7 ふん、おもしれー女(恐怖)
「私とハフティーは古い友人です。七歳のハフティーが御両親を賭けた闘鶏に負けた時、売りに出されたお二人を引き取ったのが当家でした」
「あ、それ聞いた事ある。貴族の家に両親を取り返す賭けを持ち掛けたら、両親に拒否られて一人旅を始めたとかなんとか」
「そうですね。『拒否された』というのはかなり穏便な表現ですが。私はその時からずっと彼女と文通をしています。御両親が病死なさった後もです。ハフティーは私の本性を一目で見抜いて知っていますから、時々訪ねてくれる彼女と本音で話すお茶会には随分心慰められたものです」
ウルお嬢様は語りながら寝室のクローゼットを開き、服を見繕い始めた。
「ヤオサカさんのお話もハフティーから聞きました。手紙で読んだハフティーのあなたの気に入りようといったら大変なものでしたよ。二人旅が楽しくて仕方ないようで、ヤオサカさんと会ってから一度も私を訪ねてくれなかったほどです」
「ああ、ハフティーは確かにそういうとこある」
あっちこっちに謎の人脈を持つが、驚くほど薄情に関係を断ち切ったり、無慈悲に利用したりする。奴は正真正銘のカスだからな。
お嬢様は見繕った服と下着をまとめて畳み、大きなトランクケースに詰めながら続ける。
「この七年は文通だけでしたが、『ヤオサカを預かって欲しい』と頼まれ私は二つ返事で了承しました。話に聞くヤオサカさんとお会いしてみたかったですし、珍しく金銭や紹介状の無心ではない頼み事でしたからね。
危険な旅に出るから彼は同行させられない、世界の終わりが来るその日まで、魔王の脅威から一番遠いこの街で、安全に匿っていて欲しいと真摯に綴っていました」
「なんだそういう事? 水臭いな。ハフティーが俺を取り返しに来ないなんて変だと思ってたんだよなあ……ところでお嬢様はさっきから何してるんですか?」
「出立の準備ですが」
「あれ、お嬢様も旅に出るんですか?」
「何を他人事のように言っているんです。ヤオサカさんをハフティーの元へ届けに行くんですよ。少し失礼」
お嬢様は断りを入れ、部屋の扉を開けて突風と共に姿を消し、超スピードで堅パンとブラッドソーセージひと巻、油瓶に砂鉄壺を抱え持って戻ってきた。
はっっっや!
今の数秒で厨房から食料持って来たんですか? どういう身体能力してるんだ。
「もうこの屋敷に戻るつもりはありません。公爵令嬢の名も立場も捨てますから、ヤオサカさんも私に敬語を使わなくて結構ですよ」
「あ、そう? じゃあウルも俺のことヤオサカって呼び捨てていいよ」
「え。それは……ハフティーに怒られそうですね」
「なんで? 親友の友達なんだから呼び捨て普通じゃないか」
不思議に思って聞くとウルは返事に窮しモジモジしたが、かなり勇気を振り絞った様子で言った。
「では、ヤオサカと」
「あいよ。改めてよろしく、ウル」
「はい!」
ウルは花咲くように笑い、ウキウキと旅の準備を進めた。
トランクケースにナイフと砥石を革に包んで入れて、ずっしり重い貨幣箱をダイヤモンド瓶の隣に押し込み、インク壺とペンは悩んだものの入れずに脇に置く。
一人旅を覚悟していたが、図らずも旅の仲間ができた。俺は頭脳派だから、肉体派が同行してくれるのは素直に心強い。やったぜ。
ウルは最後に寝室の鍵付き道具箱に入っていた俺の霊薬調合道具一式と不老不死の霊薬、その他雑多な霊薬をいっしょくたにトランクにねじ込み、中に押し込んでバチリとロックをかけた。
「準備できました。この屋敷で何かやり残した事はありませんか?」
「んー、まあ、無いかな」
「では、朝になる前に行きましょう。私がいれば怪しまれず出られます」
俺達は頷き合って部屋を出た。
途端に、横から声をかけられ飛び上がった。
「良かったなヤオサカ」
「!!??」
物凄い遠心力で視界がぐるりと回ったかと思うと、俺はウルの背中を見ていた。超反応で腕を掴んで引っ張られ背中に庇われたらしい。た、頼もし過ぎるボディガード……!
