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母は魔王なんだけど最弱らしい  作者: 白羽
序章
1/6

転生


――状況を理解することから始めよう。

 

 紅。視界一杯に埋め尽くされている。淡く、漠然とした色だ。ひしひしと感じる熱さに身じろぐが、どうにもうまく動かない。ごうごう通り抜ける風の音に負けず、ばちばちと弾ける音。時折、腹の底まで打ち付けるような振動と共に轟く轟音。風が吹き抜ける度に喧嘩するように鳴っていた。その風は草原のように清々しいものではなく、肌にぼんやりと纏わり憑き、じくじく肌が乾いていくのを感じた。

 きょろきょろと辺りを見渡してみるが、依然として視界は不明瞭のままだ。まるで眼球の水晶体が摩り硝子に変わってしまったかのように物の形を捉えてくれない。機能しない目を諦めて鼻に頼ってみると、奥に針を刺したかのような悪臭がした。今まで無視できていたのが不思議なくらいの臭い。反射的に鼻をつまもうとしたが、体の動きはどうしてか緩慢で、動き方を忘れてしまったかのように言うことをきかない。何故体がこうも動かないだろうか――そう考える思考に割り込んできたのは、思い当たった臭いの正体。

 きな臭い。いや、それだけではない。鶏肉を焦がした臭いもする。キャンプファイヤの時に感じた、煤の臭いまで……あ、そうか。

 ここまで条件が揃えば、容易に想像がつく。周囲一帯、おそらく火の海だ。炎海(えんかい)である。誰か一発芸でも疲労してくれないかなぁ、一杯ぐびっといきながら……


 アホか、そんな状態じゃネェよ!? オヤジか俺は!!


 どう考えても不味い。火災発生中に鳴る轟音と言えば倒壊音か崩落音。僕が建造物の中にいるとしたら最悪だ。炎に完全に包囲されていると考えるのが妥当だろう。視界は相変わらず、となると脱出は困難。煙の臭いは確かにするが、呼吸と思考が明瞭なことを考えると一酸化炭素中毒にはまだ早い。最悪、地面を転がるようにして炎を避けて行けば―――いやでもどっちに進めばいい? どっちが安全なんだ? ああもうわからんふざけんな!


 必死に考えても分からない。しかしリミットは刻一刻と迫っているのだろう。深い振動と乾いた轟音が、徐々に大きくなっていくのを感じた。だんだん近づいてくるようだ。幸運なことに、僕はまだ生きている。視界が晴れないのは、恐らく火災に巻き込まれて、目を傷つけてしまったのが原因かもしれない。それにしては痛みもないが……すると脳の方に何らかの影響があったのだろうか。動かない全身を考えると、首をやってしまったかもしれない。それは残念だ。しかし生きている、まだ希望はある。


「……っ、ぁぅ、ぇ……、……?」 


 自分で動けないなら助けを呼ぼうと、声を出そうとしたが、喉が上手く震えない、舌も中々回らない。全身麻痺の可能性がいっそう増した。

 万策尽きた。所詮、体が動かなくなってしまっては、何もできないのだ。

 いくら日本といえど、ここまでの火災だ。周囲から人の声は聞こえないし、動くような気配も感じない。視界は悪いが、酷く規模の大きい火災であることはいうまでもあるまい。原因は一向に思い出せないが、救助の手は足りなくなるだろう。サイレンの音が聞こえないし、ならば救助なんて端から来ていないのだろう。あぁあ、命運尽きたか。人生後悔ばかりだよ畜生、意地張らないで彼女の一人でも作ってわいわいきゃっきゃやりたかったなぁ……

 

――――ドガァン!

