Ⅱ
魔王様が最弱だと知るのは、もうちょい後になります。
結論から言おう。この世界の魔法と言うのは非常に簡単で、よっわい。超をつけてもいいくらいに弱い。それゆえに差が出るのは、精度と効率である。
およそ一年も上級までの習得に時間がかかったのは、よっわい魔法を使えるレベルまで上げたためだ。なにもこの世界の魔法は効果が悪いわけではない。悪いのは効率と、あまりにも大雑把な捉え方をして、その通りに使用していることだ。証拠に、彼女は上級魔法一つ使うだけで息が上がる。使用に慣れていないとは本人談だが、原因が違うことは明らかだった。
魔法に関して情報を付随すると、魔法では、一つの位に対し一つの魔法しか存在しない。初級風魔法ならば『誘風』。下級風魔法なら『風球』といった対応。魔法は種類を求められていないようである。覚えるのが楽でいいな。因みに魔術は、一つの位につきおそろしくいっぱいある。魔術書なるものを五歳の誕生日に強請って入手したのだが、その量に流石の僕も憶えることは諦めた。魔法陣はマジで幾何学、あれは記憶容量がごりごり持って行かれる。と、いうわけで魔術の勉強は後回しにしている。
代わりに最近は発展を行っている。詠唱やら魔法名やらを完全に無視した、魔法の根本を見るためだ。一年前に盛大にやらかしてから控えていたが、魔力の操作と加減がある程度理解できた今ならと進めているのだ。
魔法が弱いというのは、彼女が使用するのをみて持った印象だ。使い手によって変わる可能性もあるし、まだ知らない聖・闇の属性や勇級以上の魔法が恐ろしく強い可能性だってあり得る。だから妥協はあまりしたくない。もし将来社会に出た時、他ができないことができるというのは、貴重と異質という諸刃の剣ながらも非常に強力な武器となる。異端だと弾圧されれば隠せばいいだけだしな。
最近の習慣は、朝起きて魔法、飯食って、昼になるまで魔法。昼食後、午前中の結果をまとめ、午後から翌日に掛け実験する魔法についての仮説をたてる。一時間ほど時間をかけたら、そこからまた魔法。日が沈んだら夜ご飯。その後は彼女との時間を、魔力をギリギリまで浪費しながら過ごす。それは単なる話し合いだったり、実験に関しての意見をさりげなく求めてみたりと様々。
魔力をギリギリまで消費するのには理由がある。簡略して言うと、超回復目的だ。超回復というと、強い負荷で劣化した筋肉や骨が、二、三日かけて元の状態よりも強くなる現象のことだ。似たような現象が魔力にもみられた。魔力を使い始めてから半年ほど経つと、自分の魔力がどれくらいあるかというのを感じられるようになった。魔力という概念に馴染んだからだろう。その影響は大きく、日に日に増えていく魔力量と質を感覚的に理解できたのだ。その変化量が、使用すればするほど大きいと気づくのにはそう時間はかからなかった。
しかし気になるのは、魔力の回復速度である。ここが筋肉や骨の超回復との大きな違いだ。僕が出した結論。回復量と速度は、生命力の高い生物の摂取と、良質な睡眠によって向上可能である。しっかりとご飯と食べ、消化されていく中で、魔力がじわじわ沸き上がるのを感じるのだ。睡眠に関しては、最近新たな説を検証中だ。もしかすると、睡眠ではなく、呼吸法が重要なのではないかと睨んでいる。
さて、僕にとってのこの世界の魔法というのを定義してみよう。
魔法は属性ごとに、意外と一律な原理がある。風魔法は空気中の低分子操作。火魔法はエネルギーの操作と増加。水魔法はエネルギー奪取と物質操作。土魔法は物質の結合変化と操作。雷魔法は電子操作――電気情報も操作できるのではというのはまだ仮説だ。