「何用ですか。こんな夜更けに私の寝室の前で一体何を?」
「これでお嬢様の好感は上限を振り切った。もういつでも結婚できるぞ」
「あ、コイツは大丈夫」
ウルの華奢だが上背のある背中で声の主の姿は見えなかったが、雄弁すぎる言葉で誰か分かった。
鋭く警戒するウルの肩を叩き、俺が前に出る。
恋愛のバケモン、荷担は当たり前の顔をして続けた。
「結婚するなら永遠の愛の誓いの証人になるから、いつでも声をかけてくれ。しないならそれもまた良し。女を惚れさせたからといって結婚する義務は無いからな。ゆっくり自分に一番合う女を探せばいい……でも浮気、不倫はぶちのめす。汝、姦淫するべからずだ。純愛しろよ、ヤオサカ!」
「あー、色々言いたい事あるけど、いったん待て。お前から見てウルは俺に惚れてるように見えるのか?」
「惚れている。惚れているように見える見えないではなく、これは事実だ」
恋愛有識者があまりにもキッパリ断言するものだから、俺はついウルの顔色を伺った。そんなまさか、ねぇ?
ウルは荷担のトチ狂った恋愛語りに目を白黒させていたが、俺に見られている事に気付くと頬を赤くしてさっと顔を逸らした。
えっ。
え? そんな事ある?
ちょっと人生相談に乗っただけで? 惚れっぽ過ぎない?
こんなんで惚れられるなら二、三十人に惚れられてるが?
俺はニヤニヤしている荷担とオロオロしているウルを見比べ、恐る恐る聞いた。
「あのー、つかぬ事をお聞きしますが」
「は、はい……!」
「俺、ハフティーに『ヤオサカは恋愛向いてないから絶対するな、するならまず私に相談しろ』って言われてるんだけど」
「……でしょうね」
「ハフティーいないから、失礼かも知れないけど、直で聞きたい。俺ほんとに鈍くて、こういうの聞かないと分からないからさあ」
「はい……」
「ウル、俺が好きなのか? 恋愛的な意味で」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………いいえ」
「惚れてねーじゃねぇかおい、荷担! 馬鹿ッ! これから一緒に旅するのに気まずくさせんなよ、まったくさあ」
はー、ドキドキして損した。いい加減な事言うなよな。ウルも困ってるだろ。
「まあでも、お前らしい冗談だったよ。最後に聞けて良かった。達者でな、荷担。実は俺達、今からここを出るんだ。せめて朝まではここで会った事を誰にも言わないでいてくれると助かる」
「ああ分かった」
素直に頷いた荷担に手を振って別れを告げ、俺達は屋敷を出る。
この屋敷では色々あった。
しかし、最後は不老不死の薬を配達する旅に無事戻れた。
結果良ければ全て良しだ。なんだかんだ霊薬調合技術は飛躍的に向上したし、旅の仲間も増えたし、悪くない日々だった……
……奴隷として過ごした日々を思い返しながら広い庭を渡り、ウルの先導で正門の前まで来たところで、俺は我慢できずに振り返った。
「おい、なんで付いてくる?」
定位置みたいな顔をして俺達の後ろをひょこひょこついて来ていた荷担は、後ろを振り返り、誰もいないのを確かめてからキョトンとして自分を指さした。
そうだよ、お前だよ!
