16 不老不死のお薬だしときますね
結界都市オベスクが燃えていた。
炎の結界の残滓と突然の混乱によって出火した火の手は抑える者もなく、崩壊した街をごうごうと燃え盛る炎で包んでいく。
炎は全てを焼き尽くし、灰に変えていく。
声にならない悲鳴を上げたウルファイトゥラ・ジナジュラ・ィアエは、目の前で致命傷を負ったヤオサカに飛びついた。
「あ、ああ、ああああああ……! そんなっ、ヤオサカ! ヤオサカの命が……!」
吐き気がした。
血を吐くヤオサカの身体から、命がこぼれていく甘美な香りがする。
背中から腹を太い柱が貫通していて、重要な臓器がぐちゃぐちゃになっているのが分かる。このままでは死んでしまう。柱を抜いても出血で死んでしまう。
どうあがいても、ヤオサカは死ぬ。
こんな自分でも誰かを護れると思っていたのに。
そう信じたかっただけだった。
自分のせいでヤオサカが死ぬ。
自分がヤオサカを殺したようなもの。
そう思うと心臓が奇妙に跳ねた。
食い千切らんばかりに唇を噛み、顔を搔きむしる。
ああ、虫唾が走る。どうして私はこうなのだろう?
間接的な殺しでさえ、誰よりも大切に想っている人の死にさえ、悦びを感じてしまう。
自分のおぞましい醜悪さに吐き気がする。
こんな私の生まれついての邪悪さえ包み込み、私は私のままで良いと言ってくれた人が死んでしまう。
「ウル」
「!? ヤオサカ! 喋ってはいけません!」
口の端から血の泡をこぼし、焦点の合わない目を彷徨わせるヤオサカが常と同じ優しい声で言う。
少しでもヤオサカを楽にするためにと握った手は、逆に安心させるように優しく包まれた。
「ごめんな、喋れる内に頼みたい。これを俺の代わりに届けてくれないか」
液体の入った小さな薬瓶を握らされたウルは動揺して取り落としそうになった。
「そんな――――そうだ! ヤオサカが飲めばいいんです! 飲んで下さい! 早く!」
「ダメだ。俺はもう一度命を伸ばしてもらってる。魔王が欲しがってるなら、届けてあげないと」
「飲まないと死んでしまいますよ!? ほら、口を開けて!」
「困ったな……ハフティー?」
耐えがたい痛みと苦しみの最中にあるはずのヤオサカは、今まさに死につつあるとは思えないほど穏やかだった。ウルの頭をあやすように撫で、ぼやけた視界でハフティーの姿を探し呼びかける。
二人に背を向け、這いつくばって震え嘔吐していたハフティーは名を呼ばれ無理に息を飲み込んだ。自分の頭を殴り、胸を何度か殴り、えずきながら立ち上がって、目元を拭い振り返る。
「なんだい? ヤオサカ。私はここにいるよ」
深く深呼吸したハフティーは完璧にいつも通りを装った声で応え、ヤオサカの前に跪いた。ウルの手から霊薬を受け取り、軽く放り投げて掴み取る。
一緒に馬鹿をやって、追い詰められて。でも最後には一緒に笑い合える、そんな愉快な旅路の途中にまだいるかのように、ハフティーは陽気に振る舞った。
「ハフティー、その薬は魔王の物だ。魔王に届けないとダメなんだ」
「何を言っているんですか! その魔王がッ! あなたを、こ、殺し……!」
涙が溢れ、ウルは言葉を続けられない。
ハフティーはちょっとしたお使いを頼まれたように気さくに答えた。
「分かっているよ。君の強情さは私が誰よりも知っている」
「なら」
「約束しよう。ヤオサカの意志は私が引き継ぐ。君を悲しませはしない」
ハフティーが凛とした真摯な声で言うと、ヤオサカは安堵の息を吐いた。
鋼の意思で生命を繋ぎ留められていた身体が一度激しく痙攣し、動かなくなる。
ウルは深い悲しみと二度と味わえない悦びで頭がおかしくなりそうだった。
私はどうしようも無いクズだ。
ヤオサカの死さえ自分の愉悦に消費する。
私は殺す事しかできない。
殺し以外何もできない。人一人救えはしない。
殺す事でしか何かを成せない。
「――――ああ。そうなのですね?」
そしてウルは唐突に理解した。
ぐちゃぐちゃになった頭が綺麗に澄み渡る。
涙が止まり、口が自然に笑みを作る。
それが私の使命なのだ。
殺しに行こう。
それしかできないのなら、喜んでそうしよう。
魔王を殺そう。
ヤオサカを殺した魔王を、私が殺す。
ヤオサカの遺言通り、不老不死の霊薬を飲ませてやろう。
その上で、殺す。
死ななくなった命ですら死に果てるまで、殺して殺して殺して、殺し尽くす。
それが殺す事しかできない私ができる、たった一つの復讐だから。
最後にヤオサカの身体を撫で、幽鬼のように燃え盛る瓦礫に向けて歩き出したウルの背中に、ハフティーが冷たく声をかけた。
「ウル、何をやっている?」
