第十話 惨劇
鬱蒼と繁る木々からの木漏れ日が、赤く血濡れた獣道を照らし出す。
生きた人間は男と女が一人ずつ。
周りの軽装鎧を纏った兵士たちは、その全員がぴくりとも動かない。
兵士たちと同じ鎧をまとった男もすでに息もたえだえだ。無数の刺し傷や切り傷がその身に刻まれており、力なく木に体を預けている。
逆に女の赤と黒で彩られた軍服は綺麗なものだ。肩まで伸びた暗紫色の髪に泥が跳ねているぐらいで、傷はほぼ無い。
彼女の手には黒鉄の杖が握られている。
スッと彼女は座り込んで男に目線を合わせる。
「ねえあなた、『命乞い』とかませんの?わたくし、自慢じゃないけど治療には自信がありましてよ。その程度の傷なら多分、後遺症無く治療してあげられますわ。勿論、捕虜としての最低限の権利も保証しますしね」
女は言う。その声は心底優しそうで、ただ男への気遣いと労りが感じられる。
「……ふざけろ」
だが男は吐き捨てる。話す言葉に血が混じる。
「俺の体はもうダメだ……それに助かるとしても『助けてくれ』なんて言える訳ねえ。さっさと殺せよ……」
「困りましたわね。人死にをみるのはあまり得意では無いのです。どうして救援を呼ばなかったのですか?」
「どの口が……言いやがる。女一人と見せかけて油断させやがって……救援を呼ぶ暇なんざあるわけ無いだろうが……」
「ええ、それだけ聞ければ十分です。お疲れ様ですわ」
そこまで言うと彼女は手に持った杖を男の眼窩にトンと突き刺した。
──びくんびくんと男の体が跳ねるのを見て、彼女は体をぞくぞくと震わせた。
「───っああ、これは戦争だから仕方がありませんわね。人を殺すなんて本当はしたくないのですが、仕事だから仕方のないことですわ……」
言葉とは反対に、彼女の口元からは笑みが溢れる。
彼女は男が完全に動かなくなってから、ようやく杖を引き抜いた。
木の幹でこびりついた血と肉を拭うと、彼女は地面に置かれた鞄から大型の端末を取り出し操作を始めた。
「さてと、誰も来てくれないのならこちらから呼ばなくてはいけませんわね。すみませんが、みんなはそこで待っていてくださいね?」
「わかった!」「わかった!」「わかった!」
近くの木の上や木陰からたくさんの返事が帰る。
それを聞いて女は満足そうにうなずくと、作業を再開した。
トレスト大森林。それはアチア公国とダキア帝国の間に跨がる大森林である。
この森林があるせいで、お互いに大軍勢を送ることができず、最初の二年は散発的なゲリラ戦に終始していた。
何せ、古くから拓かれた林道以外は馬が通るのがやっとなのだ。大隊など組めるはずもない。
なんとか敵国にたどり着いたとしても、疲弊しきった体では敵国の防衛を突破するのは不可能である。
当然ながら、両国ともにこの膠着した状況を打開すべく、いくつかの策を練っていた。
その一つがアチア公国の拠点計画である。
ダキアとアチアの中間地点に大量の物資と人員を輸送、交代で防衛を行いつつ休息をとり、攻勢に出る準備を行うというものだ。
現在、この計画は順調に進行中である。
ダキアによる妨害をはね除けることに成功し、現在は数千の兵士が拠点に滞在している。
ただし、まだ戦況は安定しているとは言えない。拠点本体や補給ルートが毎日のように攻撃に晒されている状況である。
先ほども、左前方の安全を確認するため1キロほど先を偵察していた先見隊が通信を絶った。
補給の為の物資を積んだ装甲車が停止する。
装甲車の護衛を勤めるのは第4騎士団副団長ゼレスト。身長190cmを越す偉丈夫で、更に分厚い鎧を装着している。
装甲車の前方に陣取るゼレストは、しかし違和感を覚えた。
普段と違う。
会敵したのならば即座に通信により連絡が来るはずである。
そして先見部隊は皆戦闘経験豊富な者たちばかりだ。通信もできないほど即座に全滅するというのは考えにくい。
この森林では射線も通りづらく、音も無かったため狙撃や爆発物の線も薄い。
「副団長!通信です!第三先遣隊からです!」
「──貸してくれ」
やっとかと思いながらゼレストは通信を受けとった。
