11 待て。いったん話し合おうか?
臭くて暗い下水道から出る前に、俺と別れてから何をしでかしていたのかハフティーに聞くと、生まれついての博徒は当たり前のように答えた。
「もちろん賭け暮らしをしていたさ。さっき見ただろう?」
「見たけど。人類の敵になったって噂だぞ」
「それは濡れ衣だね。十日前には百の犠牲で百の魔王軍を倒す撤退戦を、二百の犠牲で千の魔王軍を倒す大博打に変えた。そういう事ばかりしていると私が暗躍して兵士を死地に送り込んでるように見えるみたいだ」
「おいおい、ように見えるっていうかそのものだろ! いやまあ聞いた感じ悪さしてるとも言い切れなさそうだし、あんまりな悪評だとは思うけど。でももうちょっと何とかならんかったのか? こんな超高額懸賞金かけられるのはヤバいぞ。ハフティーなりに人類のためを思って頑張ってるのは分かるけどさあ、どうなってんだよ全く」
「人類のため、ね……」
「え、違うのか」
「いやまったくその通りさ。仲間外れにしたのは悪かったよ。私は世界崩壊に立ち向かう人類の救世主になってみたくてねえ」
ハフティーは何か引っかかる感じの含み笑いをして俺の脇腹をつついた。
くすぐったいくすぐったい。じゃれつくな!
「救世主どころか裏切り者になってるじゃねーか。最重要指名手配かけられてどうやって暮らしてるんだ?」
「上手くやっているんだよ。それより私はヤオサカの話を聞きたいな。ここに来るまで怪我したり病気になったりしなかったかい? ウルに変な事はされなかったかな?」
「してませんよ!?」
即答しながらも目を泳がせているウルを不審そうに見ながら、ハフティーは心配そうに俺の身体をぺたぺた触ってくる。こいつ、俺の身柄をほいほい賭けたり借金のカタに持って行かせたりする割にすごい俺の心配してくれるんだよな。売り飛ばしても必ず取り返してくれるし。
優しい。
「大丈夫大丈夫、怪我一つ無いから。聞いてくれよ、ウルがもう旅の間ずーっと過保護でさあ、あの人は危ない人だからついていっちゃいけませんとか、その人から離れてこっちに来なさいとか、くどくど言うんだよ。お前は母さんかっていう。俺は子供じゃないんだぜ? 危ない人ぐらい見れば分かるっつーのに。なあ?」
「ウル?」
「ハフティーの想像通りです」
「私の代わりにありがとう」
「いえ。私がそうしたかったからそうしたまでです」
二人は堅く握手を交わした。
なんだよー、ハフティーまで過保護母さんの味方かよ。
大体、世の中に注意すべき悪人なんて滅多にいねぇよ。みんないい人ばっかりだし、悪そうな人だって話せばわかる。ハフティーとか、ウルとかね。
気にし過ぎだと思うんだけどなあ。
「なんか納得いかないけどまあいいか。俺達の旅の話だったよな? ウルが神経質だった事以外は特に何も、ああそうだ。俺、霊薬作れるじゃん? めっちゃ上手く早く作れるようになったぞ!」
「へえ? どうやって?」
「ウルの屋敷に昔泊まってたすごい魔法使い? が残した覚え書きを解読した。これがすごいんだよ、全ての魔法現象の本質をグッて抑えてる超高度な魔法理論で! すげー魔法使いもいるもんだなって感心したよ」
あの魔法理論構築は紛れもない天才の所業だ。
不老不死の霊薬作りもこの理論をもっと早く知っていれば製作時間半分で済んだだろう。
「高度な魔法理論……解読は難しかったかい?」
「めちゃムズだった!」
「ヤオサカが難しいと言うなら、大魔法使いトーマスか賢者ベダッケン、呪い喰らいリリリあたりの理論だろうね。それで?」
「霊薬めちゃ作れるようになったから、作りまくって使いまくって旅を急いだんだ。ハフティーがなんかヤバい事やってる噂は嫌ってほど聞こえてきたし、心配だったからさあ。ただ、かなりハイペースで霊薬乱造しまくりながらここまで来たから、俺の形而上成分枯渇しちゃったんだよな。いくら高効率の霊薬生成法があっても材料がなけりゃ一滴も作れん」
そう。俺は今魔力が足りない状態にあるのだ!
