14 大陸間弾道投げ槍
ハフティーは部屋の中にぶちまけられた鮮血の惨状にしばし絶句し固まった後、なんとか気を取り直し、不老不死の霊薬を拾い俺に投げ渡しながらウルに詰問した。
「殺ってしまったものは仕方ない。彼は護衛を付けていただろう? そいつは?」
「あっ、ハフティー!? あの、これは仕方なく、」
「護衛はどうしたんだい?」
トリップ状態から帰還したウルは重ねて尋ねられ、気まずそうにドアを指した。
俺が開きっぱなしのドアの後ろを覗いてみると、ドアと壁に挟まれて圧死した重装の男がコンニチハする。
「し、死んでる……!」
頑丈そうな重装鎧はペシャンコで、右手は剣にかかったまま抜剣できていない。左手に握られたダイヤモンドは手の骨ごと砕けている。
たぶん、この人相当強い魔法重騎士だ。でも即死している。
ちょっと目を離した隙に連続殺人かましおったわ。そういう女だって知ってたけど、もうちょっと何とかならなかったか?
「何があったんだ?」
とはいえ。
ウルは殺人大好きだけど無差別殺人鬼ではない。何か理由があっての殺しだろうと聞くと、ウルは手にべっとりついた血をハンカチで拭いながらオトオド弁明を始めた。
「彼は不老不死の霊薬を奪おうとしたんです。それでもみ合いになって、反射的に殺してしまいました」
買ってきた物資を鞄に大急ぎで押し込んでいるハフティーがソーセージと包帯の束をねじ込みながら疑問を投げかける。
「隠してあっただろう? 隠し場所を見られたとしても素人では不老不死の霊薬だと分からないはずだ」
「私もそう思ってあまり警戒していなかったのですが……最初はハフティーを探しに来たと言っていました。昨日の事がやはり気になったようで、放浪の民の入れ墨を改めさせて欲しいと。とても強そうな魔法重騎士の方を護衛につけ、本人も魔法の杖を持って、礼儀正しかったですが大捕り物を視野に入れているようでした」
残念ながら虫も殺せない顔をしておいて殺しにかけては世界一の女を視野に入れる事はできなかったらしい。とんだデストラップだよ。かわいそうじゃ済まない。
「彼はその変な片眼鏡越しにベッドの下を見て、とても驚いていました。たぶん、魔力が視えたのだと思います。隠されているのが不老不死の霊薬だと見破ってからはとても興奮し始めて。是非譲って欲しい、解析して複製すれば魔王軍を押し返す不死身の兵団を作れると。私がヤオサカのものだからと断ると、無理やり奪おうとしてきて、それで……」
「殺しちゃったのか」
「はい。ごめんなさい」
ウルは謝りながらも悦びと笑みを隠し切れていなかった。
う、うーん。聞いた感じギリギリ不可抗力かな……?
ウルは殺人適性が高すぎて、常に全力で自制心を働かせていないと殺人衝動に抗えない。
そのウルに正当防衛の大義名分を与えてしまったのが運の尽き。南無~。
割と洒落にならない殺人事件が起きてしまったのも問題だが、不老不死の霊薬を見破られたのも大問題だった。
形而上成分が視えなければ価値を見破られないという保安上の前提が崩れてしまう。
例え本職の霊薬師であっても、パッと見ただけでは普通の霊薬と区別がつかないはず。
彼がつけていたという妙な片眼鏡とやらが形而上成分を視えるようにする魔道具なのだろうか? 俺の眼鏡のような?
