ライオンの王様
「は?」
扉を開けた先には広い空間が広がっておりステンドグラスの窓を通して色取り取りの光が差し込んでいる。
部屋の奥には階段があり、その階段の上には大きなソファが置いてある。先ほどの声はそのソファの上でだらしなく寝そべっているズボンとマントと冠を身につけた大きなライオンが発したらしい。
レイは何も言わなかったが、おそらくあのライオンが王様なのだろうとリリは思った。
リリはレイが魔法を使って街や城に行くのだろうと思っていたが直接王に会いに来るとは思っていなかったため、未だにだらんと寝ている大きなライオンを前に驚きで言葉を発せないでいる。
ライオンの王もまた、休憩時間に現れた後日来る予定の男と少女が突然現れたことにただただ呆然としていた。
「ご機嫌麗しゅう。お猫様」
呆然とするリリとライオンをそのままに、レイはライオンの近くまで来るとリリをそっと床に降ろし優雅な仕草で挨拶をした。リリもハッとするとなるべく丁寧に見えるように、ライオンの王に向かって本に出てくるお姫様の真似をしてワンピースの端を持ち上げゆっくりとお辞儀をした。
「り、リリと申します」
大きなライオンを前に声が震える。
(全然猫じゃないよ!)
リリは泣きたくなった。お話で聞くだけなら正義感が強く勇敢なライオンの王様はとても魅力的だったが実際に会ってみると大きくて威厳がありとても怖い。そもそもこんなに間近でライオンを見るのは初めてだった。
レイにとっては自身の力に遠く及ばないこのライオンの王はまさしくちょっと大きめの猫だったのでリリがこんなに怖がるのは誤算だった。
(喜ぶと思ったが・・・。気をつけなければ)
怖がるリリを心配そうに覗き込みながら頭を撫でるレイを見て、ライオンの王はようやく我に返った。
パパッとたてがみを整えると先程までのだらけ具合が嘘のようにシャンとした姿勢でソファに座り直した。
「リリか?よくきた。私がこの国の王だ」
大きな口からは鋭い牙が覗いているが、気遣うような優しい声だったのでリリは少し緊張が解けた。
《実際に政務を執っているのは王妃や側室だから戦う時以外はお飾りの王だがな》
王の頭の中にレイの声が響いた。リリに聞こえないように魔法を使って悪態をついているらしい。
「話は聞いている。そんなに緊張する必要はない」
《黙れ!何をしに戻って来た!その人間を使って何をするつもりだ!》
王は優しい声でそういうとレイとリリに向かって鋭い牙を見せつけた。リリは怒らせてしまったのかと不安に思ったがレイが小声で
「王は笑顔を見せているつもりなんですよ」
と言ったのでなんて下手な笑顔なんだろうと可笑しくなった。実際には怒ってレイを威嚇しているのだがレイには猫が威嚇してくる程度にしか感じなかったので相手にしなかった。レイは王に向かって
「顔が怖い事を自覚してください」
《お嬢様は親を亡くしたばかりで心身ともに状態が良くなかった。睡眠も食事もろくに取れず死ぬかもしれなかったので環境を変えるために戻ってきた》
と言った。リリはレイが王様に不敬だと言われないか心配したが、王様は驚いたような顔でレイを見るとリリに優しい声で声をかけた。
「悪かった。怖がらせてしまったか?」
《人間の子供は初めて見た。大きさから見てまだ幼いのだろう?条件次第ではこの子供が国へ滞在することを許可する》
この国で子供は宝だ。王は爪も牙も持たない小さくて痩せっぽっちなリリに対して同情し優しく声をかけた。
リリには王が怖がった自分を気遣ったように見えてはにかんだ。
「大丈夫です」
大きな体も大きな口も口から覗く鋭い牙もまだ少し怖かったが、リリはこの王様がとっても好きになった。
《条件は何だ》
レイは王を力でねじ伏せても良かったが今後のリリの事を考えるなら多少は我慢してもいいと思っていた。
「人間が来ることは珍しいんだ。全国民が歓迎するからゆっくりしていきなさい」
《国民を傷つける事は許さん。そして貴様はその姿であの屋敷から出るな。出る場合には姿を変えろ》
王がリリに同情したからか、レイ思っていたよりもずっといい条件だった。
《わかった》
レイは王との取引が終わると一方的に魔法での会話を切ってしまった。王は再びレイに牙を見せレイも王に魔法を飛ばそうとしたがリリには2人が笑顔で対面しているようにしか見えていなかった。
