4 失策
俺は頭脳労働担当で、荒事には全く向いていない。だから何かから逃げる時、いつもクスリの力に頼っていた。素早くなる霊薬とか、見えなくなる霊薬とか、運が良くなる霊薬とか、そういうのだ。霊薬カクテルをキメれば大体なんでもなんとかなる。
普通、霊薬はとても希少で高価で、浴びるように飲んでドーピングはできない。飲むと体がポカポカするだけの「それ酒飲めばいいじゃん」みたいなショボくれた粗悪品霊薬ですら都市部の専門店でもなければ取り扱っていない。
だが俺は自分で霊薬を調合できるからかなり好き勝手やっていた。自家生産ってつよい。
今回のィアエ公爵家脱走計画でも霊薬が必要になる。正面から逃げても屋敷を警備している人達にとっつかまって終了だ。工夫しなければならない。
ウルお嬢様に霊薬調合のために密室が欲しいと頼むと、以前客人の魔法使いが逗留していたという部屋を空けてくれた。こうやって良くしてくれる理由は相変わらず分からんが、齧れるスネは齧っておこう。
ウルお嬢様は部屋の前で俺に鍵を渡しながら注意事項を伝えた。
「埃っぽいと思いますので、まずは掃除を。掃除奴隷に手伝ってもらっても大丈夫ですよ。それと、部屋の壁や床も……ええっと、汚れているので。それも掃除した方がよろしいかと」
「? はい」
奥歯に物が挟まったような言い方に首を傾げるが、部屋の扉を開けて中を見るとすぐに理由が分かった。
板を打ち付け窓が塞がれた小部屋に光が差し込み、埃が舞い上がってひんやりしたカビっぽい臭いが鼻をつく。そして壁と床にびっしりと殴り書きされた奇怪な単語の羅列や不気味な絵、歪んだ数式が露わになった。
なんぞこれ。こわっ! 精神病棟にこういうのありそう。
「これはまた……心を病んだ人でも住んでました?」
「そういうわけでは。良い方だったのですが、その、魔法研究に熱中されていたようで」
かなり言葉を選んだ慎重な返答をありがとう。相当なエキセントリック魔法使いだったっぽいな。
「この部屋は合わなさそうですか? 密室でなくて良いなら別の部屋を手配しますが」
「いえここで大丈夫です。俺は格安事故物件を丸儲け物件だと思うタイプなんで。前に事故があったからなんだっていうんですかね?」
確かにビビったし不吉な印象だが、論理的に考えればなんの事はない。部屋が不気味な落書きだらけだろうと落書きが攻撃してくるわけもなし。鶏惨殺事件に続いて起き始めた豚小屋殺戮事件の方がよっぽど怖いぜ。
この屋敷ではネズミが死んで、鶏が死んで、豚が死に始めた。同一犯だと仮定するなら確実に殺害対象がステップアップしていっている。次あたりいよいよ人が死に始めるんじゃないかと心配だよ。その前にさっさと霊薬の準備をしてトンズラするに限る。
「普通の人は一度不吉な事があれば、再び起こるのではと恐れるものでは?」
「そんな事言い出したら犯罪者は何度でも再犯するし、善人は何度でも善行する事になるじゃないですか。でも現実はそうじゃない、という事はつまり……ああいや失礼。忘れて下さい。部屋はありがたく使わせてもらいます」
ウルお嬢様に貴重な講義を拝聴するかのようにじっと見つめられ、なんだか恥ずかしくなって話を終わらせた。人生だの社会の仕組みだのについて語るのは酒の席と結婚式のスピーチだけでいい。素面で演説するもんじゃねぇな。
俺はウルお嬢様に重ねて礼を言い、荷担を呼んで早速荷物の移動を始めた。
俺の霊薬調合は我流に近い。ハフティーが流れの魔法使いからギャンブルで巻き上げた魔法学の本を参考にでっち上げたガバガバ技術でやっている。
それなのに「不老不死の霊薬」などという実現不可能とされている霊薬の極地を作れてしまったのだから、幼い頃から修行を積んできたちゃんとした霊薬師が聞けば憤死モノだろう。やはり才能か。
締め切られ薄暗く埃っぽい密室で、俺は眼鏡のレンズ越しに自分の体が纏っている魔力を視た。
魔力を視るというのはなんとも言い難い奇妙な感覚だ。熱いような香るような痛いようなうるさいような、とにかく説明が難しい。
たぶん、魔力は本来視覚で捉えられるものではない。人間が持っている感覚は視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の五種類であり、魔力を感じる「魔覚」とも言うべき感覚は備えていない。目が無ければ見えない、魔覚が無ければ魔力が分からない。議論の余地すらない当然の話だ。