 

 轟音が脳を揺らす、かなり近い。もうすぐそこだろう。

 ここがどうやら僕の墓場のようだ。死に場所も分からないとか最悪だよ。それに都合よく火葬までしてくれるんだろ? 生きたまま。苦しみたくないし、殺すのならさっさとしてほしいものだ。


「助ける、絶対に……」

 

 唐突に、優しさのにじみ出る、しかしどこから焦るような声が聞こえた。生存者だろうか。しかし助けるといったその言葉、自分に向いているとしか考えられなかった。

 背中がもぞもぞっとした後、浮遊感が生まれた。どうやらこの人、片手で六十キロを余裕綽々と持ち上げる程度の力があるらしい。なにそれ凄い。

 むにゅりとなにかに埋まるような感触がして、まさかっ……とこんな状況ながら期待してしまう。しかし、走る振動に合わせてむにゅむにゅ感じるこの柔らかさ。碌に揉んだことのない僕だがわかる、これは母性の象徴だと。

 しかしそれだとかなり笑えないことになる。何気俺は百八十を超した長身だ。もにゅもにゅとした感触は、押し付けられる度に全身から感じている。つまりだ、少なくともこの人のお山は、二つで横幅百八十はある、お山と形容しても可笑しくないレベルになるのである。それに伴って全身も大きいと考えられるので、それはもう恐ろしい図体をしているでだろう。なにそれヒトなの?

 そこでもう怖くて思考を放棄した。全身麻痺状態の僕にはどうすることもできない。どうにでもなれともう諦めることにした。

 そういえば、全身麻痺していても、感覚って残るものなのか……



―――

 

 十七歳、アマチュアニート。最終学歴某名門一貫校中退。

 ニート始めて既に二ヶ月ちょい。親の脛を噛み生きている俺に不自由はなかった。未成年最高、いい親万歳。

 きっかけはあまりにも小さなことだ。神風が僕にひらりと恵みをもたらした、ただそれだけ。相手がカースト上位の女子で、周囲には俺に味方する人が居なくて、俺がちょっと目を付けられている人でなければ、何事もなく済んだのだが……すべての悪条件が揃ってしまったあの状況で、俺には救済なんてなかったのだ。全く理不尽だが、これが人間社会である。恐ろしいものだ。そんなに恥ずかしいならジャージでも履いとけよ馬鹿が。

 まぁ、今いくら愚痴っても仕方ない。あれから俺の立場は紐なしバンジーで失墜した。

 いくら名門校と言えど、いじめという集団制裁は例外なく存在する。それが他より少し陰湿で、狡猾なだけにすぎない。反撃は何度かしたが、台所のGと戦っているようで憐れになっためやめた。根本から伐採できるほどの力が俺には無かったのだ。パンツ見られた程度でよくやるもんだよと感心するばかりだ。

 俺はそうして学校での立場を失い、信用を失い、場所を失った。教室へと登校する頻度は次第に減り、授業を受けずに乗り越えられるほど甘くないテストによって補習常連化。成績はリーマンショックレベルの暴落。単位はとれず、無意味な時間を過ごすくらいならと俺は学校から身を退いた。

 家族は皆、肯定も否定もしなかった。始めから分かっていたことだ。うちの家族同士のつながりはいわばシベリアである。それが俺に対してはもう、他人のように基本無干渉に変わっただけだった。ただ、親愛なる両親はそんな俺でも成人までは見捨てずにいてくれるらしく、なんともありがたいことだ。

 俺はテンプレートに堕落していった。意欲的に勉強することなんてやめて、ニートよろしく引き籠りもやってみた。しかしやはり、なんやかんやで外が恋しくて、俺は外に出てしまうのだ。ヒキニートにランクアップする日は遠い……そんなことを思いながらゲーセンで三十三連勝してきたある日。  

 暑苦しい晴天に蜃気楼が揺蕩っていた。運動を怠り随分と甘くなった体からも汗は止めどなく流れていた。いくら今日が店舗特典付きのゲームの購入日だからと言って、ここまで暑いと流石に後悔の念を持ってしまう。

 飲み物無しでこれは辛いと、近場のコンビニによった。ついでに避暑だ。幸いそこには飲食スペースがあり、自分以外に誰もいないのをいいことに、天然水のみを買って開封の儀を行っていた。

