8 旅の仲間
不老不死の霊薬を配達するだけの簡単な旅のはずが、何やら妙な話になってきた。
俺は脱走奴隷になり、脱走公爵令嬢をお供に、荷担をくっつけて、ハフティーに会いに行く。
ハフティーは俺を置いて危険な旅に出ているらしい。ハフティーなりの深い考えがあっての事だとは思うけど、危険な旅だからこそ一緒に行きたかった。
せめて俺を置いていく事情を話して欲しかった。こんな騙し討ちをしてまで俺を遠い地に押し込めておく理由が分からない。
もちろん、事情を話さない・話せない理由があったに決まっているし、騙し討ちするに至った考えもあるのだろうけど、理由があれば納得して引き下がるのかと言えば全くそんな事もないわけで。
なにしろ七年来の親友なのだから。
せめて一度会って話してキッチリ説明してもらわないと納得できない。
ハフティーと合流して、彼女と話し、状況が許すなら用事を一緒に片付けて、改めて霊薬の配達をする。これが当面の目標だ。
夜中に宗教都市ケンテレトネクを出た俺達は、俺が街にやってきた経路を引き返す道のりを歩いた。やがて東の空が白んで、日が昇り、丈の低い大草原を貫く一本道を照らし出す。
朝露に濡れた草むらから小動物が顔を出し、街道沿いに点在する野営地から三々五々起き出し動き出した隊商や巡礼者たちに驚いて逃げていった。
ウルは野営地でのんびりしていた商人の一人と交渉し、けっこうな額を支払い一台の馬車を手に入れた。積まれていた布製品もまとめて買い取ったから相当な出費だが、次の街で売り払えばいくらか出て行った金も戻るだろう。
ケンテレトネクで買えばもっと安かったが、出発が深夜で店は閉まっていたから仕方ない。
ウルは馬の扱いが下手だと言うので、俺が御者の席について馬車を走らせた。
一頭立ての馬車の荷台にはウルと荷担が腰を落ち着ける。ウルはすれ違う人々を物珍しそうにそして少しの警戒を滲ませて眺め、荷担はすれ違う女性と俺を見比べては下世話な講評をペラペラ喋った。
やがて日は高く上り、振り返ればケンテレトネクの街並みは小さく遠くなっていた。
ここまで来れば突然怒り狂った公爵の私兵に包囲される事も無いだろう。
俺は馬を休ませるついでに昼休みにしようと速度を緩めたが、それに気づいたウルが反対した。
「休まず急ぎましょう。隣の領地、というか、次の街に着けば安全ですから」
「ええ? なんで?」
「ィアエ公爵家は隣の領主様と仲が悪いのです。お父様から何か引き渡しや捜索の要求をされても絶対に頷きません」
それは……安全なのか?
「隣の領でウルが公爵令嬢だってバレたら酷い目に遭わされるんじゃ? 仲悪いんだろ」
「大丈夫です。隣の領主様はお父様と旧知で、昔、お母様を取り合った関係なのだそうです。お会いするたび、物凄く複雑そうな顔で私を見た後、いないものとして扱われます。今回もそうなされるでしょう」
「愛憎模様~」
ウルってもしかしてクソデカ感情の嵐の中心にいる人?
全てを捨て去る今回の出奔でてんやわんやになる人、多いんだろうな。そりゃ公爵令嬢が出奔して騒ぎにならないわけないんだけど。
こういう話好きそうだな、と思って荷担に目をやると、荷担は俺の視線に気付いて肩をすくめた。
「興味ないな。興味あるのはヤオサカの恋愛だけだ」
「こわ」
荷担は面白い奴だけど、控え目に言ってちょっと面白過ぎるとこあるな。
ともあれ、ウルの言葉通り馬を急かして宥めすかし、騙し騙し先を急ぐ。
移動しながら馬の疲れを癒す霊薬を調合できればいいんだけど、ガタゴト揺れて普通に手元が狂うから無理だ。あとけっこう人の往来があるから、不確定性原理壊れて調合失敗する。もっとまともな調合道具が用意できればねえ……まあそのへんは追々。
公爵の私兵がいつ追いかけて来るのかと一分おきに背後を確かめながら丸一日馬車を走らせ、俺達は日が傾き閉門間近の隣街に滑り込んだ。
衛兵に「指名手配犯の似顔絵と一致しないか」「禁制品を持っていないか」の二項目をチェックされたが素通しだったので、急いだ甲斐あってィアエ公爵家からの手配より早く到着できたようだ。それともウルの言う通り、領主同士の仲が悪くて手配要請が握りつぶされているのか。
