執事さんの腕の中
まだ若干シリアス気味。
大きなビルを一旦通り過ぎると、あたしはセルジュさんからスーツケースを
受け取り、ビルの右手にある小道を歩き出した。
「ここね、石畳になってるからスーツケース転がすの、ちょっとコツがいるんだ」
軽い口調で話してみるけれども、実はちょっと緊張している。
小さな頃から、お姉ちゃんとはずっと仲良しだった。
そう、お姉ちゃんがお義兄さんと出会って結婚するまでは・・・。
今もお義兄さんに気を使いながらもあたしの事は気にかけてくれている。
あたしもやっぱり会いたいし、東京に来たらやっぱりまずここに宿泊の希望を言うのだ。
今回は、前半の3泊が「許可」された。
ビルの裏側に回ると、正面入り口よりも二周りほど小さな勝手口が見えた。
その横の、小さなインターフォンを押す。
「ここはね、お義兄さんの持ちビルなの。モデル事務所の社長さんなんだよ。
すごいでしょう?5階から上が居住空間になってるの」
「はい。木嶋でございます」
「こんにちは。日野です。今日から3日お世話になります」
「・・・はい」
冷たい声が対応した。
目の前のドアから、カチャリと音がした。
音がしただけ。開いてはいない。つまり、カギは開けたからドアはオマエが開けろ。って事だ。
「失礼しますー」
先にスーツケースをゴロリと中に入れて、それから顔を覗かせると目の前に濡らした
タオルを突き出された。
タオルを手にしているのは、淡いピンクのスーツをビシッと着て隙の無いお化粧を
綺麗に施している女性・・・。
「ありがとうございます」
お礼を言ってタオルを受け取る。
「室内に上がりこむ前に、スーツケースの汚れた部分を綺麗に拭いてください。
それから、室内ではスーツケースは転がさないで。今回は2部屋と聞いています。
7階の客間を使ってください。簡易キッチンもそのまま使って。冷蔵庫にはミネラルウォーターを
数本入れておきました。他になにか?」
「イエ・・・」
そう言うと、女性はそのまま部屋の奥へと消えた・・・。
まだ体の半分が屋外に出た状態で、とりあえずスーツケースを拭きにかかった。
すると・・・
「私が」
まだドアの外にいたセルジュさんが、ドアを大きく開けるとスーツケースを奪い取って
拭き出した。
「お嬢様。私は・・我慢できそうにもありませんが・・」
「・・・それでも、我慢してください」
「・・・・・」
2人分の荷物が詰まったスーツケースは、転がさずに持とうとすると結構重い。
それが分かってて、彼女は「転がすな」と言ったのだ。
ちなみに、先ほどの秘書風な装いの女性は・・・通いのお手伝いの高橋さんだ。
勝手口の玄関を入ってすぐ横に、居住スペースに直行するエレベーターがあるので
それに乗り込み、7階へと向かった。
7階へ着くと・・・
「みはる!いらっしゃい!」
ブランド物のワンピースを着て綺麗にお化粧したお姉ちゃんに迎えられた。
「お姉ちゃん、久しぶり!」
「ごめんね。迎えに行けなくて・・あの・・」
口篭るお姉ちゃんに、そっと首を振る。
「お義兄さんに、悪いもの。いいよ。今日はセルジュさんも居たし、荷物は持って
もらったの」
「はじめまして。セルジュ・ロマーニです。今日野家でお世話になっております」
「はじめまして!みはるの姉のみさきです。あらー、写メで見るよりカッコイイわー!」
写、写メ!?
「ママが送ってくれたのよ」
「セルジュさん、知ってた?」
「先日、写真を撮らせてくれと言われましたが・・」
ママってば・・なんてすばやいんだ!