コンコンコン
「王、そろそろお時間・・・」
リリが年齢や好きな食べ物など王に聞かれた事に答えていると扉が開き狼が入ってきた。
狼は一瞬驚いたが素早く階段を駆け上がると王とレイの間に入りレイに対して鋭い犬歯を見せ低い声でうなった。
「何故ここに・・・!」
「久しぶりだな、犬」
「っ狼だ!!!」
リリは狼の登場に目を輝かせている。
体は王と比べると小さいがそれでもレイに近いくらいはあるだろう。左目が傷でふさがれており、右の耳の先端が少し欠けている。犬歯を見せて唸っている姿は怖いが、この狼が王に忠誠を誓った騎士であり女子供に滅法弱いことはレイの話で知っていた。ライオンを間近で見た後だと狼はちょっと大きめの犬のようにしか感じなかった。
「ウォルフ・・・」
ポツリと呟かれた名前に反応し、狼はチラリとそちらを見た。狼にしては珍しく子供に対して低い声で尋ねた。
「何故俺の名を知っている」
「あの、レイが話してくれて・・・」
「貴様!有る事無い事吹き込んだのだろう!」
「まさか。さぁお嬢様、ご挨拶は?」
狼に対して丁寧に挨拶をする必要もなかったが、リリにはきちんと挨拶が出来る子になって欲しいと思い挨拶をする様にと促した。
リリはハッとしてまだ威嚇の姿勢をとる目の前の狼に向かってお姫様の礼をした。
「リリです」
リリに挨拶をされたウォルフは少し悩みながら王様を見る。ウォルフとしては丁寧に挨拶をしたこの無害そうな少女に挨拶を返したい。返したいがレイが何をするかわからないため動けなかった。王はそんなウォルフの気持ちを汲み取りとりあえず大丈夫そうだといった様子で頷いた。ウォルフは王様が頷いたのを見て威嚇の姿勢をやめるとキリリとした顔のまま
「ウォルフだ」
と自己紹介をした。無骨な挨拶だったものの、リリにとっては話に聞いていたウォルフそのものだったので気にならなかった。
「犬、熊はどこにいる?」
レイはウォルフがリリのために威嚇の姿をやめたのを見て声をかけた。
「あいつならもうじき来る」
「オルソが来るのね!」
リリはテディベアが大好きだ。もちろん本来の熊の姿は知っているが、蜂蜜が好きで抜けたところがあるオルソの姿はリリの中では大好きなテディベアに変換されていた。
「王、街からの嘆願書をオルソが持ってきますのでそちらのご確認をお願い致します」
「ああ」
リリはレイに小声で聞いた。
「レイ、たんがんしょって何?」
「王様にお願い事をする紙です。自分の力だけではどうにもならないことを国にお願いしてやってもらうんですよ」
「どういうことをするの?」
「そうですね・・・。こちらの国では隣の国に用事がある時や人手が足りない時などに嘆願書を出すと兵隊が手伝いをしてくれるんです。嘆願書を読んで適した者をお手伝いに向かわせるんですよ」
「ふぅん」
リリとレイが小声で話していると王が面白そうに会話に入ってきた。
「ただ小さな願い事も多くてな。最近は全ての嘆願書に手が回っていないんだ」
今までの王ならこんなに不用心に悪魔の側に寄ったりしなかったのにとウォルフは何かあってもすぐ動けるように神経を尖らせていた。
悪魔がその気になれば自分などひとたまりもないだろう、せめてこの場にオルソがいれば・・・
ウォルフが不測の事態にどう王を逃すか考えているうちに、扉がドンドンドンと大きな音で叩かれた。
「失礼するぜぇ」
扉から現れたのは大きくて傷痕だらけの熊だった。先ほどのは叩いたのではなくノックだったらしい。
熊はレイを見ると口元だけはニッカリ笑って
「あれ?今日だったか?」
と友人に話しかけるような口調で言った。だが目は鋭くレイを睨みつけ決して目線を外さないようにウォルフの隣に並んだ。いつでも攻撃出来るような間合いに入っている。
「この熊がオルソ・・・」
リリが小さな小さな声で言った。
その声でオルソは初めてリリの存在に気がついた。
「あぁ。俺がオルソだ」
リリはテディベアじゃないオルソに対して少しショックを受けたものの、戦士なんだからちょっと怖い見た目は当たり前だし勝手に残念に思うのは失礼だと考え若干震えつつもお姫様の礼をした。
「初めまして。リリです」
オルソはリリが怖がりつつも自分に対して丁寧な挨拶をした事に好感を持った。自分の見た目はライオンや虎の子でさえ怖がるのだ。
