りからは段々セルジュさんの

痕跡は消えていった。


セルジュさんの部屋からはとうとう荷物も運び出され、この家の中にセルジュさんを

思い出すモノはもうわずかとなったある日。


「あ」


目に付いたのは新聞の一面広告。


有名ブランドが新しく発表した話題の香水の広告だった。

素晴らしくスタイルの良い男性のシルエットが写るだけの広告だったけれど、

あたしにはすぐにそれがセルジュさんだと分かった。


その日から、雑誌だったりテレビCMだったり、電車の中吊り広告だったり、駅の

ポスターだったり…

色々な場所でセルジュさんを見かけた。

街中で見かける小さなセルジュさんは、シルエットだったり、逆光に浮かび上がる

微かに金髪が分かる横顔だったり、印象的な瞳のアップだったり、王子という

立場からか、決して人物を特定できないものばかりだったし、唯一見せた瞳も、

紫色のカラコンで色を変える念の入れようだった。

でもそれが却ってミステリアスなモデルとして脚光を浴びる事になり、街で、

テレビで、セルジュさんを見ない日は無い程になった。


「みはるちゃん、元気ないー」


「まゆさん」


仕事中、レジカウンターの中でぼうっとしてしまってた。


「原因は横井くん?それとも…」


「ヨコイ?……あ!」


忘れてた!あたしってば横井さんの事をすっかり忘れてた!


「あーー。違うならいいの。横井くん異動になったみたいだから、そのまま忘れちゃって」


慌てて話すまゆさんの言葉にも、不思議とショックは感じなかった。

いつの間にか、あたしの中から横井さんは姿を消していた。そんなに簡単に消える

存在じゃなかったはずなのに、もっと強い存在にかき消されてしまったかのように、

横井さんの居場所は消えていた。


「でも、忘れさせた張本人が居なくなったら意味ないわよねぇ…」


「え?」


「ううん。何でもない。本当はみはるちゃんに話があったんだけど、今度にするわ。

今はそんな時機じゃない気がするし」


「はぁ……」


その言葉に少し引っかかりと感じたものの、何かを考える余裕も無かったので、

その言葉に甘える事にした。


その内、セルジュさんは『謎の外国人モデル“S”』として、週刊誌をも騒がせる事になった。

各誌、その正体を実はハリウッドスターだとか、ハーフの新人モデルだとか

書いては今までの広告写真で検証していたが、どの記事もセルジュさんの正体に

迫ったものは無かった。

パパもママも、正体は気付いていたものの、お姉ちゃんが絡んでる為口外はしないで

いてくれていたし、ご近所の方も元々セルジュさんはウチにホームスティしてると

聞いていたから母国に帰国したのだろうと思っているみたいだった。


「ママ!今度は“S”の正体は有名サッカー選手だって!」


謎の人気モデル“S”の正体を暴こうと巻頭5ページを使った週刊誌を手に、ママと

「えー!全然似てないわよ!」などと楽しく話していたその時、


ピンポン♪


午後10時という、来客にしては少し遅い時間に訝しく思いながらもママが玄関に出ると……


「みさき!!悠馬も!どうしたの!?」


え!お姉ちゃん!?

あたしはビックリして玄関に走った。お姉ちゃんとはあれ以来、なんか気まずくて

話すのを避けていた。

でも悠馬まで連れて突然来るなんて…何があったんだろう!?


「お姉ちゃん!?」


「ママ、みはる。あの家、出て来ちゃった…」


「え!?」


ビックリするママとあたしの前で、お姉ちゃんは晴れやかな笑顔を見せている。

悠馬も、「出てきた」という意味は理解しているらしく、「僕、こっちの学校に

通うんだ!」なんて言っていた。


「えっ…とにかく、入って。もう、こんな遅くに子供と2人だけで危ないじゃない」


「大丈夫よ。彼に送ってもらったもの」


「彼?」


「そうよ。荷物も持ってくれてるの。……みはる、長く借りちゃって、ごめんね」


お姉ちゃんはそう言うと、後ろに声をかけた。


現れたのは……少し表情は疲れていたけれど、あたしの記憶にある通りにキランキランな

セルジュさんだった。

いつも傍にあった、あの大好きな明るいブルーの瞳が、あたしに真っ直ぐに向けられている。

目の前にいるのが本当にセルジュさんなのか信じられずに、あたしは裸足のまま

玄関に下りる。

お姉ちゃんは何も言わず、道をあけてくれた。


目の前のセルジュさんは、ほんの少し痩せた気がする。反対に髪は少し伸びたかな。

でも、本物かな……。

手を伸ばしてペタペタと頬を触るあたしの行動に驚きもせず、セルジュさんは優しい眼差しで

少し身を屈ませると、あたしに視線を合わせた。


「お嬢様、ただいま、戻りました」


明るいブルーの瞳に真っ直ぐに見つめられ、そう言われると、あたしの胸は

熱く大きなものでいっぱいになった。

はちきれそうになったそれは、溢れるように涙になって出てきた。


あぁ、あたしの中は、いつの間にかセルジュさんでいっぱいだったんだ……。




鈍感なヒロイン。やっと何かに気付いたようです?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