「旅に出るんだよな。それなら荷物持ちが必要だろ? 荷担の出番だ」
「そうか……?」
俺は箸より重いものを持った事が無さそうな細腕なのに、象でも持てそうなウルを見た。かなりの重量があるだろうトランクケースを平然と持ってるし、荷物持ちはいらないよな。
脱走奴隷になるがいいのかとか旅の準備したのかとか本当によく考えて決断したのかとか山のように言いたい事はあるが、同行してもらう理由もなければ拒否する理由も無いので護衛にお伺いを立てる。
「ウル、どうする? 連れてっていいか?」
「彼はお父様の奴隷なのでなんとも……失礼ですが、お名前は?」
「名前は無い。荷担と呼んでくれればいい。ヤオサカが嫌と言ってもついていくぞ。ヤオサカが結婚して子供作って子孫が繁栄するところを見たいんだ」
「そ、そうですか」
とんでもねぇ事を言い出す荷担に、ウルは引き攣った愛想笑いを浮かべ曖昧に答えた。
分かる。俺は今まで色んな厄介性癖を抱えて生きてる奴らを見て来たけど、荷担ほど尖った奴は珍しい。
ウルは声を潜めて俺に耳打ちする。
「信用できるのですか?」
「正直よく分からん。でも無害だ」
キスしないと出られない部屋とか作って閉じ込めてきそうな謎の脅威は感じるが、誰かを傷つけたり裏切ったりはしないという確信もある。
ウルは判断に困った様子だったが、最終的には頷いた。
「私が守れるのはヤオサカだけです。あなたの事までは手が回りません。それでも良ければ、同行して構いません」
「ああ、こっちの事は気にするな。二人っきりの旅だと思ってよろしくにゃんにゃんしてくれ」
「しません」
仲間に加わった荷担はまるで数十年来の付き合いみたいな距離感で俺の隣に並んだ。
これからの旅に何が待ち受けているのか分からないが、少なくとも退屈な旅になる可能性はゼロになったな。良い事だと思っておこう。
旅の仲間が増えたところで、ウルが正門で直立不動の警備体制を敷いている門兵に歩み寄った。門兵は小さくしかし丁寧に会釈する。
「お嬢様。こんな夜更けに何の御用ですか?」
「火急の用です。少々出かけますので門を開けて下さい」
「それは……お嬢様の御下命とあれば、もちろん。ですが少々お待ち下さい。今護衛の者を呼びますので」
「不要です。開けて下さい」
「しかし……いえ、承知しました。その二人は?」
「供の者です。詮索は不要ですよ。それと、他言無用です」
「失礼致しました。どうかお気をつけて」
かなり不審な指示だったが、門番は問答を飲み込み門を開けて俺達を外に出してくれた。しかも見送りの敬礼付きだ。
お嬢様の鶴の一声、つえ~! 柔らかい声色だったのに圧がある。これが上に立つ者として生まれ育ったがゆえのカリスマか。
とはいえ、朝になれば公爵が起きてきて、すぐに夜の間に起きた脱走劇を知るだろう。
公爵令嬢がどう言いつくろっても公爵本人の指揮権命令権で捕縛指令が出れば敵わない。事件発覚前に可能な限り距離を稼ぎたいところだ。
こちらへ、と言って早足に石畳を行くウルにしばらくついていく。
人類屈指の大都市、井戸教の聖都ケンテレトネクといっても夜半過ぎのこの時間帯は静かなものだ。通りに沿った飲み屋の灯りも落ち、魔法の街灯がぽつぽつと立っているもののそれに照らされる人影は俺達しかいない。
見知った夜の街をウルは迷いなく進んでいったが、途中の十字路でふいに立ち止まった。
トランクケースを荷担に預け、通りの先を指さして言う。
「この大通りをまっすぐ進めば北門があります。そこで落ち合いましょう。私は少し寄る場所があるので一度離れます」
「なんだ、忘れ物か?」
「そのようなものです。私が離れている間に危険な状況になったら、大声をあげて下さいね。すぐに駆け付けます」
そういってウルは俺の服の襟を整え、心配そうに髪を撫でつけてから疾風の如く街の暗がりに消えていった。
取り残された俺達は顔を見合わせ、どちらからともなく言われた通りにコソコソ北門を目指して歩き出す。
こんな夜中にどこへ寄るというのか。気になるが、今は長々問答している暇はない。
これから一緒に旅をする中で、いくらでもゆっくり話す時間はあるだろう……
ウルファイトゥラ・ジナジュラ・ィアエは、奴隷商人ベニスの首を締めあげていた。
己の本性に素直になると決めたウルファイトゥラは、貴族の令嬢らしいか弱い乙女のフリをするのをやめている。だから商館の扉をそっともぎ取って侵入し、二階の住居スペースを襲撃するのにも躊躇いは無かった。
ベニスの寝室には護衛らしい足首に鎖のついた奴隷が三人いたが、ベニスが命令を下す間もなく宙吊りにされ喋れなくなったので、生気の無い死んだ目で静かに棒立ちしている。
ウルファイトゥラはなんとか逃れようともがくベニスに、街角で会った知り合いと雑談するような穏やかさで話しかけた。
「奴隷商人、ベニス。あなたはハフティーと取引をしたはずです。一芝居打ってヤオサカに『これは仕方の無い事だ』と納得させ、自然な形でィアエ公爵家に送り届けると。
事前の取り決めより遥かに高い値段で当家に彼を売りつけたのは、良しとしましょう。あなたも商人ですからね。商談の一つであったと見逃しましょう。
ですが、ヤオサカを殺そうとしたのは見逃せません。あなたの証言によってヤオサカに連続殺害事件の濡れ衣が着せられた後、私は何か裏があると考え調べました。ヤオサカはあなたが何か勘違いをしているのだと極めて好意的に解釈していましたが、とてもそうは思えなかったので」
ウルファイトゥラは淡々と語る。顔を真っ赤にして暴れていたベニスがぐったりとして青くなり始めたが、力は緩めない。ウルファイトゥラの殺人への嗅覚がこのまま絞めていてもギリギリ死にはしないと言っている。
「私はハフティーのように上手くやれませんから、どれだけ調べてもあなたが何か策謀を巡らせているという事しか分かりませんでした。だから、旅に出る前に聞いておきたいのです。私の言っている事は理解できましたね?