千切れた犠牲者の足元に、レンズを二重に重ね細い金属で補強固定したような奇妙な片眼鏡が落ちていた。クモの巣状にヒビが入り壊れているが、俺は独特の材質と基礎構造を一目見て驚いた。
「うえっ!? マジか。これ二重クオリアの魔道具だよな? 絶対そうだ!」
「二重……?」
「なんだって?」
首を傾げるウルとハフティーに説明しながら片眼鏡を手に取って検分する。
「簡単に言うとこれを使えば誰でも形而上成分が見えるようになる。俺の眼鏡の上位互換だと思っていい。これで不老不死の霊薬の存在と効果を見破ったんだ。いや、理屈は分かるけど分からない。理論上こういう物を作れるのは分かる。けど技術的問題が……どうやって作ったんだ? どういう仕組みなんだこれ? クオリア変換機を二層重ねてるのは分かる。基礎構造は当然こうなるよな。この機構は焦点距離の調整用か? そんな物理的な仕掛けで解決を? それとも、」
「ヤオサカ。どうやら悠長にしている暇は無さそうだ」
検分の途中で階下から足音が聞こえる。ハフティーはパンパンに荷物を詰めた鞄の留め具を無理やりバチンと閉めて抱え持ち、硬貨を指で弾いて掴み取った。
「表。無実のフリはやめておこう。逃げるよ、ほら早く」
「に、逃げると言ってもどこへ?」
「窓」
ハフティーが木格子が嵌った窓を指さすと、ウルは胸元で井戸の印を切って「ごめんなさい」と呟いてから窓を蹴り破り外に飛び出した。
続いてハフティーがぽてっと自由落下して下で待ち構えるウルにキャッチされ、最後に俺が飛び降り着地する。
「門を閉じられる前に急いで脱出するよ。門が閉じて結界を励起されたら、オベスクは脱出不能の牢獄になる」
「荷担は?」
「呼んだか?」
「うわびっくりした! 街出るぞ、面倒な事になった」
「ヤオサカ。井戸教教会の女司祭マリアはどうだ? 司教と助祭と信徒とパン屋の主人と服屋の丁稚で五股をかけている悪い女だ。今のマリアのヤオサカへの好感は――――」
「こんな時に面倒な女の話を持ってくるんじゃない!」
宿の二階から窓を突き破って落ちてきた俺達は道行く人々の好奇の目を浴び、宿から響き渡った悲鳴と怒声で好奇の目は不審の目に変わる。
俺達は善意の市民に捕まえられる前に、形成されつつある人垣を押しのけ逃げ出した。
宿に面した小道を抜け大通りに出ると、通りを真っすぐ行った先に門が見える。
が、ちょうど尖塔からオベスク全体に響き渡る警鐘が鳴り始める。
息を切らせはじめたハフティーをウルが抱きかかえ、俺達は門に向けて全力で走った。
「私が馬鹿だったよ。ウルは人殺しでしか問題を解決できないと知っていたのに、一人で留守を任せてしまうなんて」
「やべあの片眼鏡忘れた! 飛び降りる時窓の桟に置いてそのままだ。取りに戻る時間あるかな」
「私でもある訳ないって分かりますよ?」
人混みをかき分け全力ダッシュしたが、結界都市オベスクの防衛機能と連絡網は俺達にとって都合の悪い事に素晴らしくよくできていた。
門にまだ全然届かないうちに迅速に閉門されてしまった挙句、尖塔のてっぺんに輝く赤い炎が規則的に瞬き始める。
街角に立つ衛兵は瞬く赤い炎を見上げて解読し手元の羊皮紙に一文字ずつ書きつけ、大声で通達を出し始めた。
「領主館より通達! 領主館より通達! パトロ家次期当主ジミール氏、暗殺されり! 犯人はフードを被った小柄な女! 身なりの良い長身の女! 黒髪の男の三人組! 逗留していた宿を破壊し逃走中! 発見された方は最寄りの衛兵へ御一報願う! 繰り返す! 領主館より通達! パトロ家次期当主ジミール氏――――」
民衆は通達を聞いてざわつき始める。ウルは冷や汗を垂らしてハフティーを降ろし、代わりに俺を抱え込み目立つ黒髪にマントを被せ隠す。
ぎゅっと抱きしめられて胸に顔を押しつけられたせいで、ウルの心臓がドコドコ激しく高鳴っているのが聞こえる。そうだよな、いくらなんでも市民が全員敵に回るのはヤバすぎる。
ウルの護衛意識はありがたいけど、露骨に人相を隠したせいで逆に目立ってしまった気がする。
