第四話 購買
太陽がぎらぎらと容赦なく照りつけ、コンクリートからは陽炎が立ち上っている。時刻は昼過ぎ。暑い盛りである。
こんな休日は家の中でゆっくり過ごして居たいものだが、今日は外にでなければならない理由がある。
ミリアとの約束を果たすため、当分の食料を買い込まねばならないのだ。
「なあ応久!デパートというのはいわゆるなんでも売ってる店なのだろう?いやあ、公国にはそんな店無いからなあ、どれほど大きいのかわくわくするな!」
そう彼女──ミリアは笑顔で話す。
服装は男物のTシャツにジーンズというシンプルなものだ。
身長が俺とそう変わらないせいか違和感がない……どころか似合っている。何を着ても様になるのではないだろうか。
「ミリア、遊びに行くんじゃないんだぞ?」
「分かっているさ。だがな、今日は1日休みなのだろう?なら応久も楽しまなければ損というものだ」
「のんきなことを言うなぁ……それより俺は明後日以降のことが不安で仕方ないよ。5日間寝たきりなんだろ?具体的にどんな感じなんだ?」
「うーん……前例がないからはっきりとしたことは言えないのだがな。なにせ吸い取る魔力が多きすぎる。ただ、一般的な魔力切れは凄く体がだるくなって、眠くなる。ひどい風邪を引いたときに近いだろうか。熱が出るとかは無いから辛くは無いが」
「うへぇ……やっぱりきつそうだなぁ……要するに凄く疲れるって感じだろ?」
「んー、まあそうだな。体がではなく心がだが。まあそう心配するな。このミリアさんが看病するんだ。大船に乗った気持ちで居てくれ」
「その大船、タイタニック号とか言わないか?」
「うん?たいたにっく号?知らないが、きっと豪奢な船なのだろうな」
どこから来るんだその自信は。
「しかし、どうして急に魔力をくれる気になったんだ?
昨日まではあんなに渋っていたじゃないか。」
「…………どうでもいいだろそんなことは。人間、急に気が変わることだってあるさ」
「ふうん……そんなものか」
そう話をしていると突然
「ひったくりぃー!!誰かぁー!」
と、金切り声が響いた。数瞬後、猛スピードのバイクが車道を通り過ぎていく。左手にはライダースーツには似合わない小洒落たバッグ。引ったくりか。
しかしバイクはすでに十分な速度まで加速している。あの速度では────
瞬間、右からボッと風を裂く音がした。
直剣が空中を滑るように飛翔し、ひったくり犯の頭部に命中する。
バイクはそのまま派手な音を立てて転倒した。
「え……?」
「良し」
今、何が起こった?剣を投げたのか?あの速度のバイクに向かって後ろから?
「応久、ちょっと行ってくる。待っていてくれ」
「えっ、ちょっと、おい!」
「ぐう……あぁ……」
黒いヘルメットの中の顔は伺い知れないが、引ったくり犯はあらぬ方向に折れ曲がった足を押さえて呻いている。
「む、どうやら右足の骨が折れているな。罰としてはそんなものでいいか。私の国なら本来は……なんだっけ、鞭打ちだっけか。まあいずれにしろもうこんなことは無いよう良く反省をするんだぞ?」
ミリアが剣を拾いながら言う。
「おい!バカ!早く行くぞ!」
「ん?何でだ?」
「いいから!早く!」
遠目に見ると既にパトカーが到着し、騒ぎになっていた。まだ5分もたってないぞ。日本の警察は優秀だな。
「なあ、もう良いだろう?何であんな逃げるような真似をしなければならないんだ?」
「まあ、せっかく捕まえたのにって気持ちは分からないでも無いんだが……警察が来て困るのは俺たちもってことだよ」
「?」
「あのなぁ、俺はともかくお前は戸籍も何も持ってないだろ?そんな中で警官と話したら確実に厄介なことになるだろうよ」
最悪の場合、銃刀法違反で捕まってしまう。
「そんなものか。意外と不便なのだな」
