目的と役割
私は小説を書いている。普段は一会社員として働いており小説で飯を食っているわけでもなければ、それを誰かに見せることもない。それじゃあ何の為に小説を書いているかって? 勿論小説を書くなどという、時には苦痛を伴う作業をなんの目的もなしにしているわけではない。
私は、小説を書くことによって私自身が何を感じ、何を考え、そして、何をすべきなのかを知りたかった。至極抽象的に聞こえるかもしれないがそれは仕方のないことだ。なぜなら私が小説を書くことを通して辿り着いた答えこそがそれだったからだ。
「小説を書くことを通して辿り着いた」という言葉を聞いて、勘のいい人なら気付いただろう。私が小説を書き始めた時は、私自身もなぜ筆を取ったのかがわからなかったということに。登山家がよく言うそこに山があるからだ、という言葉と同じようにそこに筆があったからなのかもしれない。しかしこの時既に私は無意識下にその目的の元で行動を起こしていたのであろう。
数々の世界を紙の上にしたためる度に、それぞれの物語の主人公達が私の持つ特性の一部をその身に取り憑かせ、その物語の幕を閉じる様を目の当たりにしてきた。彼らの中には目を覆いたくなるような欠点を以って私を絶望させる者もいれば、想像だにしなかった芯の強さを持ち、勇敢に悪と対峙する者もいた。勿論それぞれの主人公達に愛情を注ぎ、命を吹き込んできたつもりではあるが、どちらかと言えば前者の、言うなればどうしようもない主人公達の方が好きだということにここ最近になって気付き始めた。
それに気付いてしまってからというもの、私の執筆速度は二次曲線的な軌道を辿り降下していった。執筆中の長編小説もどこか要領を得ない駄文が悪戯に文字数だけを重ねていき、まるで宇宙空間を慣性のままに地球から遠ざかっていく壊れた飛行船に閉じ込められているような気分になる。私はこの小説を完成させるという目的に執着し、その執着心が私を焦らせた。
その小説が五万文字を超えてからある種の違和感を持つようになった。六万文字を超えてその違和感の正体に気付いた。
――この小説は私の中で果たされるべき役割を既に終えている。
完成させるということは一つの指標に過ぎず、もっと別の所でこの作品はその役割を終えてしまっていた。
私は、変わってしまったのかもしれない。
どこか知らない場所を歩いてみたい気分だ。
散歩にでも、行こう。