目端の利く市民の何人かは、早くも俺達の方を見て訝しんでいる。ただ、余計な一人(荷担)が一緒にいて三人組ではなく四人組になっているせいで判断に困っているようだった。
荷担は明け方まで歓楽街をフラついたせいで宿に入っていない。恐らく惨劇を通報したのであろう宿の主人は荷担が俺達の一味だと知らない。
とはいえ、こんな大通りの真ん中に突っ立っているわけにもいかない。
ハフティーは一番近い路地裏へ続く曲がり角を顎で指して移動しようとしたが、買い物袋を抱えた人の良さそうなお爺さんに話しかけられる方が早かった。
「もし、そこのお嬢さん方。今の通達をお聞きになられたかな? 失礼だがお連れの方の髪を少し見せてもらっても?」
聞かれたウルは半信半疑といった様子のお爺さんを鋭く睨み、マントの下の手がメキメキと音を立て力を貯める。やばいやばい! もう一つ血の海できちゃう。
俺はウルの手に自分の手を重ねて連続殺人を抑え、足先でハフティーの踵をそっとつついた。
ハフティーは小さく頷き、いかにも困っていそうな庇護欲を誘う口調で返事を返した。
「紛らわしくてすまない。彼女は調子を悪くしていてね。光過敏症で、日光を浴びていると体調を崩すんだ」
「おお、そうだったのかい。良ければ休んでいくかね? 通りを一本挟んだ向こうに儂の家がある」
「いや、そこまでしてもらうわけには」
心配そうにウルのマントで隠された俺の顔を覗き込もうとするお爺さんの目線を身体で遮り、ハフティーはやんわり断ろうとする。
お爺さんと話している間にも俺達に目を留める人の数は少しずつ増え始めていた。
あまりモタモタしていられない。
強引にでも話を中断してこの場を離れるか、と足に力を込めたところで、俺達を庇うようにお婆さんが割り込んでくる。老眼鏡をかけ洒落た帽子を被った、見覚えのあるお婆さんだ。
ちょっと怒った様子のお婆さんは、杖の持ち手でお爺さんの腹をつついた。
「これっ! いい歳した爺が若い女の子にちょっかいかけるんじゃないよ!」
「う、つつくな婆さん! アンタにゃ関係ないだろう、余計なお節介だ」
「いいや言わせてもらうよ。ね、お嬢さん気を付けなさいよ。この爺は若い頃からまぁ~浮気性でねぇ。紳士な顔して散々奥さんを泣かせてきたんだよ。ほらほら、さっさと帰んな! 今度メアリーを泣かしたら許さんからね!」
お婆さんに杖で散々つっつかれたお爺さんは、悪態をつきながら背中を丸めて立ち去った。
お婆さんは俺達に、というかマントに隠れた俺に小さくウインクして、小声で囁く。
「お前さんは礼は要らんと言っていたけどね。あたしゃ恩を返すババァさ。ほらこっちに来な、早く!」
なんという偶然か。お婆さんは数時間前に回復霊薬で腰を治してあげたお婆さんだった。
他に頼れるものもない。手招きするお婆さんに俺達は急いでついていく。
お婆さんは大通りから一本中道に入った古い民家に俺達を追い立てるように入れ、外の様子を確認してからぴしゃりとドアを閉めた。
「ありがとう、助かったよ……独り暮らしかい?」
窓から見られない位置に立ったハフティーはフードを外し、お婆さんに礼を言う。
お婆さんは棚から人数分のティーカップを出しながら笑って答えた。
「そう気を張りなさんな。旦那は随分前に井戸底にいっちまったし、娘も孫もとっくに独り立ちしとる。家族と暮らしてたとしても恩人を匿うのに文句なんて言わしゃあせんよ」
「むむ、惜しいな。もう五十若くて未婚ならヤオサカの良い伴侶になっただろうに」
「なんだいこの失礼な奴隷は……?」
「あ、すみません気にしないでもらって」
荷担、ステイ。大人しくしててくれ。
ハーブティーを出してくれたお婆さんは「あたしゃ耳塞いで奥の部屋にいるからね。好きなだけいな」と言って訳知り顔で奥へ行く。
その背中に礼を投げかけるが、お婆さんは振り返りもせず、シャンとした腰を手で軽く叩き、機嫌よく杖を振って扉の向こうへ消えた。
なんだあのお婆さん。かっけぇ~!
