1 ハフティーの賭け
俺の親友ハフティーは、ギャンブルが好き過ぎる。
ハフティーはある時ギャンブルに大負けして乱暴な取り立て屋に追われるハメになった。
俺はいつかそんな事になると確信していたから、隠し持っていた高飛び用の資金と道具を二人分出して、ハフティーの分を渡した。もちろん取り立て屋から逃げるために。
するとハフティーは大喜びして俺を抱きしめ、追ってきた取り立て屋に意気揚々と高飛びセットを賭けてギャンブルを仕掛け、大勝ちして無罪放免をもぎ取った。
まったく、いつだってハフティーは俺の予想を上回る。
手八丁口八丁で借金取りに借金させたようなもんだ。肝が据わっていると言うべきかギャンブル狂いと言うべきか。
だが彼女に言わせれば「病気の母と妻と娘がいるから負け金を返してくれ」と縋り付く取り立て屋に治療費と治療霊薬を渡した俺も十分狂っているらしい。
いや、俺もたぶん嘘だと思ったよ。どう見ても苦し紛れの命乞いだ。それを鵜呑みにするほど馬鹿じゃない。十中八九、嘘だ。
でもさ、本当だったら困るだろ。どうすんだよ十中八九の残り一二だったら! 病気の母妻娘が死んじゃうんだぞ!
俺達はお互いにとんでもねぇ奴だと思っている。しかしだからこそ親友をやっているのだ。
ある日突然異世界の荒野に放り出された俺がハフティーと出会い、自己紹介より先に持ち掛けられた賭け札遊びで彼女を打ち負かしたその日から、死ぬまで続く不滅の友情は生まれた。
あれはお互い飢えと渇きでギリギリの中、革袋一口分の水とポケットに入っていたなけなし飴玉一個を賭けた感情剥き出しの限界ギャンブルだった。
ハフティーはヘロヘロの俺を短刀で刺して食べ物を奪えたのに、わざわざ賭けを持ち掛けた。
俺は勝ったけど、食料を総取りせずハフティーに手を差し伸べた。
河原で殴り合って友情を深めたようなもんだ。それぐらいアツい、魂とエゴをぶつけ合った賭けだった。出会ったその日に生涯の友になろうってもんさ。
「ヤオサカ? 大丈夫かい?」
「ん、ああ。ちょっと昔を思い出してただけだ」
ハフティーに脇腹を小突かれ、懐かしい思い出の中から現実に引き戻される。
あの時ほどじゃあないが、今も結構ヤバい状況だ。なんせハフティーが賭けに負けまくり、俺達二人とも身ぐるみを剥がされている。
財布はとっくにすっからかん。旅暮らしに必要な馬車もマントも調理器具も、何もかもを巻き上げられ、哀れ俺はパンツ一丁。ハフティーも下着だけ。素寒貧ってヤツだ。風が寒いです。
だだっ広い草原を貫く街道の脇に作られた野営用の小さな広場には俺達の馬車と賭け相手の商人の馬車が停まっていたが、今ではこの野営地に俺達の物は何もない。負けすぎだよ、ハフティー。そして賭け過ぎ。
だがハフティーはようやく楽しくなってきたとでも言わんばかりにウキウキしている。恐ろしい事にここまで剥がれてまだツッパるつもりらしい。どういうメンタル?
「よし分かった、金貨三枚分の証文を書こう。後日神に誓って必ず支払う。その証文を担保に賭けを続けて――――」
ハフティーは口先で丸め込もうとしたが、賭け相手の小太り商人は悪そうな顔にくっついた豚みたいな鼻をフガフガさせ言葉を遮った。
「は! 放浪の民は信用できんな。放浪の民の証文なぞ尻を拭く紙にしかならん。貴様らは都合が悪くなればすぐ他の地方に逃げる犯罪者だ。現金、現物でしか賭けは受け付けん」
小太り商人はハフティーの剥き出しのヘソあたりに入った放浪民族独特の入れ墨に目をやりながら冷たく言った。
なんだとぉ、こいつッ! ハフティーが何をしたってんだ。何かお前に悪い事したか? 言う事にかいて犯罪者だとぉ? 悪い事したしバリバリに犯罪歴あるし正論だな! ごめんなさいね!
