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誰かの靴を履くということ

作者: 孔明

疲れが残ったままの鉛のような身体を無理やり起こし、まだシワの少ないジャケットに袖を通す。昨日の残りのボソついたパンを口に詰め込み、インスタントコーヒーで流し込んだ。満員電車に詰め込まれ、特に理由もなくスマホアプリを開いては閉じを繰り返しながら職場へと向かう。

去年から地元福岡の大手企業へと入社し社会人となった東谷は、入社早々、せわしなく状況が変わる社会人生活に打ちのめされていた。

仕事はミスばかりで、その後始末から仕事が遅れ新たなミスを呼び、もはや出世街道とは縁のない人間となっていた。それに対し、向かいのデスクに座る生意気でいけ好かない後輩はなぜか取引先に気に入られることが多く、期待の新人などと呼ばれているが、東谷はそれが気に食わない。

来週には新しい取引先への提案営業があるが、営業は東谷の最も苦手とする仕事だった。

家に帰りつくと糸の切れた人形のようにベッドへと倒れこみ泥のように眠る。ここ数か月はそんな毎日を送っていた。

次の日の朝の通勤時、高校時代の級友である西尾から連絡があった。大まかな内容は「北野、南が東京から帰省してくるから飲もう」とのことだった。二人は同じく級友であり、高校時代はよく四人でふざけあっていた。つい二つ返事で承諾したが飲みの翌日が例の営業の日だと思い出し、断るべく電話を手にしたところで少しだけ迷い、結局東谷が電話を掛けることはなかった。

高校卒業以来、再び東谷の家に集まった四人はなんだか懐かしくとても楽しくて涙が出そうだった。各々持ち寄った酒を飲みながらそれぞれ今の生活について話した。

西尾は高校卒業後、福岡の小さな工場で働いており、会社の規模は小さいが徐々に昇進し毎日充実した生活を送っているようだった。

北野は大学卒業後に上京し、俗にベンチャー企業と呼ばれる企業で働いているらしいが仕事内容は耳慣れない単語の羅列で半分以上理解できなかった。

南は高校卒業後、ミュージシャンを志し上京したが数年はあまり手ごたえもなく、極貧生活を経験していたが去年、なんとメジャーデビューしたらしい。しかし、なかなか売れずに苦労しているようだった。

東谷には、三人が輝いて見えた、そして同時に胸の内が次第に暗く沈んでいく様な感覚に襲われた。誰かの「東谷が羨ましいよ、大手企業でちゃんと働いて」という呟きが聞こえ、堰を切ったように東谷は胸の内の黒い感情を吐き出した。現状への不満、三人への嫉妬、苛立ち。黒い感情は全員へ伝播しそれぞれ苦労やお互いへの苛立ちを半ば投げつけるように吐き出した。一人は会社の小ささや世間からの風当たりを、一人は雇用の不安定性や耳慣れない単語ばかりの業界へ飛び込んだ不安を、一人は夢を追う辛さや努力と才能だけではどうにもならぬチャンスの不平等さを。もうそこには先ほどまでの賑やかで楽しい飲み会など存在しなかった。感情を吐き出すことに疲れた四人は、酒が切れたことに気づき、飲み会を仕切り直すため再び買い出しに行くことになった。東谷は明日のことなど少しも考えてなかった。どうせ明日もあのいけ好かない後輩が美味しい役回りを掻っ攫っていくのだろう。あいつに任せておけばいい。

四人で並んでコンビニまで歩いているとやたらと重い靴に気がついた、どうやら酔って誰かの靴を履いてきたようだ。聞けば全員が違う誰かの靴を履いていた。

東谷の靴は磨いてはあるがかなり古い革靴

西尾の靴は作業に耐える頑丈な安全靴

北野の靴はブランド物の歩きにくい革靴

南の靴はクタクタになったスニーカー

それぞれの靴が持ち主以外に履かれ酷評を受けていた。

コンビニにつくと各々欲しいものを購入しコンビニの前で五分後に再集合となった。こんなやり取りを昔もしていた。険しい坂の上の高校に通う学生時代も放課後のコンビニで毎日のように同じやり取りが行われていた。あの時は酒などに頼らずとも、それぞれ紙パック入りのジュースで飲み会を楽しめていた。

やたら甘ったるいイチゴオレや妙な味がする乳酸菌飲料、とてもコーヒーとは呼べないコーヒー飲料など三人はよく毎回あんな不味いものが飲めたものだ。

東谷はなんとなく高校以来になる紙パックのミルクティーを購入した。

翌日、取引先への道中、西尾から画像が送られてきた。無造作に横たわる酒瓶を背景に机の上に並べられた四つの色鮮やかな紙パック。高校以来に飲んだ彼らの飲み物はやはり不味くて飲めたもんじゃなかった。東谷はスマホをマナーモードに設定し、ポケットにしまうと、後ろを歩くいけ好かない後輩に声をかけた。

「お前って営業の時にやたら取引先に気に入られるけど、なんか裏技でもあるの?」

彼はいつも話しかけてこない俺に少し驚いたような顔をしたが

「簡単なことですよ、相手の立場になって考える。それだけです。英語じゃ誰かの靴を履いてみる。なんて言い方しますけど、自分の嫌いなものでも相手が好きなものなら知ろうとする。とかそんな程度の心構えでも全然反応が違います。」と澄ました顔で言った。相変わらず生意気な後輩だ。

「なんだそんなことか。どっちも得意分野だ。」

東谷はそう呟くと足早に取引先へと向かった。


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