15 壊滅
悪名高い魔王の大陸間弾道投げ槍は、人類を劣勢に追い込んでいる大きな要因の一つだ。
北の大陸では無数の要塞や城壁があまりにもデカすぎる大質量投げ槍によって粉砕され、風穴から魔王兵が雪崩込み大虐殺が繰り返された。
俺達がいるこの大陸でも海峡に接した最前線に定期便のように槍が投げ込まれ、防衛線の破壊と再構築が鼬ごっこのように繰り返され人員と物資をゴリゴリ削っているという。
しかし、基本的には槍で防御網を破壊したところに魔王兵が攻め込むという形が取られる。だから魔王兵がいない場所に槍は飛んでこない。槍が城壁や建物を破壊したところで、後詰の兵力が無ければ修復されて終わりだからだ。
魔王兵との併用無しで槍だけを投げるのは無駄打ちとは言えないが、効果的とも言い難い。
ハフティーはまさにこの大陸間弾道投げ槍と魔王兵の連携を相手取り戦ってきた。
一人旅の間に各地を転戦し、投げ槍と魔王兵でぐちゃぐちゃにされかけた死地を幾度となく救ってきた。
巨大な槍は北門近くの城壁の縁と、尖塔から少しはずれた中空に突き刺さっている。ハフティーはそれを見上げながら、落ち着きなく手の中で硬貨を弄りぶつぶつ呟く。
「オベスクの結界は世界一強力だ。反射機構は貫通されたけど、それでも槍を止めたし自己修復機能だって働いている。数発撃ち込まれたところで破られはしない。単なる威力偵察? いや、そうは思えない……」
俺達が不安に駆られ見上げる中、結界は食い込んだ槍を炎で包み、焼き潰していく。
街にはひらひらと灰の雨が舞い落ち、結界に広がった亀裂は紅蓮の炎が舐めて塞いでいく。
街中から上がっていた悲鳴は歓喜と喝采に変わっていった。
俺もホッと息を吐く。良かった、結界都市オベスクの名は伊達じゃない。
この街は今俺達を逃さない牢獄と化しているが、同時に魔王の攻撃さえ防ぐ要塞でもある。ここにいれば安心だ。
しかしハフティーの顔色は悪いまま。
ぶつぶつ考えこんだ後、ハッとして叫ぶ。
「まずい! まずいまずいまずいッ! 今の二射で照準調整された! 槍の雨が降るぞ!」
ハフティーは言うや否や外に飛び出す。後を追って俺達が表に飛び出すと、凶悪な渡り鳥の大群のように遥か彼方から飛来する巨大槍が見えてしまった。
「66発も……! まさか結界を力づくで突破する気ですか!?」
ウルが呻く。
その言葉通り、何十本もの巨大槍が次々と結界に突き刺さっていく。
オベスクの結界は確かに魔王の大陸間弾道投げ槍を防いだ。
しかしそれは一発、二発に限った話。
防御能力を飽和させる大量の槍の雨は結界に亀裂を入れ、たわませ、ついに突破した一本が中央尖塔を貫き爆散させた。
尖塔が、瓦礫と化し崩れていく。
要を失ったオベスクの堅牢な結界は、水をかけられた焚火のように力なく煙を上げて消えてしまった。
げぇ! や、やばすぎる!
二発の槍が防がれるのを見てぬか喜びしていた民衆が、先ほどに倍する絶望の悲鳴を上げる。
瞬く間に街を恐怖が飲み込んだ。
道に出ていた人々は恐慌状態に陥り、走り出した誰かが引き金になり濁流のような人波が湧き起こる。
へたり込む老人は撥ね飛ばされ、親と手を繋いで泣いていた子供は群衆に飲み込まれ引き離される。
誰もが唐突に現れた槍の形をした死に怯えきり、混乱している。
完全なパニックだ。
警鐘を鳴らし非常事態を知らせるはずの尖塔は崩壊した。
その事実が何よりも雄弁に結界都市オベスクの終わりを市民に知らしめる。
「まだだ、きっと第二波第三波が飛んでくる。結界は潰された、次の槍の雨は市街地に直撃する!」
「!? お婆さん!」
俺が叫ぶと、我が意を得たりとウルが家の中にすっ飛んでいく。そして一瞬で両手で耳を塞いで目を白黒させているお婆さんを抱えもって疾風の如く戻ってきた。
はす向かいの玄関に呆然と立ち、結界の消えた空を見上げている紳士的な外面をした浮気爺さんにお婆さんを押しつけ、強い口調で言い含める。
「まだ槍が飛んできます。急いで逃げて下さい!」
ハフティーは冷や汗を浮かべ俺に手招きしながら表通りに走っていったが、大パニックで自制を失った民衆の大津波を見て戻ってくる。
「ダメだ、通りは使えない。どうする? どうすればいい? くそっ!」
おおおおおお落ち着け! どうすればいいかなんて俺が聞きたい。
こういう事態に一番詳しいのはお前だ。頼むぜ、おい!