頼れる交渉役が「アチャー」の顔をしてしまったので、代わりに俺が矢面に立つ。
「俺は放浪の民じゃない。入れ墨ないだろ? 俺が証文を書くから――――」
「黙れ。知っているぞ、黒髪のヤオサカといえば怪しげな霊薬を売りさばく放浪の民の霊薬師だ。信用できるわけが無かろう。目を離した隙に薬を盛られたら敵わん」
「ああなるほど、その手があったか! 頭いい~」
「…………」
「いやあの、ごめんなさい俺が悪かったです。薬盛ったりはしないので」
俺は両手を上げ、精一杯の愛想笑いで引き下がった。
ダメだ~! 交渉決裂。口が滑ったのもあるが取りつく島もない。
しかしなんとか賭けを続けなければヤバい。せめて不老不死の霊薬だけでも取り返したい。何の変哲もない普通の薬瓶に見えるだろうから薬効分からんだろうけど、この世に二つとない貴重な品だ。こんな所で失えない。
そもそもこの賭けが始まった理由は、手っ取り早く旅費を稼ぐためだ。
放浪の民のハフティーは物心ついた時から世界中を流離っている。この世界に投げ出されてから七年間、俺もまたハフティーの相方として旅をしてきた。
普段は俺がちょっとした霊薬を作り、ハフティーが霊薬を売って得た金を賭けで増やしたり減らしたりして生計を立てているのだが、先日完成した不老不死の霊薬をちょっと遠くまで配達しに行く事になった。
そこで長旅にかかる費用を手っ取り早く確保するためにハフティーが商人を捕まえて賭けを持ち掛け……御覧のあり様だ。
楽に稼ぐつもりがイカサマを見破られ封じられ、負けに負けして一文無し。
このままではウーバー霊薬の旅どころか、裸一貫で再出発するハメになってしまう。
不老不死の霊薬まで賭け始めたあたりで止めていればこんな事には……でもハフティーが「絶対行ける」って言うからさぁ。負けを取り返そうと沼に嵌った敗者の言葉なんて信用できないけど、自信ありそうだしいけるのかなって思った俺が大馬鹿でしたよ。
泣きわめいて鼻水垂らしながら靴を舐めれば薬瓶の一つぐらいお情けで返してもらえないかな、と画策していると、ハフティーが何やら決意を固めた様子で話しかけてきた。
「ヤオサカ」
「ん?」
「私に考えがある。危険なやり方だが、信じてくれるかい」
俺は躊躇なく頷いた。
「もちろんだ。お前はすぐ嘘つくし騙すし俺の金を勝手に賭けてスっちまうとんでもねぇ女だけど、最後は帳尻合わせるって信じてる」
「ありがとう」
ハフティーは心底ホッとした様子で微笑み、小太り商人に向き直り言った。
「大旦那、賭けるのは現物のみと言ったね? 彼の身柄を賭けようじゃないか。大旦那が勝った暁には、霊薬師ヤオサカを奴隷にでもなんでもするがいい」
「おっと~? ハフティーさん?」
「大丈夫だ」
全然大丈夫じゃなくない? 聞いて無いッスよ。いや、だから信じてくれるかって聞いてきたのか。
流石に冷や汗をかく。もちろん俺はハフティーを信じてるよ。信じてるけど酷い。やってる事ゴミカスだぞ。
ハフティーの「最終的に勝てばいい」精神には時々感服するが、同じ回数だけドン引きする。
本当に大丈夫なんだよな? 俺達、親友だよな?
