2 ようこそ公爵家
賭けで俺を失ったハフティーはもう賭けられる物が無くなり、薄情にも尻尾を巻いて逃げ出してしまった。俺はショックで呆然だ。信じて任せたハフティーが負けて逃げ出すなんて。
丸一日経って正気に戻ってからは「そうはいってもなんやかんや奪還してくれるだろ」と気楽に構えていたが、更に数日経ってもサッパリ音沙汰が無い。
これは……
ハフティーの身に何かあったのでは!? 心配だ。
俺は手枷足枷をつけられ馬車の荷台に積まれていたが、口は動く。ガタゴト揺れる車上で舌を噛みそうになりながら、手綱を取る小太り商人に言った。
「なあなあ、ちょっとお願いがあるんだけど。人をやってハフティーが困ってないか調べてくれないか? 俺を助けに来ないって事は、なんかヤバい状況になっちまってると思うんだ」
「……お前は何を言っているんだ? お前の売り先はもう決まっているんだ、寄り道なんぞできるか。それに自分を売った女の心配をする馬鹿があるか。黙って大人しくしていろ」
小太り商人はチラと俺を振り返り、呆れ顔で冷たく断った。
はぁん? ハフティーが俺を売った? そっちこそ何を言っているんだ。
「ハフティーは俺を売ったりしない。親友だからな」
「霊薬師ってのは頭の出来が悪くても務まるんだな? 親友を賭けに使う奴はいない。お前はあのクズ女にとって無くしても諦めのつくただの道具だったんだよ。いい加減自覚して、ショボくれて大人しくしていろ」
「ハフティーはそんな奴じゃない。クズ女にも人の心はある」
俺は断固として抗議した。ハフティーはクズだけど良い奴だ。
あいつは傷ついた小鳥を拾ったら羽をむしって丸焼きにしていたし、偶然助けたヨボヨボの老人が実は貴族だと分かった時にはしつこくまとわりついて限界まで金をタカっていた(そして全額賭博でスッていた)。
そんなハフティーが俺を売り物にするだなんて……めっちゃしそうだけど、するわけない! 今回の事だって何かミスってうっかり負けてしまっただけだ。
「たぶんさあ、ハフティーは俺を奴隷堕ちさせちまって心を痛めてると思うんだよ。俺は心配だよ。大旦那は心配にならないか?」
「お前の能天気な喋くりを聞いていると頭痛がする。いいか? もう一度だけ言うが、大人しくしていろ。黙れ。さもなきゃ猿轡噛ますぞ」
小太り商人は俺と会話する気があんまり無いようで、何を話しかけても塩対応だ。
俺は渋々荷台の荷物の隙間に身を沈め、草原を貫く一本道の先に見えてきた大きな街を遠望した。
どうやらあの街で俺は売られるらしい。せめて奴隷を虐めたりしない人に買って欲しいが、どうなる事やら。
小太り商人に運ばれてやってきた宗教都市ケンテレトネクは、この世界のほぼ全ての人間が信仰している「井戸教」の総本山だ。
井戸教は妙ちきりんな名前の宗教なだけあって教義も変わっている。ザックリ言うと「人は死ぬとあの世に行きます。あの世で死ぬとあの世バージョン2に行きます。あの世バージョン2でも死ぬとあの世バージョン3に行って、そこでも死ぬと以下省略」という無限コンティニューの世界観が根底にある。死んだら井戸を通って世界の底に行き、次の世界へ降りていくらしい。だから井戸教と呼ばれている。
まあごちゃごちゃ理屈はこねているが、今の人生で良い事いっぱいすると、次の世界でボーナス付の人生送れるから頑張ろうね、という教えなんだとさ。すごく平和。
一方で、井戸教徒は生まれた時に必ず祝福を受ける必要があり、祝福のために必要な道具を生産しているのはこの宗教都市ケンテレトネクのみ。そして祝福を受けるのには寄付が必要だ。
だいぶあくどい独占商売だとハフティーは言っていた。俺もそう思う。特に放浪の民は祝福を受けずに一生を過ごすから、井戸教徒は必要無い物に有難がって金を払う間抜けに見えるのだろう。
とにかくケンテレトネクはそういう街だ。宗教都市で、巡礼者が集まり、金も集まる。世界の中心とすら言われる人類屈指の大都市だ。
小太り商人は人々でごったがえす中心街でいくつか商談を済ませてから、俺を貴族の屋敷に連れていった。