「ハフティーは魔王の大陸間弾道投げ槍見るの初めてじゃないんだろ? どうやって対処してたんだ?」
「今までは一度に三、四発だけだった。これほどの数は初めて見るよ。どうやら今回の魔王は本気だ。槍だけで無理やり私達を仕留めるつもりらしい」
「俺達を? 街を狙ってるんじゃないのか?」
「それもあるだろうけど、違うだろうね。恐らく私とヤオサカが揃って投げ槍の射程圏に入ったからだ。ヤオサカ、何か使えそうな霊薬は?」
「無い。昼前に婆さんに使ったので最後だ」
「このバカっ!」
「何を悠長に話しているんです? 私達も早くここから逃げないと!」
ウルは荷担を屋根の上にぶん投げながら切羽詰まった声で俺達を急かした。
「いや、屋上伝いは足場が悪――――おわっ!」
「お、俺は優しく投げ――――どわっ!」
俺達を屋根の上に投げたウルは人外じみた大跳躍で自分も屋根に飛び乗り、ハフティーを雑に担いで一番近い門に向かい走り出す。丁寧に横抱きにする余裕すら無いらしい。
そもそも人が走るように作られていない勾配の激しい屋根上をおっかなびっくりしかし可能な限り急いで走る。
俺は俵担ぎされてがっくんがっくん揺さぶられているハフティーに根本的な疑問を投げた。
「ワケわかんねぇよ。魔王はどうして俺達を狙うんだ? だってさ、俺達魔王に不老不死の霊薬を届けようとしてるんだぜ?」
放っておけば手元にご注文の品が届くのに。
どうしてぶっ殺そうとしてくるんです?
配達員を仕留めにかかる依頼人なんて聞いた事ないぞ。
俺の素朴な疑問に、ハフティーは苦虫を嚙み潰したような顔で答えた。
「第三者による強奪の危険。複数の不老不死の霊薬が追加製造される危険。理由は山ほど考えられるけれど、魔王がヤオサカを信じて大人しく配達を待つ物分かりの良い性格をしていたらそもそも世界を破壊なんてしないだろうね」
「確かに……!」
俺達が運べば良し。途中で殺して配下に回収させられればより良し。
そんなところか。
しかしこんな事されるとちょっと運ぶ気失せるな。勘弁してくれよ。
でも、あの荒野で魔王に助けられなかったら俺は死んでいた。
そう思うと配達をやめて尻尾巻いて逃げ出す気にもなれない。
命の恩は命で返すぞ。お前が俺を殺すつもりでも、俺はお前に不老不死の霊薬を届けてやるからな!
だから大人しく待っててくれません?
お願い。
ほんとに。
俺が遥か遠くの北の大地へ祈っていると、散々揺さぶられて吐きそうになっているハフティーが蒼穹の向こうの小さな黒い点を指さし叫んだ。
「次の槍が来た! ウル、私を降ろしてヤオサカを抱えるんだ。死ぬ気で避けろ!」
「そ、そんな事を言われても……!」
「じゃあ殺す気で避けろ!」
「やってみます!」
ウルは半分投げ捨てる勢いでハフティーを降ろし、代わりに俺を担ぐ。
そしてバック走で走りながら、みるみる大きく見えてくる大陸間弾道投げ槍の雨を目を細め見定める。
「この弾道。確かに私達を殺すためのものですね。私達が移動する事を予測して周辺一帯に拡散して着弾するように投げてきているようです」
「大した予測だ。だからといって避けられるとは限らないのだけどね!」
ハフティーは素早く硬貨を指で弾いて掴み、結果を確かめると同時に右の屋根に跳んだ。
ウルはバック走をやめ屋根瓦を砕く鋭い踏み込みで獣のように加速して斜め前方に飛び出す。
すると背後に落ちてきた巨大な槍が衝撃波と共に一瞬前までいた建物を丸ごと爆散させた。
「うわぁー!?」
「静かに! 舌を噛みます!」
立て続けに巨大槍が着弾し、建物が爆発四散し、瓦礫の驟雨と土埃を作り出す。
鼓膜が破れそうな爆音で脳が揺れ、飛び散る瓦礫の破片が頬を裂き眼鏡にヒビを入れた。
死ぬ死ぬ死ぬ! 直撃しなくても余裕で死ねる!
ウル頼む! お前だけが命綱だ! 頑張れーッ!