「いいだろう」
小太り商人はハフティーの提案を打てば響く二つ返事で了承し、好色な目で続ける。
「『博徒ハフティー』なら『霊薬師ヤオサカ』の三倍の値をつけるぞ? 口を縫い合わせ指を落としても、その顔ならいくらでも買い手がつく」
「おっ、良かったじゃんハフティー。超絶美少女だってさ」
「ヤオサカの相手と状況を弁えない前向きさ、私は好きだよ。申し訳ないが私自身は質に入れられない。私は我が身が惜しいクズでね」
清々しいクズ宣言に、俺は思わず深々と頷いた。それは本当にそう。俺の親友はクズだ。
ハフティーはどんなに追い詰められても自分自身だけは賭けないんだよなぁ。俺の事は賭けるのに。ひでぇや。
俺を担保にした賭博の続行は同意され、宣誓書に署名してハフティーの手元に幾許かの金貨が戻される。親友を質に入れて得た金貨を前にハフティーは神妙な顔を作ろうと努力していたが、ちょっと笑みが漏れ出ていた。
俺は一連のやりとりを指を咥えて見ている事しかできない。ギャンブルの領域で俺にできる事は何も無い。人生初ギャンブルでギャンブルの達人に勝ったあの一勝は奇跡か何かだ。
いや待てよ? よく考えてみたらできる事あるかも。
奇跡か幸運の霊薬か何かを急いで作ってハフティーをドーピングして……ダメだ調薬器具も賭けで取られてる。アカン。
これは自慢だが、俺は七年あれば不老不死の霊薬を調薬できる空前絶後のスーパー霊薬師だ。自分以外の霊薬師には会った事が無いが、世界でも指折りの腕前を自負している。
しかし道具が無ければなんもできねぇ。霊薬が作れない八百坂はただの二十代一般男性だ。悲しい。
「大丈夫。私を信じたまえよ」
不安過ぎて貧乏ゆすりが止まらない俺の指先に触れ、ハフティーがウインクする。
さっき同じセリフで同じ事した直後、綺麗に負けて服を剥がれたんだが? 逆に信頼が揺らぐ。ボロ勝ちしている小太り商人も流石に半笑いだ。
負けを取り返そうとして負けを重ねる今のハフティーは正に典型的なギャンブル中毒者の末路といった風情。「次で勝てるんだ! あと一回で絶対勝てるんだ!」とわめきながら沈んでいった数えきれない賭博師の哀れな姿と、舌をちょっと出して配られた札をめくるハフティーの姿が重なって見える。
ああああああ、あの札の中身次第で俺は奴隷! やばすぎ。
……だが俺は知っている。
大丈夫。思い出せ、不安なんて感じる事はないだろう?
ハフティーはカスはカスでも良いカスだ。
逃げるハフティーを庇った俺が牢屋にぶち込まれた時、彼女は翌日にどうやってか(たぶん賭け事で)大金を稼いできて、賄賂と保釈金の二段構えで俺を解放してくれた。
俺が国営の薬草畑に忍び込んで捕まった時、ハフティーは警備兵の浮気の証拠を掴んできて脅迫し、脱走させてくれた。
偽金作りの片棒を担がされあわや処刑という時、処刑人が昔大勝ちしたハフティーに借金を返してもらった恩があるという奇跡が起きて逃がしてもらえた。
ハフティーとの旅はいつだって波乱万丈で、苦しい時があっても最後には肩を組んで笑い合える。
だから彼女と俺は親友なのだ。
俺は確信している。
俺は知っている。
どんなに負けても、コテンパンにやられても、もうダメだと思っても。
ハフティーは最後には勝つのだ。
いつだってそうだった。
だから俺は安心して自分自身を親友に預けられる。
小太り商人は自分の手札を公開した。彼の手札よりも強い手札がハフティーの手に無ければ、俺は奴隷堕ち。
俺はドキドキしながらハフティーの手元を注視する。
ハフティーは太陽のように明るい金髪をかき上げフッと笑い、俺を見て言った。
「ごめんヤオサカ。負けた」
「嘘だろハフティー!」
ハフティーが公開した手札はよりにもよって理論上最弱の組み合わせだった。
俺は小太り商人の奴隷に堕ちた。