なんかすっごい普通に逃亡成功して拍子抜けだ。
ハフティーと逃避行すると追う側と追われる側が逆転したり、頼むから早く捕まえてくれと懇願するハメになったり、いつも滅茶苦茶な事態になるから、こんなにうまく行くとちょっと落ち着かない。
「家出って思ったより簡単なんですね。あんなにたくさんの人とすれ違ったのに、誰も私に気付かなかったみたいです。ヤオサカが逃亡奴隷だと気付く人もいませんでしたし」
荷台のウルが夕日を背に閉まっていく門を振り返りながら意外そうに言う。
いかにも逃亡初心者の感想にちょっと笑った。
「たぶんまだ手配書出回ってないしな。それに、ウルは手配書の似顔絵を暗記して、すれ違う人と照らし合わせながら暮らしてたわけじゃないだろ? みんな一緒だ。指名手配犯が隣に座っててもなかなか気付かないもんだよ」
「市民はそうでしょう。でも衛兵は? 衛兵ともすれ違いましたよ」
「衛兵はな、『だり~、早く仕事時間終われ~、事件何も起こるな、楽な一日であれ』って祈りながら仕事してるんだ。熱心に指名手配犯に目を光らせてる奴なんていない。気を付けなきゃいけないのは借金取りとか、怒り狂った賭けの胴元とか、賞金稼ぎとかだ。今回は公爵の手勢かな」
その公爵の手勢もこの街では領主に睨まれ自由に動けないというのなら、ウルの言う通り逃げ切ったと考えていいだろう。ハフティーと両手の数では収まらない逃走劇を繰り広げてきた俺の勘がそう言っている。
夜逃げして良かった~。真っ昼間に逃走開始したら流石にもっと面倒な波乱の逃走劇になっていただろう。
「なるほど……過剰に神経を尖らせる必要はない、という事ですか」
「そう。ま、捕まっても逃げればいいし。気楽に行こう。とりあえず今日の宿探しだな。今から探して空いてる部屋あるかな?」
「よしヤオサカ。新しい街、新しい出会いだ。良い女と出会えるところに行こう。あっちとかどうだ?」
「あっちはどう見ても風俗街なんだよなあ」
えっちなお姉さんがいっぱいの宿屋に誘導しようとする荷担は、汚物を見るような冷たい目をしたウルに荷台の布の山の奥に押し込まれ静かになった。
荷担は話にならないので、旅慣れた俺の一存で宿を決める事になった。
馬車を預かって貰える宿の中で下の上ぐらいのグレードのところを選び、宿帳を書いて部屋を取る。あんまり安すぎる宿を取ると朝起きたら馬車が盗まれてたりするからな(経験談)。
俺とウルは費用節約のため三人部屋にしようとしたが、荷担が意味深な笑みを浮かべ「こっちの事は気にするな。二人っきりで熱い夜を過ごせ」と言って止める間もなく夜の街に消えていってしまったので、二人部屋になった。
荷担の意味深な笑みが伝染した宿屋の主人から二人部屋の鍵を渡され、ねっとり「ごゆっくりどうぞ」と言われたウルが顔を髪と同じぐらい真っ赤に染めてしどろもどろに弁解する。
「あっ、あっ、あの、何もしませんから! 私はハフティーにヤオサカを任されていて、だからハフティーを裏切る真似は、決して……!」
「そういうのは心配するな。俺はハフティーと七年旅して一度も手を出さなかった男だぞ」
「!? ……もしやヤオサカは女性を恋愛対象として見れないのですか?」
「いや? 普通に女好きだよ。恋愛してぇ~って思う事もある、けど、まあ、昔失恋して、ちょっと今はいいかなって。そういう場合じゃないだろみたいなのもあるし」
俺は曖昧に話を濁した。
恋愛話は嫌いじゃないけど、俺の小学生の時のしょーもない失恋談を聞いた人は大体ブチ切れるからあんま話したくない。友達が友達の悪口言うのを聞くの気分悪いんだよな。
ウルは俺の失恋話が気になったようでかなり聞きたそうにしていたが、俺が露骨に話を逸らして夕食を食べようと誘うと追求を控え、話に乗ってくれた。
朝から夕方までずっと馬を走らせて、俺はもうお腹ぺこぺこだよ。
宿で出された食事は普通のものだった。
つまりパンと水、肉。そしてギトギトの油に赤錆が浮いたこの世のものとは思えないスープだ。
この世界の住人は食事でパンと肉を抜く事があっても、この地獄めいたスープは抜かない。味覚壊れてるぜ。
