3 ィアエ公爵家の人々
奴隷の待遇にはアタリとハズレがある。
例えば鉱山奴隷はキツくて死亡率が高い事で悪名高い。落盤で死んだり、有毒ガスで死んだり。死ななくても手足が切断されたり粉塵で肺を患ったり散々だ。バチバチの重労働でシンプルに体を壊したりもする。
料理奴隷や掃除奴隷などは楽だ。料理を任されるという事は、毒を仕込んだりしないと信頼されているわけだから、恨みを買うほど酷い扱いにはならない。料理のおこぼれをもらえたり、サボりスポットで休憩できたりもする。
荷物を運ぶ荷担奴隷だという先輩は、屋敷を引率案内しながら雇い主に見つからない休憩スポットを教えてくれた。
「この倉庫の小麦袋の後ろはまずバレない。入ってくるのは料理奴隷だけだからな。休んでいてもガーガー言わん。よくネズミの死体が転がってるから踏まないようにするのと、小麦袋に腰かけるなら尻に粉をつけないように気を付けろ」
「それは耳より情報」
「そうだろう、そうだろう。人間、休まないと体を壊すからな。休憩は大切にする事だ。ところでヤオサカはそばかす女は好きか?」
「え? いや、まあ、特に好きでも嫌いでも」
「なるほど。じゃ、料理奴隷のククはどうだ? 今のククのヤオサカへの好感は『新人奴隷』だ。ククは背の高くて筋肉質の男に弱いから、筋肉をつけて偶然を装って上裸を見せつければグッと距離が縮まるだろう。好きな贈り物は流行りの服だ」
荷担先輩はニカッと笑った。
まーた女の攻略情報だ。先輩、このやりとり四回目っす。出会ってから小一時間でもうなんとなくどういう人なのか分かってきた。
俺を気に入ったというのは本当のようで、休憩スポットからおやつのねだり方、衣服新調申請の通し方まであれやこれやと丁寧に教えてくれている。ついでに女の攻略情報も教えてくれる……というかむしろ女の攻略情報のついでに屋敷について教えてくれている。好意100%の世話焼き笑顔で。
恋バナ好きなんすね。俺も嫌いじゃないよ。
「荷担先輩はなんか浮いた話ないのか? これだけ屋敷の女情報に詳しいって相当好き者だろ」
「ああ、こっちの事は気にするな。ヤオサカは自分の嫁を見つける事だけ考えればいい。紹介した女の中に気に入ったのはいたか?」
「いや話を聞いただけで『これ!』っていう人は……というか、なんでそんな俺を結婚させたがるんだよ。交際すっとばして嫁って性急過ぎる」
「そりゃー早くヤオサカの子供の顔を見たいからな。孫の顔も。産めよ増やせよ、地に満ちよ、だ」
「そういう規模の話!?」
本当になんなんだこの男は。話せば話すほど変人指数が上昇していく。
普通、出会って半日も経ってない相手に「お前の子供の顔が見たい」なんて言うかぁ? そういうのは両親とか爺ちゃん婆ちゃんが言ってくるもんだろ。
距離感バグってやがる。変な人だ。
でも悪い人じゃなさそう。
それからざっと荷担先輩に連れられて広い屋敷の敷地を見学したが、屋敷の構造より先に屋敷の住人(女性限定)のパーソナルデータばかり覚えてしまった。こんな情報どう使えってんだよ。ここは職場であって婚活会場じゃない。職場恋愛は厄介事を引き起こすってそれ一番言われてるから。
屋敷を一周して俺達に割り当てられた奴隷部屋に戻ると、部屋の前にぽっちゃり系の女奴隷が木箱をふぅふぅ言いながら下ろしていた。
「手伝いましょうか?」
「いいえ、この箱で終わりですので。あなたが新人奴隷のヤオサカさんですね? 私は――――」
「彼女はまだ勧めてなかったな。ヤオサカ、太った女が好きなら洗濯奴隷のヤヤはどうだ? 今のヤヤのヤオサカへの好感は『荷担奴隷のゴミ話に付き合わされてる可哀そうな人』だ。ヤヤは金と権力に弱いから、ヤヤを落としたければ脱奴隷を目指さないとな。好きな贈り物は下品なぐらいギンギラギンの金銀財宝だ」
ハラハラしながら荷担先輩の赤裸々な攻略情報を聞いていると、下品なぐらいギンギラギンの金銀財宝が好きなヤヤさんの額に青筋が立った。