魔法ではこの原理のもといろいろできる。例えば水上級魔法『製氷』は、水蒸気や水の熱を奪うなどして無理矢理分子結合を強め、氷に変化させることで氷を作成する。この分子結合の変化を拡張したのが土魔法の分子結合の操作だ。つまり、属性とは特徴を大雑把に示しただけで、根底のところ水魔法も土魔法もほとんど変わらない訳だ。正直、あまり属性なんて気にせず、原理から考えて魔法を使用している。そのお陰か、魔法の一般見解である位当たりの個数が一つであるという考えを完全に逸脱し、なんなら位のくくりも抜け出してしまったのではないかと感じている。もはや僕は無属性魔法の使い手だ。
そうそう、無属性。意外と重要な無属性。彼女から習った無属性魔法は、原理に近づくきっかけとなった。無属性は、どの属性にも分類し難いものの総称。無属性魔法は、原理を色濃く感じる。例えば初級無属性魔法『索敵』は範囲内に存在する者を感知する魔法だ。この魔法は水属性と火属性の原理を利用している。索敵の範囲は、自分が干渉できる領域――魔力精度に正比例する。その領域内に存在し、エネルギーを持つあらゆる物からほんの微力のエネルギーを奪い、魔力が奪われていることを覚らせないためか循環させるようにエネルギーを与える。そのエネルギーを電子に干渉することで電気情報に変換し、脳へと刺激として送ることで把握できるようになる。雷魔法に電気情報の操作という原理があると考えたのは、この魔法によったところが大きい。
このように、無属性はいわば集大成なのだ。この魔法を開発した人は、相当に魔法への思考が深い人だったのだろう。今じゃ魔法という概念に対しての思考を放棄している人が多そうだ。
僕はこの定義に自信を持っている。我ながら良く調べたものだ。
だがしかし実験を始めてから半年ほど経って、簡単にネタは尽きた。異世界知識を乱用して色々試したのだが、家の中とその周辺だけでできることは限られており、最近では岩を作って、固めて、彫って、壊すという生産性の欠片も無いことをひたすらやっている。
そんなわけで、ついに次の段階。彼女に武術を乞うた。
「お願いします、魔術に飽きました!」
「飽きるって意味わかってるのかしらこの子……まぁわかったわ、明日からね」
「はい!」
彼女は最近昼間から夕方にかけて家にいることが多かった。仕事クビになったのかな。いや、子供はそんなこと気にしない、教えられていないことは知らない。聞くのは止めよう。しかしそのお陰で彼女に暇ができたのだから、僕にとっては嬉しい限りだ。ただ怖いのは、これから食の質が下がったりしないか、心配であるということか。
翌日、彼女が朝食後すぐに出かけてしまった彼女は、ガッチガチのフル装備で帰って来た。
「お母様? 何故そこまで戦闘態勢なのでしょうか……?」
「当たり前、戦い方を教えるから」
「うっへーそう言う方式ですかそうですか」
最後の小言は無視された。彼女は僕に、少々手荒に扱っても折れないくらいに肉厚な短刀と、黒いグローブ、茶色のブーツをくれた。初心者用装備……フードを被ったら盗賊にでもみえるだろうか。
恐らく、僕はこの後ぶちのめされるのだろう。体の芯まで教え込まれてしまうのだ。容赦なく、加減などせず、手荒にっ! やべぇちょっと興奮しそう。それも彼女が悪い。
右腰には黒薔薇の意匠がガードに施された片手直剣を佩き、そこに乗せる手には銀のガントレット。各関節は鎖帷子のような網状の金属具。何よりも、彼女のおっきな胸のサイズが通常の二分の一ほどにまで押し込められ、チェストプレートに守られているのが印象的だ。ぐぬぬ、元のサイズを知っているから、かなりエロく感じてしまう。しかも隠れるように、後ろ腰にあたるところに鞭があるのだ。あれで叩かれたら調教されてしまう。最後に付け加えると、ポニーテールは罪である。何だよ可愛すぎるんだよマジで生前大好きだったタイプなんだよ……
靴を履き替えている間、彼女の防具一式を眺めていて気付いた。微力ながら、その全てから魔力系の力を感じた。それは、剣から指輪、髪飾りまでに及ぶ。この世界にも存在するのかエンチャント武具。しかし僕のものから何も感じないのはどういうことだろう。