今の俺はなんもできん置物だぞ! 介護してくれ!
ハフティーは微笑んだ。
「なるほど。随分苦労してここまで来てくれたようだね。その新しく身に着けた霊薬生成技術は私の魔力を使ってはできないのかい? 私もヤオサカと同じ魔力を自己生成できる特異体質だ」
「それは、あー、複雑な魔法理論の話になるんだが」
「ざっとでいい。聞かせてくれ」
頼まれて、俺はハフティーに霊薬理論について概略を話した。
話し始めて早々に暇そうに手遊びを始めたウルと荷担をまるで気にした様子もなく、ハフティーは時折頷きながら新しい知識を吸収していく。
言われた通り概略だけ話し終えると、ハフティーは不可解そうに首を傾げた。
「待ってくれ。哲学的思考実験によって設定した逆理が実際の現象に完璧に符号するのはおかしくないかい? それでは公理と定理が同一だという事になってしまう」
「良い所に気付いたな。それが面白いところなんだ。実のところ俺が知ってるパラドックス理論の全てが形而上学的霊薬生成に適用できるわけじゃない。一見パラドックスとして成立しているように見えて、実は不成立であると分かっている偽物のパラドックスが霊薬生成にマッチする例もあるし、逆にパラドックスの代表例が霊薬生成に何の影響も及ぼさない例もある。哲学的なパラドックス問題は霊薬生成理論との類似性を持っているだけで、等価ではないんだな。そのギャップの理由を究明できれば俺の霊薬生成理論は間違いなくもう一段階上に行けるけど、そこまでいくともう神の御業の域だし、難しいのなんのって」
「ふむ。ヤオサカが難しいと言うほどの難題なら私では歯が立たないね」
「そうかぁ? そんな事ないと思うけど。ウルはどう思う?」
「二人が何を話しているのかすら分かりません」
「荷担はどう思……荷担はいいや」
「霊薬の研究をしても妻は持てないが?」
「いいって言っただろ」
こいつぜってー世界が終わってもこの調子を貫くんだろうな……
毒にも薬にもならない荷物持ちだが、そこのとこは誰よりも信頼できる。
「まあとにかく、霊薬についてはそういう理屈だ。ハフティーの形而上成分を使えば霊薬は作れるけど、量は減るし時間も余計にはかかるかなってところ」
「分かった。では、宿に着いたら私の魔力で霊薬生成を頼むよ。霊薬は便利だ。荒野の影に不老不死の霊薬を届ける旅を続けるにせよやめるにせよ、この先必ず必要になるからね」
「それはそう。でもどうするつもりだ?」
「何がだい?」
ハフティーは下水道から地上に出る縄梯子を掴んで首を傾げる。
「上にお前の手配書持った人達がいっぱいいたぞ。表を歩いたら一発だろ」
「心配要らない。フードを被るし、何よりも――――」
ハフティーはそこで言葉を切った。
同時に鼻をつまんで下水の異臭に耐えていたウルが目つきを鋭くして下水道の奥を睨み身構える。
「どうした?」
「静かに。私の後ろへ」
ウルの頼れる細い背中に匿われ、俺は言われた通りお口にチャックをした。
ほどなくして下水の奥にゆらゆらと灯りが見え、水音を響かせ一人の男がやってきた。
猫背でボロボロのフードを目深に被り、小汚い継ぎ接ぎのボロ服を着てはいるものの、肌に日焼けもシミも汚れもなく、爪だって綺麗なものだ。
変装へたくそか。俺でも貧民のフリしてる良いトコの人だって分かるぞ。
しかもランタンは持っていないが、頭上に人魂のような揺らめく火の球が浮いている。
魔法使いだ。
ランタンで事足りるだろうにわざわざ魔法で灯りを確保しているって事は、魔力確保にかかる費用を意に介していないという事。コイツ、金持ちだな。