貴族の屋敷はデカかった。レンガ造りの歴史の趣を感じさせる豪勢な屋敷で、小学校を丸ごと個人宅にしましたみたいな規模だ。小太り商人は門前の警備員に紹介状を見せて中に通され、俺は荷台の上から花園の手入れしているお爺さんに会釈し、愛想よく会釈を返してもらった。井戸から水を汲んでいるメイドさんも物珍しそうに俺を見ていたが目が合うとニコニコ手を振ってくれたし、樹の枝に止まっていた小鳥までもが俺の頭の上まで飛んできて綺麗な花を落としていってくれた。
なんだここ、あったけぇ~。ぽかぽか陽気が気持ちいいし、花畑のいい匂いするし、みんな優しそうだし、どこかに売られるなら是非ここに売られたい。
小太り商人がノッカーを叩くとすぐに老齢の品の良い執事が対応に出てきて、手枷と足枷に加え、猿轡まで嚙まされ喋れなくなった俺は小太り商人に鎖を引かれ応接室で待つ買い手の前に引っ立てられた。
品定めの時間だ。
ピンと背筋を伸ばしながらもゆったりソファに腰を預け待っていたのは、四十がらみの貴族と俺と同い歳くらいの令嬢だった。
小太り商人がこの屋敷の主らしい貴族と時候の挨拶から始まる退屈な商談を始めたのを尻目に、俺は俺をじーっと見つめてくる御令嬢とコンタクトを取る。
御令嬢は虫も殺せなさそうな印象の大人しい女性だった。燃える炎のような鮮やかな赤毛をゆるく結って腰まで伸ばし、フォークより重い物を持った事が無さそうなほっそりした腕と足は普段着らしい楚々としたドレスにゆったりと隠されている。
深窓の令嬢というやつだろうか、あどけなさが残るおっとりした顔立ちだけ見れば歳下かと思うが、胸の発育を見る限り成人していそうだ。
手も足も口も出ない俺は黙って見つめ合うしか無かったが、彼女は見た目通りの控え目な声で父親に進言してくれた。
「お父様、彼とお喋りをしたいです。口枷を外しても?」
「ん? ああ。ベニスさん、構わんね? 話を戻すが魔王騒ぎによる輸送費高騰を加味してもその価格は納得しかねる。無論、当家は商品を不当に値切る真似をせぬ。しかしだね、平均的な奴隷相場の十倍ともなると流石に――――」
御令嬢は商談を白熱させる父に断りを入れ、小太り商人から枷の鍵を受け取り、俺の口枷を外してくれた。
ふいー、やっと息をしやすくなった。助かったぜ。
「どうも。初めまして霊薬師のヤオサカです。奴隷です。特技は霊薬の調薬です」
「ご丁寧に有り難う御座います。ィアエ公爵令嬢ウルファイトゥラ・ジナジュラ・ィアエと申します。どうぞ気軽にウルとお呼び下さい。特技は……特技は、特にありません」
御令嬢、ウルはそう言って肩身が狭そうに縮こまった。
ほんとか~? 事務仕事とか得意そうに見えるけど。偏見かな。
「この家は奴隷でも普通の人と変わらない扱いをしてくれるんですね。ここまで来る道中、奴隷がつけあがるなって散々躾けられたんですが」
「確かに当家では慈善事業の一環として本人の責でない理由により困窮している方、奴隷となってしまった方を良い待遇で迎えるといった事をしています。仰る通り一般的な奴隷より扱いは良いのでしょう。ですがヤオサカさんは例外です。家の事がなくても厚遇されたでしょう」
「え? な、なぜ」
俺、そんな特別扱いされる身分か? 異世界から降ってわいた戸籍もない男だし、賭けのカタに売り飛ばされたどこにでもいる奴隷だぞ。
まさか俺が不老不死の薬を調薬できるって知られてるワケじゃあるまいな。俺とハフティーとお届け先の男の三人しか知らないはずだぞ。もしかしてこれから地下牢かどこかに監禁されて霊薬製造機にされるんじゃあ……
内心戦々恐々としながら尋ねると、ウルはたおやかに微笑んで答えた。
「実は私ちょっとした伝手がありまして、放浪の霊薬師ヤオサカの勇名を前々から知っていたのです。前々から機会があればお会いしたいと思っていました。このような出会いの形になってしまって残念ですが、仲良くして下さると嬉しいです」
「あ、はい。ちなみに俺のどんな話を……?」
「とても優しい方と聞いています。どれほどの悪事を働いた者であっても情けをかける、慈悲深い方だと」
