補完 4-2
「1日遅かったら。」と言われた。
記憶は曖昧で、勝手に創造してしまうらしい。
強烈な印象を受けた場面の記憶ですら、正確に思い描く事は不可能なのだそうだ。
細かい個所や曖昧な部分は想像で補完され場面を構成している。
「こうだったような気がする」と意識していなくても勝手にそうされてしまう。
僕にそのつもりが無くても、1晩の間に記憶がより鮮明に描き足されてしまう可能性が高かったと。
その昼休みの内に彼女達は保健室に駆け込み、そのノートを三原先生に見せた。
彼女は何としても僕を連れて来るように言った。
やはりどの道順でそうしているのか判らないのだが
放課後一番に教室を出て真っ先に下駄箱まて向かった筈なのに
そこには既に南室さんと小室さんがいて、
後ろから宮田さんと栄さんと柏木さんが追いついて僕を囲んだ。
帰ろうとする僕に、南室さんが僕が捨てたノートを見せた。
「アレで効果が無かったら力尽くだった。」と笑った。笑いごとか。
それを自分で書いた事もまだ覚えていた。
翌日だったら忘れていたかも知れない。手の込んだ策略だと思ったかも知れない。
あの時黙って皆に従ったのは「皆を信じろ」と自分で書いた事を思い出したからなんだよ。
僕は自分を信じてなどいない。
だけど皆を信じる事だけは出来る。宮田さんを無視したのは、顔を見たら疑ってしまいそうだったからなんだ。
疑ってはいなかったけど、疑いそうになるのがイヤだったんだ。ごめんね。
「もー謝るなよー。」
僕は皆に連れられて保健室に行った。
三原先生ではなく、橘さんが1人で待っていた。
「三原先生を信じろ」と書いてある時点で、彼女は自分がどう思われているのか認識していた。
だから彼女は橘さんに任せた。
まだそれぼと影響を受けていない事。同時に三原先生の顔を見て、さらに深みに陥る事を避ける為。
実際あの自分のノートを見て無ければ、橘さんですら魔女の手先だと思っただろうから
直接先生の顔を見ていたらどうなっていた事やら。
もう1つ、今後仮に同じような状況に陥って、三原先生がすぐに来られない場合の想定。
橘さんは魔女ではない。弟子入りをしてもいない。
ただ幼い頃から橘さんは三原先生の助力を得ていた。
その技術を最も間近で見ていた。
そして今回のその技術は橘家が受け継いでいる「人ならざる者を人とする」術ととても似ている。らしい。
詳しい事は知らない。どうしてそうなるのかなんて判らない。
僕はベッドに座らされる。
「深呼吸して、目を閉じて。」
「もう一回、大きく吸って、吐いて。」
そう言って、彼女は僕の頭に手を乗せてゆっくりと撫で始めた。
頭頂部から、後ろや横を大きく全体を何度も撫でていた。
この時点で既に僕が何に対してイラついていたのかスッカリ忘れていた。
それがどれくらい経ってからそうなったのかは判らない。
2,3度撫でられた時点なのか、それとも10分以上撫でられた後なのか。
身体から力が抜けて穏やかな心が戻ったのが自分でも判った。
「どう?」
大丈夫。何ともないよ。ありがとう。
大きく息を吐くと、肩が張っている事が判った。少し解さないと頭痛がしそうなくらいだ。
南室さんが保健室から出て行ったのが見えた。
皆にも心配掛けてごめん。もう大丈夫。
「一体何だったんだよ。」
言っておこう。今後同じ事が起こるかも知れない。
時々ね、記憶がおかしくなるんだ。フっと何もかも疑ってしまうような気分になって
でもいつもは自分で言い聞かせて何とか落ち着くんだけど
「それがよくないの。」
え?