装備を終えると、準備運動に入った。僕は省略版ラジオ体操、彼女はなんだか見慣れない動きをしていた。うーむ、ここにきてまさか文化の違いを感じることがあるとは。
終わるとすぐ、レクチャーに入った。
「武器を抜いて」
「うん」
「構えて」
「え? あ、うん」
「じゃあ行くわよ」
なんっじゃそりゃ!? と突っ込む暇も無くレクチャーは終了し、一瞬で模擬戦に入った。もうほんと非効率的なやり方だ。
彼女が鞘を固定していたおかげで、僕はいきなりすぱっといくことはなかった。しかし、映像のカットか入れ替わったようにみえる速度で接近した彼女の速度は尋常じゃなかった。力の乗った鈍器は腹に直撃し、五歳児の軽い身体は容易く吹き飛ばされる。容赦なんて欠片も見られない一撃だ。
のたうち回って大ダメージを受けた僕は、開発中の回復魔法で体を癒しつつ、無属性魔法『索敵』を発動してなんとか第二撃を防いだ。ただし力が違い過ぎる、短刀は容易く飛ばされ地に転がり、力負けした僕は首筋に剣先を突きつけられてジ・エンドだ。笑えない実力差、どうやらうちのお母さんはめちゃくちゃ強いらしい
「武器をとって、構えて」
彼女は僕を急かした。もうちょっと優しい指導を期待していたのだが、どうやらスパルタのようである。これは精神力の勝負となりそうだ。
じりじり痛む腹を擦りながら立ち上がり、わざと時間をかけて短刀を拾う。回復のためだ。振り返ると、彼女は剣先をみて頬ずりし、劣情を誘うような恍惚とした表情で体をくねらせていた。危うく母親で立つところだった。むっちりとした肉尻をあんな振られてしまった誘われているようにしか……あれ、尻尾がない。服の中に仕舞っているだけか? いや、それでもラインくらいは見え、
「拾ったわね」
「うごふっ」
―――その後僕は一撃も反撃はできず、吹き飛ばされてばかりであった。
「今日は終わり、次は三日後」
こてんぱんにされ地べたと仲良しになった僕は、了承をどうにか示そうとぶらんぶらん手を振った。だがそれ以上力は入らず、すぐ大の字だ。気力はあるが肉体が言うことをきかん。あぁ、地べた気持ちいぃ、体にしみわたるぅ。
彼女は僕に一瞥をくれただけで、どこかへ行くってしまった。今日の彼女は地べた以上に冷たい。なんなら冬のフローリングより冷たいかもしれない。
日が沈むまで、僕はずっと寝そべっていた。傷は全て治したが、疲労が酷い。立ち上がるまで何十分もかかってしまった。しかしその時間を無駄にしていたわけではない。
彼女の動きは非常に洗練されていた。特に、動き一つ一つにかかる力の効率がいいように感じた。素人の僕にでもわかるほど流麗なのだ。巧みな手加減、とでもいえようか。相手を侮辱するような手加減ではなく、相手に対しこれが適切な力だと、お前の実力はこの程度だ、自覚しろとでも言うような手加減。感情に左右された無駄な手加減ではなく、無駄を切り捨てるための必要な手加減。あれほどの技術、ちょっとやそっとじゃものにできない。ぶちのめされながら感動したものだ、僕もこうなれたらな、と。
目標、まずは一矢報いる。その為にイメトレをしていた。しかし中々上手くいかない。イメージにも蓄積されたデータが必要なのだ。まず僕が攻撃するのは良い、その後彼女がどう反撃するか、全くわからなかった。戦闘初心者、全く能無しだ。50パターンくらい試したものの、反撃を受ける、ということが想像つくだけで、具体的にどのような、まで進まない。ならばと第二の策、彼女の技を模倣することから始めた。脳内イメトレと言うよりも、こっちはパターン化した作業のようなもの、ゲーム感覚である。音ゲーのようでちょっと楽しかった。しかしこの弱点としては、結局劣化版コピーで終わってしまうこと。だが今は良いのだ、基本を何一つ知らないぺーぺーな僕には丁度いい。ある程度身に着くまで、僕は劣化版でいることにした。