だが俺は眼鏡という道具を通して無理やり視ている。音は「聞く」ものだが、音波計を使えば波状図やヘルツの数値で「見る」事ができる。それと同じで、俺は本来目に見えない魔力を「視て」いるのだ。すごいね、道具って。
自分の体から緩やかに立ち昇っている魔力は質感も色彩も様々で、性質も多種多様。俺はその中から暗くじめじめして薄い魔力を摘まんで引き出した。「隠れる」という性質を持つ魔力だ。細くやわらかな魔力が千切れないよう慎重に引き出したら、それを瓶に入れる。
次は……そうだな。これにしよう。「気になる」という性質を持つフワフワした魔力を自分の体から引き出し、「隠れる」が入った瓶に追加して蓋を閉じる。
よし。後はこの瓶を箱に入れて、密室に置いて待って熟成させるだけだ。
霊薬は二種類以上の魔力を混ぜ、誰にも見られていない状態で放置する事で出来上がる。だから窓の無い密室が必要だったのだ。掃除奴隷が入ってきて見てしまったり、窓の縁にとまった小鳥に見られてしまっただけで調合は失敗する。密室の中で箱に入れておけばまず見られないだろう。
今回は「隠れる」「気になる」の二種類を混ぜたから、この霊薬は「注目されない」霊薬になる。これと同じのを前に作った時は熟成まで30日ぐらいだったかな。一つだけでは心もとないから、あと何種類か調合しておこう。
こうして自分の体から魔力を引き出して調合していると、なんかちょっとキモいなーと思う時もある。自分の血液とか涙を使って薬を調合してるようなものだから。
人が原料でも「乙女の涙」とかなら格好がつくけど、「一般成人男性のエキス」は控え目に言って吐き気がするよね。オエーッ!
しょーもない事を考えながら霊薬作りを終え、箱の中に静置し、しっかり密閉する。これでよし。この霊薬が出来上がり次第脱走だから、それまでに逃走計画を練り上げておかなければ。
何しろ屋敷から逃げて終わりではない。屋敷を脱出したらハフティーを探して困った状況に陥っていないか確かめ、ウルお嬢様が追手を差し向けて来たならそれを避けて、最終的には不老不死の霊薬を配達しなければならない。道のりは長いぜ。
部屋を出ると、荷担が目と鼻の先に立っていて心臓が口から飛び出しかけた。
「うわっ! び、びっくりした。どうした?」
「焼き菓子持ってきた。食べるか?」
悪さを見咎められたような気まずさは人好きのする荷担の笑顔で溶け去った。
荷担が荷物を運んでいるのを見た事あんま無いんだよな。いつも屋敷をふらふらして、俺を休憩に誘ったりこうして差し入れを持ってきてくれたり。
気にかけてくれてるのは嬉しいんだけど、なんで気配消して出待ちしてたんだよ。怖いよ。
「焼き菓子はもらう。それで、あー、一応確かめときたいんだけど、お前俺を監視してるんじゃあないよな……?」
「はははっ」
恐る恐る尋ねると、荷担は面白そうに笑った。いや否定して?
まさか俺の脱走計画に感づいて嗅ぎまわってるんじゃあないだろうな。
「旨いか? お嬢様にお出しするヤツを分けて貰って来たんだ」
「ああ、道理で上品な味すると思った」
「茶を飲め。干し葡萄もあるぞ。晩御飯食べられなくなるから少しだけな」
「お前は俺の父さんか」
荷担は俺が焼き菓子を喰い、茶を飲み、干し葡萄を齧るのをニコニコ見守っている。いや、流石に荷担が俺を監視しているというのは穿ち過ぎか。だってコイツ、
「で、ヤオサカはそろそろ気になる女の一人や二人できたか? ん?」
俺の世話を焼くか恋バナするかしかしねぇもん。中学生女子かお前は。
「だーからそういうのは無いんだって。そんなに恋バナしたいなら恋愛小説でも読んでろよ」
「屋敷の女でお前への好感が一番高いのはウルお嬢様だな。今のウルお嬢様のヤオサカへの好感は『気になる人』だ。昼間に近場でデートするぐらいなら付き合ってくれるぞ」
「話聞け」
「でもウルお嬢様は家族にすら一線を引いて接しているから、これ以上仲を深めようと思ったらお嬢様の隠し事を知って核心に迫るしかないな。攻略の鍵はこの隠し事だ。頑張れ」
何を頑張れと? ウルお嬢様を攻略する気なんてないが?
でも引っかかる事を言うじゃないか。隠し事ね。
「別にこれ以上仲良くしようとは思ってないけど、隠し事はちょっと気になるな」
「真夜中にウルお嬢様の寝室に忍び込めば何かある予感がするぞ!」
「ええ……」
ヤバすぎ。
うら若き乙女、しかも雇い主にして飼い主の深夜の寝室に奴隷の男が忍び込む?