「自分だけで何とかしようなんて思わないで。」
軽い症状を抑え込んだとしても、それは表面に現れなくなっただけでずっと潜んでいる。
それが溜まってしまい、今回溢れ出たと言った。
「だからいつでも言って。いつでも私が解すから。」
「それを繰り返す事で、いつしか症状も治まるようになると思う。」
でもいつそうなるかなんて判らないし、その度にいちいち橘さんに
「ううん。いつでもいいよ。どんな時でも。」
「独り占めはよくないなー。」
と三原先生が戻って来た。南室さんが呼びに行ったのだろう。
「私んとこでもいいぞ。いつでも来い。」
彼女はそう言って僕の後ろに回り込み、肩を揉みだした。
どうして判ったのだろう。
「気ぃ張ってたんだなー。」
「橘、これくらい気付かないとはマダマダだな。」
と言われた橘さんはちょっとムッとしていた。かわいいな。
言いながらも僕の腕を取って伸ばしたり締めたり。さすが保健室の先生。
嘘みたいに軽くなった。
「お前の悪い癖だぞ。」
はい?
「何でも1人で解決しようとするな。」
「よく言うだろ、トモダチってのは楽しい事も苦しい事も分かち合ってこそだって。」
楽しい事は、皆で共有するともっと楽しくなる。
苦しい事は、皆に分けると負担は軽くなる。
トモタヂとしての基本的な条件で、僕が何より大事にしていた事。
僕は我儘なのだと思う。
皆の苦しみを引き受けてもいい。でも僕の苦しみは分けたくない。
トモダチとしての条件をいつのまにか自分の都合の良いように書き直していた。
三原先生は僕の腕を引っ張り、殆ど関節技を極める如くこねくり回しながら
「お前らも、あまり遠慮しないでさ、コイツがちょっとヘンだと思ったら、」
「図々しいと思うくらい、踏み込んでみろ。」
いででで
「どうもヘンなところでって言うか肝心なところで遠慮するよな。」
「だからいつまで経っても、コイツが僕は本命なんていませんよーとか、ぬかすんだぞ。」
「そんな事言ったってボク達じゃ姫ポンみたいな事できないじゃん。」
「あ?そんなもん無理矢理惚れさせちまえば少なくとも自分だけは安心じゃん。」
「あくどいな。」
「それくらいコイツとの絆を深めろって事。」
ポンと背中を叩いて
「どうだ?」
素晴らしいです。
「お前身体堅いなー。もう少し何とかしろ。」
う。頑張ります。
「で、橘。どうだった?」
「え?あ、はい。」
橘さんは僕をチラッと見て、少し申し訳なさそうに言った。
「その、えっと、違うのは判りました。先生が言ったみたいに、色が違うと言うか、ノイズみたいな。」
「ん。」
どうやら僕の頭の中の事を言っているのだろう。
「1日遅ければ。」と言ったのは、寝て起きると記憶が整理されてしまい、
場合によってはそれが定着してしまう可能性があるから。
「紹実ちゃん。それって治らないの?」
「さっき橘が言ってたろ。症状が出たらそれを取り除く。そしたらその内治るよ。」
「随分と気の長い話ね。」
「まあもっと簡単確実に治す方法が無いわけじゃないが。」
「何それ。何でそうしないの。何か副作用があるの?」
「副作用ねぇ。」
三原先生はとてもニヤニヤしている。
「何だよ勿体ぶるなよ。」
「今のお前達には無理だと思うよー。」
何だかとても嫌な予感がする。大抵当たるからあまり考えたくは無いが
この流れとこの表情からして恐らくとてもベタな事を言うつもりだ。
「無理って何よ。」
「お前達って事は姫ポンじゃなくてボクでもイイって事?」
「言え。今言え。すぐ言え。」
皆もどうして煽るか。
「コイツを救う安全安心確実な唯一の方法。それはな、」
「愛だよ。」
やっぱり。
「は?」「何言ってるの?」「そーゆーのいいから。」
「な、なんだそのリアクション。キズナまでなんでそんな「ヤレヤレ」みたいな顔してんだよ。」
だって予想通りなんですもの。
「お前ら冗談だと思ってんのか?本気だぞ。本当なんだぞ。」
「愛ってのは、過去を受け入れ全て包んで、未来に希望を与えるんだ。」
「そうかもしんないけどざー。」
「紹実ちゃんが言うと胡散臭いのはどうしてなのかしらね。」
「彼氏の1人も居ない奴が言ってるからじゃない?」
それ言っちゃダメなんじゃなかろうか。
「お前らー。」
ホラ怒った。