 今思えば、その全てが後悔ばかりである。 

 けたたましい擦過音に振り向いた時には、もうそれはガラスをぶち破っていた。のほほんとしたおっさんの顔が運転席に見えた。走馬燈なんてものは見えず、次の瞬間には強烈な圧迫感に支配され、込み上げてきたものを反射的に吐き出していた。

 ワゴン車とコンビニの壁でサンドイッチになった俺は喘ぎ苦しんだ。なにせ僕はしっかりと捉えていたのだ。吹き飛ばされるパッケージと、圧殺され四散する五周年記念七分の一ファルちゃんフィギアが。

 キッ、と持てる力のすべてを尽くして眼前の元凶を睨みつけるが、ボンネットに顔を埋めるアホジジイに意識はないようだった。無駄に発達した言語中枢がアホジジイに向かって罵倒を始めたが、そんな思考をホワイトアウトする刺激が廻った。それが痛みだと理解するのにはそれほど時間はかからなかった。

 次第にやって来る困惑と死への恐怖に、何もできず屈していた。そんな俺にトドメとばかりに、二匹の悪魔が映った。コンビニの厨房からどろどろと流れる濁った黄色の液体。短絡を起こし、バチバチと音を立てて火花を散らす、壊れた配線――二匹の悪魔は、まるで仲良しのように引き寄せ合い、当たり前のように引火した。  

 

―――そこから先は、ただ見苦しく生に足掻き、無様に焼け死んだ記憶しかない。

 

 そう、僕には(・・・)何気、死までの記憶がある。

 こんにちは、僕の名前はレイ。姓は知らん。なにせまだ一歳にも満たない赤子なのであるから、知れる情報には限りがあるのだ。できることなんて泣き喚くか考えることくらいしかない。

 この世界に来た。あえてこういう言い方をしよう。それは恐らく二ヶ月ほど前のことになる。

 その日の僕は、混乱続きであった。なにせ、未曾有の大火災に巻き込まれ、僕を救ったのは存在するはずのない巨人族で、自分は全身麻痺状態の抵抗不可状態であると本気で思い込んでいたのだから。死の記憶が舞い込んできたのはそんな中、無理解の中苦しむ日々が延々と続くかと思っていた。

 しかしそんな思考は日に日に改まっていく。

 与えられる食事と、掛けられる声音と言葉。向けられる愛情や同情。どうにもそれが、僕の思い込みと繋がらなかったのだ。多くの違和感が募りに募って、それはある一つのことで解消される。

 視界が戻った――いや、ヒトとして正常な機能を得られたというべきだろう。単に成長したのだ。

 そして僕は、大きな勘違いに気付くと同時、多くの違和感の解消に成功した。芋蔓式に多くのことがわかっていったのだ。やはり見えるということは重要である。

 日本どころか、全く違う世界だということは彼女(・・)にデビル的尻尾が付いていた時点で強制的に理解させられた。僕を火災から救ったのは巨人などではなく、身長の大きさは一般的な見目麗しい人外お姉さんだということは本当に救いだった。それ以外のことも、異世界というだけで様々説明がついた。

 現在の僕の状況をまとめると、異世界転生して美人のお姉さんに介護されている、という感じだ。


 僕だっていちオタクである。異世界転生という状況に燃えない訳がなかった。

 しかしながら実際問題、死ぬ瞬間の記憶に何度も吐きそうなほど苦しめられるし、何もできない無力感に苛まれながら日々を送るのは正直苦痛でしかなかった。

 しかし、あのもはや無意味な世界から脱せたというのは大きかった。死んでからだからこそわかることがある。どれだけ無意味に生きて来て、どれだけの後悔をおいて来たか。

 無意味な日々を送るのはもう嫌だ……そう思った僕は、異世界での改心を決意した。理由は単純明快、後悔して死にたくない。ただそれだけだった。

 



うーん、なんか指が調子に乗って書いてしまった。

続くといいなぁ……


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