処刑されに行けって事? あの人の良いお嬢様の隠し事とやらには野次馬根性が疼くが、命をかけてまで知りたいとは思わない。
……いや待てよ? 考えてみれば忍び込む必要はないな。ウルの隠し事が何なのか知っていそうな奴が目の前にいるじゃないか。女性の恋愛関係についてだけ異様に詳しい情報通が。
「荷担はお嬢様の隠し事を知ってるんだよな? ちょっと教えてくれよ」
「ダメだ。ヤオサカがお嬢様本人と話して秘密を共有しないと仲が深まらない」
荷担はキッパリ首を横に振った。ケチ!
荷担をおだててみたり宥めてみたりしたが口を割らないので、お嬢様の隠し事とやらについて知るのは諦めた。
まあ、人間誰しも秘密がある。俺も初めて酒飲んで寝た日におねしょしたのは誰にも言っていない。隠し事を暴き立てるのヨクナイ。そっとしておこう。
霊薬が熟成するまでの30日間、俺は逃走計画のブラッシュアップに専念した。
屋敷の住人や使用人の日課を観察してまとめ、一番人目が少ない時間帯を特定。他の奴隷と雑談して屋敷の外の地理情報を収集して地図に起こし、一番安全な逃走経路を割り出す。
ベストな逃走経路がアクシデントで使えなくなった時に備えて第二案・第三案も作っておく。当日に第三案まで全て使えなかった場合は何かしらの根本的見落としがあったという事なので計画延期練り直しだ。そうならない事を祈る。
夕食のパンを服の下に隠して持ち帰り旅の食料にして、シーツを破って縫ったマントに包んでベッドの下に押し込んでおく。
屋敷の警備をしている門兵に愛想よくして差し入れをして好感度を上げておくのも忘れない。もしかしたら逃走中の俺を発見した時に見逃してくれる可能性が無いとも限らないからな。やれる事はすべてやっておく。
そうして霊薬が出来上がり、逃走決行が翌日に迫ったある日、俺はィアエ公爵の私室に呼び出された。
広間と見紛う広さの一室に、俺は何の説明もされないまま両脇を武装した私兵に固められて入室する。私兵は腰の剣に手を添えていて、「何かあれば即座に首を刎ねるぞ」と雄弁に語っていた。
胃がキューッとなり、口に酸っぱいものがこみ上げる。これ何の呼び出し? 怖すぎ。
俺まだ何もしてませんよ? 明日する予定だけど。
娘によく似た鮮やかな赤毛を整髪料で後ろにぴっちり撫でつけ、椅子に腰を落ち着けたィアエ公爵は威厳に溢れている。
完全武装の私兵に呼び出され、理由も告げられず連行された時点で悪い予感はしていた。が、机越しに冷たい視線を寄こす壮年貴族と相対して「悪い予感」が生易しい感覚だったと悟った。
あの冷酷な目! 人を見る目じゃないし、奴隷を見る目でもない。
風呂場で黒光りする害虫を見つけて殺虫剤を手に取った時の目だ。
戦慄しながらも平静を装い無垢な正直者の目をする俺に、ィアエ公爵は見た目通りの厳格な声で言った。
「何故呼び出されたか分かるか」
「申し訳ありません。見当もつきません」
ハフティーと過ごす内に身に着けたしおらしい演技がィアエ公爵に刺さったかどうかは読み取れない。
だが両脇を固める私兵の圧は強まった。ひい!
「私が公爵様に何か粗相をしてしまったとすれば、故意ではないにせよ私の無知が故でしょう。申し訳ありません」
「奴隷ヤオサカ。お前が我が屋敷を夜な夜なうろつき、邪な企みを働かせていた事は知っている。申し開きはあるか?」
しらばっくれようとしたが、公爵の言葉に刺され素知らぬ顔が崩れる。
ゲェーッ!
バレとるやんけ! 逃走計画バレとるやんけ! 深夜の逃走予行演習バレとるやんけ!
公爵の顔色を伺う。
慈悲の欠片も伺えないヒエッヒエの無表情だった。「申し開きはあるか?」とは言っていたが「例え申し開いてもお前の未来は閉じてるけどな」の顔だ。
ダメだ~! もう俺の有罪を確信してる。こりゃ言い訳は逆効果だな。
俺は無実の主張を早々に諦め、情状酌量に縋る方針に切り替えた。
くそ、奴隷の脱走未遂ってどれぐらいの罰になるんだろう? 法的には奴隷に人権はなく道具と同じ扱いだから、どういう罰を与えるかはその奴隷の所有者による。
ぬぬぬ、良くて鞭打ち、悪くて片足切断ぐらいか? 治癒系の霊薬作っておけば良かった。
「……すみません。あの、ほんの出来心だったんです。誰かを陥れようとか、反逆しようとか、そういう意図はなく」
「認めるのだな?」
「はい……」
「では我が屋敷で動物を殺して回ったかどにより処刑する。罪を認めた事、人には手を出さなかった事、以上二点を鑑み残虐刑は取りやめる。ギロチンで速やかに処刑する事とする」
「えっ!!!!????」
それは知らねぇーッ!
や、やべぇ! 早とちりで処刑されるッ!