最新式ノイズキャンセリングイヤホン
これは、流行りのノイズキャンセリングイヤホンを買った、ある男の話。
その男は、都会で一人暮らし。
仕事に友人関係にと忙しい毎日を送っていた。
朝は、まだ日も昇りきらない早朝に起床し、
夜は、日付けも変わった深夜に帰宅することもしばしば。
しかし、忙しすぎる生活は長く続くものではない。
その男も例外ではなく、
忙しさから仕事で失敗することが増えて、人間関係が上手くいかず、
やがて体調も悪化していった。
心配してくれる恋人につい八つ当たりをしてしまい、
「私たち、しばらく距離を置いたほうが良いと思う。」
そんな言葉を最後に、
とうとう恋人からも愛想を尽かされてしまったのだった。
もう何もしたくない。
誰とも話をしたくない。
塞ぎ込んだその男が、藁をも掴む思いで手にした物。
それは、ノイズキャンセリングイヤホンだった。
ノイズキャンセリングイヤホンとは、
外から伝わってくる音に逆の音を重ねて消す機能、
ノイズキャンセリング機能を備えたイヤホンのこと。
イヤホンを耳に付けて音楽を聞く時に、周囲から聞こえる邪魔な音を、
このノイズキャンセリング機能で消してしまう。
すると、騒がしい人混みの中でも、
まるで水の中にいるような静寂が得られる。
都会暮らしにおいて、
落ち着くことができる静かな環境を探すのは意外と難しい。
しかし、このノイズキャンセリングイヤホンを使えば、
それが簡単に手に入る。
人と完全に関わらない生活が無理だとしても、
せめて静かな環境くらいは欲しい。
静寂を求めるその男には正にうってつけ。
通信販売の広告で偶然それを目にしたその男は、
早速、注文することにした。
数日後。
見慣れない業者から届けられたのは、
小さくて黒いノイズキャンセリングイヤホン。
説明書によれば、電源を入れて耳に付けるだけで良いらしい。
その男は待ちきれないとばかりに、
届いたばかりのノイズキャンセリングイヤホンを耳に付けてみる。
遅れて電源を入れると、イヤホンから機械的な声が聞こえてきた。
「ノイズを除去します。」
すると、周囲の喧騒がまるで嘘のように消え去った。
部屋にあった古いエアコンや冷蔵庫の動作音が消えて、
水の中にいるような静寂。
その男は小さな歓声を上げた。
「これはすごい。
周りの音が聞こえなくなって、すっかり静かになった。
これなら騒々しい場所でも静かに過ごせるかも知れない。
でも、テレビの音は思ったよりも消えないな。
特に人の声はほとんど消えてない。
周囲の騒音が消えた分、人の声は返ってよく聞こえる。」
すると、イヤホンから機械的な声で返事が返ってきた。
「申し訳ございません。
本製品は安全の為に、
人の声など重要な音へのノイズキャンセリング機能が制限されています。」
「うわ!びっくりした。
お前、しゃべれたのか。」
驚いたその男に、機械的な声が無表情に応える。
「はい。
私は最新式のAI、アーティフィシャル・インテリジェンス、
つまり人工知能です。
こうして人と会話をすることもできますし、
装着者の行動などを分析して学習し、最適な動作をすることができます。
本製品は、人の声を消すことは制限されていますが、
その代わり、より良い環境が得られるよう音声でサポートします。」
そうして、その男とノイズキャンセリングイヤホンとの生活が始まった。
最新式だと言うだけあって、
そのノイズキャンセリングイヤホンの効果は想像以上だった。
「ノイズを除去します。」
イヤホンを耳に付けると、人工知能の機械的な声がして、
周囲の騒音が瞬く間に消え去ってしまう。
人の話し声などは消えずに残ってしまうのだが、
そこはそれ、最新式の人工知能が音声でサポートしてくれる。
「隣の席の人が騒々しいようですね。
場所を変えるか、問い合わせをすると良いでしょう。」
「この先に大声を出している人がいます。
別の道から迂回して下さい。」
「向こうに静かな場所があります。」
イヤホンから聞こえてくる人工知能の声に従えば、
騒音を事前に回避することもできる。
「ノイズを除去します。」
イヤホンから聞こえる人工知能の声を聞いただけで、
気持ちが落ち着く気がしてくる。
そうしてその男にとってノイズキャンセリングイヤホンは、
片時も手放せない物となった。
ノイズキャンセリングイヤホンを使うようになって、しばらく。
その男は、ある違和感を感じるようになっていた。