やはり、家に彼女はいなかった。どこへ行ったか気になりはするが、それよりも僕は部屋にある白紙とペンを取り、自分の思考を書き写した。
何枚もの紙が同じ位置に穴を開けられ、紐で綴じられているだけ。装丁なんてなく、ただの紙束だ。しかしこれが僕の研究が詰まったノートなのである。まだ二冊目だ。僕はそれをバインダーのように扱っている。紐を解き、書き終わった紙をそこに通してノートの新たなページとする。最初から綴じておけば楽なのだが、紙の質上の問題で、それはできなかった。なにせペンで容易く穴は開くし、インクが紙を貫通することだってざらだ。質の割に意外とお高いらしいけどね。
因みにノートに書いてある言語はちゃんと人族語だ。日本語使いたいが、バレるのが怖い。
「た、ただいまぁ……」
すっごく小さな声で、とても情けない声がした。机に移ったインクを処理し終えたころだった。その声はとても、僕を地面に這いつくばらせた人のものとは思えないほど覇気がない。
「おかえり」
送り出すときはいってらっしゃい、迎える時はおかえりだと、彼女は僕に教えた。日本人の当たり前がこの世界にも存在して、当たり前にやっていいことに、感銘を受けずにはいられない。
扉を少し開け、小さくなってこちらを窺うお母さま、悪いことをしたハムスターみたいでとっても可愛らしいです。もしかして、やり過ぎたとでも思っているのだろうか。それでこれから手を抜かれるのは困るな……ありえなさそうだけど。
「お母さん、三日後もよろしくね」
「ぇぁ……ぅ、わかったわ……」
先制攻撃成功。こちらが進んでやりたいと意思表明すれば、彼女もその意思を無碍にしたりはしないだろうと踏んでいたが、予想的中だ。
確かにあの模擬戦はキツイ。今も怠いし、回復魔法を使っても明日の筋肉痛は確定だろう。しかしちゃんとインターバルはおかれた。その間に回復して、戦略を練ってこいというメッセージと僕は感じた。それに応えるのが、教えを乞うた僕の責任というものだ。
「ねぇ、ごはんにしよ、お腹すいた」
「そうね、そうしましょう。今日もいっぱいつくるわよ!」
「食べきれる分でいいからね」
二か月後。
僕は気付いた、このままじゃ絶対に一矢報いる事すらできない、と。
本日、僕は一度だけ、彼女に反撃することができた。しかしその刃は彼女の肌にあたったはずなのに、カキッン! 子気味良い音をたてて弾かれたのだ。彼女曰く、体表を障壁で蓋っている魔道具とやらがあるらしい。
「なんっじゃそりゃ、反則だろうが! うすうす気づいてたけど!」
模擬戦後、平均して四十分の猶予がある。僕が一人になり、好き放題できる時間だ。日本語を使ってもいいし、叫び散らしたって何ら問題なし。
ひと叫びして落ち着くと、もうすっかりと戦闘記録が主体となった研究ノートを見る。この一ヶ月、確かに僕は成長している。魔法と体の小ささを生かした戦闘スタイルは、小回りの利く短刀と非常に相性がいい。そのお陰で、今日は反撃ができたのだ。魔法と言っても、『回復』と『索敵』で目一杯なのだが。
始めの一ヶ月は死に物狂いで基本を知って、今は基本を固めている時期。土台がしっかりしていると、後の伸びが良くなるらしい。土台を固めている間、ふとしたときに、自分が変化していることに気付く。例えば、彼女が何をしているのか、理解できることがある。例えば、彼女がこれから何をするか、なんとなく想像できるようになってきている。
しかし、しかしだ。僕の攻撃がいくら彼女にあたるようになっても、あの障壁があるままだったら、当たるだけで切ることはできない。つまり無意味な攻撃となる。
そんな無駄なことしていられない。
