第2話 射手 20
木が生い茂った、視界のない暗い森の中。白刃のブレードと彼のアービトレイターの複眼の光、そして途切れては打ち付け合い、また途切れる打撃音だけが、周り者がわかるであろう情報の全てだった。
今目の前にいるのは、阿澄ちゃんでは無い。戦い方は人間のそれではなかった。足が折れるほどの蹴りを入れられても、隙を全く見せず再生して、話になっていない。牽制に効果がないのだ。
力は圧倒的に上なので、柔道の技とかで制圧するのは不可能。
つまり一撃で殺すか、逃がしてしまうしか効果のある手段はなく、今やっているこの攻防戦も、ただ手や足を打ち付けあっているだけで、俺の体力を削っていく以外には、全く何も変わらなかった。
今までに体験したことの無い緊張感で、もはや空に浮いているような感じさえ覚えた。
周りの音は聞こえず、感覚も不明瞭でそれなのに妙に冷静だ。ゲームをしている時に近い。集中しているはずなのにぼーっとしている。
その頭で、残りわずかな時間にも焦らずに答えを出した。
相手を傷つけてはダメ、しかし牽制して隙を作ることはできない。ならこれは、自分から犠牲を払うしかあるまい。
ちょうど眼球の前、顔面の鼻頭に来た攻撃が見えた。当たれば死ぬので避ける。避けたあと、一秒にも満たない時間で躊躇って、すぐにわざと右手を出した。
「痛ってえっ!」
血染めのようだった爪が、本物の血で染まる。強化繊維グローブを貫き、骨を粉々にしていた。神経は断裂して、感覚があやふやだ。
こいつの爪は固くて折れない。だが先端の切れ味はともかく、根元まで入ってしまえばただの邪魔な棒切れだ。コスプレの衣装同然、ただのハリボテと化す。
右腕の動きが止まる。チャンスは今しかない。意識を必死に保たせて、実行に移した。
相手の右腕が巻き付くように後ろに回り込む。左腕の円周に首の骨が見え、新たに出した左腕の剣で思い切り突き刺した。
一斉に緊張が解け、痛みに耐えかねたのか意識が遠のく。眠るように、意識は滑り落ちた。
「……どこだよ」
と、思ったが、次起きた時には意識ははっきりしていた。しかも病室で知らない天井を見ることも無く、記憶が抜け落ちている訳でもない。
表面の荒いセメントかアスファルトで作られた、橋の上に立っている。周りにあるはずの建物は黒いシルエットとしてしかわからず、ジオラマみたいに今いる場所だけ切り取られたみたいだ。
周囲を確認する。橋の手すりのすぐ横で、制服を着た女の子が体操座りでしゃがみこんでいる。
真っ黒な、中学生だからなのかそこまで手入れされておらず艶があまりない髪の毛と肌。状況を考えれば当然だがちゃんと洗濯してなくてぐちゃぐちゃの服。
体は震えていて、水から出てきてすぐのようだ。全身がかなり濡れている。あいにく自分は薄着なのでかけるものもないが、夏なので別にいいだろう。
「なんでそんなに構ってくるんですか」
「いいだろ。そんなこと」
ゆっくりと膝を曲げて、腰を落とした。話す時に上から目線はアホだしな。
「もういい加減ほっといてくださいよ」
「できるか」
即答で答えた。予想以上に早く答えが返ってきたので、阿澄は白刃から顔を逸らした。
「そんなこと言って、どうせ助けてくれないくせに……」
顔を膝の間に埋めて、口をあまり動かさずにそう言った。その後も全く話そうとせずにそのままだ。だが言わんとしていることはわかった。彼女に起こったことを知っているから。
「言っても無駄?」
「そうですよ。誰も何とかするどころか、聞きさえしないじゃないですか」
さっきの言葉は、別に俺に助けて欲しいからじゃないだろう。問題は別にある。
「そりゃ大人だからな」
話が理解できない、聞けないというのは仕方ない。立場が違って生きてる年数も違う。それで相手の言っていることを咀嚼して、ちゃんと話が出来る人間はほとんど居ない。子供でも。
それに居たとしても、俺たちの住んでる世界には存在しないのは火を見るより明らか。
あの時教師が言っていた、阿澄ちゃんに友達がいたというのは嘘だな。どうせあの女の事だろう。俺だって、自分の都合のいいように物事を考える。汚い物は見たくない。
「……どうせ私なんか」
今の阿澄ちゃんは俺と会話しているようでしていない。自分の中の他人と話しているのだ。彼女の外から声をかけられる俺を介して。
「どうせ私なんか、怒って人殺ししようとする最低の人間ですよ」
いじめを受けていたうちは道徳的優位性があったが今はない。なんならそういう考え自体が私がクズだという証明になっている。
どんどん自分への悪口が出てくる。思うがままにそれを口にした。
「やめろ」
静止もろくに聞かずに続けている。俺の方が先に限界が来た。
「やめろって言ってんだろ!」
体操座りの阿澄ちゃんの胸ぐらを無理やり掴んで、無理やりやめさせた。
「なんであなたが怒ってるんですか」
自分のことなのに、彼女は他人のように言ってきた。見てられない。
「……自分をいじめないでくれ」
ゆっくり手を外した。気持ちのやり場がないので歯を食いしばる。どんどん自分を傷つけていくのは見てられない。
また何か言おうとしたが、阿澄は言葉が突然詰まって言い出せなかった。それが心の限界だと白刃はわかった。
やっぱり辛いんじゃないか。
「苦しい時は俺に言えばいい」
初めて阿澄はその手の言葉に文字通りの意味を感じた。言っていることが嘘ではないという意味で。
それは当然といえば当然だった。他人にくどいほど引っ付いてきて、挙句こんな場所にまで突っ込んで来ている。
