第2話 射手 5
ひとついっていいですか。
「いっ、嫌……」
前の前に見える黒い化け物を目にして、少女は怯え、立って逃げることさえ出来なかった。鋭利な爪は、さっき切り付けられた血が垂れており、その傷が痛む。
昼間なのに暗い路地裏が、一層恐怖を強くさせる。社会と分断されてはいないのに、誰も助けてくれないし、見てもくれない。こんな暗いところで、死にたくない。
FEARが右腕以外の変身を解いて現れたのは、少女がよく知るクラスメートだった。まるで戦争の相手でも見るように、冷たいが憎しみのこもった視線を向ける。
FEARの変身者は、ゆっくりと少女に近づいていく。一歩一歩進む事に、恐怖で歪む顔を、FEARは心の中で何を思ったのか、唇を噛む。
「まって、分かったから…… 謝るから」
必死に懇願するが、全く意にも介さず、殺すために歩みをとめない。
「そう言ってやめてくれたの」
正面から強い衝撃がきたような感覚を覚える。やめなかっただろう。こうなったのは、全て自業自得。
とうとう自分に到達し、頭を掴んで無理やり目線を合わせてきた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
恐怖で必死に喚き、身体を動かすが全く抜け出せない。
そのうち、爪をゆっくりと太ももに刺してきた。
「許してください! ごめんなさい!」
そんなことは思ってもいないだろう。痛いから言っているだけ。こいつはそういうやつだ。
そして完全に影災に変身し直し、左腕を頭に突き刺そうとしたその時。
「おりゃあああ!」
飛び蹴りで体制を崩して、やめさせる。完全に意識外からの攻撃で、FEARは怯んだ。
その隙に加古が少女を奪い取り、安全な場所に避難させる。
「この……」
巻いていたブレスレットに短剣をセットすると、辺りに電撃が走り始めた。
「着装!」
その一声と共にスイッチを押し、変身する。
走りながらFEARに殴りかかって、のけぞらせる。間髪入れずに何度も攻撃を叩き込んだ。
俺は素人だ。だから勝つためには、アービトレイターの高いパワーを利用して、攻撃の手を緩めないことに専念しなきゃいけない。下手に技術に頼っても失敗するだけだ。
「腕っ節なら!」
蹴りを受け止められたが、それを頼りにもう片方の足で蹴る体制を取った。反応されなければ、足を落とされないはず。
「こっちが優位!」
見事蹴りが成功し、地面に落ちた。
すぐに立ち上がって、向き合う。変身者は誰なんだ。女の子を殺そうとするなんて、なんの理由があってそんな事。
「どいてろ!」
無線でそう聞こえた時、上から加古が乱入してくる。コンクリートがくぼみ、欠片が吹き飛んだ。
「あっぶねえなあ!」
びっくりして怒る。よく見えない位置から飛び込んできやがって。
加古は横にいるよFEARに攻撃を仕掛けようと近づいた。がら空きの身体に、影災は突きを入れようとする。勿論当たれば、爪が身体を貫通するだろう。
最小限の動きでそれを避けた、と白刃が認識した瞬間、FEARに突きが入る。
後ろによろけたFEARは、反撃の蹴りを入れようとするが、軸足の関節を取られ、跪かされる。そのまま加古は投げ飛ばした。そのまま馬乗りになって、殴り続ける。
何をしたかと思えば、殺そうとしてる。だめだ、そんなこと。
咄嗟に体がうごき、加古を退けてFEARの首根っこをつかみ、路地裏の壁にまで持っていき押さえつける。
「何を」
「説得する!」
加古は突然邪魔され、白刃の方を見る。
「おい! 聞えるか!」
説得はまだやっていない。絶対にやってみせる。
「何故あの子を殺そうとした! 何故だ!」
全力で押さえつけながら、理由を聞く。
あの時、ただ単に殺しが目的なら既にやれていた。しかしそれをしなかったということは、少なくとも何かしら別の理由があったはず。
「馬鹿な事を……」
止めようとするが、止められないだろう。力勝負ではアービトレイターに勝てるわけが無い。
考えていると、何か変な感覚が頭によぎった。
(なんだ…… この感じ)
何かが形成されていく。砂鉄が磁石に集まるように、どこかで塵のような何かがが集まっていた。場所は、柵があって、周りに階段が…… 景色が見えない。
「なんで皆私を責めるのよ……」
声が頭に響いた。女の子の声だ。
「あいつがいなければ良かった!」
それを聞いた瞬間、力が緩んだ。考えてもいないのに、勝手に。同時に後ろに突き飛ばされて地面を転がる。
形成が終わる直前、どういうことか気づく。柵がある、横に階段。
「まずいっ!」
ホルスターから全力の速さで銃を取りだし、上に撃つ。火花が空中で弾けたが、何かは体勢を崩さずに落ちてくる。
もう一人のFEARは強く踏み込んで着地し、立ち上がった。少し違う容姿だったが、加古にはすぐどういうことか理解出来た。
「なんだこいつ、二人!?」
「違う……!」
もう一人のFEARは地面を滑るような奇妙な動きをして、元の個体に重なるようにし、溶けるように消えた。
その瞬間、辺りに強い光が照射され、目が見えなくなる。体もこわばって、動かせなかった。次に景色が見えた時には、既に逃げられていた。
「逃げられたか……」
変身を解除すると、思わず前にひざまづいた。疲労で手足が震えている。いや、それだけではないだろう。
あの子の声、同情を買おうとしてる声じゃなかった。人が壊れかけている時に出る声だ。恐怖や不快感が混じりあった言いようのない、生きてる人間が出しちゃいけない声だった。
「おいてめぇ!」
首根っこを掴まれて、路地裏の壁にたたきつけられる。痛さと圧迫感が感じられた。加古がかなり怒っている。
「なんだよ……」
心身ともに困惑していて、疲れたような声しか出せない。
「なぜさっき邪魔した!」
「邪魔だと……!」
疲労が弱まってきて、だんだん元の声に戻ってきた。怒りが湧いてくる。
「ならあのまま!」
「そうだ! あのまま殺しておけばこんな面倒には!」
ふざけんなと怒鳴る。大勢の為に一人を見殺しにするなんて許されていいわけが無い。それはもはや仕方ないことじゃない。囲んで殴り殺したも同然の、最悪の行為。
「このっ!」
無理やり振りほどいて殴るが、簡単に避けられた。逆にがら空きの水月を膝で蹴られる。
「くそっ…… バカが」
そう言って、加古は立ち去った。
拳を信じられないほどの力で握りこんだ。爪がくい込んで痛い。
あんなやつの言っていることが正しいなんて信じたくな
い。俺があんな事しなければ丸く納まったなんて
「人を殺したくないのがそんなに悪いかよ……」
こうなった責任とか、そんな説教くさい事はどうでもいい。なんで助けたいのがいけないんだ。なんで俺がこう思うのがダメなんだ。そうやって皆、いつもいつも否定ばかりして。
「あああっっ!」
怒りのままに、思い切り拳を地面にたたきつけた。
いいません。