「そういう下世話な話は本人の前でしないで下さい。ぶっ飛ばしますよ? ヤオサカさん、これ商人さんからウルお嬢様が買い戻して下さったあなたの荷物です。運んでおきました。ウルお嬢様に感謝を忘れないよう……そう、こういう物を運ぶのは本来荷担奴隷の仕事なんですけどね?」
金と権力に弱いヤヤさんは「しまった」の顔をした荷担先輩を睨みつけ、クソデカい舌打ちをして去っていった。
荷担先輩は頭を掻いて溜息を吐く。
「悪いなヤオサカ。お前の好感まで少し下がったみたいだ」
「いや別に。職場恋愛はちょっと」
つーかそもそも俺には不老不死の霊薬を届けるという目的がある。こんなところで恋愛にうつつを抜かしている暇は無いのだ。
いい感じに奴隷の仕事をこなして大人しくしておいて、屋敷の人達が油断したところでヌルッと脱走する。仮置きとしてそういう計画だ。
俺は女を紹介されるたびに難色を示しているのだが、荷担先輩はめげる様子がない。この人どんだけ俺に女とくっついて欲しいんだよ。何が彼を駆り立てるのか。
「そんな事言うなよ、職場恋愛だって悪いもんじゃないぞ。紹介した中でグッと来た女はいないのか? 一人も? ……まさか男が好きなんじゃあないだろうな。ダメだぞ、同性愛は嫌いだ」
荷担先輩は自分で自分の怒りのツボを刺激してムッとした。
め、めんどくせぇ。アンタの性癖は知らねーよ。
俺も男だし、魅力的な女性を紹介してもらって悪い気はしない。しかし恋愛の予定はないし(恋愛は予定を立ててやるものでもないが)、ここまで見境なく紹介されると辟易する。アンタは俺の仲人か。
なんか適当言って黙ってもらおう。
「いやぁ、赤毛の女性は、ね……」
「あー。そりゃ厳しいな」
俺のやんわりした恋バナ拒否に、荷担先輩は難しい顔で唸った。
この世界では七年前から奇病が流行していて、かつて色彩豊かだった人々の髪色は揃いも揃って赤くなってしまった。炎のような赤とか、赤褐色とか、ピンクに近い赤とかの違いはあるが、だいたいみんな赤い。この屋敷の人々も赤、朱、赫、緋で赤だらけ。
ただし髪を染めたり脱色したりする人は当然いるし、老齢になれば白髪になるので、完全に赤髪しかいない訳ではない。俺は天然黒髪だし、ハフティーも天然で金髪だしね。例外はある。
荷担先輩が沈黙している間に、有り難くもウルお嬢様が買い戻してくれたらしい俺の荷物を検分する。
火口箱やら水袋やらベルトポーチやらを取り出して脇に除けると、ちゃんと霊薬調薬道具も入っていた。良かった、不老不死の霊薬と眼鏡もある! 小太り商人はやはりこの何の変哲もない薬瓶にしか見えない不老不死の霊薬の正体を見破れなかったらしい。
何はともかく不老不死霊薬を急いでポケットの底にしまい込み、眼鏡をかける。
ふい~、落ち着く。体の一部が戻ったような安心感だ。
眼鏡のツルの位置を調節していると、荷担先輩が意外そうに言った。
「なんだ、ヤオサカは目が悪かったのか」
「ああいや、目はいいよ。これは霊薬作りに使うやつ」
「眼鏡が……?」
「眼鏡が」
霊薬は魔力を調合して作るのだが、俺はこの眼鏡が無いと魔力が視えず霊薬を作れない。
昔ハフティーが井戸教の聖職者から巻き上げたこの眼鏡には魔力視効果なんて無いはずなのに、俺とハフティーがかけると何故か魔力が視えるようになる。
理由は分からない。考えても何故なのか分からないので不思議だなーと思いつつ便利に使っている。
不可解そうに首を傾げる荷担先輩だったが、俺が木箱を部屋に運び込もうとすると手伝ってくれた。優しい。
やたら恋愛周りに首突っ込んでくる変な人だけど、変な人の相手には慣れている。
脱走までのしばらくの間、仲良くやっていけそうだ。
俺を買ったのはウルお嬢様だから、俺の命も仕事の割り振りもウルお嬢様の好きにできる。当然俺は霊薬作りを命じられるとばかり思っていた。
しかし不可解にも、ウルお嬢様は相場の十倍にもなる大金をはたいて購入した俺に何も命じなかった。