「魔王を殺しに行きます。私はそれしかできないから……ハフティーはヤオサカを弔って、」
「それなら、今やれ」
「なんですって?」
「今、殺せ。できないとは言わせない」
ハフティーはヤオサカを打ちのめした魔王の槍を指さしていた。
その槍は巨大だった。家よりも大きく、大陸を横断して飛来し、建物を破壊し地面に大穴を穿ってなお壊れていない、頑丈で重厚な槍だ。
ウルはほんの一瞬できるわけがないと怯んだが、すぐに思い直した。
ハフティーの言う通りだった。できないなんて言えるはずがない。
ウルは巨大槍に歩み寄った。
見上げ、殴りつけるように槍に手をめり込ませる。
地響きと共に槍は引き抜かれ、ウルはギラギラと燃える殺戮者の瞳で空を睨んだ。
槍が飛んできた、魔王がいる遥か遠くの北の大地を思い描き、ウルは巨大槍を構え大きく後ろに振りかぶる。
「魔王。私はあなたを知りません。あなたも私を知らないでしょう。でも私は知っています――――」
槍は全く同じ方向から飛んできていた。大陸を跨いで狙い撃つその正確さは、逆に発射位置を明確に浮かび上がらせる。常人には分からなくとも、ウルには分かった。
何よりも、殺しの匂いがする方へ。
命の匂いがする方へ。
他の誰にも分からずとも、ウルファイトゥラ・ジナジュラ・ィアエにだけは分かる。
「――――あなたより、私の方が殺しが上手い。死ね!!!!!」
天性の殺戮者の手から放たれた逆襲の巨大槍は強烈な速度で瞬きの間に見えなくなった。
結果が見えずとも分かる、会心の手応えだった。
しかし足りない。
一本では足りない。
ウルは街を壊滅させた百数十本の巨大槍に次々と走り寄り、掴み上げ、空の彼方へ投擲していく。
途中で次の槍の雨が降ってきたが、ウルの投げた槍と相殺し全て空中で砕け散った。
ウルは高笑いしながら槍を投げ放っていく。腕が悲鳴を上げても、全身がこれ以上無理だと叫んでも、魔王を殺すためにウルは槍を投げ続ける。
殺戮者が彼女にしかできない反転攻勢をかけている間に、ハフティーは生気の失せたヤオサカの前で不老不死の霊薬を手で弄び考えていた。
そして、溜息を吐き、霊薬の蓋を開ける。
「やはりこれしか無いな。すまない。君の命を賭した願いより、私は君が大切なんだよ」
ハフティーは口に霊薬を含み、嚥下する力を失ったヤオサカの口に自分の唇を押しつけた。
君の想いを踏みにじってでも、君を助けたいから。
「愛してる」
俺は瓦礫の上で目が覚めた。
うおーッ! なんか知らんけど気分爽快ッ! 朝露輝く高原で春風と共に起きたような、スゲェ~心地いい目覚めだ。
身体の悪いものが全部なくなったような軽さに、軽く身を起こすつもりが勢い余って転びそうになってしまう。
「やあ、おはようヤオサカ」
そんな俺を横からそっと支えてくれたハフティーが、いつもと同じ陽気で楽しげな笑顔をくれる。
うおう、今日も俺の親友は可愛いな。この笑顔に騙されて何百人が破産した事か……ん? いや待てよ。
「ハフティー?」
「なんだい?」
「天国……いや、お前がいるって事は、ここ地獄か?」
「君と一緒なら冥界も悪くないけど、違うね。生きてるよ」
「なんで???」
俺、死ぬつもりで遺言とか言っちゃったけど?
あそこから復活する手段なくない?
致命傷だっただろ?
「あっ!? ハフティーお前、不老不死の霊薬俺に飲ませたんじゃないだろうな!」
「それも違うね。ヤオサカが気絶した後、近くに回復霊薬が落ちているのに気付いてね。それを飲ませただけさ。たぶん、瓦礫になってる建物のどれかが霊薬店だったのだろうね。いやあ運が良かった」
「嘘つくな! そんな偶然あるわけないだろ!」
「私が嘘をついた事があったかい?」
「あった!」
「そうだね。でもこれは本当さ。ほら」
そう言ってハフティーは不老不死の霊薬を俺に投げ渡してきた。なんの変哲もない普通の薬瓶に見えるそれは、託した時と変わらずちゃぷりと中の液体を揺らしている。
「ほんとだ……じゃ、本当に運よく回復霊薬が転がってたのか? うーん、普段の行いが良くないとこんな奇跡起きないぞ。人に親切にするもんだなぁ」
「まったくだ。一応確かめておきたいのだけど、身体に異常は? どこか痛いとか無いかい? お腹空いていたりは? 喉が渇いているならそこの井戸から汲んだ井戸水があるけど?」
「いや大丈夫大丈夫。絶好調。だからベタベタ触るな、くすぐったいだろ!」
心配性のハフティーの手を振り払う。
身体はなんともなかったが、服の腹のところにデッカい大穴が空いておへそが見えてしまっている。恥ずかしっ!