レイはリリがテディベアの様な見た目の熊の戦士を期待しているのを知っていたので泣くかと思ったが、リリがちゃんと挨拶をしたのを見て満足そうに笑って頭を撫でた。
その様子をみた王も狼も熊も信じられない様なものをみたといった驚愕の表情をしている。
「あの悪魔が・・・」
オルソがポツリと口にした。
「悪魔って?」
リリのその声でハッと我に返ったがもう遅い。オルソはレイから刺すような視線を向けられて冷や汗が止まらない。
「ねぇ、悪魔ってどういうこと?」
レイが口を開こうとした時、ウォルフが嘲るように言った。
「その男は悪魔とも呼ばれいるし、最も凶悪という意味で最凶の魔法使いとも呼ばれ」
王がウォルフに口を開けなくなる魔法をかけた。おそらくリリの前でこれ以上喋らせたら命が危なかっただろう。現に今レイは怒っており、ウォルフに何かしらの魔法をかけようとしていた。
「最も凶悪な魔法使い・・・?」
リリは戸惑った。
だってレイはいつでも優しい。こちらに来てからは口が悪い時もあるが怖がられるなんて思わなかった。
いい魔法使いなのに・・・とチラリとレイを見た。
レイはリリに向かってあまり見せないような悲しげな笑顔を見せた。
(もしかして・・・みんなに勘違いされているんだわ。レイが本当に悪い魔法使いならこんなに悲しい顔はしないはず!なんとかして誤解を解かないと・・・)
レイは王と狼と熊の息の根を止めたいと思ったが、リリが悲しむのでそんな事は出来ず苛立っていた。また、何と呼ばれているかリリに知られたくなかった。リリと目があったが嫌われてしまっていないだろうかと気になり何時ものような笑顔を向けられなかった。
「お、王様!たんがんしょが多くて困ってるって言ってましたよね?それ、何とかします!私とレイが!」
リリは勇気を出して王様に言った。
レイが悪い魔法使いだって勘違いされて悲しい顔をしている。
(だってレイは喧嘩や悪い人をちょっと叱るくらいしかしていないのに!あんまりだわ!みんなのお手伝いを積極的にすればきっとわかってもらえる)
「私は構わないが・・・」
王はチラリとレイを見た。
リリが困っている者の為に動くような優しい子に育ってくれて嬉しいが、レイはリリの言った事を理解したくなかった。
だってリリ以外の他者など本当にどうでもいいのだ。
関わり合いになるのも煩わしいし、そもそも嘆願書の内容なんて雑用ばかりだ。
「・・・・今なんと?」
レイは止めたかった。止めたかったが笑顔でこちらを見てくるリリに対して貴女以外はどうでもいいのでほおっておきましょうとは言えなかった。
「レイ、どうしてもやりたいの!お願い!」
最近滅多に聞かなくなったお願いを無下にできるほどの鋼の心は持ち合わせていなかった。
「・・・・・わかりました。お嬢様がそう仰るなら」
そう言ってリリに負けたレイを3頭は笑うのを我慢しながら見ていた。
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「いいですかお嬢様、この国の政治は雌ライオンが取り仕切っています。嘆願書の内容をお嬢様が受けるというのならそちらに挨拶に行かなければいけません」
そう言って嘆願書を持ってあの男はあの子供を連れて部屋を出て行った。
あの男が部屋から遠く離れたのを確認し、ウォルフにかけた魔法を解いてやった。ヒヤリとする場面はあったものの取り敢えず条件は飲むようで安心した。
「ぶくく、ぶぁはははははははは!!」
オルソが堪えきれなかったように笑い出した。
「くくくくっ!見たかあの顔!」
ウォルフも笑い出した。
かく言う私も可笑しくて仕方がない。
あの!あの悪魔が!あんな脆弱な子供相手にあそこまで入れ込んでいるとはなんとも愉快!
あの子がやると言えばあの男も手伝うだろう。
その姿を想像するだけで笑えてくる。
「あの子供は国として歓迎することにした。万が一にも国民に傷つけられることの無いように手配をしろ」
「「御意」」
そう短く返事をすると2頭は行動する為直ぐに部屋を出て行った。
あの子供が傷つけられた時の事を考えるとたてがみがあるにもかかわらず首元がヒヤリとする。
さて、他の国の王や女王にも話をしておこう。
リリと名乗ったあの子供とあの男の可笑しなやり取りを中心に教えてやろうと笑う口元を押さえながら伝言オウムに声をかけた。