「ええ? いや、そんな事は無いけどなぁ」
俺が慈悲深いっぽい奴でいられるのは、たぶん本物の悪人に会った事が無いからだ。
流石に純度100%の悪人に会ったら俺だって情けかけないぜ? マジ容赦しない。今すぐめちゃくちゃ痛い目に遭って反省して改心して良い奴になれって思う。
まあでも不老不死の霊薬については知らないようで良かった。自分で作っといてなんだけど、あんなモン300%血で血を洗う凄惨な奪い合いの原因になるからな。知られないに越した事はない。
「ヤオサカさんが宜しければ是非当家に逗留して頂きたいです。昨今は魔王に対抗するため戦争奴隷が多く集められていると聞きます。戦争奴隷を卑下する訳ではありませんが、貴方のような素晴らしい方が戦場の一兵卒として散ってしまうのは想像したくありません」
「は、はあ。どうも……?」
会ったばかりなのにやたら好感度が高くて困惑してしまう。
この人、一体どんな噂を聞いたんだ? 異世界に来てから七年間、ずっとハフティーとつるんで賭場を荒したり子供のおやつを巻き上げたり、悪い事ばっかりしてきたはずだが……
あ!? ひょっとしてアレかな? 母と妻と娘が病気だったオッサンが俺のお陰で助かって良い噂広めてくれてるとか!? ありそう~! 良い事はするもんだな!
俺とひとしきり話して満足したのか、ウルは渋面を作っている父親に向き直り言った。
「お父様。私預かりの歳費から出して構いませんから、ベニスさんの仰る通りの額を支払って差し上げて下さいませんか」
「ふむ? そんなに彼が気に入ったのか?」
「ええ、とても」
「ふーむ……まあ良かろう。ではベニスさん、そのように話はまとまった。サインはどこに?」
ウルの鶴の一声で俺の命運は決した。
ベニスはサイン入りの証文とずっしり重そうな金貨一袋を受け取り、俺を一瞥もせずホクホク顔で帰っていった。
あいつ、俺を法外な値段で売りつけやがったな。奴隷をいくらで売ろうが奴の勝手ではあるが、なんか納得いかない。くそっ。急に慈善の心に目覚めて全額孤児院とかに寄付しろ!
呪詛を送っている間に手枷と足枷も外され、俺は当主親子と別れ執事さんに奴隷用の相部屋まで案内された。
今後屋敷で割り振られる仕事については追って沙汰があるから、ひとまず先輩奴隷に基本的な部分について教えてもらうように、とのお達しだ。
案内された奴隷部屋は狭かったが、窮屈というほどではなく、貧乏学生が借りる安アパートの一室程度には空間があった。その空間の大部分を占める簡素なダブルベッドの上から、先輩奴隷が顔を覗かせて挨拶してくる。
「お、お前が今日新しく来るっていう新人か?」
「そうです。初めまして、ヤオサカです」
「あーあー、タメ口でいい。奴隷同士だろ。しかし、ふーん。お前がヤオサカか……いや、気に入った。良いツラしてるな」
「はあ」
理由も分からず気に入られ褒められて頭を掻く。今日はよく初対面で好感度が高い人に会う日だな。良いツラしてるなんてなかなか言われた事ないぞ。まさかこの男、ホモじゃないだろうな?
俺をじろじろ見て笑顔になった先輩奴隷はベッドから降りてきて、水差しから冷たい水を注いで歓迎の乾杯をしてくれる。
水を酒のように旨そうに呷った先輩は、俺の身の上話を聞いてきた。
隠す事でもないので素直に話すと(不老不死の霊薬周りについては隠した)、涙ぐんで何度も頷いた。
「そりゃー災難だったなあ。家族とも、家族みたいに思ってた親友とも離ればなれか。苦労したなあ、大変だったなぁ。でも安心しろ、この屋敷できっと新しい家族ができるさ。良い人ばっかりだからな……ああそうだ、お前好きな人はいるのか?」
「あー、親友ならいるけど、好きな人はいないな」
「なるほど。じゃ、ウルお嬢様はどうだ? 今のウルお嬢様のヤオサカへの好感は『いいひと』だ。お嬢様はヤオサカみたいな優しくて懐が深い男に弱いから簡単にオトせるぞ。好きな贈り物は花だ」
「!?」
いきなりなんだこの男!? 急にギャルゲーみたいな事言い出しやがった!