忍者省
新宿某ビル。
低層の煤けた地味な外装は、
弁護士事務所にぴったりだ。
ここが現代日本の繁栄を支える
一大拠点であるとは誰も知らない。
誰にも知られてはいけないのである。
ブラインドを指で押し開け
通りをゆく車の影を見ながら
上司と思しき男は、
机の上の一枚の写真について言った。
「その子だ。
我々の調査に間違いはない。
非人間的なまなざし、
痛みへの尋常ではない耐性、
病的な自我の欠如、
飛び抜けた学力、
反射神経、バランス感覚、聴力、
どれをとっても天与の才能を持っている」
上司と思しき男の
背後のテーブルを挟んで立っている
二人の男はどこを見ているのか
わからないような目で
その写真に顔を向けていた。
黒色のスーツに身を包んだ二人は、
どこか人形じみた印象があり、
それでいて道ゆく女性を振り向かせず
にはいられないような、
憂いを含んだ端正な色気があった。
ロボットダンスを思わせる動作で
二人のうちの一人が写真を手に取り、
もう一人に目配せをすると、
なにも言わずにその部屋を退出した。
ここは2050年の新宿。
一度は時が止まりかけたこの都市にも、
再び開発の鼓動が聞こえてきたのは、
2030年ごろからだった。
二人の男は自動運転の国産車に乗り込み、
6車線の道路を快適に走行した。
洗練された網目状の立体都市新宿の、
優美に緑化された公園スペースで、
子どもたちは黒い覆面を被ったり、
手裏剣を投げたりしながら、
飛んだり跳ねたりしている。
「昔はこの国の自殺率は
世界でも有数の高さだったらしいな。
ほとんど子どもも産まれず、
いつか国の借金がパンクしたら一巻の終わり。
価値のある企業が生まれるのを期待しても、
一向ブラック企業しか生まれなかったらしい」
二人のうちの一人が言った。
強いて言えばハンドルを握っている方だが、
どちらがどちらかなんてことはどうでもいい。
彼らは影の存在であり、特徴を極限まで削り落としている。
それに彼らには自立した自我などないといってもいい。
「もっと早く踏み切ればよかったんだ。
国の政策として、この日本の歴史に根付く、
ある技術、ひとのあり方の伝統を振興してからだ、
世界でも稀に見る住み良い国になったのは」
助手席のもう一人が言った。
「その通りだ。そして、我々はその最先端にいる。
見ろよ。道ゆく公園の子どもたちも、
みんなぼくらの真似をしている」
運転席の一人が対向車線越しに公園を指さすと、
そこには目に覗き穴の開いた鉢巻を締め、
黒い装束に模型の小刀をひっさげ、
物陰に隠れたり、身を低くして走ったりしている、
小さな子どもたちがいた。
「ただ一つ問題は、彼らはぼくらのことを
大人ほどにはよく知らないということだ」
運転席の一人が助手席の一人に向き直って言った。
「いいことだ。
あまり知られたら成り手がいなくなっちまう」
「気の毒と言えば、気の毒だがね」
そう言って運転席の男は、
改めて写真の少年を見た。
下忍の報告によれば、
成績は学年一位、
運動神経も抜群、
しかし、目つきのせいでいじめられ、
図書館で忍術の本ばかり読んでいる。
じぶんもこういう人間だったな、
そう運転席の男は思った。
やがて、自動運転車は広い田園地帯を抜けた。
昔は工場が多く林立していた地域だ。
この国はただただ住人の住みやすさのためだけに、
その姿を変えて行っている。
郊外の住宅地に着いた時、
あたりは夕焼けのオレンジ色の光に染まっていた。
「ここだ」
運転席の男が一件の家の前で言った。
自動運転の車はなだらかに減速して停車した。
二人の男は人形のような足取りで、
広い芝生を抜けて、
白い外壁の一軒家のチャイムを押した。
「はい」
写真の少年の母親が現れた。
「この子はここにいるね」
二人の男のうちの一人は、
写真を見せて言った。
「あのどちら様……」
母親が言い終わる前に、
写真を掲げた男が言った。
「忍者省だ。
おたくのお子さんは選ばれた。
即刻、お子さんを引き渡してもらいたい」
「そんな、嘘よ。
わたしの息子が忍者だなんて……」
「誰かが忍者にならなくてはならない。
それに忍者になれば、
命の危険は確かにあるが、
消防士や警察官とは比較にならない
報酬を得ることもできる。
社会的にも非常に尊敬されている仕事だ」
「でも、わたしの息子が、
目玉をくり抜かれて、
手足を切り離されて、
体中人工物で改造されてしまうのなんて
耐えられません」
「この国にあるのは忍者の技術と、
そのための人材だけだ。
彼らの他国の追随を許さない諜報活動によって、
この国の外交安全保障の水準は保たれている。
数十年前にこの国の経済が谷底から
V字回復したのも忍者のおかげだ。
そのことを知らぬわけではあるまい」
玄関でやり合っていると、問題の少年が現れた。
「ママ、どうしたの?」
確かに目つきに悪い、なんとも
人好きのしない不気味な人相だった。
「ボクは忍者に選抜されたんだよ」
写真をポケットにしまいながら男が言った。
「忍者?本当に?やったー!」
「そう、すごいこと、本当にすごいことだ」
男の一人が黒塗りの自動運転車のキーを遠隔で開け、
出発の準備を始めた。
母親は何かを言いかけたがやめた。
「さあ、おじさんたちと一緒に行こうか」
男の一人は少年の手を取って、
自動運転車の方へ歩き出した。
日はまさに落ちようとしていた。
母親は家に入り、
特殊なスマートフォンで連絡を始めた。
「はい、はい、ええ、無事送り込めました。
日本鬼子に中国のキョンシーの伝統を知らしめてやりますよ」