「はい!録音を再生します!」
『……救援を…………油断………助けてくれ……………』
ざりざりとしたノイズが非常に多く、聞き取れたのはそれだけだった。
「これだけか」
「はっ!愚行いたしますに、これは──」
「よい。分かっておる」
確かにおかしい。
確かに声は先遣隊隊長の声ではあるが、彼ならもっと具体的な情報を優先して伝えるはず。
つまりこの通信はダキアによる罠である可能性が非常に高い。そうゼレストは判断した。
だが、彼は1%でも偵察隊が助けを求めている可能性があるのならばそれを無視できない。
ゼレストはばさりと背中のマントをはためかせ、叫んだ。
「皆の者ォ!我と我が私設小隊5名はこれより第3偵察隊の救援に向かう!半刻後に我らが戻らぬ場合、いかな通信があったとて本国に戻ること!よいな!」
拡声器を使わずとも伝わる大声で、20名程の中隊に呼び掛ける。
「「「「応!!!!!」」」」
各地からも鬨の声が上がった。
ゼレストは偵察隊が消息を絶った場所にたどり着く。
すでに太陽は大きく傾き、その光は赤みを増していた。
木の葉に遮られ、薄暗く照らされたのは───偵察隊隊長の生首。
ずたずたに傷付けられたそれはロープによってだらんと吊り下げられていた。
それを見たゼレストは即座に叫ぶ。
「総員、回避ィ!!」
私設隊全員が即座に跳びのく。
その数瞬後、彼ら私設隊の体のあった場所をいくつもの刃が通り抜けて行った。
生首は注意をそちらに引き付けるための、狡猾な囮。
「凄いですわね。今のを避けられるなんて」
言いながら現れたのは紫髪の女と───冒涜的な数体の異形の影たち。
四足歩行をする彼らは頭部こそ人間の頭であるが、首から下は様々だ。
毛皮の付いた三つの関節を持つ足に長い鉤爪を持つ者。
黒光りする昆虫めいた外骨格をその身に纏い、人の手足を無理やりに逆関節にねじ曲げたような者。
骨に対して歪なほど多くの筋肉と、その要所を鋼で出来たプロテクターで守る者。
彼等は共通して、背中や腕から不釣り合いなほど巨大な刃を生やしている。
思わず吐き気を催す外見だが、ゼレスト達はしかし毅然とした隊列を崩さない。
「貴様、我らが隊士を囮に使うとは……女だからと容赦はせん」
がしゃりと音を鳴らし、ゼレストは戦鎚を構えた。
「……残念ですが生け捕りは無理そうですね。殺して構いませんわよ」
「「「「「わかった!」」」」」
刃が音を立てて震える。
「面妖な……元は人間であろうになぜそのような醜悪な姿に……」
「同情ですか?命の取り合いの最中になんて優しい人なのでしょうか。ですが、それを知る必要は無いのです。だって、ここから全員生きて帰れないのですから」
「……良かろう。ならばここで楽にしてやることが最大の慈悲であろうな。
───総員、構えよ」
かちゃりと音を立てて私設隊隊員が銃を構える。
その目に写るのは覚悟と、副団長への信頼。
「へぇ……銃なんて珍しいですわね。この場所じゃあこんな風に、簡単に斜線を遮れますのに」
くすりと笑い彼女は木の影に隠れる。異形たちも影から発砲直後の隙を狙う。
「それはどうであろうな?───総員、放て」
弾丸が放たれる。それぞれ、てんで見当違いの方向へと。
「なんです、どこを撃って───ッ!」
彼女の、そして異形たちの視界が茶色に染まった。
彼女たちの下から落ち葉や土が大量に巻き上がる。
更に、放たれた弾丸がその軌道を蛇のように変えた。木の幹を避け、小枝をへし折り、狙うは異形たちの脳天。
不可解な角度から異形たちを銃弾が襲う。
ゼレストの魔法である。彼が操るは風。
その力で周囲の土や弾丸の軌道を自在に操り、攻撃に転じたのだ。
それだけではない。彼の鎧を含めて120キロはあろう巨体がバネに弾かれたかのように動いた。
突進。風の力で威力と速度を飛躍的に高めている。
「ぬうああああああああっ!!!」
その突進を上から見るものがいたとしたら、山河を流れる激流のようだと評すだろう。
20メートルはあった距離を一瞬で詰める。
自らを砲弾と化したその一撃が狙うは当然敵の頭、紫髪の女である。
ギャリイイイイン!