しかもそれが全部割に合わないことばかりだ。
「……私なんかが」
「だから。そういうのやめろって」
手をズボンで拭いてから頭を撫でる。なおどちらも汚いのは仕方ない。さっきまで戦ってたんだし。
しかし不安げなようだ。
「大丈夫。君は充分頑張った。もう無理しなくていい」
自分で考えた慰めの言葉じゃないが、それは事実だ。ちゃんと頑張ってこうなったんだから別にいい。誰も死んでないし、責められるべきではない。
「ごめんなさい」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声量だったが、ちゃんと拾えた。
「いっぱい酷いことして…… ワガママ言って迷惑かけて」
「だからいいって。大丈夫だよ」
少し焦る。さすがに泣いてくれたらこっちがどうすればいいかわからん。
しかしせめてものブレーキも効かず、大声で立ったまま泣き出してしまった。
どうしよう。
あわあわしていると、ゆっくり近づいてきて抱きついてきた。泣き声がこもって、くすぐったい振動が伝わる。
しばらくしてそれが止んだ。俯いた顔の、目の下が薄く赤に染っている。
「落ち着いたか」
「はい」
震えているが冷静で、はっきりとした声。もう折り合いがついたのだろう。今度は俺が戦う番だ。
「よし。じゃあ早くこんなところから出よう」
手を伸ばす。今度は躊躇せずに、すぐ受けとってくれた。それが嬉しくて、顔が緩む。
一気に辺りの景色は崩れ落ちた。
「早くしろよあいつ」
拳銃で狙いながらつぶやく。刺してから結構たっているぞ。十五秒ぐらい。
足でリズムを取るようにしながら待っていると、わずかだが右腕が動いた。FEARの方に触れて、引き剥がすように力を込めている。
「ようやく戻って来たか」
どこからかは知らんが。
白刃は予想以上に力が強く、疲労で不自然に痛む体を耐え唸った。ようやく動きだして、力をさらに限界まで振り絞る。
既に制限時間はなくなっているが、諦める訳には行かない。彼女は俺に耳を傾けてくれた。それを無下にするのはヒーローのやる事じゃない。
筋肉の繊維がちぎれ、体の酸素供給が追いつかなくなる寸前で、FEARを彼女の体から分離した。剥がれるように崩れ落ち、その身体を受け止める。
木の後ろに寝かせて、安全を確保する。
さっきと違ってFEARはすぐに動き、暴走を始めた。しかし冷静で距離を取ってくる。俺が追いかけるようにした方が向こうにとって有利というわけだ。
だがそんなのは取るに足らない。もういくらでも攻撃していいのだから。
右腕をぐるぐる回して、血をはらう。もう早くしないとだ。一瞬で決めてやる。
ブレスレットのスイッチを三回押す。その間に、FEARはお得意の機動力を活かし、木を蹴って逃げ始める。
考えが追いつかないほど速い。
こちらも同等のスピードで追いかけるが、たちまち雲隠れしてしまった。立ち止まって、どこに行ったかを探る。
ブレスレットから溢れた電気が放電して、大きな音を立てている。そこに一瞬混じった、かわいている何かが割れる音。
すぐさま横を確認するが、いない。そう考えた時後ろから掴まれた。
羽交い締めにされ、持ち上げられかけるが、逆に好都合だ。相手はこれで逃げられない。
自分にかかる力を利用し、上に回って相手の後ろにまた入った。蹴り飛ばして距離をとったあと、短剣を射出する。
「所詮意志を持たないのなのさ」
16アンペアもの電流が流れ、FEARの動きを止める。それはもはや皮膚を焦がすほどのものだった。
「スタンガン……」
見ていた加古が珍しく驚いた表情を見せる。
拘束用の武器があれにもついていたとは。奨さんには言われなかったし、説明書にも書いていなかったが。
電流が切れる前に倒すため、全力で走り始める。常人のそれをはるかに超えた速さで加速して、タイミングを合わせて踏み切った。
跳び上がると、森の全容が把握出来た。その少し下に、FEARが見える。くっきりと。
「おりゃァァァァ!」
大きな雄叫びをあげて、空中から蹴りを仕掛ける。足を伸ばして、狙いを定め、薄い装甲の下にある推進器を全開にして速度を上げた。
足の平から刃が飛び出し、FEARに突き刺さった。速度と質量に耐えきれず、地面がめり込むと同時に、体が体を貫通した。
クリスタルは今度は一瞬で欠片もなく消滅し、体は消し飛ぶ。加古とは違い、FEARに過剰なまでの火力をかけ、消した。
しかし、倒したはいいものの加速しすぎた白刃の体は減速せずに、そのまま進んでいってしまう。推進剤は全てさっきので使ったから、速度を落とすためにはぶつかるしかない。
たちまち足がどこかに引っかかる。あまりにも速いので、そのまま体制を崩して転がり回って、木に激突するまで止まれなかった。
「おわっ…… た」
目が回ったのか、そのままぐったりと眠りにつくようにして抉れてしまった木にもたれかかった。そして、本当に寝てしまう。
呆れた加古が木の破片を踏み壊しながら近づく。眠っている白刃を覗き込んだ。周りが自然災害もかくやというほどぐちゃぐちゃになっているというのに、呑気なやつ。
「しかしまぁ……」
派手にやりすぎだろ。あいつを倒すのにそこまでの威力いらないのに。
しかし放っておく訳にも行かないので担いでそのまま逃げた。FEARの痕跡はなし、銃の弾丸も回収したから、こいつが派手にしなければ完璧だっただろうが、アービトレイターの痕跡は無いのでいい。
このまま帰ろう。