「ハフティー様」
近くまでやってきた男はウルに手で制され立ち止まり、ハフティーに深々と頭を下げた。
俺達の様子を注意深く伺ってきたが、ハフティーが顎で促すと声を潜めて口を開く。
「御下命通り、北門の番兵を我々の息のかかった者に換えましてございます」
「そうか。御苦労」
「痛み入ります。それで、僭越ながら……」
「魔王様にはお前を見逃すよう口添えしておく」
「あ、ありがたき幸せ……! 他に何か御用命ありましたらなんなりと……!」
「今はいい。下がれ」
「は」
男はハフティーにまた頭を下げ、また下水道の奥へ戻っていった。
男が浮かべる魔法の灯りが見えなくなってから、そーっとハフティーから俺を庇う位置に移動していたウルが血相を変えて詰問した。
「やっぱり人類を裏切っているじゃないですか!? 魔王と内通しているんでしょう!」
「いやいや、とんでもない。あんな影が立ち上がったような不気味で胡散臭い奴と仲良くなんてしていない。利用しているだけさ」
「利用?」
ウルは困惑して目を瞬く。
ははあ。二人は長い付き合いと聞いているが、まだこのカス女のやり口を理解しきれていないらしい。
コイツはね、こういう事するヤツですよ。人脈作りが得意なのだ。
ハフティーはいけしゃあしゃあと言う。
「そう、利用。実態はどうあれ私は人類の敵になった。魔王に与する生きとし生ける者全てを裏切った大罪人だ。でも、それって魔王にとっては味方だという事だろう? 魔王に擦り寄って自分だけは生き延びようとする薄汚い奴らにとって、私は魔王にとりなしてくれそうな救世主なのさ。奴らが信じたい都合の良い言葉を囁いてやれば簡単に操れる」
「本当ですか……?」
「もちろん。信じてくれて良い。敵ができれば必ず味方もできる。世渡りの基本だよ」
ウルはいまいち信じ切れない顔をしていたが、こういうコネが無ければあの賭場で私が無事にふんぞり返っていられたはずがないだろう? というもっともな言葉に納得した。
「詰所の衛兵も何人か抱き込んである。捕まっても篭絡した衛兵に当たれば逃げられるさ」
「詰めてるのがみんな篭絡できてない衛兵だったらどうするんだよ」
「ふふふ。処刑だね」
「ひゅーっ! えげつない賭けっぷりだな。見習いたくねぇ~」
俺達は爆笑して肩を叩き合ったが、ウルは「私がしっかりしなきゃ」という顔をしていたし、荷担は「衛兵に女はいるかな」という顔をしていた。
まあ笑いのツボは人それぞれだ。
改めて俺達は縄梯子を上り、下水道を出た。
日は既に傾き、地上に這い出した俺達に長い影を投げかける。
ハフティーは何気ない様子で周囲を見回し、ウルは最後尾の荷担が投げ上げる荷物を受け取っている。
俺はあくびをしながら伸びをした。地下で話し込みすぎたな。宿に着いたらまず飯にしよう。
ハフティーは人類の救世主になりたいみたいだけど、俺は不老不死の霊薬を配達してしまいたいし……同時にできたりしないかな。そのへん含めて、飯を食いながらじっくり話し合おう。
下水道から最後に荷担が這い出して来て、全員揃う。
俺はハフティーを部屋を予約している宿に案内しようとして、様子がおかしい事に気付いた。
いやハフティーは常に様子がおかしい変な奴だが、目ん玉をかっぴらいて荷担を見ている。正確には荷担の足元か?
「ハフティー、どうした?」
声をかけるが、ハフティーは無視した。
緊張を隠しきれていない声音で言う。
「荷担」
「ん?」
「君に影が無い理由を話すんだ。荒野の影とどういう関係だ? 今すぐ白状しろ」