調味料として砂鉄が当たり前のように売られているだけあり、豊富に鉄分を摂る事が習慣づいたこの世界の人々は体が丈夫だ。ずっしり重く、ガッシリ堅い。ウルの超人的パワーやスピードの源もこういう食生活から来ているのだろう。
このスープを飲むと吐いてしまう俺や、偏食家でスープを飲まないハフティーは相対的に体が弱い。しかしその分頭がいいから差し引きプラスだと思っておきたい。
俺が事情を説明すると、ウルは自分のパンと俺のスープを交換してくれた。
この世界でスープが嫌いというのは、ハンバーグもカレーもラーメンも全部嫌い、というのと同じぐらい損な味覚だと思われる。ウルは同情的で、俺がパンを食べ終わると肉も半分切り分けてくれた。
「まさかスープがダメとは。放浪の民は皆そうなのですか? ハフティーの御両親もそうでした」
「どうかな。俺は放浪の民ハフティーしか知らんからなんとも」
「ヤオサカさんは放浪の民では無いのですか?」
「いや? なんか気付いたらこの世界にいただけ。まあでも実質放浪の民みたいなもんだよ」
放浪の民は体の入れ墨で見分けがつくのだが、普通にしていれば服に隠れて見えない場所に彫っているから、一目では分からない。一般人は「怪しい旅人=放浪の民」ぐらいのガバ認識だ。
俺達は共通の友人について話に花を咲かせ、夜遅くになってから部屋に引き上げた。
ウルが初めての外泊にモジモジしていたので、俺がベッドシーツを窓枠のでっぱりとドアに引っかけて部屋を区切る仕切りを作った。これで実質男女別二部屋だ。よし、問題ないな!
「じゃ、おやすみ」
「え。あ、はい。おやすみなさい」
ベッドに潜り込んで言うと、ウルの返事が返る。
ウルが俺を真似てベッドに潜り込んだ衣擦れの音がしたが、「かたい……」という少し不満げな呟きが微かに漏れ聞こえた。生まれた時からふかふかベッドで寝ていたお嬢様らしい感想だ。
まあすぐ慣れるさ。薪を枕にできるだけで有り難いと思うようになったら一人前の旅人だ……
それから、俺達の旅は順調に進んだ。街から街へ、街道沿いを行く。
夜になっても賭博が始まらない旅は奇妙に感じられたが、代わりに荷担があの手この手でウルと俺の間に恋愛イベントを起こそうとするので退屈はしなかった。
俺を突き飛ばしてウルの胸に飛び込ませたり、ウルを焚きつけて俺に手料理を振る舞わせたり。
しかしウルはまるでバランスを崩した警護対象を受け止める護衛のようにがっしりと俺を抱き留めたし、ウルの手料理は壊滅的で、桃色な空気は発生しなかった。
一度はウルと共謀して仕返しをしてやろうと話し合い、宿で一緒になった夜職の女性に頼んで色目を使ってもらったのだが、まるで見えていないかのようなガン無視で相手にされなかった。
あいつ、マジで俺の恋愛にしか興味ねぇな。すごい生き物だ。
小さな旅の悲喜こもごもを楽しみながら、俺達は七日かけて俺がハフティーに売られた野営地まで戻った。
が、当然ハフティーの手がかりは何も無い。
困った俺達は野営地最寄りの宿屋の一画のテーブルを囲み、作戦会議を開いた。
「ヤオサカは女に追われるより追いかけたいんだな。その恋路、応援してるぞ」
「荷担さんはいったん静かにしていてもらえますか?」
「ハフティーは俺を遠ざけたかったみたいだから、ケンテレトネクとは逆方向に行ってると思うんだよな。見た目もやる事もぜんぶ目立つ奴だから、すぐ目撃情報見つかるだろ」
「なるほど。では、明日からは情報収集をしつつ、えーと、北でしょうか? 北へ向かう事にしましょうか」
俺は頷いた。
今も「探し上手」の霊薬を飲んでいるから、事態は良い方向に進むはず。それでもダメなら「探し人を可能な限り早く発見し合流に成功する霊薬」みたいな超絶ピンポイントな効果を持つ霊薬を腰を据えてじっくり調合しにかかるしかない。
「ま、なんとかなるさ。のんびり行こう」
「はい。でも、一つ問題が……旅の資金が足りなくなってきました」
「うっ! ごめんなぁ、霊薬売れなくてさ……」
「ヤオサカのせいではありません。まさか本物の霊薬だと信じてもらえないとは……」
