2.
レイ伯爵邸に帰ると私つきの侍女のアンナが、ドレスを脱ぐのを手伝ってくれる。
「お嬢様、大変でしたね。もう、お体の具合はよろしいのですか?」
アンナが事務的な口調で問いかける。
「ええ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう。アンナ」
私がそう答えると、アンナはまるで珍獣をみるような目付きになった。
「お嬢様、失礼とは存じますが、本当に大丈夫ですか?特に頭の方」
なんだそれ。ホントに失礼だな。でも、その言葉の意味は分かっている。前世の記憶が戻る前の私は、高飛車でワガママで、決して人に優しくない言動ばかりだったのだから。
アンナは、私が五歳の時に私付きの侍女として雇われた。私の高飛車にもワガママにも慣れきっているため、私が殊勝な態度を見せたことに驚いているのだ。
「アンナ、刺繍がしたいの。道具を揃えてくれないかしら?」
いよいよアンナは、キツネにつままれたような表情になった。
たしか、どちらのルートに行っても断罪は免れない。だとしたら少しでも周りの心証を良くしておいて、断罪後に私に協力してくれる人を増やしておく必要がある。
そのためにハンカチーフなどに刺繍をしてバザーで売り、教会に寄付をしようと(若干短絡的思考であるのは否めない)思ったのだが、今までのエヴァは刺繍が大の苦手で、道具すら揃えていなかったのだから。
エヴァは刺繍が苦手でも、『中川めぐみ』は手芸が得意だった。編み物やアクセサリーなどの小物類を作ることは趣味の範疇を越えていて、既製品と比べても遜色ないものだった。
「かしこまりました。すぐに揃えさせていただきます。先生はお呼びした方がよろしいでしょうか?」
今まで苦手だった刺繍をするのに、いきなり一人で出きるわけないと思うけど、必要ないんだよなぁ。
少し思案したあと、
「先生は、アンナがしてくれないかしら?」
「私が、ですか?」
アンナは刺繍がとても上手なのだ。それに、私が転生者だと他の人にバレるのは危険だと判断した。
アンナは薄々気づいているはず。
「お嬢様、他に必要なものはございますか?」
「それじゃあ、厚手の紙と糊、カラフルなビーズとピンセットをお願い」
「それでお嬢様は変わられたのですね。刺繍も、先生が必要ない理由が分かりました」
ハンカチーフにわりと簡単な刺繍を施して見せ、自分が転生者であることを話した。
自分が断罪される運命であることと、慈善活動をしようとしていることも話した。すぐには信じてもらえないかもしれないと思っていたけど、案外すんなり信じてもらえた。刺繍の出来栄えが良かったのも納得してもらえた理由の一つだと思う。
「殿下と、アルフレッドさま、どちらと婚約なされてもそのマリアという女性が絡んでくるのですね?」
「ええ、そうなの」
「しかし、お嬢様。今、貴女がおられるのはゲームの世界などではなく、現実です。ゲームの強制力かなにか知りませんが、お嬢様を貶めようとするものは私が全力で排除いたします」
そうだ。アンナのいう通りだわ。私がいるのはゲームの世界観に酷似した現実なんだから。