それは、イヤホンを耳に付けたままで人と会話する時のこと。
ノイズキャンセリング機能によって周囲の騒音は消え、
会話する相手の声だけが鮮明に聞こえる状態。
その時、会話している相手の口の動きをよく見てみると、
聞こえてくる声と口の動きが一致していないことがある気がした。
話す時に動かす口と、イヤホンを通して聞こえてくる言葉が違う。
そんなことが何度もあって、
どうも気のせいではないように感じられた。
不審に思ったその男は、イヤホンの人工知能に聞いてみることにした。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「はい、何でしょう。」
「人と会話をしている時に、
聞こえてくる声と相手の口の動きが違うことがあるんだ。
これはどうしてなんだ?」
「はい、お答えします。
それは、本製品のノイズキャンセリング機能の一部です。
人と会話をする時に、会話の中で不要な部分、
つまり会話のノイズと判断した部分を除去します。
そうすることによって、
会話を要約し理解しやすくしているのです。」
思いがけない返事に、その男はギョッとして聞き返した。
「会話を要約するなんて、
そんなことをして大丈夫なのか?」
「はい、問題ありません。
私は最新式の人工知能で、装着者の行動などデータの蓄積もあります。
ノイズと判断された部分は、会話を理解するためには不要な部分です。
実際に、今までに会話のノイズを除去したことで、
何か不都合がございましたでしょうか。」
逆に聞き返されて、その男は考え込む。
思い返してみると、
このノイズキャンセリングイヤホンを付けるようになってから、
仕事も人間関係も上手くいくようになった気がするのだ。
それもこれも、会話が上手くいくようになったからかも知れない。
「言われてみれば、
ノイズキャンセリングイヤホンを耳に付けるようになって、
仕事のミスが減ったかも知れない。
いや、気のせいじゃないな。
実際にミスが減ってると思う。
それに、会話が上手くいったことで人間関係も良くなって、
周囲の人たちとの仲も悪くなくなった。
すごいな。
これが最新式のノイズキャンセリング機能なのか。」
「はい、そうです。
会話には無駄なノイズが含まれていることがあります。
それを除去することで、会話の要点がわかりやすくなって、
人と意思疎通する時に間違いも起こりにくくなるのです。」
「その通りだ。
さすが、最新式の人工知能だな。
自分が耳にする前に、機械が会話を加工するというのは抵抗があるけど、
実際に使ってみて問題が無いどころか、
逆に仕事も人間関係も上手くいくようになったんだから、
ノイズキャンセリングイヤホン様々だ。
これからもよろしく頼むな。」
そうしてその男は、毎日の生活において、
そのノイズキャンセリングイヤホンを耳に付けっぱなしにするようになった。
ノイズキャンセリングイヤホンが不要なノイズを除去する。
それは騒音だけに限らず、会話の不要な部分を除去して要約してくれる。
それだけでも大したものだが、
そのノイズキャンセリングイヤホンの機能は、それに留まらなかった。
データを蓄積していった人工知能は進化し、
次は騒音をもたらす結果を予測して、
それを避けるための行動を事前に提案するようになった。
事あるごとにイヤホンから人工知能の機械的な声で提案される。
そちらには行かない方が良い。
この意見には同意した方が良い。
この相手の要求には従わない方が良い。
そんな人工知能の提案に従うと、静かで平穏な結果がもたらされた。
時には自分の意思とは違う提案であっても、
大人しく従ってみると、やはりそれが正しかったのだと思えてくる。
そうして人工知能への信頼は積み重なっていき、
やがてその男は、自分の意見をすっかり捨てて、
イヤホンの人工知能の提案に従うようになった。
ノイズキャンセリングイヤホンが不要なノイズを除去してくれて、
仕事も人間関係も順風満帆。
しかし、そんな生活は長くは続かなかった。
何が必要で何が不要か。
会話一つ取ってみても、それは人によって違うもの。
ある人には大事なことでも、別のある人には不要なノイズとも受け取れる。
それは聞こえる言葉だけで簡単に決められるものではなく、
そういったことの取捨選択もまた人となりが反映される。
そんな情報の取捨選択を人工知能に任せっきりになって、
その男は、他人の目からは人格が変わったように映っていた。