「便利だからこうなってるんだろうよ」
「つまり私は出過ぎた真似をしたということか。…………こちらに来てからやることが裏目にでてばっかりだな」
「……いや、そんなことは……今回の事に関してはまあ、良くやったと思うよ」
荒っぽくはあったが、あれ以外に止める方法もないだろう。普通に通報すれば犯人は捕まったとは思うが、バッグが無事である保証はない。
「そうか?ふふっ、そうかそうか」
「なんだよ、そんなにニヤニヤして?」
「何でもない。さあ、早くいこうじゃないか!」
彼女は上機嫌になって歩き出した。女心は分からないものだ。
「いやぁ涼しいな。外とは大違いだ。もうあと少しで溶けてしまうかと思ったところだ。どういう仕組みなんだ?」
「分かったから。恥ずかしいからボリュームを抑えてくれ」
とは言えデパートの中は相当に涼しい。少し足を伸ばせば着くぐらいの距離にあるこのデパートだが、こんなに店内が心地よく感じたのは初めてだ。
少し歩いてカードに現金をチャージしながらミリアルに声をかける。
「そうだ、ミリア、ここから先は別行動にしないか?」
「それは構わないが、なぜだ?」
「ほら、あれだ、女物の下着とかは一緒に買えないだろ?他にも5日間もここに居るんだ。女物の服ぐらい何着か要るんじゃないか?」
「それはその通りだ。正直、下着とかはもう限界だった。ただでさえ2日はきついというのに夏場だからな」
「だろう?ほれ、財布渡しておくよ。」
鞄からカエルのキーホルダーの着いた財布を取り出してミリアルに渡す。中には2万円入れてある。服とか含めた日用品もまとめて買うのなら、このぐらいは要るだろう。
幸い、懐に余裕はある。
「いいのか?もし失くしてしまったりとかしたら……」
「ああ、それは大丈夫だ。もう使ってないし。俺のはここにある。あ、でもミリア、一人で買い物とか出来るのか?買い方分からなかったりしないか?」
「それは心配無用だ。ここに来るときここの文化などは一通り学んでおいたと言ったろう?」
……学んでおいた上でさっきの蛮行に及んだのかこいつは。
「本当に大丈夫か?大声を出したり、走ったりするなよ?」
「分かっている。私のお母さんか君は。それでは失礼する」
行っちゃったよ、待ち合わせとかもしてないのに……まあいいか。俺も必要なものを買いに行くとしよう。
……いざ歩き出したは良いものの、事前にメモとかしてきてないから何を買うか分からないな。日用品とかは俺の家だから普通にあるんだよな。
魔力切れは風邪みたいなものって行ってたからな、必要なのはスポーツドリンクと、あとはプリンとかも食べたくなるんだろうか。あ、まあその辺は重そうだから最後に買うとしよう。うーむ。何せ5日も寝て過ごす予定なんてものが出来たのは初めてだからな。
そうだな、夏だし花火とか買ったらミリアは喜ぶだろうか。こういうのは多分あちらの世界には無いだろうし。うん、我ながら良い考えだ。
花火を買ったあとは、取り敢えず暇潰し用の本でも見繕いに本屋にでも行くか。ゲームはやる気力があるか分からないしな。
……時間がとんでいる。2時間はおかしいだろ少し立ち読みしてただけなのに。レジ袋も思ったよりずっと重いし。ミリアを手持ち無沙汰にさせてしまっただろうか。少し罪悪感があるな……
ミリアは食品コーナーのアイス売場に居た。
足早に移動しながら目を輝かせている。
彼女の手には手には大きな紙袋やレジ袋が握られていた。どうやら買い物は無事に終わったようだ。
「!おっと応久、ちょうど良いな。買い物は終わったか?私は今買い物が終わったところだ。アイスは最後にしようと思ってな」
顔を綻ばせてこちらを振り向く。
放っておきすぎて機嫌を悪くしてるんじゃないかと少し心配したが、杞憂に終わってたようだ。良かった。