俺達が危険人物集団だって分かってるだろうに、事情をなんにも聞かず最高の援助をしてくれるじゃないか。人情が身に染みる。涙が出そうなぐらいありがたいぜ。
「良い御婦人だ。ヤオサカの善意が素直に返ってくるのは数年ぶりだね」
「喰い物にされ過ぎでは……?」
「私はもう諦めたよ。悪意で返されなければ上々さ。それよりどうやって街を脱出するかだけど」
ハフティーは我が物顔で一番上等な肘掛け椅子に陣取り、お茶請けの干した果物を木皿丸ごと自分の膝に持っていった。
「はい! 抜け道か何かを見つけてこっそり出られませんか」
挙手して早速意見を出したウルはハフティーに鼻で笑われた。
「空の結界の変化を見ていなかったのかい? 励起して強度が上がった。戦時体制だ。結界は地下にまで広がって街を完全に包んでいる。抜け道なんてどこにもないよ」
「領主館に出頭して事情を説明して……」
「無理だね。説明なんて聞いてくれないだろうし、聞いてくれたとしても説明するには不老不死の霊薬を見せないわけにはいかなくなる。そうすれば奪い合いでこの街が内部崩壊する。いや待てよ……?」
何かに気付いて考え込むハフティーに思わず口を挟んだ。
「ハフティー? 内部崩壊させるのも手だなとか思ってないよな? そういうの嫌だぞ俺は」
「あっはっは! まあ実際のところ、いつまでもこんなに強力な結界を維持する事はできない。内部から誰も出られないという事は、外部から誰も入って来られないという事でもあるからね。補給が絶たれればいずれ燃料切れで結界は解ける」
ハフティーはお茶を飲みながら気楽にドライフルーツを齧り、絶賛指名手配中の凶悪犯一味とは思えないだらけぶりで足をぷらぷらさせた。
「隠れ家が手に入ったならしばらくは安全だ。のんびり結界の燃料切れを待とうじゃないか」
「あの、外から警笛がすごく聞こえてきてますけど。全ての家を一軒一軒家宅捜査をされでもしたら」
「大丈夫だよ。私が一人旅の間にこういう危機を何度潜り抜けてきたと思う? 魔王の横槍さえなければこの状況を切り抜ける程度簡単さ」
「じゃあ大丈夫か」
余裕綽綽のハフティーに、俺達の間にホッとした空気が流れる。
ウルの提案で全員で今回の悲しい事故の犠牲者に追悼の祈りを捧げた後、ドライフルーツを独占したハフティーを胴元にした賭け大会が開催される。
しかし荷担vsウルの予選が始まった途端、腹の底に響く轟音と共に大気が震え地が揺れて家が軋んだ。
表の方から悲鳴が上がり、断続的に吹かれていた警笛の符牒が変わって尖塔の警鐘が激しく鳴り始める。
「な、なんだ?」
「嫌な予感がする。外の様子を見よう」
俺達はハフティーに促されて窓を小さく開け、鈴なりになって外を覗き通行人が指さしている空を見上げる。
すると、ちょうど二本目の家よりデカい異常な大きさの槍が空の彼方から飛翔してきて、爆音と共に結界に突き刺さりヒビを入れるところだった。
「まずい」
目を疑うような異常な光景を見たハフティーが顔面蒼白になって叫ぶ。
「魔王の大陸間弾道投げ槍だ!」