いや、こんだけの重症から復活したばかりなら心配もするか。看病ありがとな、ハフティー。助かったよ。
「そういやウルは? 気絶する前けっこう思い詰めた感じだったけど」
「元気だよ。ほら」
ハフティーが指さした方を見ると、崩壊した街を焼き尽くし燻ぶり始めた煙火の間を笑いながらウルが飛び回っていた。
元気いっぱい元気溌剌といった様子で街を破壊した魔王の投げ槍を掴み上げてはソニックブームを出しながら空の向こうへぶん投げている。
「え? もしかして投げ返してんの……? ヤバ……」
「けしかけたのは私だけど、まさか本当にできるとは思わなかったよ。投げ返し始めてからすぐに魔王側からの投げ槍が無くなったね。向こうも被害甚大なんだろうさ」
流石にちょっと引く。投げ返して魔王を殺そうとしてるって事?
殺しが得意ってレベルじゃねーぞ。あの華奢な身体のどこにそんなパワーが?
俺が畏敬を込めて大胆過ぎる反撃を眺めていると、全ての槍を投げ返したウルがちょっと煙っぽく服を汚しこちらに戻って来た。
「すみませんハフティー。全て投げ返しましたが、仕留めた感触は……ヤヤヤヤヤヤオサカ!!!????」
「えっ!? なんだどうした? こ、こちらヤオサカですが?」
「生きてる!? どうしっ、死ん、生き、私が……うう……わーっ!」
ウルは感情がバグったような百面相をした後、感極まって大泣きしながら飛びついてきた。
「お、おお? よしよし。大丈夫だぞ~。怖かったよな。頑張ってくれてありがとな~」
「うぅ~……!」
「よしよし、泣け泣け。俺の胸でよけりゃあいくらでも貸すから」
訳が分からないまま幼児退行して泣きじゃくるウルをあやすが、縋りつかれ押しつけられた胸の大きさが全然幼児じゃなくてちょっと動揺する。
いやあの、下心は無いよ? でもちょっと恥ずかしいっていうか。ウルは美人さんだからさ、あんまり密着されるとこんな状況なのにモジモジしてしまう。男心は度し難いのだ。
俺がウルを抱き留めあやしながら時計のジェスチャーをしてハフティーに伺いを立てると、ハフティーはフードの紐を弄って調整しながら首を横に振った。
「いや、時間はある。これ以上の追撃は無いよ。魔王は自分の投げた大陸間弾道投げ槍を正確に投げ返してくる化け物がいると知ったのだからね」
なるほど。そりゃそうか。
超遠距離から一方的に超高火力を叩き込んでいたのに、死なないどころかカウンター決められたらビビるよな。
改めて考えてもちょっと意味が分からない。ウチの護衛が強すぎる。
しばらくウルは恥も外聞もなく俺のボロ服を涙と鼻水でべしょべしょにしていたが、やがて水分が出尽くしたらしく泣き止んだ。
呆れ顔のハフティーが差し出した井戸桶の水を一気飲みして顔を洗い、充血した眼で恥ずかしそうに謝る。
「ごめんなさい。もう大丈夫です」
「いやいいよ。なんならもうひと泣きいくか?」
俺が両手を広げて首を傾げるとウルはふらふらっと身を寄せかけたが、隣のハフティーの顔を見て神妙に固辞した。
俺は大きく伸びをして、周りを見回す。
崩壊した街の残骸と燃え残りはまだ熱を帯び、門から雪崩をうって脱出していった市民たちは戻ってきていない。
魔王の大陸間弾道投げ槍でうやむやになったが、俺達は重要人物殺害の罪で手配がかかっている。追撃が無いとはいえ長居もできない。人が様子を見に戻ってくる前にさっさと逃げるに限るぜ。
「よーし、みんな疲れてるとこ悪いけど、出発するか。不老不死の霊薬を届けに行こう」
「そうですね。私も魔王を殺っ……魔王に用事ができましたし」
「私もだよ」
心強い旅の仲間を連れて、俺達は見るも無残に崩壊した街を北へ征く。
でも何か忘れてるような?
「あっ!? 荷担! あいつどうした? ……まだ埋まってるーッ!? 掘り出せ掘り出せ!」
「埋めたままにしないか?」
「まあまあハフティー、悪い人では無いですから。たぶん」
ウル九割残り1割の労働負担で発掘された荷担は、俺達を見ると礼も言わずにニチャァ~と笑った。
「見ていたぞ。素晴らしい。愛にはこんな形もあるんだな」
「頭打ったか? 幻覚見えてるぞ」
恋愛が好き過ぎて見えない物が見え始めている。どう見ても槍投げ世界チャンピオンの血みどろ熱投劇だっただろ! どこに愛の要素があったっつーんだよ。この恋愛脳がッ!
まあでも荷担のこういうのはいつもの事。死の縁から運よく舞い戻った今は荷担の賑やかしですら笑ってしまう。
俺達は揃いも揃って頭がおかしい。でもこれ以上楽しい旅の仲間もいない。
みんなが一緒ならどんな事だって乗り越えられると信じれる。
だから行こう。不老不死のお薬を届けるために。
二章に続く。
そして書籍化決まりました。