目をぎゅっと閉じて急加速急制動を繰り返すウルにしがみついていると、不意に爆音が止まり、ウルも止まった。
恐る恐る目を開けると、目を覆いたくなる惨状が現れる。
結界都市オベスクの街並みは見るも無残な瓦礫の山に変わってしまっていた。
もうもうと立ち込める土埃、あちこちで上がる火の手。
だが聞こえる悲鳴は遠い。半壊した井戸教の教会越しに、押し合いへし合いしながら爆心地から離れ門を目指す群衆の後ろ姿が見えた。
これは俺達を狙った攻撃だ、というウルの見立ては正確だった。明らかに俺達を中心に無数のクレーターが刻まれている。一発でも群衆の中に槍を投げ込めば無数の死者が出ただろうに、執拗なまでに全ての槍が俺達を狙っていた。
何も知らない一般市民の被害が最小限で済んでいて少しホッとするが、ウルが大汗をかき肩で息をしているのを見てゾッとする。
あのウルが疲れている。馬鹿げた身体能力を誇る、疲れ知らずのウルが。
次は避けられないかも知れない。
そんな不吉な未来が脳裏をよぎり、頭を振って追い払う。
いや、俺達はいつだってピンチを切り抜けてきた。今回だってなんとかなるさ。
「ハフティー! 無事か!? 荷担は!?」
俺が叫ぶと、近くの馬車の残骸から荷担の荷物がにょっきり突き出して動いているのが見えた。片手も突き出し元気よく俺の方へぶんぶん振られている。
良かった、あいつは大丈夫そうだ。でも埋まってるな。
俺が掘り出すために近づこうとすると、荷担の手が矢印を作って反対の瓦礫の上の方を指した。
矢印を辿ってみれば、ハフティーが崩れかけの家の梁に逆さまに引っかかってぶらぶら揺れている。
「! ……!!!」
フードの紐で首が閉まっているらしく、必死で首元を指さし外してくれと訴えている。
良かった生きてた、けど死にそう!
「待ってろハフティー! 今降ろしてやる! いやでも高いな!? 届かねぇ! 棒か何か!?」
「私が」
俺がおろおろしていると、滝のような汗をぬぐったウルが少し精彩を欠いた足取りで瓦礫の山を走り抜け、大きく跳んでハフティーを捕まえ梁から外して着地した。ウルはそのままじたばたもがくハフティーの首に絡まった紐を解きにかかる。
よ、よし。なんとか全員無事だった。
しかし余裕とは言えない。
俺は荷担を掘り起こすための手頃な板か何かを探しながら考えた。
次の槍の雨は避けられるか?
いつまで避け続ければいい? どこまで逃げればいい?
どこからどこまでが大陸間弾道投げ槍の射程なんだ?
射程外に出られれば? どうやって、どこまで?
ワンウェーブの回避だけでウルは疲労困憊。ずっと逃げ続けるのは無理だ。
逃げ切るのもきっと難しい。魔王が「やっぱやーめた」するとも思えないし……いやしてくれるかなあ? 魔王と俺、一応知り合いだし。気まずくなってやめてくれたりしないかな。
自分で言うのもなんだけど、俺ほど無害な奴いないよ? 別に魔王をどうこうしようなんてつもりも無い。世界破壊とかやめた方がいいんじゃないかな、とは思ってるけど、なんか深い理由があってしてるんだろうし。その理由を知りもしない外野が一方的にダメだって決めつけるのも良くな
「ヤオサカ!」
「逃げろ!」
つらつら考えながらスコップ代わりに使えそうな良い感じの板を瓦礫の山から引き抜こうと四苦八苦していると、ウルとハフティーの必死の叫びが聞こえた。
顔を上げると、こっちに駆け寄ろうとしているウルと、初めて見る酷い恐怖に駆られたハフティーが見える。
え。逃げろって何が?
尋常ではない二人の様子に切迫感だけが膨れ上がり、後ろを振り返る。
同時に、俺は至近距離に着弾した巨大槍に吹き飛ばされ宙を舞った。
全身を砕かんばかりの衝撃波に殴られ、強制的に空中遊泳させられながらも頭の中の冷静な部分が言う。
油断した。野郎、時間差で一本余分に投げて来ていやがった。
でも不幸中の幸い。
これは直撃じゃない。ミンチにされずに済んだ。
これなら上手く着地できれば……
そんな俺の楽観は瞬きの間すらもたなかった。
きっととっくに幸運は使い果たしていた。
ならば後に残るのは不運だけ。
衝撃波で吹き飛んだ俺は。
吹き飛ばされた先にあった太い折れた柱に突き刺さり、腹を貫かれた。
自分の身体から、命が潰れる音がした。