「それにしてもみはる・・こっちに来るならその格好を・・」
「お姉ちゃん、すぐに出かけるから、部屋で荷物解くね」
お姉ちゃんの言葉を途中で遮る。勿論、これはわざとだ。
お姉ちゃんもそれを知ってるから、そっとため息をついてその話は終わりにしてくれた。
「わかったわ。今回は前半しか泊められなくてごめんね。このフロアは好きに使ってくれていいから」
「・・ありがと」
そう言うと、お姉ちゃんはエレベーターで階下に降りて行く。
「・・・このフロア以外は出入り禁止。と言っているようなお言葉でしたね」
お姉ちゃんとの会話を、静かに聞いてたセルジュさんがあたしの正面にやって来て
そっとあたしの手を大きな手で包み込んだ。いつの間にか、手をぎゅうっと握り締めてたみたい。
「そんなに力を入れては、ご自分でご自分を傷つけてしまいます・・」
そっと、そっと手の平に食い込む程に力んだ指を、ひとつひとつ優しくほどいてくれた。
「話してくださいませんか?お義兄さんとの事を・・」
ふと視線を上げると、セルジュさんは目の前に跪き、優しくあたしの手をマッサージしていた。
「・・・お姉ちゃん、綺麗だったでしょう?自慢のお姉ちゃんなの。
でもお義兄さんと出会ってから、なんか変わっちゃったなー・・。
お義兄さんはね、このビルを所有してて、階下にあるモデル事務所の社長さんなの。
偶然出会ったお姉ちゃんの綺麗さに惹かれて、スカウトしたんだけどね、結局
お姉ちゃんはモデルじゃなくって、お義兄さんと結婚して、社長夫人になったんだ。
お義兄さんはね・・・美しくて洗練されてて、高価で上品なものが好きなの。
それが、イコール人の価値だと思ってるのよ。
だからお姉ちゃんの服とか持ち物、好み、全部口を出した。お姉ちゃんも感化されてった。
そして、あまり田舎の実家には帰って来なくなったんだ。
お義兄さんも、必要最小限しかうちの家族とは会わないわ。彼の好みからかけ離れた
家族だから。
お義兄さんの長期出張なんかで、お姉ちゃんが子供を連れて時々遊びに来るくらいよ。
お義兄さんは田舎くさくてブランドで固めてないあたしが、自分の聖域に足を踏み入れるのが
嫌いなの。
その考えは、他のお手伝いさんとか、モデル事務所のスタッフさんも知ってるから
皆あたしの相手をしないってワケ。
更に・・甥っ子はね、悠馬って言うんだけど、うちの家族に懐いててね~~。
こっちでは泥んこになるまで外で遊ぶとか、とんでもない!って感じらしいの。
だからうちに来てる時は、時々パパとキャッチボールとかしてるらしいんだけど
それもあってお姉ちゃん以外のうちの家族はとーーーーっても嫌われてるの」
一気に離すと、ふーーーーーっと長く息を吐いた。
「なぜ・・わざわざこちらにいらしたんです?」
あたしの顔を見上げ、そっと頬を撫でてくるセルジュさん。
下から見上げてくるから、いくら俯いても、彼の視線から逃れる事は出来なかった。
「だって・・やっぱりお姉ちゃんは家族だし、好きなんだもん・・」
「そうですか・・そうですね。家族ですから」
そっと、立ち上がるとセルジュさんは柔らかくあたしを包み込み、子供にするように
ポンポン。と背中を優しく叩いた。
いつもなら抵抗するあたしも、あまりに自然に抱きしめられて、あまりにもそれは
優しくて、ここに甘えてもいいんだって自然と思えたんだ。
一度、セルジュさんの胸にぎゅーっとしがみついた後、あたしはそのまま顔を上げた。
悔しい事に身長差がありすぎて、真上を向かないとセルジュさんの顔が見えない。
どうしても顔を見て、聞きたかったんだ。
「顔の美しさとか、服の高価さとか、そんなに大切かなぁ?そんなのにしか、
人の価値って無いの?」
「いいえ。違いますよ。あなたが私にそれを教えてくれたんじゃないですか」
優しく微笑むセルジュさんが、目の前に居た。
「私は、あなただから一緒に居たいと・・別の世界を見たいと思ったのですよ」
窓から差し込む日差しは、ふんわり微笑むセルジュさんの美しい金髪を、更にきらめかせて
一瞬その眩しさに、目を、閉じた。
その一瞬の時だった。
唇に、柔らかく熱を持ったものが押し付けられた感触があったのは・・・。
でもその時のあたしには、それすらもあまりに自然で・・・
それが何だったのか・・はっきりと意識してしまう前に、またあたしはセルジュさんの
柔らかな抱擁の中に居た。
セルジュ、どさくさにまぎれて・・・・!