そりゃあ常識的に考えて怪しげな旅人が売る怪しいお薬より、お医者さんや薬屋さんを頼るよな。「このクスリはホンモノだから!」「効果保証! 大丈夫、安全!」「霊薬ぐらいみんな飲んでる、俺だって飲んでる。一本だけ買ってみない?」などなど必死にセールスしても、むしろ客はそそくさ離れていった。
霊薬の売買交渉を引き受けてたハフティーって凄かったんだなって。
霊薬は売れないし、厩代や宿代、食料代がやけに高いし(たぶんボったくられているが、こっちにも暮らしがあるからこれ以上安くできない、なんて言われたら払うしかない)、ウルが屋敷から持ち出した大金はみるみる減って今は雀の涙だ。
これじゃハフティーを捕まえる前に路銀が尽きるぞ。
どうやって稼ごうか、闇金から金を借りようか、いやそれは流石に……などと話し合っていると、荷担が挙手した。
「名案がある」
「ほう。一応聞こうか」
「ヤオサカの特技を活かそう。ヤオサカが危ない女を見つけて手籠めにして貢がせて、」
「はい却下」
荷担は手を下げてしょんぼりした。
なんでもかんでも恋愛に結び付けようとするんじゃありません。もっと真面目に、現実的に考えてくんねーかな。
「ヤオサカはハフティーと旅をしていてお金に困らなかったのですか?」
「困りまくってた。でもだいたいハフティーがギャンブルでなんとかしてたり、なんとかできなかったりしてたな。んー、ここはやっぱ特技を活かして稼ぐ方針でいくか。俺の特技じゃ稼げないし、荷担は荷担だから、ウルに頼りたい」
「いえ、私は特技なんて何も……」
ウルは自信無さそうに小さくなる。
この女、まだ自覚が足りていないようだな。もっと自分の厄介性癖をさらけ出せ。
「なに言ってんだ、お前人殺し好きだし得意だろ。自信持て。店主―! ここ賞金首の手配書って置いてないか? 殺しても大丈夫なやつで」
「なんだお前さんたち、そんなナリして賞金稼ぎか? 少し待ってろ」
いったん裏に引っ込んだ宿屋の店主は、俺達のテーブルに手配書の束をどっさり持ってきてくれた。殺しOK限定なのに、予想の三倍出てきて驚く。
「あれ、こんなにある?」
「魔王軍がのさばってからこっち、治安は悪くなる一方だからな。近頃じゃ井戸端でお祈りしてる途中でスリにあったなんてけしからん話もあるぞ。まったく、世も末だ」
店主は溜息をつき、首を振りながらカウンター裏に戻っていった。
でも物騒な世の中になったおかげで、ウルは性癖を満たす獲物には困らないし、金も稼げる。悪い事ばかりじゃあないよな。
「よし、せっかくだから大物狙ってバーンと稼ごう。それか近場ですぐ見つかりそうな賞金首とか。手分けして厳選するぞ、荷担はこっちの束、ウルはこっちの束を見繕ってくれ」
「ヤオサカ、いざ殺す時になって『事情あるかも知れないし見逃そう』なんて言いませんよね?」
「いやいや、賞金首にまでなった極悪人にかける情けは流石に無いって。でも事情ありそうだったら話ぐらいは」
「分かりました。一人で殺しに行きます。ヤオサカは絶対に付いて来ないで下さいね」
「えー?」
ぐだぐだ話しながら手配書をめくる。
連続強盗殺人、衛兵詰所への放火。馬車強盗、邪教崇拝、強盗強姦殺人……おーおー、殺してでも捕まえろって声高に叫ばれるに相応しい悪人共がいっぱいだ。
でもこの邪教崇拝ってのは信仰の自由的に考えてやり過ぎ、じゃないな? 井戸に毒入れて村一つ壊滅させてやがる。紛れもない邪教だ。やばすぎ。大金貨200枚も納得の懸賞金だ。
「おっ? 大金貨4000枚の賞金首!? すげぇ! 頭一つ二つ抜けた手配額だ。
どれどれ……? あーあーあー、罪状もエグいな。
魔王軍との内通。城塞都市レダチクを守っていた人類軍三万に虚報を掴ませ、都市共々壊滅させた。げぇ、人類の敵過ぎる」
俺が読み上げると、興味を惹かれてウルも自分の手配書の束を置いて覗き込んできた。
「私にも見せて下さい。どうせ殺すならそういう死んだ方が世のためになる極悪人が良いですね」
「じゃあこいつを殺しに行こうか。えーと? 容姿は、放浪の民で、小柄。女性。長い金髪に類稀な美貌。ツラの良さが特徴に書かれるって相当だぞ。で、名前は――――」
名前を読んだ俺は絶句し、ウルは悲鳴を上げた。
「放浪の民、『博徒ハフティー』!?」