「俺はまだだ。食べ物とかはまだ買ってなくてな。合流したことだし、一緒に買っていこう」
「うん?てっきり応久は食べ物を買っていると思っていたのだが、これまで何をしていたんだ?」
「……ほら、風邪の時に必要なものとかをな?いろいろとな?」
「しかしこのデパートって店は便利なものだな!ここに来るだけで取り敢えず全部揃ってしまうじゃないか。こんな調子じゃあ他の店なんかは全部商売あがったりなんじゃないか?」
「うーん、そういう側面もあるとは思うが、こういう店は大量生産品しか売ってないからなぁ、質は良くも悪くも普通の物しか売ってないだろ。だから本当に良いものを売れる店は残るんじゃないかな。詳しくはないから分からないけども」
「ふむ、まあいずれにせよ羨ましいことに変わりはないよ。外に出ていて思ったのだが、収入が中から下の人も基本的にはひもじい思いをしていないだろう?それなりに苦労はしているのだろうが、こういうところで買い物が出来て、今日食べる食べ物に取り敢えず困っていない。それだけで私からは輝いて見える」
「ふうん……そんなもんかね」
やはり戦時中だからってやつか。まあ確かに太平洋戦争中の日本人から見たら現代日本なんて天国だろう。それと似たような物だろうな。
「あ、そうだ応久!普通の物しか売っていないとか言っていたが、下着って一着何千円もするやつがあるじゃないか?!何がそんなに違うんだ?材料か?」
「いや知るか。──それ多分ブランドのやつだな。強いて言うならデザイン?信用?が違うんだろう」
いやまあ材料も違うとは思うが。女性用下着についてそんなに詳しくてたまるか。
「ん、ああ、高いワインみたいなものか。普通のワインの500倍高いけど500倍美味しい訳じゃない、みたいなことだろう?」
「さりげなく高いアイスをカゴに入れるな。確かにそれは3倍高いから3倍美味しいかも知れないけどな?……バレたかみたいな顔をするな」
「……応久だってそのレトルトのカレー、ちょっと高いやつじゃないか。というかレトルトじゃなくても、簡単なものなら私が作るぞ?」
「そうか?なら頼もうかな。素麺とか、鍋とか」
「……何だか馬鹿にしてないか?」
「気のせいだろ」
大真面目だ。
「あとはそうだな、スポーツドリンクとか買って終わりか」
「話を変えようとするんじゃない!そうだな、今夜はこのミリアさんが腕をふるってやる。覚悟しておけよ?」
帰宅後の夕食は宣言通りミリアがチキンソテーとスープを振る舞ってくれた。
香草が効いており、安い肉なのに中まで味が染みていて普通に美味しかった。
ミリアの得意気な顔に少し腹が立った。
日付があともう少しで変わる頃。路地裏には町の明かりも大分薄まって届く。ここでの光源はスマホの明かりと煙草の燻る火だ。
集まっている若者は4人。誰も彼もみな髪を派手な色に染め上げ、ゲラゲラと大声で話している。
「──今晩は。ここの夏は暑いですね。こんな時間になってようやく涼しくなるのですから」
その男はまるで闇から溶けだしてきたかのようだった。そのコートを着た男が声を発するまで若者達の誰も気付くことはなかったからだ。
若者達は一瞬驚いたものの、直ぐに顔を見合せ笑みを浮かべる。
「タクトぉ、頼んだ。いっちゃん近いし」
「しょうがねぇなぁ、あとでタバコ一本寄越せよー?」
タクトと呼ばれた若者は向きを変えるとずい、とやや猫背でコートの男に歩みよった。彼は若者達の仲でも一番背が高く、両耳にはピアスを着けている。
「なあおじさん、ちょっと金、貸してくれねぇ?有り金全部で良いからさぁ」
「お金、ですか。初対面ですしお金を貸し借りするほど親密な仲ではないと思うのですが」