最初の数日は配置先でモメてるとか、仕事のシフトの調整が難航してるとか、はたまた父親との間で俺の役割や所有権についてなんやかやあるのかなー、とにかく事情があるのだろう、と思っていた。
あまりに暇なので荷担先輩の後ろを着いて回ったり、厨房にお邪魔して芋の皮むきを手伝ったり、洗濯を教えてもらって手伝ったりしていたのだが、十日もほったらかしにされると流石に我が身の処遇が気になってくる。
荷担先輩を筆頭とした他の奴隷と世間話をしながらのらくら仕事をするのは楽チンだ。「仕事何も命じられてないですけど良いんスか?」なんて聞いてキツい仕事を割り振られたら超ヤブヘビ。今の状況はすごく良い。
けど、なぜ放置されているのか思惑が分からないのが不気味だ。不安になる。
脱走するなら放置されている方が都合が良いのだが、俺はついつい不安と好奇心に負けてウルお嬢様にお伺いを立てに行ってしまった。
書斎で書物を見ながら何やら書き物をなさっていたウルお嬢様は、ノックをして入室した俺を見て普段の柔らかな表情を硬くした。
「鶏惨殺事件の話ならお父様にお願いします。今日その件で来るのはヤオサカさんで六人目です」
「あ、いや別件です」
鶏惨殺事件は今ィアエ公爵家で一番ホットな話題だ。
家畜小屋の鶏が毎夜無残に殺されている連続殺鳥事件で、奴隷の間で囁かれる怪談じみた恐ろしい噂を聞いていると魔王よりヤバい奴が現れたように錯覚する。怖い。
ちなみに俺は凶暴な狐か猫が屋敷のどこかに巣を作ってしまった説を推している。そして荷担先輩は「ヤオサカは犯人が女だったらお前の好みか?」説だ。あの人それしか言わない。もう慣れた。
「あのー、聞き逃していたとか、伝達不備とかだったら申し訳ないんですけど。何も仕事を命じられていないような気がして」
「ああ」
ウルお嬢様は上品な仕草で本を閉じ万年筆をペン立てに置くと、表情を和らげ微笑んだ。
「言っていませんでしたか? それは失礼しました。当屋敷ではヤオサカさんのお好きに過ごして頂いて構いませんよ」
「好きに?」
「はい。命じる仕事はありません。ヤオサカさんは当家の客人のようなものです。なんでもお好きなようになさって下さい」
「なんでも?」
「はい。御要望がありましたら私に言って下さればすぐに対応します」
「じゃあ奴隷から解放して、」
「それはダメです。逃がしませんよ」
ウルお嬢様は急に真顔になってキッパリ言った。
なんだよ! なんでもって言ったじゃん! 嘘つき!!!
「どうしてダメなんですか?」
「質問を質問で返すようですが、どうして良いと思ったのですか?」
「いや、ウルお嬢様はお優しいので、こう、慈悲の心で」
「過大評価です。私はそう優しい人間ではありませんよ。理由も言わずあなたをここに閉じ込める悪い女です」
儚げに俯くウルお嬢様は絵に描いたような薄幸の美少女といった風情。なんかワケがありそうだ。
うーん、本人が自分で「悪い女」って言ってるし、監禁が趣味の悪い女とかなのかな。いやそんなワケあるかーい!
一人ツッコミしながらチラッと文机の上の書きかけの書類を見ると、料理奴隷クク先輩のサプライズ誕生日パーティ企画書だった。
あーらら。ウルお嬢様、それで悪女気取りは無理があるっス。やっぱり良い人やんけ!
まあ理由は分からんが暇させてくれるならそれでいいか。これ以上つついても何も話してくれなさそう。
逃がさないとは言うけど、俺はハフティーと一緒に数々の牢屋から脱走してきた悪い男だぞ。高い塀に囲まれ見張りが立っている警備厳重な貴族の屋敷でもヌルッと脱出してやるぜ。
もう話す事は話して用事も無いので帰ろうかと思ったが、少し気になって一声かける。
「ああ、ウルお嬢様」
「はい?」
「指に赤いインクついてますよ」
「!? ……気付いていませんでした。ありがとうございます」
「いいえ。では失礼します」
一礼して、ウルお嬢様の書斎を出る。
大貴族の御令嬢が使うに相応しい綺麗に清掃が行き届いた書斎だったが、微かに血の香りがしていた気がした。