激しい金属音。突進が止まった。
戦鎚は女の十数センチ上で、刃に阻まれ震えている。
異形の一体、昆虫の鎧を纏ったものが軍服の女を守ったのだ。
地面にブレードを深く突き刺し、錨としている。それでも十数センチ押し込まれていることが、突進の凄まじさを物語っていた。
「……馬鹿な」
「それは『馬鹿な、なんだこの力は』かしら?それとも『馬鹿な、なぜ避けられる』かしらね?」
嘲るような声で彼女は言う。
見ると、弾丸は一発も命中していない。
「残念ですわね。彼らは見た目だけじゃないのです。勿論筋力はヒトと比較にならないし、五感だって全く別物ですわ。……まあ、個体差はありますけどね。あんな土煙じゃあ普段と変わりませんことよ?」
「ぐうっ!」「ぎゃああっ!」
後方で悲鳴が上がる。
隊員たちが異形の刃で切り裂かれたのだ。
「ぐっ、貴様───」
ざくり。ざくり。ざくり。
ゼレストの背後から、鎧の合間を縫って刃が差し込まれる。
「しかし素晴らしい魔法ですわね。ここまで練り上げるには相当の才能と、そしてが努力が必要だったでしょうね?
それをこんな簡単にぐちゃぐちゃに出来るなんて、ああ!何て素晴らしい!」
「ぐっ……貴様、貴様だけは断じて許さぬ……!
このような命を弄ぶような真似ッ、許す訳にはいかぬのだ……!」
最期の力を振り絞り、ゼレストは掌を前につき出した。
「あぶない!」
昆虫型の異形が女を突き飛ばす。
その一瞬後、女のいた空間が歪んだ。
ゼレストの放った奥義、超超高速の烈風は範囲内の全てを塵と化す。──当たりさえすれば。
「いてて……危ない危ない。ありがとう12号。しかし凄いですわね、こんなの見たことが──」
ぼとり。ゼレストの首が切り離され、地面へと落下した。
灰色の毛皮を纏った異形がゼレストの血を振り落とす。
「……あれまあ、殺してしまいましたか。まあそう指示したのですけれども。あれだけの魔力量なら少し使えそうだっただけに、勿体ないですわね」
ゆっくりと女は立ち上がって言う。
「しかし彼らが失敗作だなんてとんでもないですわね。こんなに可愛らしいし、強いのに」
すでに土煙は消え去っており、私設部隊が全滅したことを簡単に確認できる。
「おかあさん、いたい、いたいよ」
12号と呼ばれた異形の三日月型の鉤爪が削り取られ、断面からは血が流れている。
女を庇ったときに付いた傷だ。
「ああ、怪我してしまったのですわね。よしよし。────はい、これで痛くありません。後は本国に戻ったら、新しく付けて貰いましょうね?」
彼女は懐から簡易的な医療キットを取り出し、手当てを行う。
その手際は機敏で、適切だった。
「それじゃあ皆さん、もう一仕事ですわ。物資を守る敵さんたちを殲滅しに行きましょうか」
「うん!」「「わかった!」」
下草を掻き分ける足音が遠ざかると、程無くして悲鳴が上がり始めた。
私設部隊の死体からはまだ鮮血が流れ続け、大地を濡らしている。
木々に阻まれて見ることはできないが、頭上にはすでに2つ目の月が登っていた。
夕食を食べ終えて、俺は宿舎に戻る。
夕食前に魔力の受け渡しを行ったが、それは奇妙な感覚だった。
肉体的にも精神的にも疲労はないのに、魂が疲れるような、そんな感覚。
あまり気分の良いものではないが、仕方ない。5日間寝たきりになるよりはよっぽどましだ。
───これで良かったのだろうか。と、思わなくもない。だが、一度決めたことだ。
広島や長崎に原爆を落としたパイロットはこんな気持ちだったのだろうか。それとも最終決定を下した司令官か。
なんにしろ、俺の決めたことだ。後戻りは出来ないし、してはいけない。
今日もミリアとは会えなかった。日本に行っていた間の仕事でもたまっていたのだろうか。あの笑顔が見れないのは残念だ。
考えることは無数にあるが、考えていても答は出ないことばかりなので、考えていても寝ることにした。
シャワーを浴びて床に着く。
結局、この日もミリアが宿舎に帰ってくることは無かった。