と男が言い終わるが早いか若者はコートの男の肩を掴むとその勢いのまま男の腹に膝蹴りを見舞った。
どす、と重苦しい音が周囲に響く。
「──クッ」
「大人しく従っといた方が良いよー?これ以上痛い目を見たくなきゃあ────」
「クヒヒヒヒ、クハハハハハ、ヒャーハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!クフッ、あーおかしい。
これこれ、そんなに人を嗤うものではありませんよ。
だあってよお、こいつら面白えんだもん。いかにも『俺の前に敵はいねえ』みてえな顔しといてまるきり素人なんだからよお!可愛らしくて笑っちまうよ!」
「てめぇ、何を言って──」
「ああ、すみませんね、無視してしまって──よっと」
それは蝿でもはらうかのような無造作な裏拳だった。
いや、裏拳と言えるかも怪しい。何故ならその裏拳はその動きのまま若者の肩に、首に巻き付いたからだ。
「ぐ、かは…………」
首を絞められた若者はその場に崩れ落ちる。と、同時に別の髪を赤黒く染め上げた若者が立ち上がった。
「テメェ!タクトに何しやがった!」
「何って、気絶してもらっただけですよ。彼のことを心配するなんて、意外と優しいんですね」
言いながら男は鞭のような回し蹴りを赤黒い髪の男の顎にかすらせた。
「が……」
蹴られた男はそのまま膝を付き、仰向けにたおれこんだ。
残された二人の若者は既に青ざめた顔で竦み上がっている。
「──っ、お、俺らが悪かった。いや、勘弁してください。すみませんでした」
「金なら、金ならいくらでもあげますからどうか命だけは」
「命ぃ?命なんざ最初っから取る気は──
少し黙っていなさい。そうですね、私達が欲しいのは金じゃあ無いんです。君たちには少しお願いがあるんですよ」
「お願い……?」
「ええ、お願いです。聞いてくれたら、あなた方を助けてあげましょう。聞いてくれないのなら……そうですね、君たちやそこの人たち、それに君たちの身の回りの人の安全は保証しかねますかね」
「……何をすれば良いんですか?」
「素直で良いですね。とっても簡単ですよ────」
その時、フードを目深に被っていたの男の顔が月明かりに照らされた。蒼い髪。薄い瞼と三白眼。
何より特徴的な点は、その顔には無理矢理縫い付けた跡が縦横無尽に奔っていることだった。
「────明日、それをやれば……良いんですね?」
「ええ、その通りです。理解が早くて嬉しいですよ」
「わ……わかりました。それでは俺達はこれで……」
「──すみません。もう一つだけ。ケータイ、持っていますよね?貸していただきたいです。あ、もちろんロックの解除方法付きも教えて下さいね」
「え……いや……」
「つべこべ言ってんじゃねえよ。おら、代わりのケータイだ。そいつで明日は俺達と連絡取れ」
コートの男はスマホを投げてよこした。
彼にはおよそ似つかわしくない、可愛らしいケースに仕舞われている。
「そいつでてめえの番号に電話しな。────おめえもだよ、早くケータイ出せや。
────よし。ロックもしっかり解除できました。それでは明日はよろしく頼みましたよ?」
「え……ええ」
「兄さん、俺からももう一つ良いかい?こいつらの指を一本、折ってあげようと思ってね。こいつら、このままだと無視して逃げちまうかもしれないだろ?
──ケータイを借りたのはそれを防ぐ意味もあったんだですけどね。確かに少し弱いかもしれません。良いと思いますよ。
決まりだな。それじゃあ、俺達のこと、忘れんじゃあねえぞ?」
「え…っぎゃああああああああっ!!!」
入り組んだ路地裏での悲鳴は表通りには届かない。
たとえ届いたとしても、既に人通りは無いだろう。
ここまでお読みいただきありがとうございます。