なぜ、ヤオサカを殺そうとしたのですか?」
問うと、ベニスは弱々しく首を叩いた。
ウルファイトゥラが力を緩めてやると、ベニスは激しく咳き込み喘ぐ。
「なぜですか?」
「こ、こいつを始末しろ!」
主人の金切声を聞き、壁際の奴隷が動き出す。
その動きを背中に感じたウルファイトゥラは、右手の五指を真っすぐ伸ばして揃え、手刀の形をつくった。
振り返りざまに無造作に、目にも止まらぬ神速で右の手刀を振る。
すると、奴隷三人の首が一瞬で飛んだ。
絶句するベニスにウルファイトゥラは三度問う。
「なぜですか?」
虫も殺せなさそうな華奢で可憐な公爵令嬢に異様な圧をかけられ、ベニスは震えあがった。
商人の腹に押しとどめられていた恐怖は決壊し、たまらず口から噴き出す。
「と、取引をしたんだ! 魔王軍と! あれは先月の終わりだった、ヤオサカを始末して遺品を回収すれば、高待遇で迎え入れると言われた! 知っているだろう、人間は開戦してからずっと惨敗続きだ、勝てるわけがない! 世界の果てから追い立てられて、滅ぼされるんだ! だから魔王軍についたんだ、勝ち馬に乗って何が悪い!? 乗らない奴が馬鹿なんだ!」
「ああ、なるほど。後ろにいたのは魔王軍だったのですね」
ウルファイトゥラは納得し、厄介な敵だと眉根を寄せる。
魔王軍。
七年前に突如として現れ、世界の果てから全てを焼き払い進軍してきている恐るべき者ども。
魔王軍の前には恐怖と絶望だけがあり、魔王軍の後ろには何も残らないと言われている。
前線から最も離れたこの街、井戸教の聖都ケンテレトネクではその脅威を体感する事はないが、それでも数々の恐るべき噂だけは伝え聞く。
その魔王軍がなぜヤオサカを狙っているのか、ウルファイトゥラには分からない。
ヤオサカもきっと何故自分が狙われているのか分かっていないだろう。
ハフティーなら知っているだろうか?
しかしウルファイトゥラにも分かる事はある。
目の前にいる小太りの男は、人類の裏切り者。死んで当然の悪人だ。
この事をヤオサカは知らなくていい。
どんなクズにも同情し、理解を示してくれるヤオサカは、きっと自分を利用して使い捨てようとしていたクズにさえ心を痛めてしまうだろうから。
「ハフティー曰く『ヤオサカに救われたクズは、ヤオサカを食い物にしようとするクズからヤオサカを護る義務がある』。私もそう思います。さようなら」
ウルファイトゥラが贅肉でぶよぶよの首に力を込める。
それだけで容易く始末はついた。
「ああ、ありがとう。あなたの命が私に安らぎをくれる」
命を一つ「適切に処理」したウルファイトゥラ・ジナジュラ・ィアエは、ほんのひととき心からの安らぎに浸り、それから旅の仲間との合流を急いだ。