喧噪とグラスの響き
騎士団が撤退した街角に住人たちの笑い声がふれている。
ピカロとダイザブロウはそんな街の人々に一軒の酒場に招待されていた。
ピカロはなんとか辞退しようとしたが、街の人々はこんなに楽しい酒の肴とおしゃべりのネタを逃がそうとはしなかった。
「ようにいちゃん、あんた面白いことやるなあ」
「まったくだ、あのいけすかねえ騎士団をカエルにした上に、すっ裸にして追い払っちまうとは」
「おほめ頂き、ありがとうございます」
「おほめ頂きじゃないわよ!」
ダイザブロウの後頭部を叩く小気味いい音が周囲に響く。
「あらあら、お嬢ちゃんったら。照れ隠しにしたってもう少し可愛げがあった方がいいんじゃない?」
「そうよねえ。あんなに堂々と告白をしてくれて、しっかもあの騎士団を簡単に追い払う男なんてそうそういないんだから。お嬢ちゃん逃がしちゃだめよ」
「おほめ頂き、ありがとうございます」
「あっははは、面白い男だねぇ。ほらこっちに来て一杯おやりよ。あたし達からのおごりだ」
「ありがとうございます」
カウンターから呼ばれたダイザブロウが、差し出されたジョッキを一気に飲み干す。
「お、いい飲みっぷりだね! にいちゃん、こっち来いよ。このツマミがまたう、めぇんだ」
「いただきましょう」
「どうだい?」
「なるほどこれは美味しい」
「そうだろ、そうだろ」
ダイザブロウの周りで、人々が楽しそうに歓声を上げる。
(なんで普通に馴染んでるのよあいつは! というかここの人たちはダイザブロウが怖くないの?)
直接剣を向けたわけではいし危害を加えようとしたわけでもない。
だが殺気で腰を抜かし、騎士団をカエルに変えたの目の前で見た、街の人々のこの反応がピカロには理解できなかった。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん」
「いえ」
「ふーん、私たちがあんたの男を怖がらないのが不思議かい?」
「おと、男なんかじゃ」
「あはは、あそこまで言われて断りもしないで否定するってのは粋じゃないねぇ」
「そ、そんなこと言われても」
「冗談だよ。冗談、酔っ払いの戯言さ」
だが目ざといピカロは気づいていた。
同じように酔ったふりをすることが何度もあったピカロは知っていたのだ。
この女性が全くお酒に酔っていないことに。
(この人何者?)
「おっと、そんなに警戒しないでおくれ」
「そう言われましても」
「どうやら余計に警戒させちまったようだね」
(……)
ピカロの視線が自然と厳しくなる。
この手の人間はだいたい何か裏があることが多い。
そう、たとえば自分のように。
ピカロはこの女性に自分と同じ匂いを感じ取っていた。
「酔ったふりをしていたのは謝るよ。アタイはこの酒場の用心棒さ」
「用心棒?」
「そうさ、こういう場所さ。いろいろともめごとも多くてね」
(……)
「はあ、どうやらお嬢ちゃんはアタイと同じ人間みたいだね。ならこう言おうか、あの男に逆らうつもりはこれっぽちもないよ、小さな出来心なんぞで死んじまうなんてまっぴらご免だよ」
(まだまだ裏はある、でもここでは何もするつもりがないってところね)
両手を上げて首を振る女性のしぐさを見て、ピカロは小さく笑ってしまった。
ただし年頃の女性がみせる、かわいらしい笑みではない。
例えるなら獰猛な肉食獣がふいに笑ったかのような獰猛な笑みだった。
「いい目といい笑顔だね。あの男が惚れたのはあんたのそういうところのようだね」
「な、ば、ちょ」
ピカロの顔から獰猛な笑みと鋭い視線が立ち消え、頬が真っ赤に染まる。
「あははは。お嬢ちゃんあんたも面白い女みたいだね」
「はあ、もうやめてよ」
「すまない、すまない。少し悪乗りが過ぎたよ」
「それで私に何の用ですか、用心棒さん?」
「今のところは何もないよ。本当に挨拶だけさ」
女はお酒の入ったグラスをピカロに差し出す。
「今のところはですか」
「そう今のところは。アタイはジョアンナ・ジェファーソン、ジョアンナと呼んでおくれ。以後お見知りおきを、ピカロ・ノスティール様」
「ええ、よろしくお願いします。ジョアンナさん」
そう言ってグラスを受け取ったピカロは、そのままジョアンナのグラスに軽くグラスをぶつける。
喧噪の中でグラス同士が奏でた音は、まるで新たな何かの始まりを暗示するかのように、小さく強く響き渡った。
次回更新は10/29(火)を予定しています。
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