3.高1の冬、後輩は中3。受験当日。
あの日、桟橋で姫川由衣を助けてから一年と少しが経った。
俺は中学卒業後、近隣の高校に入学し、現在は高一。
季節は冬。
自室の窓からはかすかな粉雪が舞っているのが見えた。
ヒーターの方へ足を向け、文庫本をめくっていると、玄関のチャイムが響いた。
家族は出ない。十中八九、俺の来客だと分かっているからだ。
「あいつめ、また朝っぱらから……」
しおりを挟んで立ち上がる。
部屋着の上にジャンパーだけ引っかけて、玄関の扉を開けた。
そこに立っていたのは。
「おはよーございます、はる先輩! 今日もいいお天気ですねっ」
小動物のような元気さ。
ロングの髪に大きなリボン。着ているのは俺の出身中学の制服。今日はぽんぽん付きのマフラーを巻いて、手には手袋もしている。
現在、中3の姫川だ。
俺は呆れるのを通り越し、いっそ感心顔になる。
「頭上を待ってる粉雪が見えないのか、お前には。これがいいお天気だなんて言うのは、喜んで庭駆け回る犬か、子供ぐらいだと思うぞ」
「わたしにとってはですね、はる先輩に会える日は問答無用でいいお天気なんですよ」
「よし分かった、台風直撃の日にでも会いにきてくれ。楽しみにしてる」
「え……デートのお誘いですか!?」
「落ち着け、中学生。君は暴風雨に晒されながらデートしたいのか……?」
「はる先輩とデートできるなら、たとえ竜巻の中だってきっと天にも昇る気持ちです」
「それたぶん竜巻に飛ばされてるだけだぞ?」
ちなみに『はる先輩』というのは俺のことだ。
朝倉春斗で『はる先輩』。許可した覚えはないんだが、いつの間にかそう呼ばれている。もちろん呼んでくるのは姫川だけだ。
桟橋の一件以来、姫川は事あるごとにそばにきて、今では当たり前のようにウチにくるまでになっている。
「それで今日の用件はなんだ? また受験勉強で不安になったのか? 以前にも言ったが、ここまできたらもう自分を信じる他はないんだぞ」
「違いますって。今日は決意表明にきたんです。ほらこれ!」
バッグから取り出されたのは、受験票だった。
俺が通っている高校のものだ。姫川は胸を張ってそれを見せてくる。
「わたし、はる先輩の学校受けます。春からはまた正式にはる先輩の後輩ですからね! 春だけに!」
「最後の一言はいらんだろ」
茶々を入れつつ、「それでもまぁ……」と後輩を見る。
「この一年、勉強頑張ってたもんな。ま、やれるだけやってこい」
「はい! わたしの才能は絵だけじゃないって、この世界に見せつけてやりますよ!」
「頼もしいこった。その調子なら本番の試験も…………いやちょっと待て」
ふいに思い至り、俺は受験票を凝視する。
「ウチの高校の入学試験って今日じゃなかったか? ……やっぱりそうだ! 今日の日付が書いてあるぞ!?」
「そうですよ? だから試験前に元気をもらおうと思って、先輩に会いにきたんです」
ポンコツ後輩は気づいていない。
姫川由衣は絵に描けては天才だが、その他のことに関しては驚くほど抜けている。
「時間! あと少しで試験が始まる時間だぞ!?」
「え…………ああああああああっ!」
俺がスマホを突き出すと、そこに表示された時間を見て、姫川はサーッと青ざめた。
「なんで!? どうして!? 余裕を持って30分も早く家を出たのに! 途中ではる先輩に会いたいなって思いついて、るんるん気分でここまで来たのに!」
「それが原因だああああああああ!」
俺は玄関のコルクボードに下げてあるチャリの鍵を取った。
姫川は「うわぁぁぁん、どうしよう、先輩ぃぃぃ!」と子供のように泣いている。
門柱の横に停めてあったチャリを引っ張り出し、一喝。
「諦めんなッ!」
「……っ」
「この一年、必死に勉強してきたんだろ!? お前の努力をお前自身が最初に諦めてどうすんだ!? 本気でやってきたんなら簡単に手放すな! 最後の最後までしがみつけ!」
「で、でももう試験始まっちゃうよ……っ」
「俺が学校まで送ってやる! 何がなんでも間に合わせてやる! 受験票握りしめて後ろに乗れ!」
バッグをかごに放り込み、姫川が後ろに乗ったところで「しっかり掴まってろ!」とペダルを踏み込んだ。
すぐにスピードに乗り、周囲の風景が加速した。空から舞う粉雪が俺たちを避けるように散っていく。
姫川は小さな手で俺にしがみつき、まだ泣いている。
「ひっく、うぅ、春になったら入学式ではる先輩に告白しようと思ってたのにぃ……っ」
「え、姫川!? 今告白した!? 俺に告白した!? こんな時に何言ってんだ!?」
「だってきっと間に合わないですしぃ……もし間に合ってもそこから試験会場の教室にいかなきゃですしぃ。わたしのことだからきっと迷って、たどり着けなくて、時間オーバーになるにきまってます……っ」
「心配すんな! こんなこともあろうかと、試験監督の先生に言ってある! ドジな後輩が遅刻したり、迷ったりするかもしれないから、開始ギリギリまで正門に案内の先生を配置してくれって!」
「えっ、本当ですか!?」
「本当だよ!」
「さすがはる先輩っ。口は悪いのに面倒見のいいオカン属性……っ!」
「ぜんぜん褒められてる気しないんだが!?」
「そんなところも好きなんです……っ」
「だからどさくさまぎれに告白してくんな! 今は試験のことだけ考えろ!」
「はい! 試験に受かって、無事入学して、はる先輩とらぶらぶ学園生活送ることだけ考えてます!」
「お前、そのまま試験突入したら本当落ちるからね!?」
その後、どうにか開始時間に間に合い、案内の先生もすぐに対応してくれて、幸運にも――姫川は入学試験に合格した。
春からは後輩として、同じ高校に通うことになる。
それはつまりこの日のようなトラブルが今後も続出することを意味していて……正直、俺は頭が痛い。