選択肢は三つ。その魔道具とやらをぶっこわす。障壁を破れるくらいに強くなる。同じくらい反則急な魔道具を作ってやる。一つ目は魔道具とやらの価値が分からない以上却下、二つ目はまず何年かかるか分かったもんじゃない。三つ目は作り方がわからん。……あれ、三つ目が一番可能性がある気がする。
そんなわけで僕は、魔道具の研究を始めた。なにせ僕はただの五歳児じゃない、異世界の知識を蓄えた知識人なのである。
まずは、魔導書に、魔道具に関する情報を求めた―――あっさり見つかった。異世界知識、必要なかった。どうやら魔道具とは一般に、魔法陣によって魔術的能力を与えられたもののことをいうらしい。武器でも本でも、正しく魔法陣を書けば魔道具になるらしい。なぁにそれ簡単。
一瞬にして、魔道具の研究ではなく、魔法陣の研究をすることにシフトチェンジ。結果、僕は魔術の勉強をしなければならなくなりましたとさ。
何故だろう、目的がどんどんずれている気がする。
「――ぃ、ここじゃぁッ!」
腕の痛みを堪え、脇で彼女の腕を拘束する。できた一瞬の空白、そこに握り締めた拳を叩き込んだ。ただの拳ではない、手製魔道具を纏った拳だ。その能力は、増幅と直進のたった二つ。少ないと侮るなかれ、どちらも十分に脅威となる能力だ。増幅は、拳の力を魔力によって計算上2.25倍にし、直進によってその力を一方向に偏らせる。方向は勿論肉体の内部。確かな手ごたえを持って鳩尾を捉え、打ち切った。一年の努力が、確かに彼女に一矢報いる結果をもたらした。
「……今のは効いた」
「だぅふっ」
しかし応報は、真下からの蹴り上げであった。首の付け根をもがれるような蹴りに眩暈を催し、あ、これ脳震盪ってやつだとぼんやり思った。地面に倒れた僕の視界端、止めとばかりに鞘つきの剣を振り下ろそうとしている彼女の顔が、妙に印象的だった。
うっとりした目、緩んだ口と笑みに引きつる頬――まるで、快楽殺人者だった。
――――気絶一歩手前のはずだった。
止めを刺すべきだ。これが彼の鍛錬とわかっていても、ただの模擬戦とわかっていても、そう思ってしまった私は我慢できなかった。抜刀する猶予なんてない、早く殺さなければ。首を一撃で死ぬはずだ。
そのはずなのに、なぜだ。
剣は握られ、喉の薄皮を何か鋭いものが突いている。視線を下に向ければ、それが地面から生えていることに気付いた。全くの不意打ち、避けられたのは経験によるものだろう。それが誰の仕業か―――わかっている。わかりきっているが、認めたくなかった。認めたくない感情は、現実を知ろうとする好奇心に容易く負けた。
静かに笑っていた、何も感情を窺えない顔で。
その目を見ていて、震えた。たかだか七歳の子供に恐怖し、心のどこかで歓喜した。あぁ、自分と同じ存在がここにいる。何もかも見捨てたことのある人間の目だ。
どうしてか、そんなのしらない。なんなのか、そんなのどうだっていい。何をしたって今ここでこれ以上殺意を向け続けられば殺される。私は腕の力を抜いた。
するとどうだろう。感じていた圧力はどこかへと消え、突き付けられていた凶器も、あの笑顔も無くなっていた。残ったのは気絶する少年だけ。
「ぉふっ、ぁっ―――いっっったぁぁぁっ!」
緊張が抜けると、襲ってきたのは強烈な痛み。そう、痛みだ。私が理性を失ってしまった原因。私の『呪い』を引き起こす鍵。実に八十年ぶりの痛みだ。
久しぶり過ぎて耐えきれずごろごろとのたうち回って、目には涙が溜まる。しかしどうやっても痛みはなかなか抜けず、気持ち悪さも襲ってくる。
痛みは私の理性を飛ばす。そして、強烈な防衛反応を引き起こしてしまう。だから八十年前、障壁の魔道具を得て以来、まともに生きてこれた……その障壁を貫通できる人など存在しなかったのに。この小さな少年は、一年半、たったそれだけの時間で私に痛みを感じさせるほどになった。
「何なの、君は……」
結局我慢できず、声に出てしまった。
その声に宿ったのは、怯えか―――いや、震えた声に宿ったのは、歓喜であった。