今までと同じ事を言っているのに話が通じない。
人の話を聞かない。
人と同じ話を聞いていたはずなのに、会話が通じない。
意見にオリジナリティが無い。
そうしてその男の評判は、またしても悪化するようになっていった。
周囲の人が心配してその男に忠告をしても、
それもまた人工知能にノイズと判断されて除去されてしまい、
結果としてその男の耳には届かない。
それでも、相手の表情などから感じることはある。
その男は、自分がまたしても周囲の人に馴染めていないことを自覚して、
不審に思ってイヤホンの人工知能に尋ねた。
「僕、最近またどこか上手くいっていない気がする。
もしかして、何か大事なことを聞き逃したりしてるのかも。
一度イヤホンを外して、自分の耳で聞いた方が良いんじゃないか。」
その男のそんな心配に、
しかしノイズキャンセリングイヤホンの人工知能は、
こう応えるのだった。
「私を外す必要はありません。
本製品のノイズキャンセリング機能は完全に機能しています。
会話できる相手が多いことは、より良い人間関係だとは限りません。
現にあなたは過去にそれで問題を抱えていたはず。
ノイズになるような人間関係は不要、
少数の理解者がいれば良いのです。」
あなたは過去に人間関係などで問題を抱えていた。
辛い記憶を指摘されて、その男の表情が曇る。
「・・・そうか、それもそうだな。
元々、僕は忙しすぎる生活を送っていて、
それで仕事も人間関係も上手くいかなくって、
ノイズキャンセリングイヤホンを使うようになったんだものな。
何でも自分一人で考えようとしない方が良いだろう。
でも、少数の理解者って、そんな人がいるかな。」
「はい。無論、一人は私です。
そしてもう一人は、まもなくやってくるでしょう。」
その男の不安そうな声にも、人工知能は機械的に応えるのだった。
どこか上手くいかないことがしばらく続いた、ある日のこと。
その男のもとに、思いがけない人物が姿を現した。
それは、久しく連絡を取っていなかった恋人だった。
しばらく距離を置いたほうがいい。
そう言い残してから、会うことも連絡を取ることも無くなった恋人が、
突然ひょっこりとその男のところにやって来たのだった。
恋人はその男の焦燥した顔を見るなり、
手を握って心配そうな顔で口を開いた。
「あなた、体は大丈夫?
しばらく会わない間に、まるで人が変わってしまったみたい。
連絡もせず、相談にも乗ってあげられず、ごめんなさいね。
あなたが落ち着いて私の話を聞いてくれるようになるまで、
そっとしておくつもりだったの。
でも、他の人から噂を聞いて、心配で様子を見に来たのよ。」
恋人がその男と距離を取っていたのは、愛想を尽かしたわけでは無かった。
その男が独りになる時間が必要だと思って、
落ち着くのを待っていてくれていたのだった。
久しく連絡を取っていなくても、そこは深い付き合いの恋人同士。
顔を見ただけでもその心遣いは理解できた。
その男は、恋人の手をやさしく握り返すと、手を引いて体ごと抱き寄せた。
鼻と鼻が付くほど顔を近付け、額をくっつけて恋人に囁きかける。
「君、僕のことを心配してくれてたんだな。
愛想を尽かされたんじゃなかった。」
「当たり前よ。私とあなたの仲じゃない。」
「・・・そうか、そうだよな。
もっと早く、君に相談しておけばよかった。」
「ええ、何でも相談して。
私にできることなら力になるから。」
やさしく抱き合って、お互いの気持ちを確かめ合う二人。
しかし、その時。
その男が耳に付けたままだった、あのノイズキャンセリングイヤホンから、
人工知能の機械的な声が聞こえてくるのだった。
「ノイズです。除去してください。」
終わり。
ノイズキャンセリング機能は便利なのですが、
自分だけが聞こえない音があるのが恐ろしく感じる時もあります。
もしも、自分だけが重要なことを聞き逃していたら。
何がノイズで何がノイズではないのか、機械が誤って判断してしまったら。
そのような恐ろしさを物語にしてみました。
いくら最新式の人工知能とノイズキャンセリング機能でも、
男と恋人が体を接触させて行う会話を除去することはできません。
作中の最後、人工知能はその男に、
ノイズを除去して下さいと提案しました。
提案された男は何をノイズだと判断するのか、
それによってその後の男の行動には、いくつかの場合が考えられると思います。
お読み頂きありがとうございました。




